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7話目-㉒

その日は朝から鉛のような空が垂れ込んでいた。動物的な勘が働いたのだろうか。一雨くる予感がした。それで何となくワサワサしていた。妙に落ち着かない。そんな我とは対照的に隣を見ると姫は姫とて我が教えた日本語を魔法術式に変換する実験を延々と飽きもせずに日課のように淡々とやっているだけである。

牛の人形サキもいつからかそれを興味深そうに見つめていた。我だけが仲間はずれである。



「術式の省略、増幅の仕方は概ね理解しました。」



「なあこの言語って渡航者がもたらしたやつか?」



「ええ、そうね」




【……あの】



部屋の隅に置かれている通信魔導具が突然光りながら音を発した。



《総本殿より入電。アナシスタイル中央部イルハンク区にて瘴気による瘴没確認。至急、特別調査対策魔導団で対応されたし》



「《瘴没……ってなんぞ》」



そこから暫くしてドタドタと廊下を走る音と共に花ちゃんが珍しく物凄い気合が入った防護服のような服装で姫の棟まで訪れていた。しかしその顔は真剣そのものである。

何かの事件だろう。だというのにやっぱり姫はいつも通りだった。ただ、姫も花ちゃん同様にまるで似つかわしくない防護服のような物々しい装いに身を包み、それだけで何か良くないことが起きている事だけはぼんやりと我にも理解出来た。



偉大なる龍王様(アーカーシャ)とサキも念のため着ますか?」






アナシスタイル中央は国ではなく、其々の種族が地域毎に独自の法と秩序を持って治めているらしい。他種族に対して排他的な地域も珍しくはない。だがその中でもイルハンク区は人口2千人程度であるが人と他種族が共に住まい小さなコミュニティを形成していて、そこを踏まえるなら比較的種族に拘らない寛容な地域であると姫は話していた。

花ちゃんも何度か訪れたことがあると言っており、写真も見せてくれた。そこには、当たり前のように人と亜人が共に手を取り合って暮らしている姿が何枚も写されていた。

『残念だなぁ』とぼやく花ちゃんはどこか憂鬱そうに顔を小さく歪めていた。



我らが来た時にはイルハンク区の大半は黒い灰を被っていた。まるで火山の噴火によって火山灰が降り積もったようにと言った方がイメージし易いだろう、また宙には黒い泡のような物も幾つか浮いているのが見てとれた



【これは……】



「目に見えるくらい濃度が高い箇所だよ。普通ならやべーが多分お前は直に触れても大丈夫だよ」



【そうなの?】



「聖騎士の上位なら殆ど無害みたいなもんだからな。だけど……」



瘴気はアンチマナとも呼ばれ、体内に蓄積され続けると身体を変異させ最悪死に至らせると聞かされた。つまりは手遅れになる前に迅速な対応が求められるのだろう。

既に他の魔導師の一団と騎士団も到着していたみたいだ。忙しなく全員が動いている。



【うぐっ!?】



鼻に強烈な臭いが差し込んだ。なんだ!?

臭いの本は次から次へとフルプレートの騎士たちが何かを町から外へと運び出してきた物であった。それを乱暴に打ち捨てると、騎士たちはまた町の中へと戻っていく。作業のように延々と繰り返している。人の目から隠すように大量に布が掛けられていたのが気になった。凄まじい腐乱臭の正体は一体何なのだろうか?



「《なに運んできてんだよ。もしかして瘴気て粉瘤みたいに凄まじい悪臭を放つものなのか?確かにそれだと取り除かないとやべー……》」



少し考えればわかる事だった。浅慮というほかない。結局本当の意味で我は今の状況を理解していなかったのだ。

みんながどうしてここまで必死だったのか、我は身をもって知ることとなった。

ぺらりと軽い気持ちで捲った布の先には地獄が広がっていた。

人の身体がまるでシャボン玉みたいに膨らんで弾けていた。他に形容出来なかった。手足が折れ曲がり、臓器がはみ出ていて、元の原型なんて欠片も残っていなくて、もうそれは一目で手の施しようがないことは分かって。それで……。

かつて人間だったナニカと目が合ってしまい、動けなかった。呼吸ができなかった。だけど視覚から送られてくる情報だけが脳みそに徐々にこびりついていくのだけが分かった。多分、本当に、一生忘れる事が出来ない映像



