祭事は極めて忙しい
弟達やワシが様々に詰め、魔解が早急に執り行った海神神社の近代化改修工事。これはこの為にあったのだ。ワシと公孫樹の婚儀当日。儀式的な要素がとても濃い我が国の婚儀は、全ての日程を最低でも3日は取る。その為、多忙な夜桜勇者塾の皆は予定合わせが難航し、中日になる今日に集まってもらった。
通例として、1日目は両家の家族が皆で集まり、会食を行う。懇親会の様な物だな。公孫樹の家族は大変な大所帯となる為、椿様の娘子……つまりは公孫樹の妹達のみが参加となった。ワシの立場や相手方の立場も考えると本当ならば彼女らの夫も呼ぶべきだ。だが、彼らの職務や日程調整、公務もあり、どうやっても皆は来られない。それならばと皆に話を通し、椿様のご家族が代表として来てくださった形だ。
本来であれば、我が家の長がするべきだったが……。母も父も他界しておる為、会を開く際に椿様に挨拶もお願いする形となった。形式的な司会進行はワシの弟、白槍が務める。
「本日は両家御一同、お忙しいながらおいでくださいまして、ありがとうございます。我が兄と公孫樹様とのご婚礼の儀、このわたくし水研 白槍が進行役を務めさせて頂きます。それでは……両家の代表としまして椿様、ご挨拶をお願い致します」
「この度は……」
それにしても公孫樹の家族は多い。お母上の椿様、……長女の公孫樹、次女の向日葵、三女の蕣、四女の蒲公英、五女の楓となっておる。正直、すぐには覚えられん。この後、六女から十二女と続き、最後は紅葉だ。どの娘子も椿様によく似ておる。ダメだ。中には双子、似すぎており区別がつかなんだりする者などがおる。ワシにはどうやっても公孫樹と紅葉以外の11人の名が覚えきれぬ。
「申し訳ございません……」
「いえいえーっ! お気になさらずぅ。何年経っても覚えられない人は覚えられないので。私達はもう慣れっ子ですよ」
「ですが、親類の名を覚えるのは……」
「おにーさん律儀なんだねぇ。お姉ちゃんはいい人捕まえたよ。むふふっ! ちなみに私はだーれだ!」
「……」
「ちょっと、楓ちゃん? 太刀海を困らせないで」
対する我が家は少数だ。椿様の家とは対照的に嫁まで呼んでも2桁は行かぬ。ワシらは次男夫婦の白槍と妻の華箕。三男夫婦の赤八と妻の甲虎。まだ、婚儀こそ済んでは居らぬが、既に当人同士はそういう関係の潮音と赤羽。華やかな宴会となったのは良い事なのだが、まこと女子の多い会食よ。ワシら男の居る場の狭さと言ったら……。職務上で神社へ赴く機会のある白槍は大丈夫そうだ。…が、女人に苦手意識が強いらしい赤八は人見知りで固まっておるしな。いつもの不躾な態度はどこに置いてきた? そして、この事実には一瞬寒気を感じた。公孫樹の家族は椿様を含め、皆が酒乱持ちらしい。誰一人として酒類には口はつけなんだ。椿様からの強いご指示らしい。それが良い……本当に。
そして、2日目。前日の深夜まであれだけ騒いだにも関わらず、ケロッとしておる女子達。恐ろしい……。だが、ワシもへばってはおられん。2日目は……この国の婚儀におけるワシらの見せ場だ。特に、ワシと公孫樹には通常の婚儀には無い特別な要素と演出が加わるからな。準備にもそれなりの金が要るし、時間もかかった。それで参列者が楽しめるならば、よいのだがね。今頃の女子達は神社にて、公孫樹の傍に居るのだろう。白無垢に身を包み、いつもよりも飾られている公孫樹に集まり、騒いでいるのが目に浮かぶわ。
ワシか? ワシらは都にある政務府を出発し、白槍、赤八、赤羽と練り歩いておる。これから様々な場所へ挨拶回りをしながら、魔解率いる勇者塾の男衆を引き連れ公孫樹を迎えに行く。この行列は儀式である為、国の主要道を練り歩き、祝いの品を様々な立場の代表方から頂きながら進むのだ。白槍は白装束となり、ワシの右横へ。赤羽は黒装束をまといワシの左側へ。国を導いた初代水研の武勇談の再現だ。我が家に伝わる物だよ。ワシも白槍の時は黒装束をした。赤八は船を模した荷車を引く男衆の船頭役として歩き、魔解はその後ろを牛を御しながら進む。……魔界が似合わなすぎるのは、言わぬ事にしよう。
「お姉ちゃん、すっごく綺麗っ!」
「ありがとう、蕣ちゃん」
「やっとお姉ちゃんも結婚したんだねぇ!」
「太刀海お義兄さんもすごく真面目でいい人みたいだし」
「そうねぇ、あとは紅葉ちゃんかしら」
「蒲公英ちゃん? 言っとくけど私は相手は決まってたもの。ずっと迎えに来てくれなかっただけよ。それからお母様。紅葉にも彼は居るんですよ? 皆に知らせてないだけで」
「おっ、お姉ちゃんっ!!」
「まったく……お前はいつまでも根に持ちおって……。前にも誓ったし、こうやって迎えに来たであろう?」
その場に居た公孫樹の家族と我が家の嫁衆の色めきに合わせ、ワシが公孫樹の目の前に跪く。この儀式は普通の婚儀にもある。夫となる男は嫁子をもらい受ける為、相手方のご家族に挨拶をしに向かうのだ。普通の婚儀であればこの様に仰々しくはなく、祝いの席らしい柔らかな物だ。しかし、ワシも公孫樹も立場ある存在。だから、ワシはこの海神神社へ公孫樹を迎えに来たのだ。普通の婚儀であれば嫁子の家に赴くだけになるが、公孫樹は前の巫女である香潮様が認めた後継。巫女とは本人が呼ばせぬが紛れもない神社の代表だ。その婚儀となれば神社とて無関係ではない。
ん? 巫女が伴侶を持つのか……だと? 当たり前だ。血を繋ぐ為、巫女も婚儀を執り行う。これまでの通例では、海神神社を代表する巫女は、婚儀の際もこの奥殿から出ぬ。しかし、公孫樹は巫女の立場をさらに民衆へ近くした。民衆に寄り添う為、長きに渡り風習と秘密を守り続けた奥殿の扉を開いたのだ。巫女と武家の婚儀。加えて国外より迎えられた新たなる代表と、前体制を排した新たな当主の門出。以前と形が同じでは締まらぬからな。
神聖な場である神社には畜獣を入れる事はできぬ。その為、公孫樹を抱き上げ、長い石段の下に構えてくれている魔解の車に乗せる。ワシはその隣を歩き、我らが家に向かうのだ。公孫樹も少々赤らんだ顔を隠すような素振りを見せたが、街道に溢れた民衆が呼びかける声に応えている。この歩みは新たな我が家に向かっていた。本当ならば以前の水研の館の方が利便はいいのだが、ワシや公孫樹に強い思いがあり魔解に頼み込んでいたのだ。神社と首都の中間地点。都からも交通の便がよく、民が集まりやすい場所だ。様々な我儘を聞いてもらい、ワシらは小高い山の上に新居を構えた。
