3話目-⑧イルイと赤い龍
ーーーイルイsideーーー
村長の答えを聞く前から嫌な予感はしていた。
「次の血の石への捧げ者が決まった。お主じゃ、イルイよ」
その瞬間、私の運命は決まった。
全身の産毛が逆立つ。告げられたその言葉を咀嚼して呑み込むまで上手く呼吸が出来なかった。足が震える。胸の内側がガツンガツンと鈍器にでも叩かれるように痛い。呑み込んだ言葉が逆流するように込み上げてくるが手で抑えて必死に堪えた。
村人たちがまるで褒め千切るように何かを言っているようだが耳に入ってこない。煩わしい雑音としか思えない。だが不自然に村長の言葉だけがハッキリと聞き取れた
「来るべき日に立派に務めを果たすと良い」
「む、村長様。わ、私は……」
「……何じゃ?」
結局何も言えなかった。
家に帰ってからも、告げられた言葉ばかりが頭の中でずっと反芻している。死ぬ。私は次の儀式で死ぬんだ。だが何を悲観する。これが決められた運命でみんなが望んでいるなら寧ろ喜んで果たすべきだ。選ばれたことを光栄に思うべきなのだ。
だから考えないと。思わないと。自分は選ばれて幸せだって。なのに視界が徐々に滲み始める
「……いやだぁ」
ある日、プツンと何かが切れる音がして今日食べてた物を全部床にぶちまけてしまった。お父さんとお母さんも血相を変えた様子で背中をさすって心配してくれている。胃がひっくり返ってるんじゃないかと思えるくらい気持ちが悪かった。
「大丈夫か お前!」
「イルイどうしたの!?」
死にたくない。やりたくない。そう言えたらどんなに楽だろう。でも言えるわけがない。強張った表情を隠して告げる
「……大丈夫だから」
選ばれてからは、村では常に皆の話題の中心に私がいるようになった。それが堪らなく気持ち悪かった
「イルイちゃんはスゴイなぁ!儀式に選ばれて。お父さんたちも鼻が高いだろうなぁ!」「本当にね。はぁーウチの子もイルイちゃんみたいに立派になってくれんもんかねぇ」「ねーせめて大人になったら親孝行くらいはしてほしいもんよね」
……なんだよ、それ。そんなに私に死んで欲しいのか。私はこんなに、こんなに
「イルイ。せめて少しは食べろ」
「そうよ。こんなにご飯残して。それじゃ倒れちゃうわよ」
「……どうせもうすぐ死ぬのに?」
「あぁ!そっか……!私が死んで儀式出来なかったら大変だもんね」
「なんだと?」
「違うの?」
「それとこれは別の話だ」
「なに?なにが別なの?」
父は元々口数が多くない。黙って更に強面のシワを深くするが冷静に務めている。優しい母はオロオロと私たちの間で泡を食っている。だから余計に自分の弱さをぶつけてしまう。今の私は最低だった
「お父さん達は私が儀式の日までちゃんと生かす役割があるから本当は私のことなんてどうでもいいんだもんね!」
「きっとそうだ。お父さんたちが今心配してるのは私のためじゃない!村のために……」
バチンッと顔が横に跳ねる。叩かれたのだ。父に……ではない。叩いたのはさっきまでの優しい母の方だった。初めての経験だった。衝撃的過ぎて思考が止まる
「親が子供の心配をすることがそんなにおかしいことか!」
その後はどんな罵詈雑言を吐いたのだろう。覚えてはいないがきっと父と母に酷い言葉を浴びせたのだろう。気付けば家を飛び出して森の中にいた。
暫くすると陽が昇り初めていたが、どんな顔して家に戻っていいか分からずに、かといって逃げる踏ん切りも付かずに何日も森の中を彷徨い歩いていた
冒険者の人たちに見つかった時にはやっぱり死ぬ恐怖が頭をよぎった。だから祈った。助けてくださいと。その願いを叶えるように空から、アーカーシャと名乗る1匹の龍が現れた。
彼は変わり者だ。何の関係もないのに私のことを助けてくれると、力を貸してくれると言ってくれた。一筋の光明が指したと思った。思ってしまった。
今にして思えば、我が身可愛さになんて救いようのない愚かなことを思ってしまったんだろう。あんな優しい龍になんと愚かなことを頼んで巻き込んでしまったのだろう
井戸から這い上がった鬼の姿を視認した時、村の誰もが金縛りにでもあったように動きを止めた。身動ぎどころか叫び声一つあげる事すら許されなかった。
伝承通りなら不滅の餓鬼 鈴鹿は封印されるまでに数百数千数万の命を奪った怪物だ。
それが今解き放たれてしまったのだ
鬼から発する引き摺り込まれるような威圧感。これを例えるのなら、どんな表現が適切なのだろうーーーまるで光が一切届かない暗い深海の底へと抗う事も出来ずに只沈んでいき呑み込まれていく様な、そんな感覚
意識しないと呼吸する事すら忘れてしまいそうになってしまう
