勇者様だって物申す
「どいつもこいつも! アタシを舐め腐りやがってぇっ!!」
「し、シルヴィ、……落ち着きなよ。他のお客さんに迷惑よっ!」
「んなのが落ち着いてられっかってんだぁっ!! あのバカはアタシなんてどうでもいいんだ……。うわぁぁぁぁぁぁっ!!」
「はぁ……。いきなり来たと思えば自棄酒に付き合わされる私の身にもなってよねぇ。紅葉も別の仕事をしたいからって家を出ちゃったし、オーガ君は相変わらず音信不通だし……」
アタシはシルヴィア。シルヴィア・ディナ・シムル。元は一国のお姫様で、今はいろんな仕事をしながら……とある人を追っかけてる。
元って言うのは、アタシの家が没落したから。正しておくと、アタシやお母さんはほとんど王家からはじき出されて居た。だから王族だからって言われてもあまり実感は無い。まぁ、でもアイツは一応は血の繋がった父親なんだけどね。アイツからは道具くらいにしか思われてなかったと思うけど。
王でありながら国の運営よりも、私腹を肥やす事を優先した父親。金の亡者だった父親が失脚し、お母さんとアタシは急にほっぽり出されたのだ。幸いにして、アタシもその頃には勇者として働き出してたし、父親とは家庭内別居状態だったから、直ぐに踏ん切りもついた。アイツはホントに金と権力にしか興味がなく、婿養子のくせに貴族を上手く用いて、王家の血筋である母には実権を与えず、国王独裁を敷いていたのだ。それもあり、アタシもあのブタ野郎が投獄、処刑されたのには清々してた。処刑の前後、余波を受けてアタシ達も危なかったけれど……。当時の勇者会議の代表さんがお母さんと親友で助けてくれたんだよね。その直後、そういうゴタゴタに疲れ切っていたお母さんは、王政という時代遅れな政治体制から議会政治へ引き継ぎ、実権を放棄して今は孤児院を運営しているしね。
アタシ? いろいろしてるわよ! 小さい頃の夢だった服のデザイナーとか、政治方面のアシスタントとか……。本職? そうね、アタシは今、勇者をしてるわ。幼い頃からその素質が強かった事から、アタシは学力と運動能力と共に高く評価されていた。だから、飛び級して学舎へ入学している。いろいろあって苦労もしたけど……、お節介焼きに助けてもらいながらちゃんと卒業できたし。
そう、そこでアイツに出会ったのだ。今でもポーカーフェイスのすかしたあの野郎に腹は立つ。でも、アイツは人一倍、心の痛みに敏感で、気丈に張って張り詰めた心をよく見ていた。アタシもそれでアイツに惹かれたんだ。彼は……オーガ・アリストクレア。魔弾を操る魔解の鬼。私が愛する……。霊峰の鍛冶師にね。
「にゃんでアラヒがっ! こんにゃに悩まにゃくちゃにゃらにゃいのよっ!」
「そりゃぁそういう人を好きになっちゃったからでしょ? いい加減攻めなきゃ、オーガ君は振り向いてはくれないんだよ?」
「わぁってるわよっ! わかってるのぉっ!! けろ…アイフ……アラヒから逃げるのよ」
「『多分、シルヴィに何かがあるから突き放してるのよねぇ。彼は手先は器用でも人付き合いが不器用だし』」
「ちょっとぉー! にゃんとかいいにゃさいよぉ!」
「あー、はいはい、大変ね。オーガ君が早く振り向いてくれるといいね!」
いろいろあってアイツはいつの間にか王都から居なくなっていた。アタシはアイツがいる高みへ行きたくて……。我武者羅に走ってきたのに。足取りも掴めず、何とか知り合いづてに文通もしてたはずなのに……いつの間にか。アイツからは返って来なくなっていた。
アイツは霧みたいなヤツだ。居るようで居なくて、居るはずなのに捕まらない。なのに、アイツからはアタシを認識できてる。何なのよっ! 人を小馬鹿にしてっ!! 久々に会えてもアタシの事は眼中に無いみたいに袖にしてくる。若い子達に囲まれてデレデレして……。おまけに年増の若作りに振り回されてるのにそれを拒絶しない。なんでアタシだけそうやって突き放すのよ! バカっ! 唐変木っ!!
でも、アイツは優しくて……。毎度毎度、折れそうになる心をアイツ自身の優しさでつなぎ止めてくれちゃうから。諦めきれなくてズルズル来ちゃった。アタシももう27歳になっちゃったし、そろそろ本腰を入れないと……。そうやって居るうちに焦ってアタシは暴発した。今、自分の暴発を何とか切り替えて、千載一遇のチャンスのはずなのに、何やってんのよ……。アタシのバカ!!
そんな訳で今はエウロペ山岳地帯にある小さな街にいる。アタシやアルの同期である公孫樹ちゃんと下町の居酒屋で自棄酒をしていた。年上だけど職務上で部下になる可哀想な公孫樹ちゃんはアタシが無理やり連れ回しているだけなんだけどね。あはは……。
昨晩、アルからの言葉でアタシは逆上し、アルを怒らせてしまった。アタシはアルが危惧しているアタシの弱い部分を、アタシに教えてくれない。それがとても寂しくて、アタシは彼に……アルから教えて欲しかっただけなんだ。でも、アルは教えてくれない。アタシはその態度に無性に腹が立つ。何で教えてくれないの? 教えてもらえなければ改める事さえできないのに。
「うぅ〜……」
「はぁ……。まったく。オーガ君が避けてる理由を聞いたら、この子がどうなるか彼は解るんだろうなぁ。正直にも話せないし、話さないとこの子はこうやって暴発する。どうなる事やら……」
アタシは生まれつき魔力が弱く、他の子ができる簡単な魔法にも躓いた。器用な子達が羨ましくて影で努力して追いついて……。そうやって手に入れた秀才と言う称号。対する様に彼はなんでもできる。腹が立つ事にアルは天才だった。そのクセやりたい事しかしないから、傍目には成績は悪い。勘違いされ易い不器用な所があった。だから、何度となくアタシはアルへ問い詰めた。やればできるのに何でやらないの? とね。
アルから未だにこの答えは聞くことができていない。
……アタシは27歳だけどアルは29歳。この年齢になったら2歳の差なんか大した事は無いんだろうけど。昔は虐められたり大変だった。そんな時もアルは影から助けてくれて居たから。なんでそんな歪んだ優しさをくれるのかと聞きたい。聞きたいけど…聞いたら居なくなっちゃいそうで。今もアタシは自分から振り回す様に彼を捕まえたのに。早くしないといけないのに……。
「ん……んぅ? あ゛〜。あ゛ぁぁ〜。頭、痛い」
へっ? 何で? 最後の記憶は公孫樹ちゃんと別れてぇ……。最後に1人で1軒回って……。あれ? 思い出せない。服がみ、乱れて…る? あ、アタシ、まさか、やっちゃった?