魔解には最初は合理的ではないと言葉で全否定された。だが、ワシらの熱意に負けたのか数日する頃には魔解が指揮を取り、これでもかと言う邸宅と大規模な医療施設を作り上げてくれたのだ。しっかりと力作を建ててくれる辺りに、やつの律儀さを滲ませる。しかも、ワシらが頼んではおらぬが、魔弟にも力を借り、様々な魔法近代設備を設置。これらの全てを『貸し』と言う言葉を残して費用を一切受け取らん。やつのこの性格は明らかに戦鬼様譲りであるな。
「公孫樹よ。これから、ここがワシらの家になる。様々な事がこれからあるだろう。ワシと共に歩んでくれ」
「当たり前じゃない。私に任せなさいよっ!」
明朝から昼間をほとんど潰した儀式的な婚儀。夕方に入るがこの後はもちろん明日の昼まで宴会だ。それはそれは盛大にっ! ……と民衆は言うのだが、ワシらはそうはさせなかった。
今は国を再興させる為、ワシらとて国民であるから協力せねばならぬ。これまでの文化を踏襲するだけならば、民衆から贈られる祝いの品による宴会となる。だが、それは受け取らないと先に通告していたのだよ。この通達に残念がる老齢の民も多かったが、ワシらには今よりも皆がこの先を笑顔で居て欲しいのだ。もちろん、今も現状に合わせた最前を尽くす。
わしも含め、これからは皆が一様に大変な時を歩む。この日はワシらの門出であり、ワシらが海の国と共に歩み出す日だ。その為の英気を民に養ってもらいたい。よって、ワシらの私財を用い、民衆を饗す事に決めていたのだ。魔解が民衆を鎮め、ワシが挨拶と共に説いたこの演説は大いに湧いたよ。ワシらは皆が居たからこの日を迎えられたのだ。国をこれまで見放さなかった皆が居たからワシらは今ここに居る。その皆で歩めば、再興はそう遠くないはずだ。
「本当にお前は人が良すぎるぞ。まぁ、それがお前なんだろうがな。太刀海」
「お主とて似たり寄ったりではないか。知っておるぞ? 隠れて長屋作りに混じっておったのをな」
「仕事合間で暇だっただけだ。あっちに帰る余裕もないからな」
……実はこの祝いの為、ワシや民に隠れて三日三晩を働き通した馬鹿者が2人居た。赤八は姿が見えぬと思えば、遠洋に出て魚釣り、魚突きにと駆けずり回った。そんな赤八は危険で無謀極まりないと、ワシから大目玉を食らったにも関わらず、楽しげに海の幸をやつの妻と共に調理する。これがこの弟のまた面白い所よ。白槍はその赤八に気づき、負けじと行動を起こしたと言う。山の民達に教えを受け、様々な山の幸を取りに歩き回ってうたらしい。もちろん、調理にはその妻である華箕がついた。華箕は料理上手であり、白槍は手伝っておる。本当に弟達には世話になりっぱなしだ。
この様に急な持ち込みで振る舞う者は、もちろんやつらだけではない。突如として2頭の源龍が巨大な荷物を吊り下げながら広場へと降り立った時、さすがに肝を冷やした。隣国の火の国からの代表として、龍姫のお二人が挨拶に来てくださったのだ。龍姫姉妹からは火の国の体制が変わった事もあり、国家間の友好の印として。ワシらとの個人的な友好、婚儀の祝いの品として。様々な肉料理が提供されている。お二人の手際の良い料理は見た事もない見た目。だが、これがまた美味いのだ。
ワシらは本来ならば米が主食なのだが、田畑が全滅に近い今それは使えぬ。それを憂いた戦鬼様と銀嬢。その農業支援と食糧支援の為、フォーチュナリー共和国から、銀嬢を介した支援が行われていた。もちろん、民はとても喜んだ。
……ワシとて本当は祝いの品を受け取りたかった。ワシへ直接祝いの言葉をくれた民達の心遣いは有難かったのだよ。だが、ワシには民が立ち直り、平穏を迎える為、できることはせねばならぬのでな。海の国はこれから新体制を迎える。大名制を排し、新たな政治体制を作るのだ。苦難の道になろう。ワシ1人ではできぬだろう。そんな時に助け合える国を作りたいのだ。
「どうであった? 皆の衆。海の国の婚儀は」
「儀式に偏り過ぎだ。生産性に欠ける」
「アルっ! 公孫樹ちゃんはとっても綺麗だったし、太刀海だってイケてたじゃない! 素直にそう言ってあげなさいよ」
「ふむ、やはり古き文化は良い。人の熱を肌で感じられる。アタシは好きだよ。早く、アンタらがこの国を盛りたてるのを見たいねぇ」
「はっ、有り難き幸せ……必ずやっ!」
「その前に、アンタらの子を早く見せなよ? 最初に抱くのはアタシだからね?」
「あっ! 先生! 狡いです! お姉ちゃんの子達だから、私も抱っこしたいんですからね!」
ワシらは日を離さずに龍車で隊列を組み、フォーチュナリー共和国の王都へ向かっていた。
以前の銀嬢と魔解の婚儀の際、公孫樹が修道院の院長に言われておった事が関わる。例の修道院にて、ささやかな身内の婚儀を取ろうと言う訳だ。これを企画したのは時兎の母娘である。ワシらの正式な婚儀の日に外せぬ公務があり、参加できなんだ事をとても残念がっていたのだと……。それで企画してしまう行動力は尊敬に値する。あの親子はほんに祭が好きだのぅ。子兎のお父上である城鬼様からこのお話を伺った。ご家族の代表で参加されては居たが、やはり妻と娘が来れなかった事で思う所があったらしい。この方は八代目様と娘子を溺愛しておる故……。
長距離を移動すると改めて感じるが、我が国は小国で国土はそれほど広くない。比較にならぬ程にこのフォーチュナリー共和国という大国の国土は広いな。龍車の台数の問題と龍車を引く地龍の頭数から、ワシと公孫樹、魔解と銀嬢が組みとなった。
魔解はしきりに海の国の復興をフォーチュナリー共和国の産業と結びつけたがる。それもあり、ワシと魔解は兼ねてより話していた復興案を膨らませておるのだ。海の国は近隣国への農産物や海産物の輸出で潤っていた。農地が肥え、山々の恵みや美しい海に恵まれておるからだ。しかし、今後は様々な事に目を向けねばならぬ。農業や漁業だけでは今回の様な事態に対応できぬからな。今の我が国だけでできることには限界があろうが、他国と協力する事の重要性はより一層際立った。家臣団はもちろん、諸侯はワシの留学経験を利用する事に肯定的になっている。この風潮は諸侯の嫡男を国外へ留学させ、見聞を広めるのに追い風となった。併せてワシも協力を仰ぐ為、フォーチュナリー共和国や火の国へ働きかけねばならん。上手く働かせるのはワシの手腕にかかっておるが、幸いにして様々なツテをワシは持っておる。我が国の弱点である軽・重工業方面や魔法工学など。それらに詳しい魔解も案は立ててくれるからな。魔解との友好はとても強い。戦鬼様は言うまでもなく。今はワシの妻である公孫樹もそう。魔解の嫁である銀嬢は、かの大国の中では有望な若手政務官であるしな。
