8話目-㉜
魔法術式を刻印された無数の紙は、魔法を放つ度にまるで線香花火のように燃え尽きていく。洪水のような攻撃が収まるも、依然辺りは乳白色の煙で覆われていて視界不良であったが、それも時間と共に次第に晴れていく。
「今の攻撃、手を抜いたつもりは無かったのだけれど、なまじ強いと意識すら失わないものなのね」
「ごほっ……ゼーッ、ゼーッ」
雪姫の"質よりも量"という理論の下で開発された魔導具 紙吹雪 百連は刻印された魔法の一斉起爆を行うというものだ。数にして数百万単位。膨大な数による飽和攻撃は如何に魔力の優れた高位の魔女であり屈指の魔力抵抗力をもつマヤであっても受けたダメージは決して軽微ではなかった。
死にはしない。が、戦闘不能になるには十分な火力であった。それでも偏に動けたのは老齢の男性。嫦娥だと思われていた男の影が術者であるマヤの意思に反して突然に幾重も出現し、マヤに覆い被さることで守ってくれたからだ。
影法師。若しくは影奉仕と呼ばれる自律型の呪いである。
それも今や泡のように飛び散って消えてしまっていっているのだが。
「無駄と思いますが、聞いておきます。降参しますか?」
「だ、れが!終わって、ない。腕も足も動く!魔力だって練れる!私はまだ戦える!!
負けてない 私はまだ!!!」
苦痛に呻きながらボロボロに吠えるマヤはオルガノンの杖を握り、震える足で立ちあがろうとする。
そこに1匹の牛の人形が現れて優しく手を置いた。
「もう止めよう。」
「誰よ……!何も知らないお前なんかに止められる筋合いは……」
息を吐きながらマヤは睨みつけるために顔を上げた。
「サキ……?いや 私は何を言って」
「前から思っていた。お前は復讐をしたいんじゃない。きっと死んでしまった夫に謝りたいんだなって」
牛の人形サキはそう言って、泡沫のように消えていく影の男性たちを一瞥する。
「見透かしたような口振り。ほん、とうに……サキ・ハザマ、なのか!?でも なんだ、その、奇怪な姿……は」
「イメチェンしたんだよ。私だって女の子だからな。
それにお前が死んだら悲しむ奴、いるみたいだぞ。」
「そんな、やつ、いな」
「嫦娥ぉぉぉ!負けたぁぁ!ギョクト頑張ったけど、イッショーケンメー頑張っだんだけどぉ!野蛮な魔導師に負けちゃったよおおおぉぉ!!!ごべーーーんっ!」
「ぐえっ!」
どう見ても火傷で重傷の玉兎は、その顔を涙と鼻水と煤まみれにしながら重病人とは思えない走りを見せてマヤに抱きついてきた。それは親の期待に応えられなかった子供が半ベソをかきながら謝るような光景にも見えた。
「……ふぅー。もう戦う雰囲気じゃないみたいですね。」
「焼き菓子みたいに甘〜いこと言っちゃって、まだ終わりじゃないよ」
「ゲフっ!」
その時だ。誰もが気を抜いた瞬間を見計らったように突然にマヤの背後から胸にかけて、貫手が身体を貫いていた。
誰もが呆気にとられたまま、手は静かに引き抜かれる。力無くマヤは膝から崩れ落ちた。
「!?」
「うわぁぁああ嫦娥!?血が!血がいっぱいでてる!」
「くそっ!」
必死に抑えて止血しようとする2人を傍目に、陶磁器のように滑らかで透明感があり、まるでビスクドールの様な顔立ち。それを輪にかけるように、血よりも赤いゴシックロリータ調の服装と頭飾りのボンネットが特徴的な人形みたいな女の子が倒れたマヤからオルガノンの杖を素早く奪い去る。
「見覚えのある顔ですね。焼き菓子の少女!空蝉少女、でしたか」
初めて雪姫は身を固くして、相手の出方を窺うことなく、氷を槍のように鋭くして魔法を放った。だが氷が突然消えた。杖の力を瞬時に理解して使ったのだろう。
「光栄だ。天下の魔導師様に私なんかのご尊顔を存じあげて貰えるなんて」
「以前に更衣が漏らしていました。今の空蝉現当主の名前と経歴をね。聞くと200年も仕事をやっているんですってね。そろそろ隠居したら如何かしら?」
「更衣?ああ、先代の桐壺。あいつがいなくなったから、こっちは無理して現役続けてるのよ。それに200年じゃない。192年よ。8年も違う。
