異世界征服に飽きた魔王様に求婚されたバツイチアラサーですが、元旦那の裏切りで恋愛も結婚もこりごりなのにデートすることになりました
「コハル、お前はやはりオレの嫁になるべきだ」
「ちょ、ちょっと待って……! だからどうしてそうなるの!?」
何がどうしてこうなったのかは、私にもよくわからない。
ただ、目の前にいるこの男が、私の知る常識とは違った世界を生きていることだけは理解できた。
山口小春、29歳、バツイチ。
晴れて新卒で就職した会社で、後に夫となる男性に出会う。けれど、結婚生活は三年であっけなく終わりを迎えてしまった。
いつしか異性と関わること自体が面倒になり、気づけば会社にいる時間以外は、自堕落な生活を送るようになっていた。
親しい友人たちは、結婚に出産にと順調な人生を歩んでいる。
それを羨ましいと思わないわけではなかったが、私の人生は私のものだ。新しく誰かと縁を繋ごうだなんて、今更考えるのも億劫になっていた。
だというのに。
独り身で迎えた何度目かの秋が終わる頃、私の日常は前触れもなく壊されてしまうことになる。
真っ黒な長髪に赤い瞳、尖った犬歯、マントのついたコスプレのような黒づくめの服。
左右のこめかみからは、赤い色をしたツノらしきものが生えている。
その男は、文字通り突然目の前に現れた。
「お前、名前は?」
「え……? 山口小春ですけど……」
「コハル! お前をオレの嫁にする」
「…………はい?」
一人暮らしのマンションの三階に、突然現れたその男は、突拍子もないことを口にする。
だらだらと過ごすうちに、うたた寝をしてしまったのかと思った。けれど、どうやら夢ではなさそうだ。
「どうやって不法侵入したのか知らないけど、警察呼びますよ!?」
何を馬鹿正直に受け答えをしているのかと我に返る。不審者として警察を呼ぼうと思ったのだが、男は動じる様子もない。
それどころか、私のスマホを取り上げると興味深そうにそれを弄っている。
「ケイサツ? よくわからんが、誰を呼ぼうがオレを追い払うことはできんぞ。魔王だからな」
「魔王……?」
ダメだ、この人もしかすると厨二病というやつなのかもしれない。
そう思ったのだが、男は本当に突然目の前に現れたのだ。どこかに潜んでいたわけでも、扉や窓を開けて入ってきたわけでもない。
よほど巧妙な手品でもない限り、普通の人間でないことはわかる。
「……どういうつもりかわかりませんが、あなたが魔王だっていうなら、どうして私なんかの部屋にいるんですか?」
「うむ。つい先日まで世界征服をしていたんだが、段々飽きてきてな。嫁を捜しにきたんだが、オレと相性のいい人間を占ったらここに辿り着いた」
「世界征服に飽きるって……仮にそれが本当だとして、嫁とか言われても困るんですが」
「まあそう言うな。……ん? コレは何だ?」
「ちょ、勝手に触らないで!」
人の話を聞いていないのかマイペースなのか、魔王だという男は私のパソコンに目をつけると、勝手にキーボードを触り始める。
見られて困るようなものは無いのだが、買い換えたばかりの新品なのだ。壊されでもしたらたまらない。
それを阻まれると、今度は勝手に冷蔵庫を漁り始めた。
「あの、私は嫁とかならないですし。魔王だか何だか知りませんが、時間の無駄なのでお帰りください」
「無駄かどうかはオレが決める。それに、お前を嫁にするとも決めた」
「だから……」
ダメだ、話が通じない。
ただでさえ昨日はネット動画に夢中になりすぎて、寝不足の頭なのだ。
男を追い出す上手い言葉を見つけることができずに、私も思考がおかしなことになっていたのかもしれない。
「大体、いきなり嫁って話が飛躍しすぎてると思います。普通はこう……もっと段階を踏んで、仲を深めてからプロポーズするものだと思うんですが」
「……段階とはどういうことだ?」
「だから、たとえばデートをしたりして。お互いのことを知って、好意を抱いてから結婚ってするものなんじゃないかと」
結婚相手を選ぶことが目的のお見合いや、婚活ならば段階を飛ばすこともあるかもしれない。けれど、私にはそんなつもりもなければ、この男とは出会ってまだ20分も経っていないのだ。
