4話目-⑯来訪者は軽やかに
小さい状態だと魔力探知の範囲が短くなっているので肉眼に頼り屋敷を上空から見下ろしていると、ふとあちらこちらに煙が立ち込めていることに気付いた。あ、いや、霧か?分からん。分からんぞ。なんぞ、煙と霧の違いって。こう考えると似て非なるモノって意外と多いな。ブロッコリーとカリフラワー。エスプレッソコーヒーとドリップコーヒー。善と悪。
要するにどうでもいい事なので煙霧と称そう。煙霧は意志を持っているかのように夜に乗じて館の外周りだけを薄く囲っているが誰もまだ異変には気付いる様子はない、直感がアラームを既に鳴らしている。煙霧に乗じて屋敷を襲撃するつもりだろう。
そのタイミングで頭の中に姫の声が聞こえ始めた。魔法のある世界なので、テレパシーの一種なのだと勝手に納得して紋章を触ると応答した。
だが、会話途中でブチリッと無理矢理電話線そのものが引きちぎられたように会話が断絶した。目を向けると屋敷だけが不自然なほど煙霧により完全に覆われていた。
「《ただ見てるだけってわけにもいかないか》」
作為的な現象。つまり敵が仕掛けてきているとそう結び付けて、異変を知らせるため重たい腰を上げようと思ったのも束の間、真上から笛のように澄んだ女の子の声が聞こえた。
「頭上を鬱陶しく何かが飛んでいやがると思ったら、この国でまさか龍を見るとは思いませんでした。依頼とは関係ねぇのですが、まあ、お前らは人を害する怪物。即ち悪。正義の味方としては見逃せねえので、死んどきやがれです」
顔を上げると、まるで映画のワンシーンでも観ているかのように、短く切り揃えられた藍色の髪が夜空をバックボーンに涼やかに靡いていた。俺の眼力による推定年齢15歳程度の女の子が月から落ちてきていた。思わず見事な一枚絵であると感嘆してしまう
親方!空から女の子が!いったいこれからどんなボーイミーツガールが始まろうとしてるんですか!なんて胸を躍らせたりするほど、お生憎様、俺は純情ロマンティックが止まらない夢見がちな少年ではないのだ。それに冗談を言ってる余裕などなかった。
両手両足の代わりにゴツゴツとした黒い義手と義足が少女の身体から覗かせていたのだが、藍色の少女は魔力を纏わせた義手を大きく振り下ろした。
腕の動きに合わせるように不可視の力の塊が現れて俺に向かってくる。
「《ッ‥‥いきなりか!!》」
反射的に両手を上げて守りの姿勢に入る。直後にギギッ‥‥ガガガッ!と斬撃に接触したような感触と共に鱗が喧しい不協和音を歌い出した。
「《まったく‥‥…もう。血の気が多すぎる》」
両手を強く左右に弾くと、力の塊は掻き散らされて霧散する。蔑むような視線で睨みつけながらも藍色の少女は頬を吊り上げた。
「私は正義の味方。悪を憎み、悪を許さず、絶対正義の名の下に。これよりお前を断罪する」
こいつはたまげた。正義の味方なんて名乗る人を初めて見たぜ。俺も昔は日曜朝の戦隊ヒーローとかそういうのに憧れてた時期があるが卒業した。ある年齢を過ぎるとそういうのを口にするのは周りから憚れるようになっちゃうんだよなー。ヒーローを名乗れるのは期間限定なので、なんもかんもそういう風潮を作った世間と政治が悪い!
「《ははーん。さては知らねーのか?正義の味方ってのはいつだって悪い奴らが暴れて困ってる人がいるから戦うんだぜ?》」
「《考え方や在り方が違うってだけで先制攻撃して集団から排除しようとする行為は、差別や排斥って言うと思うんだよね》」
「……ペラペラとよく喋る龍だ。」
ともあれ、緑鬼の時とは違う。人間と。それも年下の女の子相手に戦うのは気乗りしない。殺さないように。殺されないように躱したいが、先ずは様子見を決め込む。
少女が足場の無い空中を義足で蹴り込むと、トランポリンでも使ってるみたいに縦横無尽に跳躍しながら距離を詰めてきた。
先程同様に少女の手の周りの空間が次第に歪み始めて、不可視の力が形成されていく。
手を振るい、再度不可視の力塊を俺に向けて飛ばしてくる。
「《良い攻撃だ。感動的だな だが無意味だ》」
俺は指を揃えて伸ばし、力塊を上から両断するようにタイミングを合わせて振り下ろす。
水に浸したテイッシュの塊に手を突っ込んだような、気持ちの悪い感覚に襲われるがそれだけだ。形が崩れて維持できなくなったのか力塊は簡単に消滅する。
どこぞの半島の特殊部隊の真似事でバケツに石を敷き詰めて日々貫手の練習に励み鍛え上げた俺の指に両断出来ぬものはないし、それは勿論嘘だ。
既に距離を詰め終わっていた少女が右手を伸ばして俺の突き出していた手を掴む。掴まれた手に少女の掌にある力の塊が直接干渉しようとして、ガチガチと鱗が音を鳴らすものの、やはり傷すらつかないようだった。
「堅えですね。"一速"じゃ直接触れても切断は無理そうです」
別段焦る様子もなく、そう嘯くと、こちらが振り払うよりも先に少女が先手を打ってきた。少しだけ掴まれている右手にかかる重みが増す。少女は俺を土台にして右手一本に体重を全て預けていた。呆気にとられる俺の顔を体を浮かせたまま少女の両足が鋏のように交差する両足で挟み込み捉える。
まるでプロレスのヘッドシザーズという技に良く似ていた。
こちらも間一髪振り払った右手と左手を足と顔の間に滑り込ませていたので問題はない。
締め技か。関節技か。次に何に繋げる気かは知らないが、いつまでも技にかかっているわけにもいかないので、少女の足による組み技を外そうと両腕に力を込める。
「《ぐぬぬ、おいおい、マジか》」
ここで一つ予想外なことが起こった。少女の抑え込む力が強過ぎて、全く動かせないのだ。
と、いうか‥‥‥ありえないだろ。なんだこの力。人間じゃない……!