「以前にもお主に話したように、海の国は海を生かした工業や輸送業に強みを見いだせるだろう」
「ふむ、やはりそうとるよなぁ。しかし、造船技術や遠洋航海、海軍省などの要素が十分ではないんだろう?」
「故にそなたら技師や知識人の力を借りたいのだ。その分の見返りはワシが保証する」
「口約束は構わないが、そんなに調子よく行くのかねぇ。まぁ、やらなきゃ始まらん。俺が触れられる部分は協力しよう。日程や調整は任せた」
魔解も嫁も新婚生活が落ち着き始め、徐々に各々の仕事に打ち込み始めたらしい。その名声はワシの耳にも届いておるのだ。この友好を国家間の外交と取られるならば、気は引けるが銀嬢の肩を借りざるをえん。本当は魔解の嫁子に頼るのは気が引けたのだ。だが、仕方がない。双方に立場がある故な。
ん、……嫁、嫁か。隣では知ってか知らずか、嫁衆が気楽な話をしておる。だが、ワシには国の再興と同じ程度にその嫁にも問題を抱えておるのだ。こやつ、腹に子が居ると言うのに、一向に休みもせぬ。気ままに働いておるとは言うが、公孫樹は要領がよく仕事ができすぎるのだ。銀嬢の持っていた事務処理をしていた公孫樹。かの国での政務に関わる物はもはや触れないが、服飾業や関連した団体の物はまだまだ続けるつもりである。それに加えて新たに巫女の仕事、ワシが開業予定の医療機関の事務作業などもするというのだからな。医者の身としては適度な気分転換や運動ならば必要だと言えるが、さすがに過密な職務を今はさせられぬ。しかし、前例もある。強く出れば噛みつかれる故……。この場では魔解や銀嬢も居るから、あまり滅多な事は言うものでは無いか。
「なぁ、公孫樹」
「何? オーガ君」
「仕事はいいが、今は体を休めたらどうだ? ミュラーに聞いたが、連日休まず仕事をしているらしいじゃないか」
「えっ?! ホントにっ?! 公孫樹ちゃん……。お腹に赤ちゃんいるんでしょ? アタシの仕事が負担になってるの? 他の人に頼めるから……」
「あ、あはははは。大丈夫だから。どっちかと言うと、何かしてないと落ち着かなくて」
「まぁ、俺は構わんが。お前が倒れたら国の事を投げ出して、お前に付きっきりになる医者が隣に居るからな。程々にしとけよ?」
魔解を睨みつけた公孫樹。しかし、何の気なしにワシを見たのだろう。その瞬間にギョッとしたかと思えば小さくなった。まずい、表情に出ていたらしい。魔解の嫌味は的確だ。あまりに図星を突きすぎる為、時に再起不能に陥れる時もあるがな。ただ、こやつは落として上げる。ハッキリとした忠告をするだけでなく、必ず解決に繋がるような物事の要点をさりげなく伝えるからだ。
公孫樹はその後、銀嬢から激しくつつき回されていた。銀嬢はワシらの中では1番年下で、公孫樹とは5歳の差がある。公孫樹からしたら妹みたいなものなのだろうな。その銀嬢が仕事を減らすなどと言うから慌てふためいておる。この眺めを見ておると思い出す。学舎時代が懐かしい。
戦鬼様の使役する地龍の頑張りにより、予定よりかなり早く王都へ入る。それまでに銀嬢や公孫樹、もちろん魔解の意見を交えた産業の開拓草案が形になっていた。嫁、もう1人、魔解の嫁だな。銀嬢は態度や話し方から阿呆と勘違いされるが、学位成績はそれなりによい成績を示していた。それに留まらずやつにはとても強い人間としての資質が溢れ出ておるのだ。ワシには無い輝きと言おうかな。人を引きつける才気に満ちておる。お母上もそうであるが、やはりこれが王の器なのだろうな。まこと羨ましのぅ。ワシはその才気が羨ましいわい。
「おっかえりぃーー! 皆ぁぁ!! 私寂しかったよぉぉ……。お? あぁ、あ、せせせ、せ、先生、お、おっ! おかえりなさいませっ!」
「あぁ、ただいま。暁月よ。それで準備はできておるのか?」
「はぃっ! できてま……あいだだだだっ! アイアンクローは! アイアンクローはやめてくだしゃいぃぃっ! 顔が、顔の原型がぁぁぁぁっ!!」
「まったく、都合も尋ねる前から矢継ぎ早に予定を組みよって……」
「なぁ、ばーちゃんは暇なんだろ?」
「まぁ、暇ではあるがな」
あれが今世で最も偉大な巫女……。『絶対の巫女』と呼ばれる人なのだな……。複雑な気持ちだ。それを見る公孫樹や銀嬢は冷や汗が出ておる。しかし、他の者は皆がその娘子である子兎に目を止めていた。母が母であるなら娘も娘と言う訳だな。20歳に至るまで何も受け継いでおらんかった娘の技量ではない。潮音は遠くを見るように子兎を見ていた。膨大な神通力を持ち合わせるあの娘。武器を介してでは制御できない子兎だが、規模の大きな調律器となれば話が別らしい。巨大な振り子時計の様な外観だが、あの調律器は……時間すら歪める程に強力な加護を合わせている。時兎の血筋にのみ扱える究極の神器なのだな。
あれと時兎家、戦鬼様がいらっしゃる故、この国に攻め入る者は居らんのだ。過去に牙を向いた国々は尽く敗れた。そう考えれば、我が父の愚かしさよ。何も解っていなかったのだな。井の中の蛙大海を知らず……ここに極まれりだ。巨大な振り子時計を模した神器。地脈や空脈を調整する機材。神海大人の討伐に際し、魔解があれの簡易的な物を使っていたらしい。
……何っ?! 子兎に魔弟が近づいていく。調律中の術者に近寄るのは危険すぎる。ワシが止めようとするが魔解すら動かぬ。そして、子兎の耳がピクンっと動き、祈る様な体勢から立ち上がった。取り越し苦労……か。
やはり、女神族は不思議な種族よ。普段は幼子の様な姿なのだが、力の使い方の加減で大人びた容姿になる。今の子兎は年齢に相応しい姿だ。魔弟が近づき声をかけた事を嬉しそうに返しておる。やはり、そういう関係か。
「っ! この気配は……ニニ?」
「お疲れさん、心紅。その調子なら俺の調整にも慣れたんだな」
「ニニ、ありがと。あっ! 公孫樹先生と太刀海先生の結婚式はどうだった?」
魔弟の目の前に歩み寄る過程でだんだんと小さくなり、頭一つ子兎の方が小さくなる。後ろで手を組み、上目遣いに魔弟を見つめる子兎。あやつら、呼称まで変えていたか。まぁ、ワシは捏ねくり回すような野暮ではない。ここは触れずに流そう。
