9話目-㉜
「それはだめです」
【ええっ?】
アーカーシャの提案に白雪は何を思ったのか否定を突きつけた。この時点で確信した。彼女は態と奈良茂に出し抜かれたのだ。理由は決まっている。もっともらしい理由をつけてアーカーシャを納得させる為に他ならない
「魔迷宮を急いで進むとまだ見つかっていない思わぬ罠に引っかかるかもしれません。魔迷宮を迅速に慎重に進めていくのがいいのでは?」
【……仕方ないな】
「こういった公平性を損なわない為に我々がついて来ていたのだがな。全くナターシャ班長は何をしているのか」
そう言いながら同行していた魔導師のピムが少しだけ歯痒そうに表情を顰めていた。時間という絶対のアドバンテージを得た紀伊國にとってみれば、これは唯一にして最大のチャンスだろう。三千の兵力が有れば狂王の遺物といえど破壊は難しくない筈だから。だから問題はどの程度の猶予があるのか。それの見極めだ
魔迷宮の扉を開けて中に入る。外からは窺い知れなかったが、境界線を越えると空間が歪み、次の瞬間には灼熱の太陽に照らされた第一層が姿を表していた。足を一歩進める。踏みしめる流砂に足が取られそうになるがそれ以上に水分が蒸発する感覚。これは過酷な環境だ。そう思ったのも束の間のこと
「私暑いの苦手なんですよね。だからこれを使いましょう
空間冷却スプレーです」
「まさか、それは魔導具か!見たことがないデザインだが誰が創ったものだ?」
「わたし……ではなく、魔導師史上最美と呼ばれる方から貰い受けました。効果は対象とした者たちを中心として空間を暑さから守るといったものだそうですよ」
【最美ってなに。最強とかと違って女性の魅力の一つである容姿は一概にこれって決まってはないだろう】
「うるさいですね」
白雪が自創した管状の魔導具が冷たい粒子を撒き散らし、私たちの身体に纏わりつく。すると嘘みたいに肌を焦がす熱と日差しが和らいだ。まだ世間に出回っていない謎の魔導具に対してピムたち魔導師はこの魔導具を創った者にどこか思い当たる人物がいるのか、こそりと耳打ちをしあっている
【なにこいつ魔物?】
「この魔迷宮に生息する酔牛です」
暫く進んだ先にいた魔物の造形に対して疑問があるアーカーシャの問いかけに隣にいた初見さんが答えるとアーカーシャは納得いかなさそうに小首を傾げる
【いや牛っていうかどうみてもこいつ羊だろ。全然牛じゃない】
「ま、まあ、ともかくこいつの肉はアルコールを含んでいて、例えるならラム酒に近い味がして美味しいですよ」
「食べましょう。折角なので」
酔牛を倒してみんなで食べた。因みに周囲に無作為に生えていた草も食用らしく、口にするとアポカドのようなクリーミーさもあって食が捗った。
「軽い甘めの風味が口一杯に広がって美味しいですね」
更に先を進める。もうすぐ第二層らしい。モゾモゾと何かが砂の海を掻き分けた出てきた。巨大な蛇のような生き物。だが余り凶暴ではなさそうだ
「こいつはスナヘビだ。上の層じゃ1番強い魔物だ」
「こいつの肉は全身砂肝で、鱗は砂から守る保護液のようなものが常に滲み出ている。その液がアルコール度数30パーセントくらいのリキュールになります」
「食べましょう。折角なので」
スナヘビを倒してみんなで食べた。因みに周囲に埋まっている小石も幾つかは食用らしく、シャキシャキとした食感はキュウリに近く食が捗った。
「クセのある味わいですね。ですけどお酒のせいですか。身体がほんのりポカポカします」
そこから更に40分ほどかけて第二層まで問題なくクリアする。しかし第三層から環境が変わった。鬱蒼としげった森のような場所。だが生えているそれらは全て木ではない。巨大なキノコの群生地。マッシュルームウッドと呼ばれる特殊な環境下と同じ状況が再現されていた
「1番多く生えてるのがビッグマッシュルームでその次にエリンの木ですね。ちなみに希少だが探せばプラチナ松茸ってのがある」
「どれもお酒に合いそうですね。しかし肝心の水場が何処にもないのはどういうわけですか?」
「上の方にもあるんだが、三層に来るまで見ることがなかったのは運の要素だな」