小さくなってるとはいえ、仮にも龍だぞ。人間の。それもこんな少女と力の比べ合いが成立する訳がない。
ヒュペリオン体質?いや、冴え渡る俺の勘が黒い義肢に魔力が圧縮されているから強いと教えてくれた。けど分かったところでどうしろというのだ。
少女の肘と踵から交互に粒子の様なものが断続的に噴き出し始める。
やばいやばいやばい。
滞空出来ずにくるくると回り始めて、浮遊感に身体が包まれる。降下しているのだ。頭と足の位置が何度も入れ替わり、上も下もなく視界が回転し続ける。しかもそのペースは加速度的に早くなっていく。
回転が最高潮に達した時、顔の圧迫感が突然消失する。どうやら少女が組み技を解いて、体を離したらしい。見ると粒子を噴出しながら、自分だけ落下の勢いを相殺しているようだ。
俺も空気を触り、空を掴む。体制を立て直そうとしたのだが、空気の繊維が儚く音を立てて引き千切られる。それでも全くの無駄というわけではなく、少しずつ確かに勢いは削がれていく。
この高さで落ちたら、無事な確率は極めて低い。だが少女も黙って見ている程お人好しな性格ではないらしい
「黙って落ちていやがれ。"二速"」
ゾッとするような冷たい声と共に少女が空を蹴ると、より速く、より研ぎ澄まされた、不可視の力塊が飛来して俺の腹部にぶち当たる。
正直吐きそう。三半規管にあまり自信がない俺は既に猛烈な吐き気に襲われているというのに、なんて奴だ。正義の味方。恐ろしい娘!
力塊の衝突で勢いが更に増し、為す術なく頭から石畳の街路へと鋭角にダイブしてしまう。
落下して、二転三転と転がりながら石畳の街路を砕いていく。遠慮を知らない俺の体は、そのまま街路の段差で跳ね上がり、誠に恐縮だが、パリーンと道路に面してる窓ガラスを割って知らない住宅へとダイナミック不法進入までしてしまう。
それだけでは飽き足らず、部屋に設置されたテーブルに背中からダイブして、並べられていた食器を軒並み床に爪弾きにして割っていく。俺も床に落ちて、尚も滑るように床を移動して、壁に軽く当たる。そこで漸く勢いは止まったらしい
「もしもーし。あそこ玄関じゃないですよー」
突撃!隣の晩御飯に驚いた声を出して、俺の顔を覗き込んでいるのは、この家に住んでいるであろう桐の花と同じ色の髪をした少女だった。しかし今突っ込むべきところはそこじゃないんだぜ?マドモアゼル
「あらまあ、あらまあ、貴方‥‥‥随分と大きなトカゲさんね?何食べたらこんなに大きくなるのかしら」
24時間戦い続ける不屈の捜査官の台詞を借りるなら、君を巻き込んで、本当にすまないと思っている。が、俺は龍だ
っていうか龍を見てトカゲに見間違えるなんてことある!?
ワイバーンなら分かるけど、コモドオオトカゲくらいよ、お姉さん。トカゲでこんな大きいのは!
「《ふぅ‥‥‥やれやれだぜ》 」
身体に異常がないか触診で確かめるが、特に何ともなかった。強いて挙げるなら目眩が少し、といったところだろうか。だが頑丈で助かった。と一息つく暇も許してくれないらしい。
外に飛び散った硝子を踏み砕きながら、自称正義の味方の少女が土足で上がり込んで来る。
「全然ピンピンしてやがりますね。これは流石に‥‥‥ん!貴女、昨日の‥‥‥」
と、俺の隣にいた桐の花の髪の色をした少女が屈託のない笑顔を見せて挨拶をする
「こんばんは!貴女ともう一度会えたらいいなって思っていたの。それはそうと喧嘩はダメよ!今すぐ仲良くしなさい!」
俺としても正義の味方としても、この人を巻き込むのは本意じゃない。俺たちは互いに視線交わし、直ぐに停戦を結ぶ運びとなった。
ちょっとした補足
アーカーシャは大袈裟に騒いでるが戦闘中に肉体的なダメージを受けてない。




