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7話目-⑨

戦いの最中に劇的に強くなるのは決して珍しい事ではない。寧ろ経験や努力の積み重ねは極限の状態でこそ形として実を結び易い事はマトローナも身をもって知っている。

だがシンドゥラの口にした黄金樹の果実が起こした変化は余りにも段違いであった。



「 オ オ オ…… 」



「ウオオオオォォォォォ!!!」



シンドゥラは地龍に至ったエウロバとは違う。故に位階そのものの進化などはせず、あくまでオークの枠組みに収まっていた。当然だ。才ある者と才なき者の行き着く果てが同じわけがないのだから。

重ねて言うが彼に傑出した才はない。が、その姿をオークというには余りにも禍々しく凶悪であった。



「なんだ、その姿は……一体何をして」



通常のオークなら進化したとして上位猪頭族(ハイオーク)と呼称されるが、これはそのハイオークの完成形。つまるところ 最高位(ハイエンド)のオーク。



'エンドのシンドゥラ"。

これから先オークという種の誰もが行き着く可能性がある一つの到達点であった。



だが代償も大きい。過ぎた力は我が身を滅ぼす。この時点でシンドゥラの意識は既に無く、力に支配されていた。最早元来の武人では無く、宛ら狂った獣である。



「オ オ オ オ オ !!!」



桁違いの圧にマトローナは思わず後退る。本能が危険を明確に察知出来ているからだ。だが逃げるという選択肢もない。勝ちの目がどれだけ薄かろうと死力を尽くしてケリを付けると決めたのだから。




(来る……来る……来る!)




複眼ですら捉えきれないほど即座に距離を詰められていた。痛みより早く剣を肉体に突き立てられる。しかしシンドゥラが動き出すより早くにマトローナも糸を出していた。網のようにして相手の動きを封じ込めようとしたのだ。この糸は強靭だ。1本でも大の大人数人を支え切れる。断ち切るのは難しい。

それに硬質化を加えるなら、どれほどのものになるか及びもつかないだろう。そんな糸で編み込まれた網をまるで空気みたいに肉ごと一緒に切り裂いていた。

だがマトローナの前左足が切り落とされる程度で済んだのは幸運だ。身体ごと両断されてもおかしくなかったが、それはシンドゥラ自身が自分の加速力を見誤ったからに他ならない。



「うぐ……っ!」



「オオオオオ!!!」



二撃目が繰り出される。パワーもスピードも最早比べ物にならない。単純な膂力が小手先の技術や数多の小細工を容易く凌駕する。



肉体の欠損が最小限に抑えられた状態で窮地を脱すれたのは運が良かった……否。悪かった。既にシンドゥラはマトローナの背後を取っているのだから。



「ルオオオオ!」



三撃目を防げたのは運ではない。

糸の性質を変えたことによるものだ。硬く、ではなく、粘着性の強いものに。防ぐのでは無く、動きそのものを少しでも鈍らせるためのものであった。僅かに遅くなった程度であるが十分な効果を発揮していた



「それでも、無傷とはいかない、か」



両後ろ脚を失っていた。

巻きつけた糸で即座に止血を行うも、ダメージは大きい。文字通り手足をもがれて機動力は半減。ここから先は死ぬのが早いか遅いか。それだけである



反撃すら赦さないほどの濃厚な攻撃。

いや、仮に攻撃されたところで今のシンドゥラには蚊が刺した程度のダメージしかないだろう。勝ち目は0であった。






場面変わって、マヤと魔狼はそれを傍目に戦いに興じていた。魔狼の戦闘能力は極めて高い。広大なバルディア大山脈において異論なく最強。それは間違いない。だがこのマヤという巳の仮面をつけた彼女もそんな存在と戦いが成立している時点で疑いの余地なく強者であった。



「ひ ひひひ 助けないのか魔狼!