交換日記から始めましょうとは言わないが、さすがに魔王を自称する怪しい男と結婚をする気にはなれない。
「そうか、ならそのデートというやつをするぞ!」
「え……?」
何か考えている様子だったので、諦めてくれたかと思ったのだけれど。
デートをすれば結婚できると思ったらしい男は、有無を言わさず私を外へと引っ張り出したのだ。
その姿では目立つからと外出を却下したのに、それならばと男は紫色の煙に包まれる。
煙が晴れた中から現れたのは、ツノが消え、長かった髪も短く変化した姿だった。服装もこの世界に合わせて、黒いジャケットと白シャツにジーンズのラフな姿に変わっている。
部屋着にスッピンだから無理だと悪あがきもしてみたけれど、こちらもまた男が不思議な力を使ったらしい。
彼が指を鳴らすと、なぜか身に着けていた部屋着は私のお気に入りの外出着に変わり、メイクもばっちりの状態になっていた。
(この人、本当に別の世界から来たんだ……)
魔王だなんてあり得ないと思っていたが、こんな魔法のようなものを見せられては、信じるしかないだろう。壮大なドッキリ企画でなければの話なのだが。
「フフン、これで問題ないだろう? コハル、行くぞ」
こんなこともできるんだぞ、という得意げな様子が、少しだけ可愛く見えてしまったのは気のせいだと思うことにする。
男は私の手を取ると、賑わう駅の方へ向かって歩き出した。
「あの……! そういえば名前、魔王さんじゃないですよね?」
「ん? ああ、ジークフリートだ。ジークでいいぞ」
「ジークさん……デートって、どこに行くつもりなんですか?」
自信満々に歩いていく彼の歩幅についていくのがやっとだったのだが、私の問いにジークはぴたりと足を止める。
どうしたのかと思っていると、振り向いたジークは、頭ひとつ分高いところから私をじっと見下ろした。
「……デートとは、何をすれば良いのだ?」
何もわからずにどこへ向かおうとしていたのか。
仕方がないので、私はまず駅前の商店街へと向かった。
目に入るものを何でも珍しがるジークは、いい匂いがするという揚げたてのコロッケを買ってあげると、甚く感動した様子だ。
通りすがりに気になるというので、古本を扱う書店にも立ち寄ると、なぜか少女漫画コーナーで立ち読みを始める。
別の世界から来たとはいうが、どうやら文字を読むことはできるらしい。それも魔王の力なのだろうか?
とはいえ、若い女の子ばかりの中で頭ひとつ飛び抜けた男が立ち読みしている姿は、かなり悪目立ちしていた。
読んでいる途中だったと不満を漏らしていたが、構わず外に連れ出すことにする。
次に彼が見つけたのはゲームセンターで、アレは何だコレはどうするのだと大騒ぎだった。
クレーンゲームはあまりにも下手すぎて、魔法のような力を使って不正を働こうとしたので、全力で阻止する。
結局景品を取ることはできなかったものの、一通りを遊び尽くして満足してくれたようだった。
「デートというのは面白いな! コハル、次はどこに行く?」
デートが、というよりジークにとって珍しいものが多いからなのでは、とは言わないことにする。
彼があまりにも楽しそうにしているものだから、わざわざ水を差す気になれなかったのだ。
「うーん……それなら、映画はどうでしょう?」
「エイガとは何だ?」
「どう説明したらいいのかな。別の世界の物語を鑑賞するというか」
私だって、デートなんて久しくしていない。手近なデートコースなんてすぐには思い浮かばず、目についた映画のポスターを見ての提案だった。
ジークはやはり興味津々で、その足で映画館へ向かう。
「どれがいいですか? っていっても、あんまりわからないかな。色々あるんですけど、これは人が悪の組織と戦ったりするやつで、これは謎解きがメインで……」
「これはどんなエイガなんだ?」
映画にはあまり詳しくないので、私はスマホを使ってあらすじを調べながら、彼に説明をしていく。そんな中でジークの目に留まったのは、若い男女が見つめ合うポスターだ。
「これは、恋愛映画ですね。両親を亡くして天涯孤独の女の子が、運命の相手に出会うっていう……」
