04
「言いがかりはよしてくださいませんこと!?」
「黙れ! 調べはついているんだ!!」
帰宅する生徒たちで賑わう校門の前で、強引に手首を引かれたカミラが、抗い切れずにたたらを踏む。剣呑に相手を睨むも、彼女を見下ろす怒りに満ちた目は変わらない。五人の男と相対するカミラの姿に、遠巻きにひそひそと人だかりが出来た。
彼等に守られるように、ひとりの女子生徒が怯えた様子で身を縮めている。彼女の細い手首には白い包帯が巻かれており、俯く青の目には涙の膜が張られていた。震えるグレイスの肩を抱く茶髪の男子生徒が、引き摺り出されたカミラを蔑む目で睨みつける。
彼こそは生徒会長と名高い生徒であり、普段甘い笑顔で女子生徒を魅了している。しかし今の彼には普段の穏やかさなど欠片もなく、ただただ威圧的にカミラを見下していた。
「きみがグレイスを苛めた、カミラ・ブレイディかな?」
「何を仰っていますの?」
「惚けるのは感心しないな。きみの行ってきた非道の数々について、ぼくたち生徒会が把握していないとでも?」
「ですから! 何の話をしてますの!?」
「黙れッ、狡知の女狐が!! 貴様がグレイスに行ったことは傷害だ! 恥を知れ!!」
「はあ……?」
呆気に取られるカミラを置いて、取り巻きのひとりが怒声を上げる。会長が片手で制し、分厚い紙の束を捲った。氷のように冷え切った目でカミラを見下ろし、彼が書面を読み上げる。日時とともに明かされるそれは『嫌がらせ』を逸したもので、私物を隠すから始まったそれは、水を被せる、髪を切る、階段から突き飛ばす等々と詳細を語り、野次馬の生徒たちをざわつかせた。
しかしカミラにとってみれば全く身に覚えのない話ばかりで、何故自分の名前が挙がるのかが理解出来ない。彼女にとってグレイスは『男癖の悪い女』という認識しかなく、関わり合いたくない人物の最上位に君臨していた。
何故わざわざ自分が、そのような嫌がらせを施さねばならないのか。彼女の疑問が一巡する。
「――以上、きみが彼女に行ってきたことの証明だ」
「大した創作ですわね。生徒会長などお辞めになって、作家にでもなられたら如何です?」
「貴様! この期に及んで、そのような口の利き方を!」
「……馬鹿馬鹿しくてお話になりませんわ。何故わたくしが加害者だとお思いですの?」
「グレイスが、何より被害者本人がそう言っている。これ以上の証拠が何処にあるんだい?」
「もう少しまともな言い分はありませんの?」
「これだけの罪状を前に、開き直る気か!?」
嘆息するカミラが、掴まれ赤くなった手首を擦る。痛みに顔を顰める彼女を擁護するものは誰もおらず、五人の男が口々にカミラを責め立てた。聴衆の蔑む視線と潜められた小声に晒され、彼女が屈辱に顔を歪める。
「……何の騒ぎだ」
淡々とした声音が人垣の一角を開く。顔色を真っ青にさせたカミラの弟と、白髪の従者を連れた赤毛の彼は、見世物と化している自身の婚約者の姿に、はてと首を傾げた。
「何をしているんだ?」
「ロイさん! あんた本当、空気読んでください、空気! 何きょっとーんとしてんですか、一大事ですよ!」
「空気に文字でも書いてあるのか?」
「そういうとこっすわ! うちの姉が、……姉さんに限っていじめられてるとかあり得ないと思うんですけど、事故ってるんです!!」
「あなたのその説明が事故ですわ、シャルロット」
呆れた面持ちでため息をつく姉に、シャルロットの肩が過剰に跳ねる。突然の乱入者がカミラの関係者だとわかるや否や、唖然としていた生徒会長が罪状の並んだ紙の束を叩いた。
「そこの彼女が、グレイスに危害を加えたんだ!」
「……それを公然と公表することに、意味はあるのか?」
「はっ! 後ろめたいから、そんなことを言う」
「恥辱を目的としているのか? なら、相手を違えたことを謝罪してもらいたいんだが」
「……きみはこれを見た上で、同じことを口走れるのかな?」
剣呑な声音で生徒会長が書類を突き出す。切れ長の目を涼しく瞬かせたロイが、カミラの隣に立った。彼女の顔を窺うように覗き込み、短く「大事ないか?」尋ねる。初めて与えられた気遣いの言葉に、カミラが琥珀色の目を丸くさせた。即座につっけんどんにそっぽを向いた彼女が、「心配など結構よ」突き放す。ロイが姿勢を戻し、生徒会長まで歩みを進めた。押し付けられた紙の束をぱらぱら捲り、彼が口を開く。