にしても、こう知られてくるとやはり顔って変えた方が良いのかしら どう思うのよ蜻蛉」
その問いかけは、雪姫ではなく更にその背後に立っていた黒衣の男に対してかけたものだった。雪姫もその気配に遅れて気付き、驚きのあまり先ほど以上の魔法を放つ。
自身の背後を余りにも容易に取った相手に対して、空気が弾け舗装された路面が木っ端微塵化に砕けるほど膨大な氷塊による質量攻撃だ。
「空蝉の婆さま。話しかけるなよ おかげで気付かれちまったろうが」
「やろうとした攻撃どうせ効かなかったわよ。感謝してほしいものね」
いつの間にか、今度は少女の側に立っていた男は恨み節を込めてぼやいた。
ダボっとした黒一辺倒のトレーニングウェアとサンダル。ボサボサとした髪。これだけで見た目に頓着しない性格なのが読み取れる。
やる気と情熱のカケラも感じられない虚な目こそしているがその実力は決して侮れるものではないと雪姫は察知した。
「というか、アナタ任された仕事はちゃんとしたのよね?インカラが言ってた通り他は兎も角、次のために卯の方はまだ必要なのよ。」
「俺には他にやるべきことがある。お前だよ。お前。」
蜻蛉は雪姫に少しだけ思うことがあるらしく、視線を鋭くして指を向けながらがなる。呆れた少女はやれやれと態とらしく額を抑えていた。
「私が何か?」
「あの件、まだ引きずってるの?
言葉足らずで因縁をつけるべきじゃないわよ……どうやら彼、前の武王暗殺事件の時にお前さんに娘さんがお世話になったから八つ当たりしてるのよ。
娘さんっていうのは、アレね。マスケット銃を持ってた方」
「……知っていてもわざわざ教える義理はないですね」
「吐かせてやるさ。心得はある」
僅かに蜻蛉の指が動きを見せる。何かをしようとしたのは明白だが、少女にまたしても阻まれる。
「怒るな どうどう。で、蜻蛉。真面目な話だ。卯の方は誰に任せた?しくじりは許さんぞ」
「……そっちは、東屋の旦那に頼んだ。」
「そ。なら良い」
「GIAAAaaaaa!!!」
空気を切り裂き、盛大に大地を揺らす衝撃と共に耳を聾する轟音が響いた。
立ち昇る粉塵から現れたのは赤い龍王アーカーシャである。全ての魔女を蹂躙し終えた彼は、新たな敵の存在を察知して姫の元へ駆けつけたのだ。
【姫暫くぶり。大丈夫か?】
「ええ、お久しぶり。貴方のおかげで今大丈夫になりました」
アーカーシャと会合した雪姫は嬉しそうな表情を浮かべるのと対比するように2人の敵は僅かに身構える。
「へえ これはこれは。 これほどの龍にお目にかかるのは二度目だな。70年前に遭った青応龍フィファニール以来か。」
「おいおいあんまり脅かさないでくれよ、婆さま
フィファニールってあの魔王と互角と呼ばれている伝説の龍だぜ?そんなのと同じっていうのかよ」
「私が耄碌してる思うのなら死合ってみるといい。止めないよ、死ぬまでな」
「……」
「やらない。今日のところは」
「よろしい 仕事は果たせたから帰るのよ」
そう言って、パンパンと手を叩くと何かの合図と言わんばかりに空間に鋏のような切り込みが入り、パカリと空間がスイング扉のように開いた。
「お・マ・タ〜sexy boys me ambitious(すね毛が生えてない少年よ 私を抱いて)!みんなの宿木花散里 ただいま参上したわーん!」
空間から巨大な鋏を持ち悩殺ポーズを取りながら現れたのは、全てを受け止める岩盤のように豊満な大胸筋。極限まで鍛え上げられた鉄ですら圧砕出来そうな括約筋と引き締まったヒップライン。最早嫌味なまでの芸術的な曲線美。まるで女性が自身の身体に求める満漢全席を体現している人物は、女では無かった。というか男ですらなかった。オカマである。
「助かるのよ 花散里。やはり良い女は仕事ができるのよ」
「事実とはいえ、面と向かって褒められるとこそばゆいわ……んっ。」
花散里の持つ魔眼がアーカーシャを捉えた。
「どうしたのよ」
「あ、あの龍 わたくしのド・タ・イ・プ!
