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5話目-⑨No I don't need a cure for me(私は治療薬なんていらない)

この世には人智の及ばぬ存在がいる。出自は不明。原理も不明。だが呼吸も食事も睡眠も。およそ生物が命を存在させる理を満たさずに彼らは存在が赦されていることだけは確かである。個の力でその他をねじ伏せる最も神に近い力を有する彼らを指して"始祖"と呼び、個という存在を超越した超個体である始祖たちは創生から永きに渡りこの世界に君臨していたとされている。



「随分と無理をしましたね。大丈夫ですか 玉藻様」



「わ わしも主人様に似て戦闘向けじゃないからのう……オマケに呪いでだいぶ弱体化しておる」



しかしそれも昔の話だ。今ではその多くがこの世界から姿を消しており、伝承や言い伝えこそまことしやかに残っているものの、その存在に対し懐疑的に見る者が多くなってきているのもまた事実だ。

だが裏の世界で生きる空蝉 篝火は他よりも多くの情報を耳にしており、未だ現在この世界(アルタートゥーム)において始祖として分類されている存在が少なくとも4体は確認されている事を知っている、



「死んだかの」



「どうでしょうか。今のでも確実に死んだとは言い切れない位には彼は……」



鳳仙。天狐。牙狼。原書の4体がそうだ。そしてその中では唯一天狐のみが眷属を創っている。

当時の人類2強である初代聖女アンジュ及び初代剣聖トバルカインの殺害。果ては最強種であるはずの龍の国までも滅亡させた鬼姫 夜叉の眷属 羅刹しかり。

尽きる事がない無限の魔力を用いて、島を永遠に空に浮かせてみせて、果ては大戦で干上がった海と荒廃した大地を再生させた天魔 エニシダ・サバトの眷属 初代魔王ルーテン・ブルグしかり。



「はっ……ハッ……!うぐっ」



その力の程を知っているならば空狐の玉藻が如何に童女のように。花のように。可憐で儚げであろうとも、眷属である以上、一皮剥けばその中身は紛れもない怪物だと理解できた事だろう。人の形を成していようとも。言葉を介し意思疎通が図れようとも。天災の類いだと認識できたことだろう



「驚いた。アレを食らってまだ息があるのか。わしが弱くなり過ぎたのか。それともお主が強いのか」



「両方でしょうね」



「ぜ、全盛期なら今の10……20倍は強かったぞ!?ホントだぞ!」



数十年ぶりに全力を出した玉藻が放った火星明煌は活火山の噴火の如く、その莫大なエネルギーを玉藻に比べると余りにも矮小でちっぽけな煙霧の結界内部に向けて丸ごと全てをぶち撒けて悉くを焼失させた。それだけに留まらずその力により結界は一瞬で蒸発して第四区画一帯も凄まじい被害を受けていた有り様である。

逃げ場などどこにも無かった以上、篝火が攻撃に巻き込まれて即死しなかったのは偏に幸運だったと言うほかない



「ダストスモーキ、その傷は致命傷です。

早く手当てをしないと本当に死にますよ」



「……だろー…な」



空蝉 篝火は才を持っている側である。だからこそ偶然の積み重ねで生まれた奇跡を実力で掴みとることが可能だった。故に生き残れたのはある種の必然といえば必然でもあったのだが、果たしてその奇跡を生き残れて幸運と喜ぶか、それとも死にそびれて不運だったと嘆くかは人それぞれであろう



「昔のよしみです。今ならまだ」



「今なら何だ。助けてやるとでも言うつもりか お前は」



少なくとも篝火は己が力量と眼前の存在との絶対に超えられない力の差をまざまざと見せつけられて、心穏やかではいられなかったのだけは確かだ



「なめ、んじゃ…ねえぞ…!何を勝ったつもりでいやがる!

私の切り札はまだ見せてないだろうが!魔笛 ザ・リッパー!」



「残りの全魔力と命を使って霧で街の一角を再現して落としてきた!?この規模は!」



「見事な魔法じゃ。落ちる猶予は1分程か。落ちれば他の区にまで被害が出るの。だがその程度では空を衝くにはまだ遠い」



「……私の持ってる最強の攻撃手段をただの尾で破壊する気か?霧とはいえ厚みを増して限りなく広範囲の街の一角だぞ。それを……」



「出来ぬと思うか。人の子よ」



遥か高みの空に立つ狐。彼女を前にすれば人の才能など天才も非才も等しく同じだ。だってそうだろう。宙に届く空から見下ろせば、標高何千メートルもある山と僅かな起伏のある丘にどれほどの違いがある。それは誤差の範囲と呼べる小さな差でしか無い。