部屋中を見回そうとするが体が動かず、立ち上がろうとしたが頭がガンガンして動けない。この宿は…そういう商売をしている人達が裏で要人の接待に使う場所だ。……でも、人は居ないの? ダメだ。二日酔いで完全に体の感覚が鈍ってしまっていて、頭も働かず訳も解らない。公孫樹ちゃんが助けてくれたならこんな所には居ないはず。となると結論は1つ。アタシ…拉致られた? だんだん状態が回復してきたから解ってきたかも。アタシの身体が動かないもう1つの理由は、特殊な金属で作られた手錠を付けられ、脚も同様。魔法も聖獣も使えない。万事休す…かな?
すると、隣の部屋から誰かが入って来た。体を捻れず、首の可動域ギリギリで見えない位置から、アタシの背後に回ってきた。何をする気? 後頭部に銃口らしき感触、話しかけて来ないから声も解らない。今の状態では何もできないし解らない。キングベッドの裏側からわざわざ回って……。ちょっ! な、何を……。服の中に手を……。ん? 何したの? 何もしてないの?
「はぁ……。お前はホントに手のかかるヤツだな」
「え? ア、アル?!」
「あぁ、道端でお前が寝てたんでね。まともな宿がなかったからこうなったが……気分はどうだい? 飲んだくれさんよぉ」
や、ヤバい。絶対に怒ってる。っていうか、この上なく不機嫌そうな表情してるよ。拳銃をホルスターへしまった彼は手近な椅子に座り、アタシへかなりキツい視線を飛ばしてきている。アルは怒鳴りつけて来るような怒り方をするよりも、今みたいに無言のままでいる方が怒りのレベルは高い。そんな訳でアタシはかなり居心地が悪いし、アルは解放してくれるつもりはないようだ。いつもなら落ち着いていてゆったりした座り方の彼だが、前傾姿勢になり、貧乏揺すりが止まらず、乾いた靴音がアタシを追い詰めていく。怖い……。
怒りがおさまらないらしいアルは、再び拳銃をホルスターから抜いて弄ぶ。アルは確かに優しい人ではあるけど、常時優しい訳じゃない。今のアタシみたいにやらかした人間にはまったく容赦ないのだ。慈悲深くはあるけど、寛容ではないのよ。それに彼のイライラを積み上げた原因のアタシを、易々と解放してくれる程彼はお人好しではない。義務感や倫理感は強い人だけど……。あそこまで怒りを顕にしたアルは久々に見る。
「ア、アルはなんで街に?」
「詫びも礼も出てこなかったか、このアホが」
「ひっ!?」
あ゛っ。地雷踏んだ。もうダメだ。……アタシ、死んだかも。
アルが王都に居た時の評判が悪いのは様々な理由がある。学生時代にも彼は悪い風評があった。まず、喧嘩が強すぎる所。目には目を歯には歯を……。やられたら、やり返すどころかコテンパンに相手を叩き潰したりしていた。学術研究にしても魔法工学、魔導工学などのマイナーでマッドサイエンティストみたいなイメージの定着した学問を専攻していたからだ。もちろん、様々な魔法を習得する意味で基礎魔法から戦術魔法、果ては禁呪、禁術の類まで使える。……らしい。そんなアルはアタシにお仕置きでもするつもりでやってるんだ。まだ、拷問じゃないからマシかな? 本気で怒ってたらやられかねない。
彼からアタシの対抗手段は全て封じられている。ベッドに寝かされて居たから……? そういえばなんでアルだけバスローブなの? ふと疑問に思ったが今ここでアホな事を聞いたら……ダメだ。明るい未来はない。冗談抜きに今のアルは瘴気を放ってる。雑鬼族魔鬼血統は悪魔や魔族と言った類の現れと言われる種族。アルの事は好きだし、この状況だから何をされても文句はないけど。……アル自身が苦しむような形にはしたくない。
「ご、ごめんなさい。反省して……」
「それは何についての謝罪だ? お前は一昨日から俺にはたくさん詫びなきゃならない事をしてるよなぁ?」
「え、えと……その…全部……ひぃっ!」
「飲んだくれが覚えてる訳もないよなぁ? ったく。しばらくそのままでいろ。どうせ、俺の服が乾くまでは出られん」
「え? どうして?」
「お前が俺に向かって嘔吐してくれたからな。飲んだくれの姫様よぉ」
は、はひっ……。ほ、ほんとにごめんあそばせ……。おほほほほほほ…。ブーツだけ脱がされ、アタシの体は拭くことができる範囲だけ拭いて、拘束しといたと言われた。暴れたらしい。まことに申し訳ないです。はい。反省してます。
実はアルの家に寝泊まりできるから、嬉しくて舞い上がっていた。それなのに一昨日言われた言葉は、またもやアタシを拒絶している様に聞こえて胸が痛くて。気が強いようで踏ん切りがつかないアタシは、これまでもずっとこんな感じだった。アタシの上司、暁月さん…………。あのロリババアのせいで、さらにモヤモヤは増える一方。アルの何を知っているのか? ですって? アル自身が話してくれなきゃ解らないに決まってるじゃないの。彼は身の回りの事を詮索されるのを激しく嫌がるんだから。
まだイライラがおさまらないらしく、拳銃を弄ぶのは止まらない。魔法を記録しているマガジン型の媒体を抜いたり刺したり、トリガー周りでクルクル回したり、実弾モード、魔法射撃モード、セーフティーモードを切り替えたり。アタシも落ち着かない。こんなバイオレンスな状態だけど、やっぱり彼と2人きりって言うのは嬉しい。恥ずかしかったり、本心隠しで悪態をついちゃうアタシだけど……。気づいて欲しい。彼がアタシだけを見てくれてるこの瞬間がこの上なく嬉しいのよね。仮に……彼に辱められていたのだとしても。
「何を考えてるのかは知らんが、お前が暴れて吐いた事以外には昨夜は何も起きていないぞ」
「ち、違うわよ!『ひゃぁ……何で解るのよォ!』」
「何が違うんだ? ん? 言ってみ? なぁ、……何をして欲しい?」
あぁ……。ドSスイッチ入ってる。アルには悪癖があるのだ。本人は気づいて居ないけど、必要以上に相手を貶めてしまう事がある。それにアイツは人を甘やかすよりも、苦しめる方が面白いと言った事があったのだ。そういう事件を起こした事はなかったけど、アタシを虐めていたヤツらからの虐めを止めた彼に矛先が向いた時。1ヶ月もせずに彼へ報復的な行動を取ろうとした虐めの主犯格が、自主退学したと言う実話もある。彼を怒らせたら……。でも、怒らせた事でアタシに構ってくれるなら、今はその方がいいかも。