食べちゃいたい ハート」
【ゲロロロローーーー】
花散里にウインクされ誘惑された。そしてアーカーシャは周りの目を一切憚ることなくゲロを吐き散らした。
「なに そのウブな反応っ!?もう!大人のレディーが恥を忍んで誘ってるのにいきなり焦れったい駆け引きなんて濡れちゃ……ってきゃっ!エッチな風さんがわたくしのスカートを!」
無風である。しかし風を感じた花散里は自分からスカートをたくし上げて、下着を見せつける演出をしていた。そしてアーカーシャは眼球を潰して顔面を地面にめり込ませていた。
【誰かーーー!誰でも良いから一刻も早くあの放送コードに引っかかる悍ましい有害指定生物の息の根を止めてくれーーー!】
「花散里、歓談を楽しんでいるところ非常に悪いと思うのだけれど、今回は仕事を優先してもらうわよ。」
「もうっ!分かってるわよ!切り取り鋏!」
花散里の持つ鋏は空間魔法を扱えるのだろう。チョキチョキと更に切り取る空間を広げていく。
「逃げるのですか?」
「挑発はやめておいた方がいいと思うのよ。いくらお前たち2人が強くても、この状況、巻き込むと無用な死人を出すことになる。」
「また会いましょ はーと」
3人の殺し屋は空間に入っていき、そして空間が閉じ姿を消した。
そこから正気を取り戻したアーカーシャと余裕が出来た雪姫は倒れてる2人に気を向けることが出来た。
「うわぁぁん!嫦娥ぉぉぉ!こんなの、イヤだよぉ。
お願いします。何でもしますから、嫦娥を死なさないでよぉぉ!」
「マヤ、死ぬな!死んじゃダメだ」
玉兎は泣き喚いて、何かに縋るように懇願していた。サキが喚くように止まらない出血を必死に止めようと人形の手を赤く染めながら押さえていた。
マヤの身体は胸を貫かれた折に、魂に取り返しの付かない傷を付けられていた。傷は広がり、それはどうしようもない致命傷となった。心と肉体は繋がっている。どちらかのバランスが極端に崩れた時に、生あるものは必ず死ぬ。
肉体が失われたら心も失われる。逆も然りで心が失われると肉体も失われる。
つまり、今のマヤは心が徐々に失われるのに引っ張られて、肉体が保てず石炭のクズみたいに徐々に崩れていっていた。
「そ、そうだ!魔導師のおまえ!氷の魔法で血を止めろ!そうすれば!」
「無駄だ……もう良い 私は じき 死ぬから。
それにもういいんだ。もう疲れた。
だが殺されるなら、友達に、と思ってた……なあ白夜の弟子。私を一思いに殺してくれないか?」
「いつから私は友達になっていたんですか」
「白夜と天峰冥君と私は友達だったんだ。その弟子なら無関係でもないだろう」
「こんな結末納得できない!アーカーシャ様!なんとかならないのですか!
【……なんとかなるみたい】
「え?」
あっけらかんとそう言うものだから、誰もが耳を疑った。だがアーカーシャは魂の中核を成す心の崩壊から来る抗いようもない終わりを暴力的なまでの魔力であっさりと堰き止めた。それを。或いは。人知の及ばぬ奇跡と呼ぶのだろうか。だがそれは余りにも呆気がなさすぎた。余韻の一つすら残らないほどに。
【これでいいかな。】
「えぇっ……おま、これ まじでぇ?」
この間が抜けた声は誰のものだろう。いやきっとその場にいた誰もが常識外れの言動に度肝を抜かれていた。涙は引っ込んだし、わざわざ口には出さずとも思っていたことは一緒であった。
【神は言っている。ここで死ぬ運命ではないってね】
古の魔女であるマヤも最良の魔導師である雪姫も、その口を大きくあんぐりと開けて呆気に取られている。
「まさか、魂の補完……だと!それって理論だけの筈だ。少なくとも、今まで実践できたのは誰も……」
「流石は偉大なる龍王様。今のは私なりに理解に努めるなら、自身の強力な魔力を膜にして区切ることで、内と外を新たに作り、魂の領域を確保。失われていく心の一部代替と機能補助を成功させる。言うのは簡単だけど、正に神業ね。」
【正真正銘、こっちには神様が憑いてるからな】
「そんな。いくら私が美しいと思っても、女神は言い過ぎです」
【いや、言ってないよ!?