「これがいい。コハル、これにするぞ!」
「え、これにするんですか? いいですけど……」
何となく、ジークは派手なアクション映画などを好むのではないかと思っていた。
なので、そのチョイスはちょっと意外だったのだけれど、拒否する理由もないのでその映画を観ることにした。
映画の内容は、よくある泣かせるタイプの恋愛ものだった。
頼れる者のいなかった少女が一人の男に出会い、徐々に惹かれ合って純愛を繰り広げるのだが、少女は不治の病を患っていたことが判明する。
愛の力で病気が治るなんて、都合のいい奇跡は起こらない。
それでも二人は最期の瞬間まで、互いの手を取り合い、愛を語り合うのだ。
エンドロールが流れ出す頃には、四方からすすり泣く声も聞こえてくる。切ない余韻はあるものの、私の心には響かなかった。
だって、こんな純愛は存在しないと知っているから。
大きなスクリーンの中を流れる文字列を眺めるのにも飽きて、ふと横に座るジークの方を見る。
彼にとっても、退屈な映画だったのではないか。そう思っていたのだが、ジークは暗がりでもわかるほどにボロボロと涙を落としていた。
隣からは声が聞こえなかったので、まるで気がつかなかったのだが。
私が、『上映中は静かにしなければいけない』と説明したので、恐らくそれを律儀に守っているのだ。
「……これ」
私はバッグの中からハンカチを取り出すと、それをジークに差し出す。
受け取った彼はハンカチで涙を拭っていたのだが、劇場の中が明るくなるまで涙が止まらないようだった。
それから私たちは、空腹を満たすために近場のカフェに入ることにした。
夕食時だったので混雑していたけれど、店内奥の壁際の席に通される。観葉植物などが目隠しの代わりとなっていて、人目を気にせずに済む落ち着ける席だ。
味の想像ができないので、何を注文すれば良いかわからないという彼は、しばらくメニューと睨み合っていた。
結局、ハンバーグとオムライスの二択で悩んでいたので、両方注文して半分ずつ食べれば良いだろうと提案する。
そんなつもりはないのだろうけれど、チョイスが可愛くて思わず少し笑ってしまった。
「映画、面白かったですか? あんなに泣くとは思わなかったですけど」
「フン、軟弱な人間は寿命も延ばせんのかと同情しただけだ。お前は泣くのを我慢していたのか?」
「してないですよ、ああいうのは所詮作り話だし」
自分と同じように涙を流さない私のことが、理解できなかったのかもしれない。
もの言いたげな赤い瞳がこちらをじっと見つめてくるので、少し居心地が悪い。
「……私、結婚してたんですよ」
「何!? オレの嫁になるのに別の男がいたというのか!?」
「知らないですよ、というか嫁にはならないですし。でも、裏切られたんです。夫には私と結婚する前から付き合っていた女がいて、私は二股されてたことに気づきもしなかった」
物語の中のような純愛がこの世に存在するのだと、そう思っていた時期もあった。
けれど、夫の裏切りが発覚したあの日、私は何もかもを信じられなくなってしまったのだ。
「多分、よくあることなんです。私は男を見る目が無かった。あんな思いをするのはもうこりごりなので、恋愛も結婚もしないって決めました。だから、ジークさんの期待には応えられないんです」
「オレはコハルを裏切るような真似はしない」
「裏切るつもりだって、宣言して付き合う人はいないんですよ」
わかっている、これは八つ当たりだ。
彼は私の元旦那とは違う。口にする言葉は、本心そのものなのかもしれない。
それでも、私のことなんて何も知らないのに勝手なことを言うジークに、苛立ちを感じていたのだ。
「お待たせしました、ハンバーグセットとオムライスです」
そんな私たちの空気を裂くように、店員が食事を運んできた。
ジークはそれ以上を抗議してくるようなこともなく、並べられた食事を口にしていたので、私もそれに倣って食事に集中することにする。
半分ずつにはしなかったので、頼んでおいた取り皿は手つかずのままテーブルに置かれていた。
味気ない食事を終えた私たちは、何となく重たい空気のままカフェを後にする。