「‥‥‥ヒュッ!」
そこで私は無意識に呼吸を止めていた事に気が付きそして再度恐怖した。この緑鬼はまだ何もしていない。ただ、そこにいるだけだ。だが目の当たりにしただけで弱い人間は生きることすら止めてしまう
辺りを見渡すと村の人たちの顔色はどんどん青白くなっていき、1人また1人と糸の切れた人形のように泡を吹きながら倒れていく。先ほどまでの私と同じ状態だ
「お父さん!お母さん !」
私の両親も例外ではなかった。血の気を感じさせない土のような顔色で倒れた姿を目の当たりにした時、最悪の考えがちらついた。
咄嗟に2人の胸に耳を当てると鼓動が刻まれる音が確かに聞こえてきた時に安堵の余り視界が歪んだ
だが、その安堵を掻き消す轟音が村を包み込む。地面が叩き割られる衝撃と共に空気が津波の様な圧力を持って荒れ狂っていた。
気が付けば、私以外の人間は皆地に伏している
「────ごめんなさい」
その光景を前に私の口から小さく謝罪の言葉が出てきた
「ごめんなさい‥‥」
私は何も分かっていなかった。
必要だったから儀式を行っていたのだ。必要だったから生贄を出していた。誰も彼も死にたくはなかったはずだし死なせたくなかったはずだ。それなのに私が臆病だから、卑怯だから、今日までの積み重ねを台無しにしてしまった。
これから鬼の手で誰かが死んでしまったら、他の誰でもない私のせいじゃないか。後悔してももう取り返しがつかない
「ごめんなさい‥‥」
謝ったところで何かが変わるわけでもない。それは分かっている。それでも謝らずにはいられなかった
だって私が今の状況を‥‥
「ごめんなさ‥‥「《謝るな!!》」
力強い言葉と共に、一匹の龍が私を守るかのように背を向け立っていた
ーーーアーカーシャsideーーー
「ア…カ……シャ……」
目の前の恐怖に圧倒されたイルイは今にも自殺してしまうのではないのかと心配になる位に顔を青ざめ泣き崩れていた
「《そんな顔するな。大丈夫だよ 俺が何とかするって》」
言ってて何だがこの言葉は単なる強がりだ。かく云う俺もビビリでね。本来なら、目の前の鬼の圧倒的な悪の迫力に正直ブルってしまっているところなので可及的速やかに現実逃避(物理)に移りたい次第である
「…ゔんっ」
全くほとほと呆れてしまうね。龍の姿と力を与えられても、この様さ。どうせなら心も強靭にして欲しかったね。そして力に溺れて狂人に、人じゃないけど……
だ、だけどなー。今回ばかりは俺は悪に屈する気はないぞ!子供を守るために最後まで戦い抜くのが俺流よ!俺流というか、俺龍なんだけどね
「喰わせろ!喰わせろーーー!」
痺れを切らした鬼が俺に向かって飛びかかって来る
「《馴れ馴れしく近づいてくるんじゃねえよ!ソーシャルディスタンスを守りなさいパンチ!!!》
飛び掛かるタイミングに合わせて凄まじい威力を秘めているであろう右拳を放つ。拳が鬼の顔面へと深々と突き刺さると、そのまま冗談みたいに鬼の身体は村を飛び出して、外の森へと吹き飛ばされた
「《イルイ!!》」
「は、はい!」
口を開けてポカンとしているイルイだが俺の声に彼女の背筋がピンと張って驚いた反応を見せる。
「《自分が生きる為の選択をして後悔なんかしちゃ駄目だよ。特に子供はね》」
子供には幸せに生きる権利がある。子供の権利条約でも保障されている。子供に害を成すことは国連が……いやアグネスが黙っちゃいないぜ!
冗談はさておき目を閉じ大きく何度か深呼吸し自分の右手へと視線を移す。
先ほど鬼を殴った右手には赤黒い血がべっとりと付いていた。誰かを殴った事などない俺としては僅かに心が痛み、何よりこの気持ちの悪い感触は好きになれないと確信する。
暴力を振るうという事に嫌悪感を隠せない俺としては鬼とはいえ命を奪うというのは些か以上に抵抗がある。話が通じるのなら和解したいがあの様子では無理だろう。あれは殺すしかない。そうしないと本当に取り返しがつかない事になる。
四の五の考えるのは止めよう
命は等価値だ。だが俺にとって命には優先順位がある。どんなに非難されようと人間の命とそれ以外の命のどちらかを切り捨てるなら、それ以外の命を容赦なく切り捨てる
だってそうだろう?俺は人間なんだから、人間の命を優先するのが当然だ。
他の動物だってそうじゃないのか?親熊だって自分の子が餓死しかけたら、子熊の命を優先して、何かを殺して食わせるだろう。
「《んじゃ、行ってきます》」
だから俺はこれから正しく理解しないといけない。
命を奪うという他者の尊厳を貶める行為の意味を。
次の話から初めての戦闘パートです。描写が少し過激になるかもしれません