9話目-㊱
「班長!ナターシャ班長!起きてください!」
(────ここは魔迷宮の外?なぜ私たちは)
「生きてる…」
「死ぬには仕事が溜まり過ぎてますよ 班長
班長なら死ぬ前に残ってる仕事を減らしておかないとピム補佐が引き継いで過労死してもいいんですか!」
「大丈夫。いつ死んでもいいように残してる仕事は私が全く戦力にならない魔導書製作課題の分野だから」
「そんなっ!いくら班長が魔導書製作課題!特に古文書の魔法文字翻訳と魔導書製本でゴミカスでもいないよりはマシですよ!」
「確かに!朝は起きてこないし、字は汚いし、今回みたいな出張鑑定ほいほい安請け合いするし、ご飯食べてる時に喋るし、なんなら借りた本読んでる時に菓子類食べた指で平気で汚すカス以下だけど!」
「お前らウルリヒ班に転属させてやろうか?」
「でもっ!俺たちはそんなナターシャ班長が大好きなんです!」
「もう ほんと私だってこの仕事とお前らが死ぬほど大好き」
「大好きならぬdie好きってことですね。死だけに」
「それヘブライ語?」
「失礼。前世の記憶が混入してました」
班員たちに強く揺さぶられて起こされたナターシャ・ウィドーズ中級魔導師が漸く重い頭をもたげながら辺りを確認するように立ち上がる。彼女の最後の記憶では魔迷宮最深部にいた狂王の遺産によって全員がなす術なく倒されたところまでだ。自分を含めたあの場にいた全員が確実に致命傷を負っていた筈だ。全員が大なり小なりの傷を負っているだけで済んでいることに疑問が過ぎるが状況把握にかまけてる暇はなかった。
突然ナターシャの首元に冷たい金属でも当てられたヒヤリとした感覚が走ったからだ。原因を探ると海の方から死が近づいて来ていることを瞬時に理解したからだ。
「班長どしました?」
「やばい」
直感とか第六感ではなく、その確固たる確信はナターシャの出自に由来する。彼女は(定義上は)死霊系の魔物とされるバンシーと数多く存在する鬼族の中で大悪魔と契約したと言われる氏族イビルアイとの混血である(イビルアイは目元が特徴的)
特にイビルアイは鬼族の中で最も魔眼発生率が高い氏族である。例に漏れずナターシャもランクこそ低いが魔眼を有している。
そしてバンシーは死を予期する魔物と言われている。2つの種族の特性が合わさったナターシャの魔眼は死という危険を可視化して捉えるという役割を持って発現している。
「なんだあの船?やけに物々しいな」
「班長……本当聞いてます?」
「スモーーク!!!」
彼女の焦燥に駆られた叫びと同時に班員たちは疑問よりも先に身体が動き対魔獣戦闘用の流れと同様に淀みなく魔煙を焚く。
パンッ!直後に空気が割れるという彼女たちには耳慣れない音が鳴り響いた。それは遠方から放たれた一発の銃声である。だがナターシャにはハッキリと見えていた。回転した弾頭が近くにいた奈良茂側の男の顔を跳ね上げて、額から綺麗な赤色の涅槃花を咲かせたのを。一瞬の硬直の後に根を張った頭の重さに釣られるようにそのまま仰向けにバタリと倒れて男は二度と動くことはなかった。ナターシャは自身の致命的な対応の遅れを悟ったが切り替えて指示を飛ばす。
だがその他全員の視線が死体に注がれ呆然と息を呑みながら愕然としている。故に船の船首部分から顔を覗かせた巨大な銃身に気付く余裕すらなかった。銃身が回転を始め、煙がナターシャたちを覆うよりも早く船に最も近い者たちの身体が物凄い速さで穴だらけになり瞬時に薙ぎ払われていく。