八代目様に白槍と赤八が妻を傍に付け、改まった挨拶をしていた。確かにな。時兎の母娘方はお忙しくしていたからか、しっかりとしたご挨拶はできていなかったのだろう。八代目様も丁寧な挨拶をすると、魚人族……女性は人魚族と呼ばれるが。2人の嫁を観察しだした。体内の氣を見ておられる。そして、八代目様が2人の原種を当てた。なかなか当たらないからだろうが2人共驚いている。
白槍の原種はヤリイカだ。その妻である華箕はハナミノカサゴ。赤八はマダコ。その妻の甲虎はトラジャコだ。実は、嫁衆は2人共闘わせればとても強い。華箕は人魚にしては体は弱いが、特異体質らしく体で精製した強力な毒を持つ上、短刀の猛者。綺麗な花には毒があるのだよ。甲虎は可愛らしい手足に似合わず、あの手足から繰り出される突きと蹴りは硬い岩盤すら容易く砕く。有事でもなければ出る事はないが、頼もしい嫁達だよ。言ったであろう? 海の国の女は強いのだ。……態度も気質もな。そうそう、言い忘れたがワシ、太刀海はタチウオの魚人。潮音は……ホホジロザメの人魚だ。
「よくぞおいでくださいました。私はこの『時の神殿』に仕える最高位神官、名を暁月と申します。幾度となくお伺いはしておりましたが、直接のご挨拶が遅れた非礼、お詫び致します」
「こちらこそ、多大な恩義の中、ご挨拶は愚かお礼すら出来ず、申し訳ございません。わたくし共は八代目様のご助力により、今があります。わたくし達の国の危機を救って頂き誠にありがとうございます……」
華箕が丁寧な挨拶を述べる内に、この様な場所が苦手な赤八と甲虎を雷虎が案内がてら連れ出したらしい。確かに機材に触られて壊されたらば、たまったものではないからな。
八代目様から神殿はつまらないだろうといわれ、まずは時兎の館へと全員を招待して下さった。館に近づくに連れ数を増やす木々。淡い桃色の花が美しく、舞い散る風吹はなお心を癒す。桜を初めて見る皆はその美しさに感服している。一部の者は情緒の無い発言をしておるが、気にしたら負けだ。触らんでおこう。? いや、……八代目様、要らぬ冗談はお辞め下さい。馬鹿が我が国で間違った知識を広めます故。ゔゔん……。八代目様が語る事には、ここは常春の庭と呼ばれる常に春の陽気に包まれた土地らしい。この山は昔、神人対戦時にそうなったのだとか。……ですから、八代目様! 真に受けます故、間違った知識を与えぬようにしてくださいっ!
「ふむ、潮の香りはしませぬが…心地よい香りですな」
「ふふふ、白槍さんは解ってますねぇ。この花は桜といいます。この世界ではこの土地にしか咲いていない。そんな珍しい花なんです」
「まこと美しい花ですね。海の国には咲いていないのですか……残念です」
「華箕さん。咲かない事はありませんよ? しかし、この常春の庭の様には咲き続けません。この庭の様に永遠に咲く事はないでしょう。他国に移植もできますが、いずれ枯れてしいます」
「儚いのですね」
「本当はその方がいいのですよ。何事にも終わりがあるから美しい。永遠に同じなんて変わり映えがなくて……、あっ、ごっめーん! なんかしんみりさせちゃったね! とりあえず、ご飯にしよっ!」
広い玄関を通り屋敷に入ると、正面には中庭がある。その中心にはこの常春の庭に咲いている桜の『母木』が植わってると説明を受けた。その巨大な桜の古木は、国からも保護認定を受ける程。それ程の歴史的な価値があると言うのだ。樹齢は定かではない。しかし、遠い昔、初代時兎が植えたと伝承が残っているようだ。
その中庭を正面に向き、右側にはこの館に住まうご家族の生活空間が。左側には客間や中規模の広間、大浴場や道場などがある。今回は玄関を挟んで正面、一番広い広間へ通された。八代目様が直々に案内してくれる辺り、この手の込み様……。いつもと雰囲気が違うな。友人や同門、同僚、生徒などの待遇とは違う。……大広間には既に前菜が並んで居るが、冷めていない。八代目様は微笑みながら『見ていた』から、と答えた。
座席には名札が着いている。こちらに誰が居るかなどは解らなかったはず。白槍や赤八などが来る事は知らせておらぬし、華箕や甲虎の存在は知っていたとして名までご存知とは……。
子兎がそれについての説明をした。今回はワシと公孫樹は仮ではあるが国主とその妻と言う歓待。その家族や様々な立場の同行者に関して、知らない状態で招く訳には行かないからだ。八代目様は国における立場が非常に大きい。いくら同僚や生徒、義弟の友とは言え、この場面ではそれなりのもてなしをせねばならぬのだ。……八代目様はいつもの様に振る舞われているが、確かに少々雰囲気が違う。
「私の事は何でも良くって。……さっ、食べて食べて! 今日は忙しいんだから! 疲れなんか残してらんないよぉ!」
食事の最中ではあるが、八代目様が予定を問うてきた。ワシらは国を長く離れない方が良い。今回はワシらの婚儀や戦鬼様、八代目様へのご挨拶と言う挨拶を建前に動いておる故、余裕が無い訳ではないが。国は急ぎ復興した方が良い。
八代目様も戦鬼様も同じ見解であるらしい。情勢は既に様々なうねりを見せ始めた。近隣国の重要な食糧供給源であった我が国が、未曾有の危機に陥った事は周知の事実。近隣国からも多額の支援金を出すと言う話があるのだ。だが、それは全てフォーチュナリー共和国が窓口になり、一度止めている。
何故なら、海の国に恩を売る事は食糧問題での立場を優位に進め、列強の内で勢力を伸ばす事に繋げ易いからだ。同盟国とは言え、利害を取り合い同盟を結んでいる。不仲とは言わぬが出し抜く相手ではあるのだよ。それでも、古来からの国家間交流は根強い繋がりがある。我が国とフォーチュナリー共和国はその中でも別格で……。今回の事態に際して迅速に救援を出した功労者。そして、古くからの朋輩として海の国の意志を優先する為、待たせると言う意見を見出してくれたのだ。強硬に押しつけをしてくる国に対しても戦鬼様が出向けば事は変わる。一種の脅しではあるが、あまり無闇な圧力は身を滅ぼすぞ? と言う一番簡単な意思表示だ。戦鬼様はそれ故にあまり表には現れぬ。強すぎる影響力を撒き散らさぬためだ。
「……と、言うことです。外向的な暗いお話は終わりっ! 公孫樹ちゃんと華箕ちゃん、甲虎ちゃん、……あと、潮音ちゃんは後で私の部屋に来て。先生や有志の会が待ってるから」