みんなで幾つかのキノコを採取しながら草木をかき分けていくと、この森には似つかわしくないバチバチと静電気が発生するような音がした。初見も思い当たることが無いらしく、その音に近づいて行く
【池が火花を散らして虹を作っている】
「これは世にも珍しいスパークリングワインですね!分かりやすくいうと濃厚で芳醇な炭酸ガスを過分に含んだワインのようなものです。面白いのが口に入ると体内の魔力と反応して微弱な静電気を発生させますよ。昔白夜に飲ませてもらったことがあります」
白夜、とは伝説の大魔女と呼ばれる白夜の魔女のことだろうか。耳にした噂ではなんでも白く美しく夜のように恐ろしい魔女であったとか。もしかして、白夜は白雪の……。いや憶測であれこれと考えるのはよそう
「みんなで飲みましょう」
【つまりお酒なんだろ。我は……】
「いえ、お酒に近いだけです。これは飲料水ですよ」
渋々であるが、白雪の口車に乗せられた形でアーカーシャも含めた全員でスパークリングワインを口にする。
「口の中でバチバチする!」
「きめ細やかな泡立ちからも分かっていたがシャンパンっぽいな。とても上質で複雑な味わいだ」
「さっきのキノコ普通に食べても美味しいけど、付けて食べると口一杯に上品な油の味わいもでるよー!」
みんなで楽しんだあと、更に先を進めると新たに水場を発見するが初見さんが諌める
「アルコールの匂いがしますが、これはどうなんでしょうか」
「匂いがするだけで毒の可能性もあるぞ」
「二分の一ですか。折角のお酒なのに迷いどころですね」
【迷うところある?】
「私が確認しましょう」
「任せてもいいですか?」
言葉を発したのは私に共生しているアナムであった。右手に口を作ったアナムは正体不明の水に口をつけて思いっきりそれを飲んだ
「私は毒魂アナム
毒など私には有害なり得ないがこの水は……残念ながら猛毒ですね。デスサソリの毒に近い。飲めば普通の生物は心臓を含めた筋肉が全て動かなくなるでしょう」
「そうですか。なら足を止める理由はないですね」
思いがけないアナムの活躍でリスクなく水と毒の違いを見極められる。そこから4つの水場を発見し、毒は飲まずに水分補給と飲料水の確保を安全に済ませられることは正に幸運といえた。全部お酒だけど
「ヤシの酒実が成ってる」
「甘いですね。そして度数が高い」
「ほんとだ。指パッチンで発火するレベルで度数がやばい。人が飲んだら死ぬんじゃないか?」
なんだかんだで魔迷宮の第四層の中間地点まで着いた
「この水溜まりは、なんだか臭いな。確かめるまでもなく毒じゃないか?」
「……。これはもしかして」
悪臭を放つ泉に近付き白雪は徐にその手で水を掬って口にした
「やっぱりこれはエールですね。しかも普通のとは違う
"Sエール"でしょうか」
渡航者が広めた通念として、Sとは最高級の意味合いを持つ場合に用いられる。S級冒険者といった具合に。エールは庶民でもよく飲むビールの一種であるが喉越しの良さは全てのお酒の中で3番の指に入るので、Sエールとなればビールの王様といっても過言ではない。誰かが喉をゴクリと鳴らすと、さっきまでの様相が嘘みたいにそのエールの泉に皆が近づいて手で掬う
まるで母親が作ったスープのように優しい温もりが掌一杯に広がる。濃厚な香りのハーモニーを楽しみながら口に近付け飲む。苦味と甘味が調和し口の中にまるで最高級のステーキのように濃厚な味わいが一気に広がる、それでいてしつこくなく喉を落ちる、今まで飲んだお酒などこれに比べたら薄味もいいところである。ある種の感動すら覚えてしまう
「美味い」
「いくらでも飲めるなこいつは」
「なんか味が2回目3回目で変わるよ。絶妙な甘味と酸味でフルーティな味がする!すごいよスーパーエール!」
「偉大なる龍王様も呑まないんですか?言っておきますがこれお酒じゃないですよ」
【え、ま、まじ?どうしようかな】
エールはお酒だが姫は騙してまでアーカーシャにSエールを呑ませたいのだろうか。
アーカーシャはお酒が嫌い、というよりは呑む人間に対して一定の条件を課しているようだった。おそらくは年齢を重視しているのだろうか?