「「「うわぁぁあああ!!」」」
声にならない男たちの悲鳴と同時に漸く煙が漂い1メートル先すら見えなくなる。それは恐怖と視覚遮断による混乱の芽生えである。それは見る見るうちに成長し無秩序な逃走を生むことになった。逃げ惑う者たちの背中を凶弾が襲う。敵は射線を遮る煙に覆われようと関係なく無作為に弾を吐き出し続けたのだ。元々一つの場所に密集するようにいたナターシャたちに相手は狙いをつける必要など無く弾を浴びせ続ける。
「爪弾きを用意!!」
魔導具"爪弾き"現上級魔導師アイリーン・イスカリオテ主導の元開発された遠距離物理対応魔導具である。完成品はもっと大型であるが小型化し携帯可能にしたものだ。小さいとはいえ想定された従来の銃火器程度であれば問題なく長時間防げる性能である。だが短時間で急速に弾き続ける指の爪にヒビが入り始めた
「班長!想定外の火力でこんなの数十秒しか保ちません」
「十分!上陸される前に逃げないと!正体は分からないけどアイツらには敵わない!」
このまま船から狙い撃ちされる以上に危険を予期したナターシャ。僅かに生まれた猶予を活かして魔迷宮を生還した彼女たちは散り散りバラバラと島中に逃げ惑う羽目になったのだ。
ーーー
一般的に地図というものは自国が中心に置かれている。だがこの大陸の地図を開くと扶桑國が中心に位置するようになっている。その中心部分は"近江"と呼ばれていて、そこから遥か北方に位置する大陸最北端は"羽前"と呼ばれている。羽前は小さな島々が班のように点在していて私の住んでいたエテッレもそれを構成する小さな島の一つだった。
ただ羽前は他所と違い外部を隔絶するように幾つもの海底山脈が聳え立って縦横無尽に大きく伸びている。
同じ大陸として括られているが、必然的に海路はかなりの長距離を強いられるのに加えて近くに海洋魔獣の棲家もあることから危険を承知で貿易に訪れる者もわざわざいない。
大陸盟主であるはずの扶桑の庇護が届かないほどの僻地である其処には無数の島々が独自のルールと協力もって細々と生きていくしか道はなかった。
特別貴重な物が取れるわけでもいので決して豊かでもない。島民は全員顔見知りで子供が遊ぶ場所と言ったら、海か山だけ。他の誰かから見たら何も無いような辺鄙でちっぽけな場所なのかもしれない。でも不思議と退屈はしなかった。
(もう一度戻ってくるとは思わなかったな…)
(感傷に浸るのもいいが念波来てるぞ)
(分かってる)
念波に応じると白雪の氷のように透き通った声が頭の中に響き渡る。
念波とは今は龍の国と呼ばれる魔物の国と略奪者たちの王という当時の三大ギルドの一つの間で巻き起こった建国戦争の際に活躍した魔糸を用いた思念伝達だ。元々バルディアに生息する昆蟲族は言葉とは別に簡易的な意思疎通を図る手段を確立していた。
それに"金"を冠する魔導師が目を付けた。彼女は今は不在の龍王に代わって国を取り仕切る三公の1人で祭事担当の"槐門棘路アヤメ"と共に魔導具として共同開発に取り組んだのだ。
そして近年創られたのがこの"通信糸"である。従来の連絡魔法水晶は遠くの対象と言葉で伝え合う念話はあくまで会話の延長であるが念波は更に思考と抽象的なイメージでのやり取りが可能であり共有が容易に行える点で画期的といえた。
『便利ねこれ。ありがとうピム。使い方は分かったわ。
先ず観測魔法で島のマッピングと生き残りの魔力を補足しました。対象にピンを付けてみましたがうまく伝わっていますか?