技師として、武器や様々な異能、魔法、戦闘技術から便利な道具という広い範囲を機材などでカバーする彼。そんな彼が私に提案したのは言わばドクターストップだった。別にアタシは勇者を辞めても食べては行ける。政務官や服飾デザイナーの仕事は勇者よりも収入は劣るけれど楽しいし。でも、それではアタシがこれまで勇者を続けてきた理由を全て否定してしまう。貴方と繋がって居たくて。細くて弱い繋がりだったから。縋るようにしがみつき、この繋がりを断ちたくなかったんだ。この前、無理やり貴方を招集したのも……我慢ができなくなったから。貴方に会いたくて。わがままをしてしまった。まぁ、会議の誰も私の出撃を止めなかったけどさ。
「お前が……一昨日に言ったことを頭から否定してくるとは思わなかったよ」
「アタシだって仕事をするなって言われるなんて思わなかったわよ」
「命に関わる事だからな」
「はっ?! 直接?」
「いいや、お前がこのまま出続けてればいずれ気づくであろう物が……お前の命を奪う。俺はそれを弄ることができるからな。だから、俺はお前に近づく事を躊躇っていた。お前が何をしたいのかは解らないが。いずれ、それを使いたいと言い出すと思ってな」
……それを使わなければいい話ではないのか? とアタシは言おうとした。しかし、それも彼は視野に入れていたらしい。アタシは身体が戦闘向きではないのだ。寿命を削る程じゃないけど、あまり飲みすぎるのはよくない魔力増強薬。あれを飲んでいなければあの鎧は造形できない。広域守備をする結界くらいなら薬も使わなくて良いけど。
アタシはこの共和国では……鉄壁城塞と呼ばれ、国防の要とすら言われていた。しかし、最近じゃぁ結界を打ち破る勇者も現れている。強くならなくてはならないんだ。でも、……アタシはこの体では今より強くなれないとアルに断言されてしまった。これが彼がアタシに隠す部分の『1部』らしい。全ては語れないと言われた。なぜなら、アタシ以外にもそういう該当者がいるかららしい。……何のことを言っているのか解る気もする。でも、触ってはいけない気もしたんだ。
「アンタはアタシのためを思って?」
「専属契約をした以上は言わせて……」
「仕事? 仕事だからっ?! アタシは、アンタにとっては仕事の道具でしかないって言うのっ?!」
「どう思うかはお前の勝手だ。俺以外と契約するのもいいだろう。だが、結果は同じだ」
「……教えて、仕事を抜きにしたアタシは、アンタにとっては何なのよ」
「言ったはずだ。どう思うかはお前が思っている様に……」
何故か、アタシの両手を拘束していた手錠が砕けた。怒りが最高潮になり、アタシが無理やり起き上がった瞬間に彼は両目を見開いている。それだけ驚いたんだろう。そんな彼へ向けて平手打ちをかまそうとしたら……。胸の辺りで強い痛みに似た熱の様な物わ感じ、途端にアタシはベッドに突っ伏していた。訳も解らず症状とアイツの不可解な行動を思い返す。アイツっ! こうなる事を解ってたんだ。だから、アタシを黙らせる仕掛けを!
「あ、あ゛んた、な、何を!」
「こうなると思って、先手を取らせてもらった。お前に死なれるのは困るんでな」
「ぐぅ…っ痺れ、てぇ!」
体は思うように動かない。喋るのがやっとのアタシをアイツは起こして椅子に座らせる。 そこからぶちまけられた彼の気持ちをアタシは……受け止めきれなかった。武器の中には危険な武器もある事は既に聞かされている。アタシはそれと相性が良すぎて、他の武器では相性が悪いらしい。でも、その武器を使う事はアタシの体を壊す事に直接つながり、彼がアタシや武器をどれだけ模索しても解決の糸口は無かったのだとも。
アタシの考えが読まれていた。強くなりたいと願うアタシに諸刃の剣を使わせるか迷ったのだと言う。……アタシがこの話を大人しく聞くとも思わなかったともね。なのに、アタシは考えることすらせず、ただ一緒に居たいがために勇者を続け、わざと突き放してくれていた彼に迫ってしまった。途中から脈が早鐘のように鳴り、痺れ以上に血の気が抜けて動かす事さえできなくなっている。確かにアタシがこれを言われたら暴発しただろう。……これだけ手の込んだ拒絶をしてまで抑えてくれていたのに。
「……知りたければ、まだ掘り下げる事はできるぞ?」
「……」
精一杯、首を振った。もう聞きたくない、涙も止まらない。何でもっと早く言ってくれなかったのか……と言う思いと、彼がアタシに言わないと言う選択肢を選ばせてしまったアタシ自身の馬鹿さ加減に。……バカはアタシじゃないか。アルはアタシが自暴自棄をおこしてその手段を使うのではないか、という部分まで危惧していたのだ。たぶん、大人しく話を聞かなかっただろうアタシはこういう話をされたら暴発したはずだ。その先に見えるのはアルの苦悩だった。
……でも、もっと悲しいのは、アタシは所詮は仕事以上の繋がりにはなれないと言う事だ。勇者であるアタシでなければこんな話をしなかったはず。アタシに勇者を辞めろ、闘うなと言わなかったのも彼が今は専属契約を結んでいるから。近くに置いてくれてるのも、今、アタシを保護してくれてるのも……。全てアタシ個人が大切だからと言う理由ではない。アタシのおもりが彼の中では『仕事』やしなくちゃいけない義務なんだ。アルが全てを背負い込むのが嫌なのはアタシもそう。でも、アタシがしてきた無謀を彼は背負い込んでいたんだ。彼の負担を減らすつもりで彼の負担にしかなっていなかった。バカみたい……。
「神通力を使えば、今みたいに魔法学を用いた機材なんか簡単に壊せる。だが、お前は怒りに駆られて暴発した神通力を制御できていない。ただでさえ体を蝕む力を制御できないヤツには使わせられないんだ」
神通力と彼が説明した力は素質で決まる。魔力の様に使う事で強度や体内の一時凍結量が増える物とは違い、一度に体の中を循環させたり放てる量が決まってくる。最大量から下の調整は訓練しだいで可能だが、それ以上を使用、放出する場合は体に多大な負荷を出し、ダメージが回復すること無く蓄積するらしい。アタシはその蓄積に体が耐えきれないのだ。だから、循環以外をさせるのを極端に押さえ込んでいたと彼は言う。今の様に外部に放てば現在の能力体としては最強だが、体はそれに耐えきれない。命を削ってまで使うのは……避けたい力。
アタシは中でも危険な例と言われた。いつの間に調べたのか知らないが、アタシの体は神通力を放出する事は愚か、体内での循環を加速させる事もかなり危険な事らしい。体の耐久性が低すぎ、神通力のエネルギー体を多量に体に貯蓄しているだけで使えないのだとか。それを放出するための間口が少なすぎ、それを効果的に利用するのには不向き。神通力は体内で無形のエネルギー波として血管を軸に隅々まで循環している。アタシは血液を貯蓄、生産している脾臓ではなく……心臓に類を見ない程膨大な量を溜め込んでいて、大半が循環せず眠っている状態らしい。……血脈や体循環に密接な関係をもつ無形のエネルギー波。その神通力がアタシの体の中で急激に動き出せば、心臓や太い血管、臓器の破損、破裂や摩耗にも直結し、最悪の場合…………アタシは死に至ると。