「キズになるわよ」



姫が布を落とす。姫と目を合わせてそこで初めて息が出来た。

さっきまでの金縛りが嘘みたいに解けたので辺りを見渡す。この運び込まれたものが全部死体なのだとしたら、一体どれだけの人がこんな死に方をしたのだろう



「酷いわよね。人間が瘴気に侵されると、こんな風に死にます。死に様は最悪、でもまだです。これからなんです」



その言葉だけでもう胸がキュっと絞めつけられた。

町の中へと入っていくと魔導師たちに指示を飛ばしている獣人の魔導師がいた。近付くと敬礼した後に口を開いた



「団長来てたんですね。魔導団以下100名と応援に来た近隣の騎士団2千人で現在は対応しております。」



「ウルリヒ、状況説明を」



ウルリヒ。そう呼ばれた獣人の男は即座に答える。



「最上位魔獣ラミアの子ハルペイアの影響で瘴気が発生したもよう。死者は現在判明しているだけで人と亜人合わせて453名。処理が終わり次第順次運び出しています。

行方不明者は715名。隔離が済んでいる生存者は約900名ほどですが、その中で既に基準値を超えている者が300名程います。

又想定以上に汚染区域の広がりが速いです。隔離が間に合っていません。」



どうやら外に運ばれた死体は何らかの確認や処理が終わって問題無いと判断されて出されたようであった。そして我が今立っているこの場所はまだ確認が終わっていない死体が不法投棄されたゴミか何かみたいに無造作に転がっていた。

生存者は結界で隔離された避難所に閉じ込められていた。危険だからとウルリヒさんが言っていた気がする。この悲鳴と怒号が混ぜ合わさった叫びを聴いていられなくて、耳を塞ぐ。



「缶詰め幾つ持ってきてる?」



「用意出来てるのは50ほどです。とても足りませんよ」 



こっそりと花ちゃんが我に耳打ちをした。瘴気は体内の魔力と混ざりながら人体を駆け巡ると。だからフリーズと云われる魔法術式を内蔵した缶詰めと呼ばれる姫が開発した魔導具が有効だと。

それを使えば、使用者の肉体時間を永遠に保存できる。

解決策が見つかるその時まで、SFの世界で見られる冷凍保存という言葉が頭によぎった。



「ウルリヒ班は住民全員の侵食負荷の基準値調査。超えてる人たちの中で低い順から缶詰めに保存します。

レオン班は行方不明者の捜索に当たりなさい。

モニカ班はその他班と連携して封鎖領域の必要拡大。本殿にも連絡して人手回してもらって」



「雪先輩。自分が他所の区まで走って隔離の話つけてきます」



「任せました」



その返事を聞くや花ちゃんは脇目も振らず全力で駈け直ぐに姿を消した。



「団長。保存できない人たちはどうしますか?」



「……決まってるわ。いつも通りにやる」



いつも通りに何をするのか。それを言葉にするまでもなく、我には分かってしまった。胃から何かが逆流しそうになる。



「貴女の事を知っています!お願いします!妹を!妹をどうか助けてください!」



どこからか若い獣人の男の子が小さい女の子を抱えて姫の前まで飛び込んできた。男の子の目は片方が変色していた。でもそれ以上に小さな女の子の身体は変異をし始めていた。身体が発する魔力なんて酷くドブのように澱んでいた。



「お前、順番を」



「やめなさい」



ウルリヒの言葉を遮って、姫が近くの魔導師を1人呼んだ。魔導師は瘴気を検査する魔導具を手に持っていたのでそれを使用した。全身をスキャンして無機質に完了の音が鳴った



「……男は12%ですがこっちは侵食値39%です。変異直前だ。これでは 」



「な、治せるんですよね?魔導師様たちは凄いから!俺知ってるんです!」



ガタガタと歯を震わせながら男の子の縋るような言葉を姫は冷たく振り解いた



「現代魔法で人体の瘴気の侵食を治す手段はありません」



「じ、じゃあ妹はどうなるんですか!?」



「……」



チラリと姫はウルリヒを見るがその顔は険しい



「31%の時点で50人を超えてます。39%なんてとてもじゃないが」



姫は少しだけ、目を伏せて、そして静かに息を吐いた。男の子にとって望ましくない答えだということは、聞く前から分かりきっていた



「こ、こいつはまだ5歳なんです」



「だから1人じゃまだ狩りもできなくて、なのに将来は俺より凄い狩人になるって息巻いていて」



「ごめんなさい」



「あ、この間迷子になっていた子を助けてあげたんだ!凄い良いことしたんだ!良い人は救われるんでしょう?」



「ごめんなさい」



「〜〜っ!!あんた凄い魔導師じゃねえのか!何とかしてくれよ!俺に出来ることなら何だってするから!」



「ごめんなさい。」



「あああぁぁぁあああ!!!謝るなぁぁ!!」



耐えられなくて癇癪を起こした男の子は懐に隠し持っていた短刀を姫の首筋に深々と刺した。姫はあえて受けたようだった。

そしてその短刀は姫の首に突き刺さり、そのまま呆気なくへし折れてしまった。姫の表皮を氷が覆っていたせいだ。



「何をやっているか!!」



男の子は即座に激昂したウルリヒによって悲しいほど容易く地面に組み伏せられていた。



「はなせぇぇぇ!妹に何かしたらお前ら全員殺してやる!絶対に!絶対に!!殺してやるぞ!!!」



男の子の咆哮のような叫び。そして全身の骨が軋むほど力を入れている。だがあるのは絶対に覆らない力の差であった

姫が少しだけ悲しそうに言葉を述べ始めた。



「……瘴気は15%以下なら肉体の自浄作用により少しずつ消えていきます。とは言っても完全になくなりはしませんが、殆ど問題ない範囲と言えるでしょう。つまり君は大丈夫です。今のところは」