「カミラ、何か心当たりはあるか?」
「ありませんわ。あなたが現を抜かしていたときに、『人の婚約者に手を出すな』と忠告しただけですわ。わたくし、そこまで暇ではありませんの」
「そうか」
「今日だって……ッ、わたくしは早く帰りたいだけですのに!」
「そうだな」
用紙を捲り終わったロイが、無言でそれを突き返す。敵意をむき出しにする五人の男の後ろ側、震えるグレイスへ一瞥をくれた彼が、生徒会長へ視線を戻した。
「これらの事件について、時刻を尋ねたい」
「きみは何を見ていたのかな? ここに記されていただろう?」
「放課後の犯行は、カミラには不可能だ」
「どういう意味だ」
「カミラは犬を飼っている。その犬の元へ一秒でも早く帰りたいため、彼女は授業が終わるや否や、即座に帰宅する」
ぴたりと緊迫していた空気が止まった。唖然とした顔で、生徒会長含む五人の美丈夫が表情を崩す。何を言っているんだ、こいつ。彼等の醸し出す空気に、姉の元へ駆け寄っていたシャルロットが痛ましい顔で天を仰いでいた。ハルが苦笑いを浮かべ、カミラの背を支える。
「……は? 犬? いや、犬は関係ないだろう。真面目に喋ってくれないか?」
「犬だ。僕は真面目に話している」
「ロイ様、『ワンちゃん』ですわ」
「犬は犬だろう」
「犬、などと粗暴な呼び方をされる方に、うちのロビンを会わせるわけには参りませんわ」
「…………わんちゃん」
苦渋の顔でぼそりと呟いたロイに、カミラが握った拳を空へ突き上げた。勝利に満ちたその顔は晴れやかで、輝かしく笑んでいる。突然のガッツポーズに、隣のシャルロットとハルの肩が、大袈裟なまでに跳ねた。
「やりましたわ! あの仏頂面が『わんちゃん』って! あははっ!」
「姉さん!? 気は確かですか!? この状況下で何やらかしてるんです!? しっかりしてください!!」
「何だ? にゃんちゃんに、ぴょんちゃんに、ハムちゃんか?」
「あははは!!」
「姉さんっ、ロイさん!? やめてください! 俺が恥ずかしいです!! 振り切れる方向性を間違えないでください! 帰ってきてください!!」
顔を真っ赤に染めて、泣きそうな声で叫ぶシャルロットに構うことなく、カミラが身を屈めて笑う。ハルに背中を撫でられるも治まらず、その様子に敵対していた彼等が表情をぞっとさせた。じと目のロイが、カミラから生徒会長へ顔を戻す。
「これだけの嫌がらせを行う時間が、カミラにはない」
「茶番から突然話を引き戻さないでくれ。対処に困る」
「何だ? わんちゃんの何がいけない。僕はロビンに会うために必死なんだ。わかれ」
「わからないよ!?」
会長の悲痛な地団駄に構うことなく、独自の時間を生きるロイが、淡々と言葉を重ねていく。
「僕は大体カミラとともに下校する。カミラかシャルロットがいなければ、僕はブレイディ家に入れないからな。ロビンは可愛い。僕の顔を覚えてくれたのか、最近は顔を見ただけで尻尾を振ってくれるようになった」
「犬の話は置かないか?」
「わんちゃんだ」
「必死過ぎるだろう!?」
「僕はいぬっ、わんちゃんと遊びたい!!」
「姉さん、もうわんちゃん縛りやめてあげてください!! ロイさんが哀れです!」
羞恥に震えた顔でシャルロットが姉を説得するが、彼女は腹を抱えてひーひー蹲っていた。ハルがカミラの肩を支えるも、笑い転げる彼女は止まらない。シャルロットの顔色が一層悪くなった。
カミラにとって、愛犬は勿論大事だ。けれども最近は、恋しくて堪らないロイが、ロビンに会うために足繁く彼女の家へ遊びに来てくれる。ともに下校出来ることが何よりも幸いで、彼を独占する時間を一秒でも確保するために、彼女は日々急ぎ足で帰宅していた。
そうとは知らない彼等が、おかしくて堪らない。けれども明言する気も彼女にはない。全く、男の人とは大層な大馬鹿者だ。笑うカミラの目尻に涙が浮かんだ。
「仮に放課後に行えないとして、休憩時間はいくらでもあるだろう!?」
「グレイスは、服が濡れたまま授業を受けたのか?」
「そ、そんなことあるわけないだろう!?」
「ならばいつ水を被ったんだ? 階段からも突き飛ばされたんだろう? そのまま出席したのか?」