「さっき、仕込んだのは過剰速循環を防ぐ為のセンサーと、抑え込む為の麻痺機構だったんだ。だが、お前の神通力強度が異常な程に高いから1発で壊れちまったんだよ」
常人なら一生の間、体の中に残っているような物らしい。それをたった1回の加速循環で破壊した。……と言うことになる。アタシが体質として貧血や目眩を起こしやすいのはこの辺りに理由があると彼は言う。
そして、彼はアタシに近づいてきた。体が動かず、拒否もできない。……思わず目を瞑ってしまい、その感触でさらに脈が加速する。唇に柔らかい感触。彼が離れた後に彼が唇を拭うとバスローブにはアタシが付けてたルージュの跡が残っていた。突然の事に驚き、狼狽えているが彼はアタシへ冷たく、悲哀の色が深い視線を向けてくる。そして、動ける様になり始めたアタシへ背を向けて話し出す。少し苦しそうな彼の声。アタシは…小さな怒りを心に燃やしていた。気もないキスなんてしないで欲しい。何でアタシをそこまでして構うのかと。
こんな事ならいっその事殺してくれた方が楽だ。アタシだって辛いわよ。アタシをずっと助けてくれてた彼。
アタシはお母さんには負担をかけたくなかったから。虚勢を張って強気に見せて……。でも、アタシは強くないんだ。見栄や虚勢を張って耐えているだけで、アタシ自身は脆いのよ。孤独が怖くて、誰かに縋りたいけど…そんな人は居なくて。アタシは最初は解らなかった。彼が武器をプレゼントしてくれたり、虐めから救ってくれていたのだと。アタシだけを彼は救っていた訳では無いから、アタシはその他大勢の1人だったんだろうけど。アタシから見たアンタは違うんだっ! 孤独で弱っちいガキのアタシを唯一救ってくれた人。アタシの憧れで……誰にも譲りたくない人なんだっ!
「はぁ……はぁ……」
何で? 何でアンタが苦しそうなのよ。苦しいのはアタシよ! どうしたらいいっての? どちらにしろ生殺しじゃない。アンタはアタシの物にはならず、ずっと遠巻きに見てるだけ。アタシをどうしたいの?
? ……と言うか。何でアンタが苦しそうなの? アンタは何もしてないじゃない。息まで上がって、青ざめて……。何で? アタシが何かしたの?
「常人なら……神通力の神通力密度じゃ流動だけでこうなるんだよ」
「ど、どういう事?」
「これで、お前は1回だけ生き延びる事ができる」
「え? 何で? どういう事っ?! 解る様に説明しなさいよっ!!」
「お前が解って居ないようだから。教えてやるってんだよ。シルヴィア、お前が力を超過した時……俺は死ぬ」
「……は? な、なんて事!」
縛心の呪いと呼ばれる古代の呪いだ。古い時代、まだ土地の開拓や商売も小規模な時代に生きていた呪い。土地を守護する王や戦士を生きながらえさせる為に、生贄として定めた者へしかける呪いだ。対象者が急変したり死期を迎えようとすると、呪いをかけた術者の力量に応じ、生贄から命が奪われ、対象者へ与えられると言う禁呪だ。そもそも、古代の禁呪なんて使える人間が限られる。そんな呪いを容易く……。
アタシの体の中で動き出した神通力のエネルギー体が負荷をかけているらしい。彼の命や体を担保として、アタシは1度の絶命をなかった事にできる。でも、それでは彼が……。
「その禁呪は俺にしか外せない。お前が思ってる事なんて容易く解るんだよ。お前が気づかないなら、俺が死ぬまで俺に縛られてろ。……シルヴィア」
彼はそう言ってから着替えを済ませ、アタシの身なりを整えさせてから一緒に出ていく。しかし、アタシが送られたのは冒険者ギルドだ。エウロペ山岳支部庁舎の貴賓室に入れられる。彼は待っていろと言った後に帰っては来なかった。
少ししてから公孫樹ちゃんが現れ、仕事の関係上この場では他人行儀に言伝と手配されていた馬車の案内をしてくれた。アタシが妙に大人しいのに何かを感じ取っているらしい。でも、口を開かずに見送りまでしてくれた。この馬車がどこに行くのかは解らない。アタシの荷物も全て乗せてあるから……王都かな? 何だろう。こんな事になってるのに何人もいる別人みたいな自分に嫌気がさしていた。彼からしてくれた……。その唇の感触に酔っている情けない自分。やり方はかなり重たいのに、彼がアタシを縛ってくれた。アタシが……彼を独占してる。……こんな狂った状態で喜んだ自分が穢らわしい。最後に感じたのは胸に穴が空いたような、無力感と虚脱感。アタシは何に気づけばいいの? アタシはアンタの道具。アンタの自己満足で生かされるお人形なのよね? 彼が鍛冶師であるが故に仕事としてしか……アタシは相手にはされない。
「何で、いつもこうなっちゃうの? もぅ、嫌」
荷物の中には見慣れない箱が入っていた。彼の出身は王都ではなく、大和と呼ばれた地域だ。そこには香り高い樹木が育つ山があり、その木で作られた精巧な造りのオルゴールだった。彼が贈り物に使う特徴的な刻印がされ、聞き覚えのある優しい曲が流れている。でも、今のアタシには何も感じられない。ネジを巻かなくても音が鳴り続ける魔法工学の特殊加工が施されたオルゴール。疲れちゃったなぁ。
馬車に揺られて2日。いつの間にやら王都に入っていた。気力が起きなくて、ずっとボーッとしながらいたせいか時間の感覚も無い。ただ、解るのは虚しいって事だけだった。アイツがアタシを押し込めたい理由。それが何なのか、解らない。王都の家に帰ると、母が待っていた。いつもならこの時間帯は孤児院に居るのに……何でだろぅ。フラフラと母の元へ行くと母からもたらされたのは……。平手打ちだった。
「えっ?」
「どこに行くとも言わずにいつまでも家に帰らないで!! 何かあったらどうする気だったの?!」
「あ、うん。アルのとこに居たの。ごめんなさい」
「ちょっと、シルヴィア? 顔が青いけど……シルヴィア? しっかりしなさい! シルヴィア!!」
アタシが目覚めたのはそれから数日してからだった。アタシの体に何が起きたのかは解らなかったけれど、医者からは絶対安静を指示され、母の家で療養させられている。今は母が創立した孤児院で手伝いをしながら気ままにデザイナー業をしていた。暁月さんに連絡し、アタシは勇者会議も欠席している。別に大きな戦も無いし、体が最優先だからゆっくり休む様にと言われた。