連れてきたお仲間がむざむざ殺されてしまうぞ!」



「……?弱い方が死ぬのは当然だと思うけど。それに仲間じゃない。

僕は僕の存在価値を彼の方に知らしめる為に動くだけさ」



マヤの放つ膨大な影の魔法を、自身の影すら置き去りにするほどの速度で回避し続けながら、何食わぬ顔で攻撃を繰り出す魔狼は心底訳が分からなそうにそう言った。非常なわけでも冷徹なわけでもない。弱肉強食。そういう価値観なだけなのだ。だから弱者を助けるという発想がそもそも湧かない



「ぐぅ……」



「それにお前、まだ力を隠している。この場でお前を殺す。若しくは何もさせないのが1番良いと僕は判断した」



「あまりこの私をなめるなよ!狼風情がぁぁ!」



マヤの影が一際深くなる。其処から巨大な影の剣が現れて横薙ぎに一閃。しかし余りに鈍重。回避は容易い。魔狼は不敵に嗤い、あえて牙で剣を受け止めた。








「ルオオオオ!」



斬り飛ばされたマトローナの脚が舞っていた。最早それがどの部位の脚なのかを気にかける余裕すら無い。

残る脚は2本。回避どころか立つことすらままならなかった。



迫り来るシンドゥラにマトローナが敗北を確信した瞬間、両者の間に割って入ったのは赤龍であった。

しかし地龍エウロバは未だ顕在であり、エンドのシンドゥラの2人を相手にするのは赤龍としても容易いことではない。



赤龍は迫り来る2体からマトローナを庇うように拳を構える。



「Gaon」



「グオオオ!?」



「ドコマデモ、舐メルナァ!」



今のシンドゥラとエウロバは力の桁が違う。2対1であるならば魔狼ですら分が悪いだろう。

しかし対峙するは龍王アーカーシャ。この世界の頂点。最強たる始祖の一角。

彼ら"始祖"より上の存在はこのアルタートゥームにおいてどこにもいはしない。

つまり、アーカーシャは先程まで素の力の範疇で本気であり、魔力を使っての全力の戦闘はしていなかった。それだけの話である




その対峙は一瞬だった。アーカーシャの振り下ろした拳が2つの路傍の石(まもの)を空気の津波で遥か遠方まで弾き飛ばしていた。直撃したら2体とも即死は免れなかったが、そうならなかったのは、アーカーシャの手心によるものだ




「お手を……煩わして……申し訳、ございません。アーカーシャ……様」



「Gau」



アーカーシャはマトローナに対して困ったように声を漏らした。自分が全てを終わらせて良いものか迷っているのだ



「アーカーシャ様は失望しているぞ。昆蟲族のマトローナ。」



厳しい声をあげたのは黒い妖精アヤメだ。

死にかけのマトローナも苦しそうに言葉を吐き出す。



「あいつとの決着は、どうか私につけさせて、下さい。」



「その体たらくでよく言いますね……」




「この命にかけて……必ず、必ず、勝ちます。どうか、どうか!」



「だそうですが。どうします、アーカーシャ様」




「a...uuunnn,....」



アーカーシャのその表情を見た時、マトローナの胸中を襲ったのは自身の力不足により、失望されたのではないかという不安感と口惜しさであった。



「……Ganba!」



迷いに迷った様子であったが、マトローナの意思を優先すると決めたのだろう。そしてアーカーシャは何気ない激励のつもりだった。

狙ってやったわけではない。しかし、その全身に漲った魔力は唯の言葉にすら魔力を乗せる事を可能にしていた。



奇跡としか言いようがない。それこそこれを狙ってやれるのは神くらいのものだろう。

マトローナの強さへの渇望を後押しするように、アーカーシャの言葉に付与された魔力がマトローナへと流れ込んでいく。

それは奇しくも、始祖が眷属を創るときに行う、創生式に酷似していた。



猛々しい魔力がまるで焔のようにマトローナの身体を呑み込み、一瞬紅く光り輝く。そして燃え尽きた灰色の蜘蛛の肉体の殻を食い破るように、1人の灰色の髪が特徴的な少女が生まれ落ちた。

昆蟲人(セクロイド)。この世で初めて生まれた種族の誕生である。



「…私の名前は、昆蟲人のマトローナ。

そして改めて貴方様に忠誠を」



「Ett……!!!」



10代後半の少女の様な外見をしているマトローナは一糸纏わぬ姿であった。それに対してのアーカーシャの動揺はとんでもないものであった

多分あと2話くらいでこの話は終わります。

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