「太刀海、白槍、赤八、あとはミュラー。飯の後、俺の所に来てくれ。せっかくこっちに来たんだ。少しは面白い体験をしなくちゃな」
魔解の表情から察した。魔解は武器が専門だが手広く様々な物を作り上げる。会食が終わるや否や、ワシら海の国側の者達がそれぞれ連れていかれた。ワシらは城鬼様の仕事部屋に通され、先に作業をしていた魔弟と城鬼様から各々の衣装を手渡された。白槍は細身である為、汎用が効いたらしい。白い燕尾服だな。赤八は特殊な機材の前に立たされ、様々な場所を計られておる。魔弟が頭を掻きながらぼやき、魔解へ指示を取り付けに歩き出した。遠くから赤八へ楽にしてくれと声がかかり、赤八は胸を撫で下ろしている。赤八は怪物や暴魚、賊などには強気だが、どうも機械が怖いらしい。若干、挙動が不審だ。
白槍は洋服が興味深いらしい。我らは古の都、大和の文化を引き継いでいる。やはり、衣服の文化も異なるのだな。ワシと赤羽は似た物を仕立てられたが、赤羽はかの者の羽の色と金色の襟元をみせている。ワシは濃紺の地色に白銀の襟元だ。だが、ワシの襟には我が家の家紋が金箔で誂られておる。……赤八は腕周りが太すぎ、胸板も極めて厚い為、通常の規格ではどうやっても合わない。魔界が独特な機材を用いて赤八用の物を作っていた。ワシら三兄弟は名が表す原種の色とそれを表す刺繍が施され、布地はこちらのものではなく大和絹と呼ばれる最高級品だ。ワシらは文字通り目が点になっておる。三者三様の洋服には必ず家紋が入り、家を誇示する為の姿勢も消えていない。
「太刀海と白槍は想定内だったが……赤八は良い体つきだな。まさか最初から作る事になるとは」
「し、しかし、魔解殿、我々までよろしいのですか? 兄者はともかくとしても」
「この布地は大和絹……この様な高価な物を」
「その辺はばーちゃんと暁月さんに聞いてくれ。出資は俺じゃない。俺は言われた様にしたに過ぎないからな。ほら、今日の主役達と嫁達の所に行ってやれ」
嫁達? ワシらは少し部屋の前で待たされた。戦鬼様が現れ、神妙な表情で『心せよ』と仰られては身構えざるを得ない。
ワシら4人が部屋に招かれると、そこには……純白の衣服を纏った公孫樹が居た。椅子に座らされており、頬を赤らめている。ワシが見とれておるのに気づいたらしく、声を出さずに『バカっ!』と言われてしまった。中にはさらに複数の人が居る。椿様、公孫樹の妹達、八代目様と弟達の嫁だ。弟達の嫁もドレスと言うらしい式典衣装に身を包み、各々の夫と語らい始めた。公孫樹の妹達はワシの反応で賭けをしていたらしく、それをネタに姉をからかっている。……だが、少々空気が変だ。公孫樹の妹達は騒いではいるが、一定の位置から動かない。まるで壁のように……。
それにワシらの中にも挙動が不審な者がいる。約2名居るのだが……単に洋服と、女子が大勢いる部屋に慣れない赤八はこの際捨て置け。赤羽は女子達の方を見ながら何かを探している様に見える。公孫樹の妹達の絶妙な距離感と、公孫樹が上手く隠しているからだろう。赤羽の目当てはなかなか見つからぬよ。意図的に隠されて居るからな。……さすがに可哀想になり、ワシが公孫樹の方へ歩み出す。公孫樹の妹達もそれに合わせて動いた。その瞬間、赤羽にはちらりと見えただろう。薄い空色のドレスに身を包み、透ける白い布地が引き立てる潮音が。
「意地悪が過ぎるのではないか? ワシはともかく、赤羽までからかって遊ぶとは。のう? 潮音」
「あ、兄上。……私が恥ずかしかっただけです。こんな形で…キャッ!」
「潮音さん、恥ずかしがる事はないですよ。とても綺麗です」
恥ずかしがり、両手で顔をおおっている。その潮音の両手を赤羽は取る。途端に潮音の瞳や髪が深紅に染まり、皆が驚いた。ワシらは背筋に冷たいものが走ったが……。後から来た魔解がワシら兄弟を隅に寄せて簡単な説明をしてくれた。
以前に魔解が腕輪を2人に与えている。その腕輪は特に難しい機構や構造体ではなく、潮音の体内にある負荷をかけてしまう神通力を分散する目的の物だと言う。以前、最初に潮音の素体を探ってもらった際の話だ。魔解はその診断書を分析し、潮音には通常にはありえない特徴がいくつかある事を例示していた。その特徴は銀嬢にも含まれ、極端に神通力に対する親和性が高い体質なのだと言う。ただ、潮音は銀嬢よりもかなり親和性が低いと言う。魔解はそれを紐解き、潮音が赤羽に依存している事を利用したのだ。
依存……。その感情は赤羽が無くてはならないと、潮音自身が強く心情に移している現れだ。強い依存は言うまでもなく感情を昂らせ、神通力流脈を刺激し、結果として血奮にいたる。これまで潮音が不安定だったのは依存対象への距離感が強く関わっているのだ。移住する以前は依存先が無かった為、強い孤独と悲観に囚われて発症していた。移住し、魔解に依存した時は距離感から強く触れられない為、かえって激しい感情の起伏を生み出さなかった。最近の再発は……。徐々に赤羽へ惹かれ始めていた現れだったと推察できる。その答えとして、常春の庭での模擬戦中。妖精坊では止まらなんだ血奮の症状は赤羽の抑制ですぐに治まった。
「あの腕輪は、潮音がミュラーと常時繋がっているのだ……。と言う快感を強める作用がある。魔法や呪いではなく、ただの暗示だ。思い込ませているだけ。それでも今の様に過熱した場合は、ミュラーの体へ神通力を分散させる様にできる仕掛けなんだよ」
「暗示……」
たまたまだろうが、赤羽の先祖の特長を強く持って居てくれたのが功を奏した。赤羽の祖先は天土と呼ばれた。初代の魔鬼と同格の英雄。水研の始祖と並び、共に闘い抜いた英雄の1人らしい。赤羽は闘う力を今はまだ花開かずとも、いずれ自ら拓くだろうとの事だ。……天土の本領はその受け入れる度量の広さ。潮音の有り余る神通力を受け入れ、正しい循環に還す為に赤羽を介する訳か。
複雑な表情の弟達だが、魔解の次の言葉で目を見開いた。声も出ぬ程驚いたらしい。……ワシが監視を控えておった理由だ。これでは赤羽の立場がない故、ワシが2人を宥める。
全てワシと潮音のせいなのだよ。依存していた赤羽が再び現れた事は荒廃した心内環境を改善し、あの子の体調回復に寄与した。しかし、潮音は赤羽が我儘な本性を受け入れてくれた事に味をしめ、次々に無茶な要求をし始めた。その後、飾箸の件を経た辺りで、潮音には歯止めという概念は無くなったのだ。魔解が腕輪を早くに用意したのはワシが頼んだ為でもある。まさか……、本当にか。嫌な予感とは当たるものだな。