母の孤児院は元々は教会だった場所を改築、増設していて結構な規模がある。この国は比較的裕福ではあるけれど、貧富の差が大きく孤児や難民は多い。だから、やる事も多いからアタシと同年代の若いシスターや母の年代のシスター達と力を合わせて働いているのだ。アタシは創立者の娘と言うことと、勇者シルヴィアと言うネームバリューで直ぐに溶け込んだ。ただ、気持ちの面や体調が不安定なアタシを皆が心配してくれる。……これがただの恋煩いなんて言えないなぁ。
忙しいから忘れかけていた。そんな中、暁月さんが直接話がしたいと言うので、アタシは母に断ってから時兎の館へと赴いた。本当ならば彼女がこちらへ来たかったらしいのだけど、少しばかり問題を抱えていて、できれば来て欲しいとの事だった。
「お久しぶり、シルヴィアちゃん。少し痩せたわね」
「お久しぶりです。暁月さん」
「ふーん。オグ君が言ってたのはこういう事」
「……」
「惚けても無駄よ。物凄く複雑な呪いねぇ。かけたのはオグ君みたいだし。戦術魔法は彼の得意技だものね。ねぇ、それを解いて欲しい?」
気味の悪い笑顔で微笑みかけてくる暁月さん。座布団にちょこんと座るこの人が40代なんて信じられない。ツヤツヤで真っ白な髪に大きな金色の瞳。小さく可愛らしい手足なのに……何で胸はあるのよ。たぶん、アタシよりあるし……。
何をふっかけてもアタシが黙っている事が気に入らないらしく、暁月さんは深くため息をついた。この人はいつも笑顔でいるイメージがアタシにはある。会議の時も、他の職務の時もね。……あの時もそうだった。アタシが彼を愛していると言った時、彼女はアタシの首元へ刀を突きつけて来たのだ。そして、あの気持ち悪いくらい屈託の無い笑顔を崩さず、彼女はこう言った。「シルヴィアちゃんが今のままじゃオグ君は救われないよねぇ」と。アタシが変わらないとアルはずっと迷い続けてしまうとね。
お茶を飲みながら正座を崩し、湯呑を座卓に置いて縁側に歩いて行く。アタシに背を向けながら暁月さんはつまらなそうにしていた。だんだんとイライラしてきたのかな? あの笑顔のまま、傷心と知りながらアタシを痛めつける様に…心無い言葉を突きつけ続ける。暁月さんはさらに気味の悪い笑顔を見せてきた。
「ホントに、貴女はわがままよねぇ」
「何を…仰りたいんですか?」
「貴女はオグ君が呪いで貴女を縛ったと思ってるのよね? 傍から聞いただけだから、私もそう感じたわよ。でも、よく考えてみなさいな。彼には何のメリットもない。おまけに彼は呪いを受けた。自分から……何の為に?」
「……」
「彼が動けない事も理解していない様だし、彼を理解する事…深みにハマって拒絶されるのを恐れてる。違うかしら?」
しゃがみこんでアタシの目の前に詰め寄って来た暁月さん。今度は笑って居ない。怒ってる。でも、アタシは今、何も感じられない。アルがアタシを道具としか思ってないと解ってしまったから。アタシのお母さんに助けられたとか、エレの事での恩義を義務にすり替えてるだけ。アタシ個人の事なんかこれっぽっちも見てくれていないんだ。アタシは今でも彼を愛している。その感情が捨てきれない自分が嫌で嫌でしょうがないのだ
情けなくて、悔しくて。アタシは弱いから。アルに縋ってた。何であんな事するのよ。反発はしたかもしれない。でも、そこまでしなくても考えは改めたわよ。暁月さんは同じ説明をずっと繰り返してくれた。アタシの体質や彼が何故その呪いをアタシに施したのかまでね。そして、アタシが知らない部分に突入した。アルが隠していて、アタシにそうさせたく無いから強力な呪いをしかけたのだ。アルが隠す、アタシの知らない部分を。
「オグ君が何で貴女をそうするか解らないようね。……馬鹿じゃないのかしら。大切じゃなかったら自分の命までかけないわよ。彼は……昔事故を起こしているの。その時に2人の犠牲者が出たわ」
当時、学舎を卒業してすぐの頃、彼のお爺様と暁月さんのお母様が亡くなった。それに関わっていたのだ。当時の彼は技師よりも研究者に近い人でとある機構の研究をしていたのだという。もちろん、おじいさんの工房と両立しながらであった。彼はその機構の解析中に事故を起こしたらしい。
その機構の名は魔装。
魔装は人の心に強く反応してしまう。何故急にその魔装がアルを取り込もうとしたのか解ってはいない。悲劇はまだ続いた。その時にアルのお爺様が彼を庇い魔装に取り込まれてしまったという。事件の対処に当たったのが暁月さんのお母様で7代目時兎の弦月様、アルのお祖母様であるブロッサム様だったのだ。結果的に弦月様とアルのお爺様が亡くなり、ブロッサム様も程なくして出撃を控えつつ、第一線を退いた。魔装。危険な武器や防具の一種。……アタシに適し、アタシが使う事で取り込まれかねないのが魔装と言うことになる。
「彼は今も魔装の研究を続けているわ。私や先生に…責任を感じてね。それからなのよ。彼は自分の両手で守れる物以外は手を出さないと……言い出したのは」
「……」
「彼は貴女が彼の守備範囲から飛び出したと判断したのよ。貴女が大切じゃないなら、命を張ってまで貴女に気づかせようとはしないわ。それに貴女は人の事を言えないわよ?」
「どういう事ですか? 私には解りかねます」
「何が怖くて彼にぶつかるのが怖いのか知らないけれどね。そんな不毛な事をしてるなら……貴女の思いを彼にぶつけて玉砕する方が彼の負担にはならないわよ? それから、彼に会いに行くなら気をつけなさいね」
アタシが時兎の館から出て門扉へ差し掛かった辺りで暁月さんが追いかけてきた。走る姿を見てもホントに小さな女の子にしか見えないのに……あの胸さえ無ければ! 何かに躓いたのか裾を踏んだのか、転びそうになっても体を翻す。凄い反射神経だ。羽が風で舞うように空中へ飛び上がり、アタシの目の前へ音も無く着地する。そして、背中のリュックサックから分厚い革で作られている手帳の様な物を取り出し、押し付ける様に手渡してきた。中身は何……? お見合いの要項? 別にお見合いをしようとは思わないんだけども。暁月さんは二マーっと笑いながら押し付けて、受けとったアタシへもう一度振り返り、再びアクロバットして玄関に戻る。
遠くから叫ぶ様に声をかけ、アタシへ手を振っていた。だから、お見合いには行く気がないんですよ。何をしていても頭の中から彼を消せない。どうしたらいいんだろう。アタシには解らない。王都の中心街から外れた山間。桜と呼ばれる樹木が森を作る場所。その中にある時兎の館からゆっくり歩きだし、アタシの家に向かう。受け取っちゃったし、行かなきゃなぁ。上司からのお見合いの勧めなんて、自分に関係するとは思わなかった。