残念ながらクリカラの場所の方は既に多くが殺されて敵は沿岸部に敵が多く集まっていますね。桐壺は山の方に。そちらは散らばってこそいますがまだ生き残りは多い。時間との勝負です。保護と殲滅を同時に行います。
補足ですが、奈良茂の人たちの死因は主に強力な銃器による射殺です。しかし魔力痕とは別に聖気の気配も確認できています。敵戦力は多く見積もって30人程度ですが無理だと思ったら退いてください』
『問題ない。所詮は人間だ。寧ろ俺1人で事足りる』
アーカーシャの呼んだ得体の知れない黒い龍が不遜な物言いをした。強いのは分かるがその言動がどうにも気に食わなくて毒を吐く
『精々侮って足元を掬われないようにしろよ』
『こちらの台詞だ。お前1人じゃ頼らにならないからアイツは俺をわざわざ呼んだんだろう』
『……ッッ』
『こっちが終わったら、そっちも俺が手伝ってやる』
その言葉に無性に腹が立ったが言い返せず、ただ歯をガキリと食いしばり閉口した。今は人の命が掛かっている。勿論その面が第一に優先されている。そんなことは分かっている。だがなぜだろう。私の知らない奴が私の友達に頼りにされて尚且つデカい顔するのが堪らなく気に入らない
【桐壺!!信頼してないわけじゃない!我はお前を心配してるんだ!!友達だから!】
【だから!だから!!桐壺ぅぅっっっーーー!!!!頑張れぇぇーーー!!!!!】
念波ではない。只々島中に響くほどの大声量でアーカーシャの声が天地を震わせて私に声援を届けていた。何だろう。心に少し火が着くのが分かった。
「がんばるよ」
ボソリと決意が口から漏れ出てしまうのを聞いたアナムがなぜかニヤニヤとする
「なんだよ」
「別に何も」
「アナム。急ぐから三速だ。細かい調整を頼む」
「了解した」
観測された地点に近づいた私は逃げた人たちの足跡を辿る形で山麓を猛スピードで駆け上がっていた。かつて上位魔獣ネメイアにより抉られたエテッレ唯一の山は無惨にも切り崩され、険しく隆起した地形と変貌していた。慣れてない人からしたらこの地を移動するだけでも大変だろう。だが私にとっては飽きるほどに何度も通った道である。多少険路になったところで目を閉じても問題なく走れる。
通過する時に草むらが揺れて何かが飛び出てくる。数十発のゴム弾である。躱しながら幾つかを腕で弾くが粘ついた魔力が粘着する。
「桐。今ので位置が捕捉されたぞ」
「こっちも気配である程度把握した。けど全員腕が良いな。500m以内で細かな位置の絞り込みをさせないなんて」
位置を把握した相手側が先制攻撃を取った。直進している私に向けて多方向から銃弾が襲いかかるが今の私にしてみればその攻撃は脅威ですらない。全て問題なく処理する。
「桐。分かっているか?」
「ああ。相手は態とあれだけ大勢の生き残りを出したな。目的は────戦力の分散か」
つまり重傷者がいればいるだけあの人たちの救助と守りで戦力を割くと相手側は確信していた、そして目論見通りに戦力が半減した私を待ち伏せしていた。敵は明らかに私たちの戦力を把握して殲滅に取り掛かっている
「右からきてる」
「分かってる」
右手で飛来した弾丸を握りつぶす。着弾と狙撃に差がある。1キロ近く距離があるのに加えて100m先の目視すら物理的に不可能な視認性の低い山中で当ててくるこの腕前。
更に飛んでくる。だが今度は銃弾ではなかった。放られたのは筒の形状をしていた。恐らく閃光発音筒だ。眩い光に包まれて音が無く視覚を真白に染め上げられる。
身体強化を施し超人と言って差し支えない今の私を持ってして視聴感覚麻痺が引き起こされた。間違いなく500万カンデラを超えて200デリベル近い音圧。
常人であれば五感を永遠に失って何らおかしく無いが私は数秒間で済む。視覚が戻る。
「桐!なにしてる!!」
視覚情報を取り戻した私の眼前には既に二つの刃が差し迫っていた。こちらの攻撃で武器と一緒に腕も切り飛ばす
「ぐぎゃああ!」
「2名負傷。防御性能の高い兵装を突破する攻撃力を所持。オマケに唯の魔力のみでこの身体能力の高さ。
魔法頼みのモヤシどもは接近戦に持ち込まれると貧弱だと思ってたんだがなぁ。それを女のくせに俺の部下を2人もヤルたぁな」
倒れた男たちの背後に背後に数名の部下を引き連れた男がいた。
「お前ら何者だ?」
本来なら聞かれたところで素直に答えるはずもない。だが男は肩で笑いながら口をついて出した様子だ。口封じすれば問題ないと考えたのだろう
「くっくっく 俺たちは御庭番衆だ」
ちょっとした補足
特別調査魔導団の中には役割を兼任している者も多い。今回は流れとしては扶桑→魔導教会に鑑定依頼を頼む→外部担当の案内課(案内課のみ団長がいない)が対応→案内課が他所の団長に依頼をかける→特別調査魔導団からナターシャ班立候補
といった流れとなっている。ナターシャ班は主に魔導書関連の仕事をしている事が多いが班長が仕事を嫌ってよく出張の仕事を取ってくる