彼の言葉を真っ向から否定したのだ、さすがにまだ嫁にしようだなどとは考えていないだろう。
魔王だというのなら、早く元の世界に帰ったらいい。それか、もっと可愛げのある嫁候補でも見つければ良いのだ。
そうすれば、私はまた元の何でもない日常に戻ることができる。
誰に干渉されることもない、私だけの時間に。
「小春?」
彼と別れて早く家に帰ろう。そう思っていた私は、名前を呼ばれて立ち止まる。
ジークが呼んだのではない。もっと聞き覚えのある、馴染み深い声だ。
私が、この世で一番聞きたくない、元旦那の声。
「……隆司」
「ビックリした、奇遇だな! 外食だったのか? さてはお前、相変わらず自炊できないままなんだろ。ホントしょうがねえな!」
そっちこそ相変わらず、どうしようもないほど無神経なままなのね。
そう言ってやりたかったけれど、必要以上に言葉を交わしたくないので、どうにか飲み込む。
「……あなたには関係ないでしょ、私急いでるから」
「そう言うなって。久々に会ったんだから、立ち話くらいしてくれたっていいだろ?」
「あなたと話すことは何もありません、失礼します」
我ながら、なぜこんな男と結婚をしようと思ったのかがわからない。人を平気で裏切っておいて、どういうつもりで話しかけてきたというのか。
顔を見ているだけでも気分が悪くなるので、私は早々にその場を立ち去ろうとする。
けれど、隆司が私の腕を掴んで引き留めた。
「なんだよ、やっぱ可愛げのねえ女。ぼっちで哀愁漂ってたから声掛けてやったのに、お前みたいなのとは離婚して正解だったな。そんなんじゃ、再婚してくれるような物好きな男も見つからねえだろうなあ?」
好き放題言われて、頭に血が上るのがわかる。離婚の原因は自分だというのに、なぜ私が悪かったような言われ方をされなければならないのか。
本当に今日は最悪の一日だ。
のんびりしようと思っていた休日だったのに、突然現れた不審者に求婚された挙句に連れ回されて、元旦那にまで遭遇して。
私はただ、心を掻き乱されることのない、穏やかな生活を望んでいただけなのに。
掴まれた腕を振り解こうとする。しかし、その前に隆司は私の腕を離した。
諦めたのかと思って振り返ると、隆司の腕をジークが掴み上げているのが見える。
「痛ってえ!! テメエ、突然何しやがんだ……!?」
「オレの妻になる女を愚弄するのは許さん。選べ。火あぶりと窒息、どちらが望みだ?」
隆司の腕を捻り上げるジークは、ゾッとするほど冷たい顔をしている。
魔法のように姿を変えられる男なのだ。返答次第では、本当にそれを実行するような気がした。
「ジークさん、構わなくていいですから……!」
「良くない。この男は許されない罪を犯した、報いを受けるべきだ」
赤い瞳が妖しげな光を帯びている。彼は本気で怒っているのだ。
隆司がどうなろうと知ったことではないが、こんな男のために、ジークの手を汚させることが嫌だと思った。
「で、デート……! まだ続きがあるのに、それ以上やったらおしまいにしますよ!?」
これで思い留まってくれる保証はなかった。けれど、私の方を見たジークは、明らかに戸惑うような表情を浮かべていたのだ。
それから私と隆司を交互に見て、何やら唸りながら、渋々といった風に手を離してくれた。
私が一人で歩いていると思ったからこそ声を掛けたのだろう。連れがいるとわかった隆司は、自由になると慌ててその場を逃げ出していった。
本当はこのまま帰るつもりだったというのに、私が言い出したことなので、デートを続けないわけにもいかない。
夜のデートコースの定番ということで、イルミネーションがよく見える、駅前の広場へと移動することにした。
思っていたより人はまばらだけれど、やはりカップルが多いように見える。
私の少し後ろを歩いてきていたジークは、広場を彩る人工的な明かりを不思議そうに見上げていた。
「人間は、この光を見て楽しむのか?」
「そうですね、こういうのはあまり好きじゃないですか?」
「いや……綺麗だ」
魔王だという人に、イルミネーションなどつまらないかと思ったのに。返された感想は、とても素直な言葉に聞こえる。
異世界の魔王というのはみんな、彼のようなのだろうか?