家に着くと、やはり母が居た。何か手紙を持っている。手紙の宛名はアタシ? お母さんが既に開けてたけど……。お母さんは何故か嬉しそう。えぇ? 何で? アタシが受け取り、中身を読もうとすると……。
「アンタももう27だものねぇ。いいじゃない。お見合い!」
「え?! い、ぃや、うけるとは……」
お母さんの表情が急激に険しくなる。アタシが勇者をしてあちこちに出向いたり、政務官の事務所に泊まり込んだりするのには理由がある。お母さんが結婚に失敗しているからか、お母さんはアタシの結婚相手にかなり拘っているらしい。でも、アタシは仕事が楽しいし、アルをずっと追いかけてきた。だからその素振りを微塵も見せていない。だから、お母さんと顔を合わせにくかったのだ。別にこれまで浮いた話がなかった訳じゃ無い。けれど、どうしても頭をよぎるアイツの顔が邪魔をするんだ。対するアルはアタシに執着している素振りはない。気持ちを捨てきれないのはアタシの方だ。彼と出会えた学舎での時間は、それまでの灰色の時間とは打って変わって色鮮やかだった。
アルが居なかったらアタシは今の立場には居なかったと思う。もしかしたら早々に政略結婚させられて、父親の処刑と同時に処刑されていたかもしれなかったのだ。でも、今、アタシはここにいる。お母さんもアルの事は知ってるし、アルが悪いヤツじゃないって認識だ。むしろ、気味が悪いくらいお母さんはアルを気に入ってるし……。今、アタシの悩みがアイツであっても叱られるのはアタシなのかなぁ。誰もアタシの味方が居ないじゃない。
「はぁ……。アンタがアリストクレア君を連れてきた時は心踊ったのにねぇ。彼とはもぅなんにもないの?」
「うん、ないよ」
「嘘はおよしなさい。アンタが即答する時はだいたい迷ってる時なんだから。まだ、未練があるんじゃないかしら?」
「アタシに未練があってもアルが……」
「ふーん。アンタらしくもない」
「え?」
「気持ち悪いからそんなに辛気臭い顔すんのはやめなっ!! アタシの娘なんだから。バカが頭使っても仕方ないよ! 精一杯やってみな!」
お母さんはかなり大雑把な人だ。豪快と言うか……。細やかな配慮とか取り持ち、仲裁事が嫌いで、王位を継ぐと言う場面で婿養子を選ぶ様な人だからね。その責任も感じたのか、お母さんは政権を議会へ渡して今は一市民。政治には口を出さない。でも、お母さんはまだ影響力がある。たまに助言を求めて位の高い政務官が訪ねて来たりするからだ。豪快だからこその怖気づかない展開判断は神がかっているんだよ。アタシもそちらを受け継ぐ事ができていればよかったんだけど……。
アタシはウジウジする。踏ん切りを付けるのに時間がかかる癖に、よく暴発して酷く後悔するんだ。おまけに問題に直面すると、それ以外が見れなくなってしまう。客観的に物事を見れなくなってしまうのだ。アタシが実際の政治に参加しないのも、その辺を気にしてるからである。母はアタシの頭を掴みこねくり回しながら……ブロッサム様に助けられた時の事をまた話してくれた。……もう一度だけ、アタシも自分の気持ちだけを信じてみよう。他の要素を鑑みて複合できないなら、アタシの気持ちだけを考えなくちゃ。
「ねぇ、お母さん」
「なんだい?」
「昔みたいに、髪、切ってくれない?」
「……解ったよ!」
願掛けして伸ばした髪。アタシは少し癖がある髪質で、ウェーブがかかっているから美容院とかに行くと褒められた。しっかりした艶の強い髪と言われるが、特に特別な手入れなんかしていない。昔はお母さんに切ってもらってたくらいだからだ。
アタシが子供の頃、既に国は財政難だった。父親はそんな事には目もくれず、増税や賄賂で私腹を肥やしていたけど。……それもあり国内外の情勢や風評も色々大変だったらしいのだ。それでも諸外国の高官は今でも母に手紙をくれるらしい。家とか血筋、王族と言えどもお母さんは贅沢をしないし、王宮には住んで居なかったからね。アタシが言っていた家庭内別居とはこういう事だ。名ばかりの王妃と皮肉りながら自分の稼ぎでアタシを養ってくれたんだ。そんな事もあり、懐かしくてちょっと恥ずかしかった。……肩甲骨くらいまで伸ばしていた髪をバッサリ切ってショートヘアにしてもらう。
お母さんも「そこまで短くするの?」……とちょっと驚いていた。アタシは心機一転しなくちゃいけない。アルはアタシがどこまでも迷走し続けたのを見捨てないでいてくれた。アタシが……最悪の結果を選ばない様に、少しづつ導いてくれていたんだ。そんな彼があんなふうに無茶をしなくちゃ行けないような展開を選んだのはアタシ。だから、責任持って終わらせなくちゃならない。足枷になるばかりのアタシじゃぁダメなんだ。彼にアタシの気持ちを伝えて……。彼に謝って……。お別れを言わなくちゃ。
「それで……何故、暁月さんが私の付き添いなんですか? もう、いい大人ですし、1人でも」
「そりゃー私が取り付けたお見合いだもの! 建前ではあるけれど、責任は果たさなくちゃ」
「そうですか……」
「心配しなくても私は貴女の職場での姿しか相手方には語らないから」
別にそこは心配していないけど……。どうせ断るお見合いだし。相手が誰なのかも知らず、聞かされずある程度のプロフィールしか知らない。王都の王立学舎分校の出身、勇者の資格も持っていて、最近ランクを更新。勇者と兼業で何かの要職に着く事が期待されてる人らしい。最近の更新って事はそれ程高いランクじゃないはずだ。それに勇者と兼業って事は親にコネがあってお金や人脈に恵まれた人かな? 総合すると…どこかの官僚の子息だろうなぁ。まぁ、相手方が乗り気でも適当にその場の空気に合わせておいて、残念ながら……みたいな流れを作ればいいだけだし。
場所は先日訪れた暁月さんの館。離があり、そこを会場にしたらしい。早めに来るように言われ、館に通されたアタシ。何故早めにと言われたかはすぐに解った。メイクや何かは一応してきたけど、白色の和服を着付けられて待機室に入れられている。かなり豪華な物でとある工房に特注で作らせたものらしい。素材は絹と、アタシを意味する銀をあしらった物。とても美しい模様に猫であろう刺繍と所々に王家の紋章が縫い込まれている。和服に合わせた追加のお化粧や髪の手入れは暁月さんがしてくれた。少し前にバッサリ切った為、髪飾りが限られてしまいつまらないと言っている。アタシは知らないわよ。そんな事。やりたいなら貴女の娘にしてあげればいいじゃないですか!