でも正直迷った。お前を助けるべきか。
我も一度死んだ身だから分かる。色々と視えるよ。お前本当に生きるのが辛いんだな。そんな色をしてる。】
ギリッ、歯を食いしばりながらマヤは怒鳴った。
「分かっているなら余計なことしてんじゃねえよ!
私はもう死んで良かったんだ!それを」
【……ハッハァ〜。残念でした。お前は助かるんでーす!ベロベロバ〜。】
「このっ!ふざけた物言いをして簡単に私の覚悟に水を差してんじゃねえぞ!」
「アーカーシャ様……」
【ふざけてんのはどっちだ?】
【お前の覚悟なんて知らねえよ。興味もない。
そう決意するまでにさぞかし辛いことがあったんだろう。同情するしある程度の気持ちも汲む。けどそれだけだ。
目の前で今にも死にそうな面してる奴がいて、自分に力があって手を伸ばして救える可能性があるのなら我は救うぜ。その時には救われる側の気持ちなんて考慮しない。どうせやる事は変わらんからな。】
「何も知らない偽善者が、好き勝手」
【視えたよ。仲間がいなくなって独りになったお前にとっては残った嫦娥が全てだったんだな。】
「……そうだよ。それも戦いで失った。私にはもう何もない。何も。この復讐心しか。そうでもしないと。それくらいしか、生きる事が」
【それだけか?お前の人生は本当にそれしかないのか?】
「え?」
【少なくともお前のために泣いてる奴がいて、心配してくれてる奴がいるんだぞ。】
「何が、いいたい」
【うちらの世界の含蓄にさ、人ってのは支えあって生きてるってのがある。思うんだが、自分のために生きれないなら、誰かの為に支える生き方ってのをしろよ。】
「誰かの、為に」
その言葉に納得したかは分からないが、もうマヤは何も言わなかった。
「うぉぉん!良かったよー!嫦娥ぉぉぉ」
「……魔夜っていうんだ。本当は。お前にはそっちで呼んで欲しい 玉兎。」
「魔……夜。マヤ!」
傷だらけの玉兎と魔夜は互いに寄り添うように抱き合っていた。
「何はともあれ、問題はまだ幾つか残ってるけど、一件落着かしら」
【問題といえば、バルディアの件で姫に頼みたい事があるんだけどさ】
「なんですか?」
「……待て。命を救われた礼に一つだけ教えてやる。早くバルディアに向かった方がいいぞ。いや、それでも、もう手遅れかもしれないが……」
【どういうことだ…?】
「…申の面のショウジョウから連絡を受けていた。バルディアにいる魔物たちを駆逐する為の作戦は恙無く進行していると。
数日前からそれが始まっている。」
「!? それはどういう────」
雪姫の言葉を投げかけるより遥かに早く、アーカーシャは瞬時に空を飛び立っていた。音速突破のソニックブームを巻き起こしながら。
バルディアとビブリテーカーは何千キロも離れているが、それを物ともせずに龍王アーカーシャがバルディアに到着した。だがもうその時点で致命的に何もかもが遅かったのだと彼は理解した。
どこもかしもが火の手を上げている。
全てがもうどうしようもないほどに、命が花と散っていた。
【コトア サポートを頼む 我が全力で戦えるように】
【了解した。雪姫との契約による課せられた拘束制御術式の一時中和による全力解放を行う】
その瞬間、赤く燃え激るアーカーシャは、絶対凍土の冬のように白くなった。
歴史では、聖皇暦が始まって以降、始祖アーカーシャの全力が観測された最初の1件目と記録される事となる。
本編で出すタイミングが見つからなかったやつ。
小ネタ『俺の名前を言ってみろ』
項星「親愛なる友アーカーシャよ。疑いたくはないのだが、よもや余の名前を言えぬのではなかろうな?」
龍王【ちょ!?おま……ばっか。言えるよ!友達の名前くらい言えるに決まってるんだろ!?フルネームでペラペラ噛まずに言えるわ!寧ろペラペラ過ぎて逆に言えないくらいだわ!】
項星「言ってみろ」
龍王【……項・ブリュンhデブッ!】
項星「舌を噛んだっ!」
龍王【怨怒霊ーーー!フレアを吐くと舌の傷に染みやがる!】
《本日の勝敗 名前を言えなかった為、アーカーシャの負け》