8話目-㉑
昆蟲族と宝人族の主な活動拠点でもあるラガシュ森林は高山の影響を受けることで局地的な大雨が増えており、いわゆる熱帯雨林に近い気候と水源涵養機能を有している。
つまりは大量の雨水を貯水したり浄化機能を有しているという訳であるが、その際に滞留した雨水が龍脈の影響を多大に受けながら地下水として形成され、それが地表水として河川に流入している。その結果、知らず知らずのうちにこの地に棲まう者たちは非常に質の高い魔素を含んだ水を体内に摂取していた。
「サア!我ラガイアセクターノ強サヲ見セツケテヤルゾ!パンゲラ!ババン!」
「敵倒攻始」
「……!」
その結果バルディア一帯に住まう魔物たちが他の土地の従来の魔物と比べても明確に強力であるその大きな要因を担っているのだが、それがこのラガシュ森林のおかげであるという事に気付いているのはそう多くはない。
「敵がきたぞ!」
「魔物共が〜〜っ!返り討ちにしてくれる」
大地に埋蔵された鉱物で恩恵を受けたのが地竜族であるなら、水によって最も強い恩恵を受けた部族が昆蟲族である。
地竜族がアースイーターと呼ばれる強力な個体が出現し始めたように、昆蟲族の場合には固有の能力を会得する者たちが現れていた。種族全体としての強さで見た場合には現在のバルディアでもずば抜けた種族といえるだろう。
「やるぞ!ピエール!ホプキンズ!」
「おうともさ」
「任せろ」
Aランク冒険者ホプキンズは釣り竿のような道具を持っている。これは呪装霊具だ。
ティムール大陸では死刑が決まった際の処刑は絞首刑が一般的であり、南部では"吊り師"と呼ばれる特殊な役職が大部分を担ってきた。その中で最も優れた吊り師は代々ハングマンの称号を与えられてきており、絞首刑であれば手法を問わないとされてる。そんなハングマンの中でも奇特なことで知られる6代目ハングマンであるアンソニーは2千を超える死刑を執行するにあたり釣り竿を好んで用いる傾向にあった。
その釣り竿が呪具に成り果てた結果、釣り竿は正確に狙いをつけた相手の首に巻き付きそして吊り上げる性質を持つ。本来の絞首刑なら自重で動脈を圧塞し頭部離断と頚椎の骨折が原因で死亡するだろう。だがこの"釣り竿"のかける力はその何倍もある。人間ならその圧に耐えられず瞬時に首がへし折れるが、遥かに頑強な昆蟲族のパンゲラは幸か不幸かそうならない。
「はっはぁ〜!俺の一本釣りに耐えるとはやるじゃねえの!」
「耐2分後死」
「糸切不可」
「切れるわけねーだろうが!足掻くな。こうなった時点でお前は終わってんだよ」
ミシミシと音を立ててパンゲラの外皮に巻き付いた糸が徐々にめり込んでいく。魔物は個体によっては中遠距離の手段を全く持っていない場合も多く、その場合は釣り上げられた時点でなす術なく死ぬしかない。そうしてホプキンズは勝利を確信し判断を誤った。
「隙見私勝一手差」
「えっ?」
ガイアセクターのパンゲラは最も肉体変形に秀でた戦士だ。それは状況に応じて腕を鎌に変えたり、背中の一部を羽にするという機能の形態の変態すら可能としている。故に腕を自由に伸縮するなど容易く、腕を長鉈のように大きく薙ぐだけで、不意を突かれたホプキンズはそのまま呆気なく首を落とされてしまっていた。
「おらぁ!吹っ飛べ!」
「……!?」
魔族たちが創り上げた魔道具は、魔導師の魔導具と異なり戦いに特化しているものが比較的多く存在している。そして冒険者の中では魔道具を使っている者たちも珍しくはなく、Aランク冒険者ピエールもその1人である。ピエールが所持している魔道具は強力な風属性の魔法を放つことを可能としていた。
名をマイアー。大鳥の羽ばたきの異名をとるこの魔道具は直撃すれば大木すら簡単に風穴を開けてしまう中級魔法以上の破壊力と連射力を併せ持つ強力な兵器である。
「いねぇ。今ので跡形も消えて無くなっ……」
舞い上がった粉塵が晴れて、辺り一面見渡しても先程まで対峙していた魔物ババンの姿は消え失せている。ピエールは油断せず周囲に気を張り巡らせる。直後に足元に激痛が走った。
「……っ痛!!あああ!!!」
見ると、地面の下から棘のような物体が大きく足の甲を貫通して真っ赤に咲き上がっていた。
「いつのまに!?くそっ!」
穴の空いた足を必死に引き抜いて、足を引きずりながら背中を樹に預ける。
そしてマイアーを構えて、闇雲に撃っていったのだ。錯乱したのではない。ピエールはババンが姿が見えなくなる魔法。若しくはそれに類似する魔法を使っていると考えたのだ。
カチッカチッ、と内蔵された魔石の魔力が空になったのかトリガーを引いても魔法が放てなくなる。姿が隠せそうなところに目星を付けてあらかた吹き飛ばしており、隠れる場所などどこにもない。すぐ様に内蔵された魔石を入れ替えようとする。