「20%を超えたら自浄作用が作用しなくなり、緩やかに進行していきます。ですから20年以内には確実に魔獣化若しくは死亡します。そして30%を超えたら、加速度的に進行が早くなります。外部に瘴気を洩らして周囲の汚染も始まります。貴方の目も妹さんの影響を受けた結果です。

40%からは手遅れです。肉体に分かりやすく変化が起こり始めます。血の黒血化や意識混濁と肉体の膨張。人間は変異に耐えられずほぼ確実にここで死にます。

ですが亜人は人間よりも肉体が強いのでそうもいかない。変異にも耐えるのも珍しくない。

その行き着く先が50%の魔獣化と呼ばれるものです。

自意識は無いに等しい。ただ欲求に従って生きる怪物になるんです。つまり食欲という根源的な欲求」



「妹さんをそんな怪物にしてもいいのですか?」



姫の理屈はきっと正しいのだろう。でもそれはこの子が求めている答えでは断じてない。今この場において正しい言葉は人を救わないのだから。

男の子がかけて欲しいのは肩を叩かれて"大丈夫。助かるよ"そんな魔法の言葉だ。



正論で感情を無視して納得できる人なんてきっといないのだ。それがどんなに間違っていようとも



「お願いします。父ちゃんと母ちゃんが死んで俺にはこいつしかいないんです。俺から妹を取り上げないでください

お願いします。お願いします。お願いします」



周りを見渡す。そこかしらで阿鼻叫喚の懇願があった。これはきっとありふれた悲劇なのだろう。そう思った瞬間、世界が急に色褪せた



「魔導師だからってこんな横暴が赦されるか!」「ふざけんじゃねえぞ」「でてけー!でてけー!」



徐々に溜まった不穏な空気が波となって人間と亜人に伝播してそこから突然不満となって爆発した。魔導師たちと民衆たちによる衝突が始まり、暴動となるのにさして時間はかからなかったように思う。

これだけの数による衝突。きっと両方に死傷者が出るはずだ。助けに来たはずの魔導師たちがなぜこんなことになるのだろうか……

騎士団たちが武器を使って、瞬く間に暴動を鎮圧していく。




「あ 40%超えた」



女の子をスキャンしていた魔導師が暴動に数分目を奪われており気付くのが遅くなる。そして男の子は残酷な現実を突きつけられることとなった



少女は穴という穴から黒い液体を垂れ流していた。



「●●●●」



数値が上がっていく。45%となった所で女の子の身体が大きく跳ね上がった。ベキボキバキと身体から鳴ってはいけない音がかき鳴らされている。

女の子の手足が身長の倍以上に伸びる。蟲みたいに。爪がガリガリと地面を抉るほど伸び、黒い血が人体を覆っていく。パキパキと血は硬質化して、甲殻類の皮膚の様に変わっていく。49%人体が異形の怪物へと変貌した。



「キ、キーム?」



唯一の肉親である兄の問いかけに妹はゆっくりと顔を向けた



「オニイチャン」



その返事に兄は嬉しそうに応えた。さっきまでの魔導師の言葉はある種の真実だろう。だが自分達の絆は本物であり、奇跡が起きたのだと。そう思ってしまった。そんなことあるわけがないというのに



「あ。ああ!兄ちゃんだ!」



妹はニマリと笑った。花が咲くように。



「トッテモ美味シソウ」



顔が割れた。食虫植物が蟲を食べる時に口でも開く様に。大きく。パックリと。

50%。もうそこに男の子が知っている妹などこの世の何処にもいなかった。



そこから先の事はもう語る必要もないだろう。

魔獣は即座に魔導師と騎士団に処分されて、基準値を超えて低い順から缶詰めに保存されて後は処分された。

反対の声は無かった。あの姿を見て、自分はああはなりたくないと。死を願ったのだ。生きる事を諦めざるを得なくて。



イルハンク区瘴没事件は翌日のニースの一面を飾った。処分の話や魔獣化した少女の事は一行たりとも書かれてはいなかった。死亡者1300名超え。生存者は僅か500名。イルハンク区の悲劇。要約するとそれだけであった




この話はやるぞって前もってプロットで大まかに決めてましたけど出すのが遅くなりました。構成力が無いからですね、はい

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