アーカーシャは泉を覗きつつ、誰かと話すように独り言を言っている
【エーテルとエールって語感が近いからきっと回復するってまじなん?】
「ほらどうぞ」
白雪がその綺麗な指を水溜まりに浸して、アーカーシャの前に指を差し出す。滴り落ちる雫。アーカーシャは一瞬硬直していたが意を決したように腕を取りその指先に口づけをするように唇をつけた
「くすぐったい。お味は?」
【美味しい、かも……】
「ふふ それは良かった」
【流石スーパーエール】
「スーパー?いきなり何を言ってるのですか。これは違いますよ」
姫が言葉の意味を測りかねて不思議そうに小首を傾げた。違う?何が違うのだ?何か重要な思い違いをしていた。これをそれから我々は思い知らされることとなる。
「ンベヘェ」
強いアルコールの臭いがした。酔いどれラクダの群れがこの泉へ近づいてきているのだ。泉に到着したラクダ全員が大きく足を上げた。この場にいる全員がゾッとして硬直した
う、嘘だろ、や、やめてくれ…
私たちの必死な心の叫びをヨソに無情にもラクダの股ぐらから見事なイチモツが放物線を放ち虹と共に泉へと投じられた。
【あ、あれ、あれはなんですか。姫】
「見ての通りです。これはスーパーエールではなくションベンエールですよ。エールはそもそもお酒です。私言いましたよね、お酒じゃないって」
「酒麦麦芽を食べる酔いどれラクダの体内で発酵させ体外に排出した尿です。ションベンエールってずっとそう言ってましたよね?」
「ぶふぅーーー! 【おええっ!】
全員が一斉に吐いた。そりゃ吐きましたともさ。地獄絵図とはまさにこのこと。だってラクダのおしっこだもの。それを美味しい美味しいって感動したのだ。あの感動を返してほしい。なんなら忘れさせて欲しい
【おま、お前!オシッコを舐めさせたんか!
うわぁぁぁ!これだからアルコールに頭やられた奴は嫌いなんだァァァァ】
「偉大なる龍王様。大丈夫ですよ
ラクダの尿が美味しく呑めたなら、何でも呑めます
ようこそ こちら側へ」
【うわぁぁぁあああ!】
白雪の邪悪な笑みがアーカーシャを発狂へと導いていた。
発狂もとい発作が治るまでにしばらくの時間を要した
「しかしどうしてこんなにお酒と毒があるんでしょうか」
【……我の知ってる世界には、酒は百薬の長っていう言葉がある。あー酒は薬に勝るってやつ?それに薬毒同源って言葉もな。こっちは適切に使えば薬で多量に使えば毒になるってやつ。 だから酒と毒って意外と関わり合いになってるんじゃねえかな】
「もう大丈夫なんだな?」
【なにが?初めから我は平気なんだが】
さっきまでのことは無かったことになっていた。まあそれが良いのだろう。
『この魔迷宮の管理者ディオウロである。私の試練に挑戦した者たちが狂王の遺物の破壊に失敗して全滅した。
これにより現在魔迷宮に潜っている全ての者たちを10秒以内ひ最深部まで転移してきてもらう。強制な為、心の準備をしておいてくれ』
突然空から声が聞こえた。そして全滅したということは、先んじた奈良茂の三千の兵力が敗れたことになる。用意周到に前回の2倍の兵力を用意したにも関わらずだ
「切り替えましょう。ここからが本番ですよ」
程なくして、この場にいる全員が転移することになった
次回は戦闘回予定