「潮音に……子?」
「ご冗談を…魔解殿。我々が知る限りでは期間が……」
「いや、生物学上は可能だ。まだ、日が浅い故に目立たぬが、神通力、魔力の流れを見れる魔解や戦鬼様には判るのだよ。……たまたま条件が揃い、偶然が重なりに重なった事になる」
「おそらく、潮音も呪縛持ちなんだろうな。……兄貴達が複雑なのは解るが、今は見守ってやってくれ」
途中から話に加わっていた華箕と甲虎。華箕もまだ21歳。白槍も無駄に仕事を増やしてばかりの父のせいか、婚儀の後もあまり2人の時間は取れなんだ様だ。赤八はあれで甲虎を大事にしておる。甲虎の年齢と年齢の割に小さな体格を気にしてか、未だに清い夫婦らしいからな。潮音と赤羽の子に関しては開いた口が塞がらない状態の様だ。華箕からしてもここ最近までは会うことさえ無かった潮音。歳の近い友人が少ないらしい華箕にはとても嬉しい事だったらしい。甲虎など紅葉の真似をし『潮姉』などと呼んで館に来る時はじゃれまわっておった。2人はその潮音の懐妊をとても喜んでいるよ。
血奮の症状を見た公孫樹がワシに視線を飛ばしたが、ワシの態度を見た後、魔解より安全を知らせる合図があり落ち着いている。事情を浅く知っている椿様や八代目様も一瞬態度を変えていらしたが、今は落ち着いて公孫樹の妹達と共に今後の話をしていた。公孫樹の妹達はとにかく優秀な存在らしい。公孫樹はワシが結果として放置した形になって居た為、定職に就かずに居たらしいが……。フォーチュナリー共和国の中にある要職に就いている者達ばかりだ。それも政治家や貴族、軍人に嫁いだからではなく、自身が持つ才能で上り詰めたのだとか。椿様の出生やこれまでの経歴もそうだが、……血は争えんのだな。
その妹達が挙って気にするのは公孫樹とワシの子に関する事だった。だんだんと目立ち始めた腹の膨らみ。中にはまだ早いと言うのに耳を当てる者まで居る。なぜ、ここまで妹達が喜んでいるのかと言うことだな? ハイエルフ族はまず、懐妊する事自体が稀な種族。他種族と比較すると解るが、桁違いな寿命の為だろう。そのハイエルフ族と他種族の婚姻、懐妊と来た。妹達は心配でありながら喜ばしいのだろう。ただし、その不安もあったようだな。その不安もワシの挨拶と共に安堵へ変わったらしい。ワシはこの国では様々な肩書きを得た。医学者、医者、軍医……。学舎の卒業間近には、こちらの国に医者として残らないか? ……と高名な医師から打診もあったからな。
「他種族とハイエルフ族の比較例がない故、明確にはどれが正しいとは言えぬ。だが、医学検診の結果や公孫樹の体調、魔法医学検査からも悪い点は一切ない。ただ、ワシが心配なのは、働きすぎな事。そして、双子であるにも関わらず少々、発育が早すぎるのが気にはなるがな」
ワシの診断と様々な機材による検診の結果などを話していた。もちろん嘘偽りは無いし、検診にご協力頂いた戦鬼様のお言葉もある。魔解の精密な機材による科学的根拠も得られた。椿様も安心して頂けたようで娘達を揶揄う様に言葉を告げている。
『優秀で高名なお医者様が義兄になってくださったのだから、貴女達の時も安心ね』
……などとな。妹達も疑いもしていない。だが、医学に人が関わる以上は確実は無い。ワシら医者は患者の為に最善を尽くす事を忘れてはならないのだ。ワシの戒めでもある。ワシらの技術と知識で救える者は救わねばならぬし、神が悪戯に人に与える試練に打ち勝たねばならん。
公孫樹の事が話題に上がったついでに、ワシは潮音に訓戒を投げ渡した。言わずもがな、腹の子の事だ。潮音も特殊な能力を持ち合わせる。だから、自身の体に新たな命を宿した事くらい解っているはずだ。でなければ、ワシらの婚儀の際に出され酒を飲まぬ事、様々に体を気遣う事をせぬだろう。赤羽もおる故、潮音にしか聞こえぬ様にワシは伝えた。……潮音は確かにワシの庇護下に居る。しかし、それはワシの妹だからではない。体裁としては香潮様の孫娘であるから…世話をしているに過ぎぬ。潮音が我々と同じ血を引く事を知るのは水研の家でも極小数で本家のみしか知らぬ。家臣団にも知るものは少ない。それだからワシはこの妹に伝えねばならないことがあるのだ。『自身の進退を決める時は近い』……とな。
「……」
「どうしたの? 潮音ちゃん、浮かない顔して」
銀嬢が気づいた様だ。場所は変わり、修道院の敷地内での宴会。改まった席にしなかったのは、時兎の母娘が気を利かせてくれたからだ。確かに海の国での婚儀は国の文化や土地の温かみが強いが、格式や様々な立場などが絡み、気軽さはあまりない。そんな婚儀には少なからず気疲れする物だ。戦鬼様や魔解の様にどちらであっても表情すら変わらぬ人物の方が珍しいのだよ。
潮音にワシの言葉がどう響いたかは潮音次第だ。ワシは潮音ではないから全てを解ってやることはできん。しかし、妹の先を案じてやる事はできる。この先、潮音の道は大いに荒れるかもしれぬ。腹の子の為を思うのならば、事を荒立てず知る者が少ない内にワシらと縁を切り、身を隠すが吉だ。今回の事件において、事件の重大性の割に死者は少なかったが、大勢の人が死んだ事には変わりない。今は復興に力を注ぎ、国民に荒みが小さい為、追求はされておらぬが……。どこから漏れ出るやもしれぬ真実。自らと子供の今後を揺らがせてしまうのかもしれぬからな。赤羽は立場を悪くしたとしても潮音に尽くすだろう。今ならば、まだ赤羽や潮音、子供の事を有耶無耶にし、隠し通せる。
「シルヴィア様は…アリストクレア様とのお子様はお考えなのですか?」
「えっ?! い、いきなりだね。そうだね。まぁ…うん。アルも欲しいって言ってくれたし」
「仮になのですが……。自身の罪が子とその夫となる人を苦しめるとなった時、シルヴィア様は……どのようにされますか?」
「…………。ねぇ、潮音ちゃん? まず、その旦那さんには話したの? 貴女のお腹にその人の赤ちゃんができた事を」
「……」
思えば、ワシはずっと妹に振り回されて来た気がする。そればかりではなかったが、潮音の存在があり今のワシがあるのだ。幼い潮音が発症した血奮をどうにか治してやりたくて、ワシは我武者羅に医学を学んだ。父の干渉を抑える為に民の心を掴み、影響力を高めて実権を増やした。潮音を国外へ逃がす為に。予想はしていたがワシは左遷され、防人となった。魔解に押し付け、やつが伝える内容にワシは日に日に懸念を強めたよ。そして、防ぎきれず、最後にはたくさんの助力によって最悪の事態は遠ざけた。全て、潮音が関わる。これだけ手をかけられようとワシには大切な妹なのだ。