こんな風に優しい瞳で、目の前の景色を綺麗だと口にするのだろうか?
「……さっき、ありがとうございました。怒ってくれて」
「あれは、ショウジョマンガを真似した。どうだった? コハルはキュンとしたか?」
「え、少女漫画……?」
少女漫画というと、デートの最初の方で立ち寄った古本屋で読んでいたものだろうか?
まさか、少女漫画で勉強したことを真似て、私をキュンとさせようとしていたというのか。
私が段階を踏めと言ったから?
「……ふっ、アハハ……! 少女漫画で火あぶりと窒息とか言わないでしょ!」
「いや、言っていた。それで女がその男にキュンとしていたんだ」
「絶対ウソ! そんな少女漫画聞いたことないですよ……!」
少女漫画で学ぼうとしていたことにも驚いたけれど、それを真面目に実践したらしいジークに、込み上げる笑いが止まらなくなってしまう。
涙が滲むほど腹を抱えて笑っていた私は、彼がこちらをじっと見つめていることに気がつくのが遅れてしまった。
「……おかしい。確かにショウジョマンガでは女がキュンとしていたというのに、どうしてオレの方がキュンとさせられているんだ?」
「ジークさん?」
「コハル、お前はやはりオレの嫁になるべきだ」
「ちょ、ちょっと待って……! だからどうしてそうなるの!?」
そうして冒頭に戻るわけなのだが、今の話の流れからなぜそうなるのか理解ができない。
隆司から助けてくれはしたものの、嫁にするという話は諦めたものだとばかり思っていた。だというのに、どうしてか彼はその話を継続するつもりらしい。
「お前を嫁にしたい。したいが……段階を踏まなければならないというなら、お前をキュンとさせなければならない。だが、どうすればコハルがキュンとするのかわからん」
グシャグシャと自らの髪を掻き乱すジークの顔は、赤く色づいているように見える。それは多分、イルミネーションの明かりのせいではないのだろう。
「……どうして、私なんですか? 魔王だとかいうのはともかく、ジークさんイケメンだし。結婚したいって女の人、きっといくらでもいると思うんですけど」
相性のいい人間を占って、ここに辿り着いたと言っていた。それならば、同じように彼と相性の良い人間が他にもいるはずなのだ。
彼の好みは知らないけれど、バツイチでアラサーで結婚に後ろ向きな私に、わざわざこだわる必要がないだろう。
「……オレは、親が『魔王』という役職に生まれ付いた。だから魔王となるのは必然であったが、恐れをなして付き従う者はいても、俺自身と向き合う者はいなかった」
魔王というのは役職なのか。そもそも、魔王にも親がいるものなのか。
そんな風に思ったのだけれど、話し出すジークの顔は真剣そのもので、私は黙って彼の話に耳を傾ける。
「魔王だからと恐れられ、敵意を向けられ、オレはいつしか世界に失望した。オレを拒絶する者ばかりの世ならば、力でねじ伏せてやれば良いと考えて、世界征服をすることにしたのだ」
そう言うジークは、自身の掌を見つめる。
世界征服を決意した時のことを、思い出しているのかもしれない。
「だが、征服をしたところでオレの心は満たされなかった。結局オレは孤独のままだったからだ。一人でいいから、心を許せる存在が欲しい。そう思って、誰もオレのことを知らんこの世界に嫁を捜しに来た」
正義の味方となる勇者には、きっと仲間がいる。その世界の住人たちにもきっと、大切な人がいる。
けれど、一般的に悪だとされる魔王の場合にはどうなのだろうか?