会長の指摘をロイが疑問符をつけて返す。反論の主張は調書を裏切ることになるが、彼等も公衆の面前として体裁を保たねばならなかった。会長がシャルロットを指差す。
「カミラに出来なくとも、その弟や取り巻きがいるだろう!!」
「俺ですか!?」
「シャルロットはグレイスから辞書を貰う仲だが、彼女は自分に嫌がらせを行う人物に、物をやるのか?」
「ふん、グレイスは心優しい子だからね!」
「そうか……よくわからんな……」
ならば何故カミラは糾弾されているのだろう? ロイの表情に戸惑いが浮かぶ。彼が首を倒した。
「あと、取り巻きに関してだが、カミラは大体いつもひとりでいる」
「事実ですが、腹の立つ言い方をしないでくださいませんこと?」
「……孤高の狼のような?」
「よし」
「今の何処が良かったんですか!?」
ロイとカミラの応酬に、矢面に出されたばかりのシャルロットが顔面を蒼白にさせる。淡々と、ロイが続けた。
「生憎と、僕はグレイスに何の感情も抱いていない。僕が彼女に関わっていない以上、カミラがグレイスに関与する理由が見つからない」
「そんなもの、どうとでもなるよ。きみこそグレイスを誘惑していた! 違うかい!?」
「何故僕がそんなことをしなければならないんだ」
「最近の彼女は、声をかけてもつれない返事ばかりしていた! 聞けばきみに用があると走り回っている! 何故彼女の声を聞かない!?」
「……一体何の注文だ? 僕が関わらなければ、お前たちはその分グレイスと過ごす時間を得られるだろう?」
「彼女がきみに用があると言っているだろう!」
「僕からはない」
「きみの都合は聞いていない!!」
ひとりが叫んだ憤懣を皮切りに、それぞれが鬱憤を噴火させる。「お前さえいなければ、グレイスは自分を優先させた!」「いいや、俺だ!」「グレイスの誘いを断るなど、良いご身分だな!」吐き出される苦情は痴情のもつれそのものであり、彼等を囲んでいた野次馬たちが困惑の顔を見せた。
どれだけ見目が整っていようとも、ひとりの女性を巡って取り合う姿など、格好がつかない。カミラの話は何処へ消えたんだ? 犬への横道に逸れ続けたカミラの話は、何処へ消えてしまったんだ? 彼等の視線が先ほどまでの渦中へ向けられた。
ようやく笑いの波を引かせたカミラは立ち上がり、大層蔑む顔でこの光景を見ていた。その隣にいるシャルロットは表情を引き攣らせ、「明日は我が身……」呟いていた。
集中砲火を浴びせられている主人の姿に、従者がじりじりと怒りを耐えているが、それに気付いたシャルロットが懸命に腕を広げて柵を作る。処す処す、ハルが唸った。
一方グレイスは、怯えた顔の下でにんまりとほくそ笑んでいた。形は違えど、彼女を巡って男たちが争っている。悪役令嬢の断罪イベントと、同時に起こるこの修羅場イベント。このふたつを成立させることこそが、彼女の狙いだった。
これで隠しキャラが出てくるはず。期待に彼女が胸を膨らませる。彼女の目的は、始めからその『隠しキャラ』に絞られていた。そのために面倒な好感度上げも行った。彼女にとって作業以外の何ものでもないその行為は、全て隠しキャラのための下積みだった。
「……わからないな。僕を攻撃しているその時間を、何故後ろのグレイス本人に使わない?」
「貴様のそのすかした態度が気に入らないんだ!!」
「だったら関わらなければいい。僕はこれで失礼する。じゃあな」
「待て! グレイスに謝罪しろ!!」
「それよりカミラってお嬢さんに謝ろうよー」
唐突に湧いた新たな声に、彼等が一斉に顔を向ける。グレイスの表情が一面喜色に染まった。野次馬の最前列にいたその人は、明るい金の髪の青年で、高貴な衣服を纏っていた。グレイスが彼へ向かって走り出す。
「オズウェル様!!」
「きみたち、こんな大勢の前ではしたないよ? 寄って集ってひとりの女の子苛めるし、今度は男の子苛めてるし」
呆れた声音で腰に手を当てた青年が、グレイスへ一瞥くれることなくロイの前に立つ。伸ばした腕を擦り抜けた後姿に、グレイスが唖然とした。
ぽかんと切れ長の目を瞬かせるロイを背に、青年が幼子を叱る調子で生徒会役員たちへ、めっ! と告げた。生徒会長が口許を引き攣らせ、背の高い彼を睨みつける。
「何処のどなたでしょうか? 部外者の立ち入りは禁止されていますが」