「どこにいきやがった。こんちくしょうめ」
ザシュリ!預けているはずの樹木から突然刃が生えてきた。そのまま背中からなす術なく一突きされ、ピエールはパタリと倒れてそのまま動かなくなった。ババンの能力は潜水。あらゆる場所に潜るその力は寧ろこういった遮蔽物の多い森林で最も恐ろしい能力の一つだろう。
「ぐっ!嘘だろ!ピエール!ホプキンズ!返事しやがれ。バカやろう!なんだこいつら!唯の昆蟲族じゃねってのか!」
「コンナモノカ。冒険者共?」
先遣隊の指揮を取っていたAランク冒険者シモトメの旧神魔法は不変。所持する武器の切れ味を維持し、また決して刃こぼれしないしないという魔法だ。シモトメの魔法は戦闘向きの能力であり、戦闘能力も並のAランクより高い。だからこそ先遣隊の団長を任された。しかしそんなシモトメとバギンはすこぶる相性が悪かった。なにせ攻撃を歯牙にも掛けないバギンの甲皮は昆蟲族一であり、宝人族のボナードに或いは比肩し得るだろう。そして純粋なスペックだけを見たら、かつてのマトローナにも匹敵していたのだから。
「ギャ!」
「ぐわぁ!こいつら強すぎる。助け……」
先遣隊数百から互いに始まった前哨戦。戦局は殆ど昆蟲族のワンサイドゲームで進んでいた。だがこれは昆蟲族が単純に強かったからで済む話ではない。
実のところ最大の強みはこのラガシュという環境そのものである。熱帯雨林における気候は敵の士気を大きく削ぎ、健康を害し、環境に慣れていない者たちにとって気候による熱帯雨林特有の病気、害虫やぬかるんだ地面の移動、高温多湿による熱中症など強いストレッサーに晒されているからだ。
そして大前提。なによりも戦いの原則とは主導の原則だ。
森林戦は大規模会戦が行えず小規模な遭遇戦が主であり、昆蟲族はアヤメの力により敵情を把握してからの遭遇戦に対して不期遭遇戦となった冒険者。これだけみてもどちらが戦いの主導をより握っているのかは火を見るより明らかだろう。
集団と地の利の不利を強いられたのなら、劣勢を覆すのは個の力である。
突然現れた魔魚の群れがバギラの装甲を抉る。そして現れた者たち。
「魔物共が調子に乗りやがって」
「バイデ支部長!それにツクモ支部長にタルクス支部長も!」
「あの3匹、見たところ幹部連中ってところか。幹部は発見次第支部長クラスが相手をするって決まりなんでな。お前さんたちは周りの奴らを頼むわ」
「敵倒」
「私が相手だ、蟲め
捧げる。仲間の供物を。裁け ロア!」
第四支部長ツクモ。彼女の有する力は呪装霊具"ロアの怪物"である。ロアは既に骸となっている冒険者たちの死体が幾つも影に沈み影が一つとなり大きく現れた。ロアはとある部族が死体を捧げて罪を犯した人間を殺す慣習から生まれた呪具である。
その姿は3m近くあり、四つ腕に上半身は魚の鱗のようなものを身に纏っているのに下半身はまるで獣の体毛で覆われている。正しく異形の怪物である。そして強さも無論怪物に恥じないものである。
「私敵危排」
ロアはその一振りで木々を薙ぎ払い、まるで有象無象を紙切れを破るより昆蟲族を容易く屠っていきながら、ガイアセクターパンゲラに痛烈な一撃を見舞い、数十m先へと吹き飛ばす。
「パンゲラ!」
「他人の心配とは余裕だな」
僅かに動揺して隙を晒す。だがバギラの外皮は並大抵の冒険者の攻撃を寄せ付けない。
だがバイデの魔法fish chipはそれを容易く突破する。更に脅威なのはその量だ。回避する余地も手立てすらないほどの弾幕。バギラの肉が抉られ一瞬で血に染まる。
「……!」
「おおっ!地面に潜った?魔物のくせに随分と良い魔法持ってるなぁ。俺もそういう才能あったらなぁ。羨んでても仕方ねえか」
十五支部長タルクスの両腕は義手である。ソレは魔族たちが作り上げた超高性能の魔道具であり、体内の魔力回路から魔力を抽出し内蔵された魔石を通して様々な魔法弾を撃つことが可能となっている。
タルクスは先ほどのピエール同様にババンが壁や地面に潜伏した一帯を闇雲に吹き飛ばしていったのだ。
そしてその物量はマイアーとは比較にならないモノであった。
「どうした、化け物よ。こんなもんかぁ?」
「クッ。コイツラガSランク……最高位冒険者トイウヤツカ?」
「違えよ。俺らは500人いるAランク冒険者から選りすぐられた100人の支部長だ。」
「ナンダト!?」
流石のバギラも動揺した。当たり前だ。自分たち昆蟲族最強戦力ガイアセクターを圧倒する3人の冒険者の存在。それがハッタリでなければ他に97人もいるということになる。そして情報では、更にそれを上回る11人の最高位冒険者。
「なんだその顔は。勝ち目があると思ってたのか?