しかし、潮音よ。お前も既に成人し、お前が歩むべき道を歩む時が来た。これまではそれしかしようがなかった故にワシは潮音に強く干渉し、思惑を排し、先延ばしにしてきたのだ。潮音よ。ワシの手から離れ、お前自身で生きるのだ。したい事を自由にし、行きたい場所へ自由に行け。制約に縛られず、お前がしたいように生きるのだ。その中で気づけ。お前はもう大人だ。畏まり、言いなりになるだけでは生きていけぬ。短気になり、後を省みぬ行為は自身だけではなく、大切な者の首も絞める。ワシがしてやれる事はしてやろう。兄妹だからな。しかし、ワシの力には限界がある。お前は脆い。罪の意識に潰れるやもしれぬ。……腹の子の為に、人を育てる親となる為。お前は強くあらねばならぬ。
「言ってないんだ。太刀海に言われて気づいたんだね。自分がした事の意味。今の自分の立場を」
「私は……まだまだ子供です。一時の感情で事に走り、またも大切な人を巻き込んで……」
「だからさ、それをその子のお父さんに聞いてみたら?」
「ですが……」
「太刀海がなんて言ったかは知らないけどさ。潮音ちゃんは甘えんぼなとこが抜けてないんだよね」
銀嬢と潮音か。珍しい組み合わせだな。しかし、祝いの席であるのにあそこに誰も近づかんのは不自然だ。いや、銀嬢が気を使ったのだな。小規模な防音結界を張り、会話を聞かれぬ様にしておるのか。それに傍目には体調が悪そうな潮音を銀嬢が介抱している様にも見える。
銀嬢は……生まれた時から過酷な中で生きてきたらしい。王族とは言えども父は独裁を敷き、母君は銀嬢をお一人で養われたと聞いた。自身の甘えや弱さを頑なに締め上げる銀嬢の姿は潮音にどう見えて居るのだろうか。潮音が我儘なのは受け身体勢の反動からだ。潮音が世話焼きで優しく見えるのは周囲からの影響を見て取り、受け止めてから状況を判断するからである。後手にまわり、自身を見せられず要求できない。そして、潮音がそれをさらけ出す事ができる者には容赦なく甘える。これが立場や制限、血筋、経歴などの評価が直面しないのならば、問題はないのだがな。潮音は姫だ。知られては居らずとも…潮音は巫女様の孫娘なのだ。自身の経歴だけではない。自身の肉親にも行いは影響する。ワシは構わぬ。潮音がどんな存在であれ、ワシはあの子の兄だ。守ってやりたい。しかし、それも限界なのだ。
それ以前に過保護はもう止めねばならん。そうせざるを得ないから策の中に逃がし、甘やかした。しかし、時は流れ、あの子の力で乗り越えるべき段階まで来たのだ。もはや、ワシは用済み。壁でもなければ覆いでもない。潮音の足枷、足手まといにはなってはならぬ。これより先はあの子の道。1人で歩かねばならぬ。兄はいつまでも助けてはおれん。……お前の選択で腹の子の運命も様変わりしよう。お前を愛した男の行き先も変わろうな。
「私は……責任を持たねばなりません。この子の母として。大人になりきれぬ私でも。1人で……育てねば」
「あぁ……。そこ、それだね」
「は?」
「もう短気になってる。おバカさん。お兄さんが言いたい事も解ってないし。そんなおバカさんにチャンスをあげよう。顔、上げてみたら?」
銀嬢が席を立ち、潮音の目の前に居た赤羽の肩を叩いていた。赤羽が銀嬢の居た席に座り、潮音が口を開くのを待っている。おそらく、音は聞こえてはいないが、潮音の態度で何となく何かを感じたのだろう。赤羽の目を見れていない潮音の髪が再び深紅に染まる。俯く潮音の表情は解らないが、涙がドレスの生地を濡らしていた。銀嬢がワシの所へより、ワシの行動の全てに賛同はしないが『お兄ちゃんは辛いんだね』などと言う。魔解の所に向かい、思い切り魔解へ飛びついたらしい。……何を考えているのやら。
潮音は口を開けず、モゴモゴと何かを言おうとはしている様だが……。いかんいかん、ここでワシが手を出しては潮音のためにはならん。確かに誰かに寄り添い、誰かと共有しながら助け合っていく事は大切だ。だからといって、皆が快く助けてくれはせぬ。ワシがいつまでも過保護はできん。そうなれば、1人で立たねばならんのだ。潮音……ワシは何度かお前に言った。いずれは1人で立たねばならんぞ? 1人で立てぬなら……お主が対価を払い、助けてくれる者を捕まえよ。
「潮音さん」
「ひゃ、ひゃい……」
「わたくしに、何か重要な事を隠していませんか?」
「……」
「言えませんか? 我々は今日、夫婦になったと言うのに」
「え?」
公孫樹が気にしだしたな。それをワシが抑えておく。潮音の事は潮音自身で選択させる。
籠の鳥は籠を出た後、大空では生きられぬ。外敵や捕食などの生存競争についていけないからだ。潮音とて同じ。人並みに生きるのも大変な世の中。ましてや海の国で災厄を引き起こす鍵にされた少女。当人が望まずとも…明るみになれば後ろ指を指され、迫害を受けるのは必至。いかにワシが手を尽くそうとも、潮音を取り巻く波はそれを許さぬ。だから、死してなお潮音を縛る父が憎い。無力なワシが……憎いのだ。
だが、そんな時に籠の鳥に愛を歌った野鳥が現れた。やつは我儘な籠の鳥に甲斐甲斐しく世話をやき、餌を与え、歌を歌い、籠の外を語る。そんな時を過ごす内、赤い野鳥は青い籠の鳥を籠から誘い出した。芽生えた感情が愛であるとは互いに気づかず、2羽の間には新しい命が……。ところが困った。赤い野鳥とて誰かと結ばれるのは初めて。青い籠の鳥は戸惑うばかりでまるで役にたたん。赤い野鳥は青い籠の鳥に寄り添うも、籠の鳥は再び扉を閉じようとしている。……まったく、傍から見れば迷惑なやつらだ。正直、面倒である。自由のないこれまでとは違う。目の前には自由が広がる大空が広がっていると言うのに。
「実は、私のお腹には……今、貴方の子がおります」
「は?」
「で、ですから……貴方との子が」
「何故、それを早く教えてくれなかったのですか……。わたくしにも準備が要ります。是が非でも潮音さんと子供を幸せにせねばならないんですから」