(この人はずっと、一人きりだったのかもしれない)
映画を観ながら涙を流していた彼の横顔が、ふと頭の中に思い浮かんだ。
「コハルの言う通り、お前じゃなくとも良かった。嫁になると承諾するのなら、その女を連れ帰ればいいと。……だが、デートが進むにつれて思ったのだ。嫁という肩書きを持つのが、コハル以外の女でもいいものかと」
ジークが私の手を取る。
デートに連れ出された時とは異なり、壊れ物にでも触れるかのように、とても優しい。
「オレは、コハルを嫁にしたい。コハルがいい」
誰かに、こんなにも真っ直ぐに見つめられたことがあっただろうか?
純愛なんて存在しないはずなのに、この人の目を見ていると、もしかしたらなんて都合のいいことを考えてしまいそうになる自分がいる。
(これも、魔王の力だったりするのかな)
指先から伝わる温もり。久しく触れていなかった人の体温から、離れがたいと思ってしまう。
人生で二度目のプロポーズは、常識外れで自分勝手で、こんなにも……――ひどく愛おしい。
「心の傷を打ち明ければ仲が深まると、ショウジョマンガに書いてあった。深まったか?」
「深まったか、って……まさか作り話だったんですか!? 信じたのに!」
心を動かされかけたところでの思わぬカミングアウトに、私はジークを睨みつける。
話の出来が良かったかと、満足げに笑う男が憎らしい。
けれど、その表情はどこか切なさも含んでいるように見えて、すべてが作り話ではない気がした。
「……嫁になるのは、やっぱり無理です」
「なぜだ!? まだキュンが足りんのか!? やはりあの男を火あぶりにしなかったから……!」
「だからその知識は間違ってますって」
今からでも走り出して、隆司のところへ行きそうなジーク。彼が離れていかないように、私はその手を少しだけ強く握り返す。
「コハル……?」
「今は無理ですけど、段階を踏んでいったらもしかするかもしれないので……まずは恋人から、ということでどうでしょうか?」
「……コイ……ビト…………!?」
私の提案をやや遅れて理解したジークは、存在しない大きな尻尾をブンブンと勢いよく振っているように見えた。
その瞳はイルミネーションの光よりもキラキラと輝いていて、何かを言おうとしているのだけれど、鋭い犬歯を覗かせる口が開いたり閉じたりを繰り返している。
そのうち言葉を見つけることを諦めたのか、ジークは私の身体を思い切り抱き締めた。
「コイビトになるぞ! そしてコハルを嫁にする!」
「だから、嫁になるかはまだ……っていうか、人が見てるので離してください……!」
高らかな宣言に、周囲にいた人の視線が自然と私たちの方へ向けられる。
注目される状況が恥ずかしくて彼を引き離そうとしたものの、嬉しそうに私の名前を何度も呼ぶジークは、満足するまで離れてくれなかった。
「とりあえず、次はあのハンバーグというやつが食いたい」
「ああ、今日食べられなかったですもんね」
黙々とオムライスを食べていたジークだったが、やはりハンバーグも気になっていたのかとおかしくなる。
イルミネーションの中を、彼と手を繋ぎながら歩いていく。色気は無いかもしれないけれど、次のデートではハンバーグを食べる約束をした。
もう二度と傷つかないよう、自分を守ろうと思っていたのに。
この常識外れな魔王のことだけは、もう一度だけ信じてみるのもいいかもしれない。
お読みくださってありがとうございます。初めてまともに書いた恋愛ものでした。
【☆☆☆☆☆】を押したり、ブックマークなどしていただけると、とても励みになります。
普段は猫カフェ異世界スローライフものを連載しています。
https://ncode.syosetu.com/n3671he/