「流石に疲れたの。にしても30秒弱もかかったか。年は取りたくないもんだのう」



「化け…物め」



「……それは聞き飽きたよ」



「もう十分でしょう。本当に死にますよ」



「……」



雪姫の言葉通り結界を吹き飛ばされた篝火の右半身は思わず目を背けたくなるほど焼け焦がされていた。右目は蒸発し、皮膚は黒炭みたいにボロボロと焼け爛れ、防御する際の媒介として使用した有幻の霧笛と右腕は完全に焼失していた



「しかし流石は空蝉といったところか」



「楽に勝たせてはもらえなんだか。もう限界じゃ、流石に」



結界から溢れ出た死の熱波により玉藻を中心に周囲1キロ圏内は焼け野原である。改めてそれを眺める玉藻の目は堪らなく残念そうである。

玉藻は自身の力で引き起こした悪辣な惨状を目に刻みながらゆっくりと面を被る。

無限に湧き出る力の泉に蓋をするように、九つの尾を持つ巨大な三つ目の狐の怪物はみるみると小さく萎んでいき、先程の尾の無い可愛らしい小柄な狐の少女へと姿を戻していった。



「げほっ。100年くらいは寿命を削ってしまったか

急ぎたいのう 雪姫どの」



「ええ」



魔力だけでは賄いきれなかった分を命で代用した玉藻は武王項遠の身に駆けつけたいようであった。それを理解する雪姫は玉藻を横目に篝火に言葉をかける



「終わりですよ、ダストスモーキー。気は済んだでしょう」



既に勝敗は明白で降参を促した雪姫であるが何か異変を感じ取った。明後日の方を見る。其処は第五層でありアーカーシャたちがいる場所である



「王都の真ん中に何か良くない大きな力を感じます」



「ゆ、雪姫殿。契約の紋が何かどんどん薄くなっていってないかの?」 



そう言われて、自身の手に刻まれた龍王との契約の証が途切れかけている事に気付く。この時アーカーシャは桐壺によって遥か彼方まで投げ飛ばされていた。物理的な距離の開きによって契約に影響を及ぼしていた。そんなことを夢にも思わない雪姫が絶句する、理由なぞどうでも良いが、何においても優先しなければならない彼女の目的のためにアーカーシャは必要なのだから


直後に大気が揺れる。国を。世界を。轟かせる声が遅れて絶望を知らせにやって来た



────否。絶望すら生温い地獄を体現させるのが毒魂アナムなのだ。天魔を魔法の開祖とするならば、呪術の根源と呼ぶべき存在が顕現した瞬間であった



その姿は屍肉の山が膨れ上がったかのように只々巨大であり、悍ましくて邪悪で何よりも穢れていた。

各層の巨大な城壁に阻まれて、今でこそまだ第四区画までの自分たちにしか辛うじて視認できていないが、心の弱い者は姿を見ただけで(ことごと)く心が汚染されてしまうことだろう。加えて遥か遠方にいるはずの雪姫たちですら思わず顔をしかめる程の腐臭を漂わせている



「毒魂アナム……じゃと、馬鹿な!?既にアナムは……!」



「この際それはいいです。一刻も早く対処を行いましょう。でないととんでもない数の犠牲がうまれる」



それを目にした玉藻は言葉を失う。当たり前だ。漸く最悪の未来を乗り越えれるかもしれないと思ってた矢先に、こんな絶望をまざまざと見せつけられてしまっては……



かつてこの世界の頂点の一角に数えられた存在だ。例え不完全であろうと玉藻を含め、今この瞬間国にいる者たちが例え束になろうと絶対に勝機はないと断言できた。



玉藻にとって想定しうる最悪の未来は項遠の死だ。だがこの現実は容易にその最悪を改悪した。そうではなかったのだ。考えうる限りの最悪は項遠を含む全員が死に王都ひいては国が滅ぶことだったのだ。



こうなれば1秒でも国から人を逃がすしかないと判断を下そうと矢先に、アナムの闇のようなドス黒い瞳には、放たれたら確実に地図を書き変わるほどの馬鹿げた力が収束していた。それがただ個人を攻撃する為だけに向けられている。

何に?決まっている。自身の敵にだ。始祖に敵として認識できる存在など始祖をおいて他にない



つまりはアーカーシャに向けてだが。恐らくはこの攻撃に巻き込まれて消し飛ばされる事になる多くの命や建物は、アナムにとってはついで以外のなにものでもない。人が歩くときに地面の足元の虫けらをいちいち見ないのと一緒だ。これはアナムにはもはや力を振るうに当たっては気にかける必要すらない事柄なのだ



「桐壺、なのか」



ふと篝火は呟いたかと思うと走り出した



「私も行かないと」



遅れてアナムと必死に戦っているアーカーシャの元へと雪姫も駆け出していた。


篝火には予感があった。あの化物の内側から桐壺の気配を感じるのを。あそこに自分が行って何ができるわけでもない。そんなことは分かっている



だが言ってしまえばそれだけだ。それは彼が駆けつけない理由にはなり得なかった。

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