てめぇら魔物はこうなった時点で死ぬしかねえんだよ」
バイデの魔法で生み出された魔魚たちが雨のように降ってくる。その純然たる力の差にバギラは諦めて膝を折ってしまった。
「何をやっている。まさか諦めたというの?」
その全ての魔魚が細切れにされていく。それは武器と呼ぶには余りにも拙い糸であった。
「情けない。だが折檻は後だ。先ずはお前だ」
「本命の登場だな。だがあちらはどうする?まさかお前1人で守れるわけはないだろう」
灰色の少女マトローナとバイデが対峙する。しかしバイデはどこか余裕な笑みを浮かべている。3つの戦闘。その全てにマトローナが介入できるわけがないとタカを括っているのだと推察したマトローナは微かに鼻を鳴らした。
「何だ。強いお仲間がいっぱい来て随分と調子に乗ってるな。こっちにだってまだ仲間はいるぞ」
タルクスの余りの過密な攻撃の嵐は、ババンをしっかりと捉えていた。もはや逃げる余力もないほどに彼の姿はボロボロである。
「悪いな。こっちも仕事なんで」
タルクスがトドメの魔法炎弾を放つ。
「ν」
しかしその炎を更に焔が焼き尽くした。火焔の呪文を唱えて颯爽と現れたのは、豪華絢爛な法衣に身を包んだ一体の塚人である。
「何者だ」
「吾輩の名はラーズ。この地の王アーカーシャ様の忠実なる右小指第三関節辺りの僕、といったところか。」
「なんだその肩書き……」
ロアに無数の攻撃を加えるパンゲラ。腕が何度も槍となり心の臓を刺し貫く。だがまるで効果が見られない。ロアの腕がそのまま攻撃を無視して無理やりパンゲラを捕らえ絞めあげる。
「汚手触放……!」
「無駄よ、私のロアは命無き死の化身。故に肉体そのもので存在を維持している。その程度のチンケな攻撃じゃ効かない。」
ロアを殺す方法は至ってシンプルだ。その形が保てなくなるほどの質量の喪失である。だがパンゲラは攻撃の多彩さに恵まれている分、攻撃力そのものは貧弱である。脆弱な人間を殺すならいざ知らず、ロアを殺せる質量攻撃を持ち合わせてはいなかった。
瞬間。ザシュン!大気が唸り、ロアの腕が一本切り落とされる。それを行ったのは剣と呼ぶには余りにも分厚い鉄の塊のような大剣によるものであった。
続いて、ギュルルンと空気が轟いて閃光のような刺突三連撃がロアをツクモの方まで吹き飛ばしていた。
ツクモはその攻撃の正体の主を見て驚いたように目を丸める。
「骸骨将軍、初めて見た。それも2体か」
2mはある全身を黒を基調とした赤い線が細かに迸ったフルプレートの鎧に包んだ騎士のようなアンデットが2体、剣と槍を握っていた。ロア程でないにしても十分な異形。
ラーズの懐刀骸骨将軍のガレスとパロデミスであった。
「ほう、この感じ。ツクモとタルクスの方にも相当強い仲間がいる様子。ハッタリじゃないようだ」
「随分と余裕ね。この前は一目散に逃げた癖に。1人で私に勝てると思っているの?」
「思わねえーよ」
バイデはマトローナの強さを直感で理解している。だからこそ1対1という状況にも関わらず余裕なのがマトローナは気がかりに感じて引っかかった。
突然マトローナの足元から植物の蔓が無数に生えて呑み込もうとした。間一髪でバギンも糸で捕まえて一緒に回避する。その避けた直後に今度はマトローナだけを熱の雨が直撃した。
「だから大勢で来てやったんだ。お前の首は今日で落としてやるよ。覚悟しろ」
マトローナを取り囲むように8人の冒険者が現れた。その全員がバイデたち同様に支部長であった。
熱の雨によりマトローナの全身から血が噴き出す。彼女が昆蟲人になって血を流すのは初めての経験だ。人間と同じ赤色であった血をペロリと舐める。
9対1。圧倒的劣勢である。だがマトローナは少しだけ感情を見せて吠えた
「かかってこい。皆殺しにしてやるわ。このクズども」
今回は結構削ったけどそれでも5千字を超えた。描写する人物を絞らないと…(焦