「それにちゃんと忠告は守って来たみたいだしね」
「え?」
「ほら、相手方の付添の方がおみえだわ」
仕事の関係でご本人の到着が遅れているらしい。使用人さんが開き、招き入れた人は……まさかのオーガス・ブロッサム様。目を見開くアタシに1度ため息混じりの挨拶をすると、暁月さんと共に別室へ行ってしまった。着慣れない着物、アタシは王都の生まれだから大和の文化はよく知らない。正座に慣れず、足が痺れてきた。いつになったら来るんだろうか。深まるモヤモヤだけど一応、遅れるとの連絡を受けている為に待つ。たぶんそれ程時間は経って居ないのだけど、こういうのは時間が長く感じられる。
縁側の方から足音が聞こえてきた。一礼して入ってきた人を見た瞬間に……アタシは凍りついて、呼吸がままならない。そんな衝撃を受けたのだ。心の準備をさせない間合いでの急な展開にアタシ自身が負けている。驚きすぎて変な顔をしているだろうアタシ。一言、遅刻を詫びてから彼は対面する様に座り、声もかけずに何かを考えている様だ。そして、最初に出た言葉は……。
「髪、切ってしまったんだな」
「べ、別にいいじゃない。アタシの勝手でしょ?」
「そうだな。あれからしょぼくれていたと聞いたが、体調はもう大丈夫なのか?」
一気に自分の中で煮え滾る物を感じた。自分が撒いた種でしょ? アンタが気にするような事じゃないじゃない! せっかく暁月さんにしてもらったお化粧だけど、もう崩れちゃうだろうなぁ。涙が止まらない。止まらなのよ。止めたいのに! 何で、アンタがこんなに早く。
でも、何でだろぅ。今更こんな感情が出てくるなんて……。彼が入ってきた瞬間に溢れ出てきた。あんなに酷い事されたのに、遠巻きにされたのにさ。こうやって会えただけで嬉しくて。でも、すぐに会えなくなるのが悲しくて。……こんなやり方しか選ばない彼に腹が立つ。いろんな涙が流れてる。表情1つ変えない彼にやっとの思いで……笑顔を作れた。絶対に酷い顔してるはず。声も震えてる。ちゃんと言いたいのに。その為に気持ちを切り替えたはずなのに……。
アル……やっぱりアタシはダメだ。弱いから期待しちゃう。貴方がまた拾い上げてくれて……。アタシを…貴方の物にしてくれるんじゃないかって。だから、……。アタシは!
「アル……」
「なんだ?」
「ずっと、ずっと言いたかった。これまで、助けてくれて……ありがとうございます。アタシは…………貴方の事が………………好きです」
「ふぅ……」
「貴方がアタシの為にしてくれてた事に尽く反発しても、アタシをこれ以上危険な目に遭わせない様に手を回してくれてた事。アタシ、バカだから、気づけなかった。ただ、貴方の隣に居たくて。……こんなわがままな女をずっと面倒見ててくれて、ありがとう。今日で……もぅ、おしまいだから。さよぅ……」
「そんな今更な謝罪なんか要らねぇんだよ」
ため息をつき、アタシの方に怒りを込めたキツい視線を向けてきた。彼の人差し指から何かの魔法を意味する式陣が開かれ、アタシの胸辺りで爆ぜて消えた。キラキラと式陣の欠片が散らばり、彼は近づいて来ようと立ち上がる。咄嗟に立ち上がって逃げようとしたのに……足が痺れて動けず、後退りしながら襖にぶつかった。
彼の左手がアタシの首に触れ、次は顎に指を当てる。少し引き上げられたと思ったら……今度はこの前のとは違うキス。とても深くて、濃くて、蕩ける様なそれなのに体の中から熱くなる様な感覚。必死に腕を突いてアルを押し飛ばそうとしたけど。勝てる訳が無い。雑鬼は戦を生業にしてきた種族。対するアタシは絶滅すら危ぶまれる本来ならば何の力を持たない非力な人。突いていた手も次第に痺れて来て、今じゃ畳の上に落ちてしまった。力が入らない。彼の背中に手を回したかったのに……。こんな程度で…嬉しすぎて。アタシ、ホントにバカだなぁ。おまけにチョロいし。
「ホントにお前はバカだな」
「にゃっ?! にゃんにゃのよ!」
「お前、縛心の呪いを知ってんのに何で呪いの特性を知らないんだ?」
「え?」
アルに抱き抱えられ、縁側に座らせてもらい話を聞いた。縛心の呪いは……普通に考えるなら、生贄に定められた人、術者、対象者の以上の3名が必要だ。加えて生贄には条件が必要らしい。なぜなら、なんの素質も無いような人間を生贄にしても対象者の延命は極僅かだからだ。魔力やその他のポテンシャルを総合し、生命エネルギーの溢れた物が神通力と定義される。縛心の呪いは生命エネルギーを神通力に変換し、搾り出しながら生きている間にゆっくりと対象者へ定着させる呪いだからだ。その延命に必要な生命エネルギー量は言わずもがな魔力や能力が強い人間が多く持ち合わせる。
それ以外にも問題はある。縛心の呪いは必要な魔力が膨大すぎた。今ならば魔法の解析と回路化が進んだ為、必要な魔力もかなり削減されている。それでも並の術者ではなかなか成功しない。いろいろ理由はあるらしいが……あの呪いは行程が複雑すぎる事や、回路化されても詠唱や対価を必要とする。そんな面倒な魔法を古代の高位術者でもおいそれとはできない。そうなれば良質であり、なおかつ対象者を慕っていた人間が対象になるのだ。
「術者本人、しかも側近級の高位術者が行わなければ意味を成さない術だったんだよ」
「で、でも! アルは何で……」
「ここまで言わせといてまだ掘り下げるか? 構わないが……」
当時の国家規模や術者の立場を考えれば、1人の人間を生かす為にそれだけの高位術者を失うのは手痛い。いくら規範や法が王の一手に与えられた時代とはいえ、人間に感情がなかった訳ではない。当時の文化でもあまり使われた例が無いのはそれが理由だ。記されている文献が技術書や魔導書の様に、行程や構造のみと言うのが一般的だ。伝文書や古文書、史記、日誌の類は見つかる事さえ希だ。だから、長い歴史の中で、使ってはならない禁呪として封印された。それにこういう話をされると、使われた者がどんな気持ちの末に死んだかは想像もつかない。