「これは失礼。卒業生のオズウェル・シンビ・ラドルファスと言えば通じるかな? 紋章見る?」
にっこり笑顔でかざされた、襟に輝く金バッジ。竜の刻印の彫られたそれはこの国の紋章であり、ラドルファスは王家の名前だった。野次馬含め、皆が一斉に顔色をなくす。慌てて跪いた生徒会役員等が、冷や汗を掻いた。
「た、大変失礼いたしました! 王子殿下とは露とも知らず……ッ!」
「ああ、いいよーそういうの。それより悪いことしたら、ちゃんとごめんなさいしようね」
「しかしそれは、カミラに非があり……」
「聞き分けの悪い子はいらないかな」
下げた頭の下、ひっと息を呑む。将来の約束されていた生徒会役員等の、安定した未来が潰えた瞬間だった。
それより、と明るく振り返ったオズウェルが、傅くロイの肩を掴んで引き上げる。かつてないほど驚愕に表情を変えた彼へ、弾んだ声音でオズウェルが話しかけた。
「きみはえらいね! ちゃーんと言葉で女の子守ったんだねー!」
「……は?」
「きみみたいな人、すきだなー。ねえ、もっとお話聞かせてよ! お兄さんの家においで!」
「……いえ、……知らない人について行くなと、いわれてますので」
「ぼくはオズウェル。きみは?」
「ロイ……」
「はい、これで知り合い! ほら、行こう? あ、そこのカミラちゃんと、弟くん? だっけ。あと白い髪のお兄さんもおいでー」
明るく飄々とした笑顔で、オズウェルがロイの背中を押す。名指しされたカミラとその弟、そして従者が表情を引き攣らせ、しかしお断りの言葉を吐き出す余裕など持っていなかった。突然の王家との邂逅に震える彼等を押し出すオズウェルを、高い声が呼び止める。
「ま、待ってください! オズウェル様!!」
縋るようなか弱い仕草で、可憐な顔を涙で歪める。そんなグレイスの弱々しい姿を鼻で笑い、オズウェルがその整った表情を柔らかく笑ませた。
「きみのことはお呼びじゃないよ。どうぞそこの彼等と末永くお幸せに」
「そんなっ、何で私じゃないの!? ここは私のはずでしょう!?」
「グレイス!? 一体何を……!?」
「触んなよ! 私はオズウェルが……!!」
駆け出したグレイスの手がオズウェルへ届く前に、彼の護衛によって阻まれる。目の前で掠め取られた積年の思いに、彼女が金切り声を上げた。歩みを止めないオズウェルは、招待した彼等を馬車へ乗せ、ともに乗り込んで走り出してしまう。グレイスが絶叫を上げた。
彼女は前世の頃からオズウェルに執心していた。この世界に生れ落ち、主人公の姿を得たことには、それはそれは歓喜した。きっとこれは、私にオズウェルと幸せになれという天啓だ。彼女はそう信じて疑わなかった。
オズウェルのために何度も踏んだ手順を、彼女が忘れるはずがない。他の七人の攻略対象など、オズウェルのイベントを引き起こすための材料でしかない。彼女が愛していたのは、オズウェルただひとりだった。
ようやくエンディングの先へ行ける。あのスチル絵の先を、この身そのもので体験出来る。そこにはどんな甘い世界が広がっているだろう? どんな優しい声音で囁いてくれるのだろう? 彼女は未来を確信していた。しかし現実はどうだろう?
聞くに堪えない罵詈雑言を上げ、捻じ伏せられた身体を懸命に捩って、グレイスがオズウェルの名を叫ぶ。嗚咽に歪んだそれは可憐なはずの顔を涙と鼻水と泥でぐちゃぐちゃに汚し、それでも護衛兵を罵る。そんな姿に、彼女へ心酔していたはずの彼等が何を思ったのか。誰ひとり彼女へ駆け寄らない現状が物語っている。
彼女の知るシナリオの通りであれば、グレイスを我がものにしようと争う攻略対象を見かね、颯爽と現れたオズウェルが彼女を浚って仲裁する。「こんな大勢の前ではしたないよ?」の台詞は、グレイスを救うためのものだったはずだ。
王城へ案内されたグレイスは、その心根が評価され、オズウェルに見初められる。そこからは男爵令嬢が王妃への階段を駆け上るシンデレラストーリーだ。
何よりオズウェルは飄々とした態度で甘く優しく、彼女を夢中にさせた。今頃あの馬車に乗っているのは、グレイスのはずだ。間違っている、このルートは間違っている。何故この世界には、リセットボタンがないのだろう……! 最早意味を成さない嗚咽を漏らして、グレイスが駄々っ子のように泣きじゃくった。