自由と言うのは反面制限がない事を意味する。無形であり、決まりがない。何をしようと咎められない代わりに、自分も被害に遭うことは覚悟せねばならん。潮音は籠という囲いにより、自由に飛べる場所は少なかった。だから、大空を羽ばたく赤羽に憧れを抱いたのだ。だが、どうしたことか……ワシが籠を開け、外に出た瞬間に潮音は恐怖した。何をどのようにして良いか解らないのだ。それは経験の浅い赤羽とて同じ事。潮音の様に制限された場に居なかったやつの方が、数段高い適応力があるがね。
ふむ、種明かしをしてやるか……。まったく手をかけさせる妹だ。祝いの席だと言うのに泣きじゃくりおって。
公孫樹が潮音に何があったのかを聞き出し始めた。包容力と言う意味では、公孫樹の右に出るものはここには居らぬ。潮音は徐々に公孫樹へ話し出した。場が少々ざわついたが、公孫樹と潮音の語らいには誰も干渉はしない。そればかりか経験が豊富で現状に対して知識のあるご婦人が多くいらっしゃる。中でも戦鬼様、椿様、八代目様は遠巻きに見るのみだ。まったく、お優しい方ばかりだよ。誰も見捨てぬ。しかし、潮音に今必要なのは……場数と柱だ。赤羽が潮音に説いた言葉で堰が切れたのか、涙が止まらぬ様子の潮音。公孫樹に話す途中もまったく止まらぬ。新米……いや、もうワシらの弟子達は新米ではないな。弟子達も脆く崩れる潮音など見た事がなかったからだろう。心配そうな視線を送るのみだ。
「そぅ……思いつめちゃったのね。お兄さんや周りの皆に迷惑をこれ以上かけたくなかったのに……か。そればかりかミュラー君にまで迷惑をかけたと思ったのね」
潮音が頷き、答えようとする前に公孫樹が唇に人差し指を押し当て、潮音の言葉を止めた。この公孫樹は強い。強いが故に責任と言う鎧を着込みすぎていた。小さな世間体から大きな立場までな。その全てを守ろうとするあまり、身動きが取れなくなっていた。お母上はそれを直させたかったらしい。公孫樹はそれに気づき、今ではそれはそれは軽やかに身を振る様になったよ。
潮音の手を赤羽に手渡し、赤羽へ視線を向けながら話し出した。自由とは無形だとな。
魔解と銀嬢の様な夫婦もいれば、ワシと公孫樹の様な夫婦も居る。ましてやここには先輩の方が多いのでな。どの組を見比べようともまったく同じ組み合わせなどない。
おや?……聞いておらなんだのか? 潮音の仲間達は潮音が赤羽と夫婦になる事に驚愕しておる。しかも、事の流れで潮音が母になり、赤羽は父になると言う話が急激に広まった。まぁ、身内のような集まりだ。大した問題にはならん。公孫樹が話しかけている間に八代目様が近寄り、公孫樹の言葉に彼女なりの捕捉を加える。
「だーれも解んないんだよ? だって、解ってたら喧嘩もしないし、泣いたり笑ったりもしない。そんなの詰まんないよ! 潮音ちゃんがこれからを皆と一緒に歩くベストな道は決まってないの。だから、悩んだっていい。……でも、今みたいにしゃがみ込んで悩むだけはダメ。前、向こうよ。皆が居るから!」
八代目様……。いい事を仰ってくれたが、潮音の号泣はさらに激しさを増した。そして、戦鬼様がワシを手招きする。……お話はあったのだが、ワシは一時の間…そのお話を保留にしてもらっていた。戦鬼様のお立場を考えればそれは可能だ。しかし、それは潮音自身が未来を選択すると言う流れから外れてしまう。戦鬼様はどうお考えかは解らぬが、やはりワシは……。
その話を再び持ちかけられた。
今度はワシが説かれる番となる。戦鬼様は少ない選択肢に狭い視野を押し付けられた。様々な功労者でありながらその実、長い間を押さえつけられていたのだ。それはご本人からよく語られたから知っている。『養子縁組』という言葉を戦鬼様から投げかけられた時、やはりワシは迷ったし、当時のワシは家族に執着していた。だから、歩合的には半分程をお断りの意志も込めて保留にしたのだ。しかし、戦鬼様のお言葉は強い。今回の事、これからの潮音をワシでは導ききれぬ。潮音がいくらワシに迷惑をかけてもこちらに残ってくれると思い、自身の身の振り方を潮音に問うた。赤羽の事もあったのでな。潮音には迷う余地はないと思ったのだ。しかし、その予想は外れ、潮音は混迷を重ね続けている。
「ミュラーの小僧がおらねば、潮音は体がもたぬ。アタシに言わせれば、お前では潮音の教育と援助には弱すぎるのだ。……一度、家を離れるくらいで揺らぐ兄妹の仲ではなかろう」
フォーチュナリー共和国における軍人家系であり、今では一市民ではあるが様々な派閥に強い影響力を持つ家柄。それが魔解の家……。当主を戦鬼様、オーガス・ブロッサム様がお務めになる。数々の大戦を生き抜き、列強国からも畏怖されるお方だ。魔法学研究の第一人者でもあり、未だかのお方の著書は更新され続けている。
ワシは腹を括らねばならんのだな。戦鬼様は以前、ワシと公孫樹の一悶着の時にもワシに言葉を残した。ワシは考えすぎる。熟慮も必要だが、時として早急な判断も必要なのだ。潮音の件は遅すぎた。ワシが魔解に頼ってから、魔解より戦鬼様に任せてみては? と言われた際に任せていれば良かったのかもしれぬ。何が正しかったのかは解らない。戦鬼様はワシの肩を叩いた。ワシの思いも、辛さも解ると言いながら、ワシへ酒を勧める。一度落ち着いていた潮音は、その後に続いた赤羽の言葉で嬉し泣きへと変わっていたのだ。もらい泣きをする公孫樹の妹達や雷虎、銀嬢など。ワシの決断次第なのだと、戦鬼様は言うが……。
「戦鬼様、ワシは潮音の言葉を信じます」
「ふむ、あくまでそこに拘るのだな」
「はい。潮音を子供のままにしてしまったのは……他でもない自分に責が…」
「おやめな、その答えは誰も望まない。だから、潮音を我が家へ招く。結果的にミュラーの小僧と縁組を行うからな。……良くか悪くか、お前の目から離れはせん」
結果的に……と苦い表情をしながらではあったが、戦鬼様は酒をあおりながら再び口を開く。ワシを慰めてくださっているようだ。ワシは全力を尽くした。ワシが尽くせる手を尽くし、闘い抜いたのだとね。……ただ、力が足りなんだだけ。戦鬼様もそうやって様々な物を失い、無力さと闘ってきたと。だから、若いワシが気に病むには重すぎる。その様な時の為に、戦鬼様の様な御仁がいらっしゃるのだと。力が足りぬならば頼ればいい。自身が助けられるならば、助ければ良いのだ。
こう申されるとワシの背をもう一度強く叩き、祝いの席に重い涙は不要。……と、戦鬼様には珍しい笑顔を見せられた。励まし、ワシを救おうとして下さっている。嬉しいのだが……凄まじく、痛い。