今回、アルはアタシへこの術をしかけた。それはアタシの性格や人間性を観察して出した苦肉の策だったのだと。突き放したり、遠巻きにしておけばいずれは疎遠になる。そうなればアタシが魔装や危険な術に犯されたり、無用な知識源が無くなると踏んだらしい。しかし、アタシは彼を忘れる事は愚か恋焦がれ……自分で言うと恥ずかしいなぁ。……う゛う゛んっ! アルとの接点をまた作ってしまった。彼の思惑を無視したアタシだが、縛心の呪いをしかけたら、アルが担保になっている以上は絶対に無理をしない。そのことをアルは確信していて、リスクが高い事を二の次に手段として投じたのだ。
「俺は本当ならば誰かを縛ったり縛られたりするのは嫌いだ。だが、縛らなければ死に急ぐヤツを止めるには、同じ対価しか無いと思った。過激なやり方で負担をかけてしまった事については謝る。このとおりだ。だが、……俺にだって相応の気持ちがなきゃこの呪いをかけようとは思わなかった。……ましてや成功しないんだよ」
縛心の呪いとこの術が呼ばれるのは……。対象者を心で縛る術と言われたからだ。アルも別の研究を進めるうちに見つけたこの物語。自らが死すとも、愛した者をこの世に留める。愛と表現されては居るけど……重すぎでしょ。縛心の呪いは魔装研究に必要不可欠な物で、彼はその為に古文書や文献を読み解いたと言う。彼が大嫌いな重くて暗いタイプの物らしく、気分は最悪だったらしい。シチュエーション的には古代王朝の王妃が夫である皇帝にしかけた物だったのだとか……。その後、悲しみに暮れた皇帝の狂った行動が災禍をもたらし、沢山の禁呪や魔装を産んだと言うのが本編と言う。重いなぁ……。でも、魔装は縛心の呪いが原因で生まれたんだ。へぇ……。
ん? ちょっと待って? じゃ、じゃ、じゃぁ! じゃぁ! 最後にアンタが言ったあの言葉って……。素直に言えなかっただけで、ぷ、プロポーズ?! アタシが無茶をしない様に自分が首輪になってアタシを縛る。アタシをアンタの物に……するって事だったの?! 察する事ができなくて……言わせちゃったね。
「そこまでは考えて言ってないが、お前を守る事以外は考えていなかったのは事実だ。お前に惚れてたのは…確かだよ。誰かさんのせいで回りくどく言わねーといけなかったがな」
「ぐぬぅ……」
「俺が遠巻きにしなくちゃならない中で、これだけアピールしてたのに気づかないからなぁ」
「うぅぅ……」
「どっかの誰かさんは説明しても暴発しちまうからな。まともな考えを回してくれなかったからよぉ。そのせいでこんなに回りくど…」
黙れ!!
…………………………。いったぁぃ……。前歯。当たってぇ。嫌味ったらしく言わなくたっていいじゃない。暁月さんが施してくれたお化粧は特殊な物らしく、涙やキス程度ではくずれなかった。アルも口を抑えた後にアタシへ視線を返してくる。そして、指で額を弾かれた。……すっごく久しぶりにアルの笑顔を見た気がする。
すると、暁月さんとブロッサム様が連れ立って現れた。今思えば凄い光景よねぇ。一代前の1位と今代の1位が一緒に歩いているもんなぁ。ブロッサム様は苦笑いしながらアルをからかっているのかアタシをからかっているのか……。暁月さんは少し複雑な表情だけど通達があると言いながら、部屋に押し込まれた。アルも座りを正している。黒い服装だけど、いつもの作業着ではない。
「お若い2人に後は……と言いたい所なんだがね。アタシらにも言わなくちゃいけない事があるんだよ。特にシルヴィア」
「それでは業務的な事情から……シルヴィアちゃん。貴女を当面の出撃任務から除外します。事情はアリストクレア君から聞いていますのでね。そして、貴女の階級権限を一時凍結し、アリストクレア君の補佐勇者として働いてもらい、会議からも一時除名いたします」
「……」
そういう事だったんだ。アタシの事情を暁月さんが細やかに知ってたのはアルが伝えて、案を明示していたからなんだ。それだけではなく、彼の研究にはアタシの体質や異能が必要になる事が示唆された。その為にアタシとアルを仲直りさせておく必要があったのだ。心紅もアルを好いていたみたいだから、暁月さんは複雑なんだろうな。そして、実力を振るえず闘えないアタシは、会議に席を残す事はできない。一時凍結や除名ですら暁月さんが無理に押し切ってくれた処置だろう。
アルはあまりいい表情はしていない。でも、暁月さんから2つ目の説明があった。彼の研究に協力するという建前でなければ、アタシの勇者としての資格すら危うかったらしい。でも、アルはアタシを巻き込みたくなかったのだから。彼は本意ではないらしい。
「そんでアタシからは家の事だ。シルヴィア、アンタはアルの嫁になるつもりなんだな?」
「え、あ、その……」
「あんだけ盛っといて何を言ってんだぃ! もう三十路にもなろうかって行き遅れ共が……」
「そ、それは……」
「アタシの息子からだ。アルが結婚する気がない様だから言わなかったらしいがね。嫁を取るなら家名も継がせるし、襲名も改めてさせるとの事だ」
ひっ…酷い! アタシだって好きでこんなじゃ……。
アタシの言葉を完全に叩き潰してから、ブロッサム様はアルに語った。……2人にはそのまま「あとは好きにしろ」と言われて取り残されている。アルに告白して、アルの事を考えていた。確かに、アタシは王家の最後の血筋だけど……。今更家の事を気にできる様な立場でもないし。アルがいいならその方向へ向けてけばいいと思っている。そんなアタシに向けてアルが不思議そうに視線を向けていた。アタシがモジモジしてアルに遠慮しているのが新鮮らしい。
「ふぅ、成り行きみたいになっちまったから言ってなかったな」
「へっ?! にゃ、にゃにおっ?」
「お前、焦るとそんな風になるんだな。……気を取り直して。シルヴィア、俺と結婚してくれるか? いろいろと至らないと思う。だが、これから精一杯お前の為に働いてやる」
「……う、うん。アタシなんかでいいなら」
「お前が控えめだと気味悪いな」
こんな時まで……。このドS! アルは笑いながら体を預けていたアタシの肩を抱いてくれた。……アタシも気を取り直して、アルにキスをする。今度は前歯も当たらなかったし成功かな? 明日からいろいろ大変だ。




