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勇者は遅れてやって来る

「や、やめろ! 来るなぁぁぁ!」


 潮音を探し、弟子達と付近の捜索を続ける。心当たりのある地区に近づくに連れ、物々しい雰囲気は増す。この周辺は水研の強硬派武将が住まう武家屋敷だ。奇襲から逃れ、父が潜むならばこの付近の可能性が高い。それにしても酷い臭いだ。もはや血の臭いしかせぬ。死んでいるのは全て水研の近衛兵団の者。鋭利な刃物で断たれた兵卒、槍の様な物で貫かれた武将、酷いものは死因すらわからぬ遺体まである。徐々に潮音から理性が薄れつつある現れだ。

 そんな中でワシは聞き覚えのある声を耳にした。引き攣り、叫び声ともならない声。急ぎ壁を乗り越え、屋根瓦を踏み崩しながら走る。見えた! 後退りし、白塗りの壁に退路を阻まれた父と追い詰めている者を確認する。父へ薙刀を向けている潮音と、恐怖から訳の分からない事を喚き散らす父の間に入った。血飛沫で真っ赤に染まり、虚ろな目をした潮音。この様になってしまった妹を見るのは2度目だ。

 ワシの心には再び強烈な怒りが燃え上がっていた。背後に居る父に向けてだ。何故この様な思慮のない者が国主なのだ? ワシの父である。しかし、ワシはこの男に救いを与えるつもりは毛頭ない。表情は虚ろだが潮音は……泣いている。確かに短気な子だが。潮音は優しく、慈悲深い子だ。衝動に駆られたにしても潮音はやはり潮音なのだよ。本当はこんな事など……したくないに違いない。衝動という理性から離れた物に囚われ、強すぎる力に自我を奪われながらも潮音は悲しみ、抵抗しているのだ。だが、目が血の色に染まる血奮の症状が進み、毛脚や爪にまで赤味が浸透している。この状態ではもはや……ワシの声は届かぬ。


「父上、お解りになられたか? 貴殿がしでかした過ちを」

「な、何だというのだ! 過ちだと? 身に覚えなどないわ!! ワシは水研の当主、水研 漣ぞ?! 太刀海! 貴様は父に口答えするか! この国はワシの物だっ! 何者の無礼も許さぬ! 太刀海よ! あの者を斬れぇいぃっ!」


 ワシが見えていないのか、視界に入れても眼中にないのか……。潮音は動きもしない。ワシは背後の父に説いた。自らの過ちをその身を持って正さねば……。貴様は再び過ちを踏むだろう。事の顛末すら見えぬ野望に、国を巻き込んだ罪は重い。その命があるうちに、許しを請わねば。ワシが……貴様を斬るやも知れぬとな。その後に喚き散らした言葉はワシには届かぬ。もはや、拾う意味もないか。罪人として、縄を掛け最後には自身の過ちを受け入れるまで……自身がした罪を体感するがいい。

 ……すまぬ、潮音よ。ワシが動けたのも遅すぎた。戦鬼様の言葉は正しかったよ。ワシが…ワシの力が足りぬばかりにたくさんの可能性を不意にした。力のないワシが一人で背負い込んだ事が大間違いだったと、今になり気付かされたのだ。潮音の命も、国も……。ワシがもっと強ければっ!! 救えたのか……?

 ワシが潮音に語りかけ、一縷の望みだとしても血奮の鎮静を測ろうとしている時。あろう事か父は潮音を斬ろうとワシを押し倒し、目の前に走り込んだ。時間が止まったように感じる程にゆっくりと進む。体感時間、焦燥が世界の進みを遅くする。……潮音の乾いた唇が小さく動き、何かをする気だ。もはや何が起きてもおかしくはない。そして、ワシの目の前で地割れが起こり、同時に絶叫が上がる。

 もはや、手遅れ……か。

 潮音はモゾモゾと口を動かしている。何を言っているのかは解らないがな。その言葉に合わせた様に地面から生えた無骨な外骨格。蟹の鋭いハサミがついた脚だ。そのハサミに捕らわれていながらまだ諦めていない我が父。この様な状況でもワシに助けを求める事ができるか……。だが、どのようにしようにもワシの力では無理だ。あの父では自力では抜け出せぬ。父は戦には出ない。行軍と執政の才はあったようだが、武の才はなかった。かく言うワシももう片方のハサミに追われ、逃げるのに必死だ。どうする、ワシ1人では……。


「太刀海先生!!」


 子兎(ココア)が間合いに滑り込み、巨大なハサミを受け止めた。真紅の氣を放つ子兎の額から2本の角が突き出し、牙が顔を出す。女神と魔鬼の混血である子兎の内側に眠らせてきた鬼の力だ。か弱い女子と言ってやりたいが、あの子兎はワシなどよりも馬力に恵まれ潜在能力も高い。ワシの様な者でも、重量に耐えるだけだとしてもかなわぬ。一般人が巻き込まれてはなお生き残れぬだろう。自身の体積の数百倍もある水塊を持ち上げているのだからな。ワシを後ろから呼ぶ声? ほぅ、あの子兎を助ける為の増援もしっかり組みあがっているようだ。

 ワシが起き上がるのを確認した子兎。腹の真底から突き上げたような甲高い叫び声と共に子兎が満身の力を込め、巨大なハサミを跳ね上げる。その直後、ハサミを無力化する目的だろう。何かが撃ち込まれ、砕けた? まずい、あれは海水で構築されているだけなのだ。直ぐに再構築されてしまう。ワシも子兎も一度退いた。これでは近づけぬ。近くに居るだけでワシらも危険に晒されてしまう。

 潮音はボーッとしているだけで動きもしない。しかし、直後、我が父の呆気ない最期を目にする事となった。何とかして救出を試みていた魔弟(ニニンシュアリ)詩詠(アルフレッド)妖精坊(カルフィアーテ)だが、どのような魔法や火薬を使っても再構築の方が圧倒的に速い。神海大人の魂を使い、海水で作り上げた巨大なハサミは、断末魔の叫びを上げる父を挟み潰した。自身に降りかかる血の雨など気にも留めていない。潮音はその瞬間、一瞬だけニタリと笑い……再び無表情なまま動かなくなる。


「弾丸も魔法も、異能も効かない。あれが神海大人だと言うのですか?」

「正確には違う。まだ神海大人ではない」

「まだ次の段階があるというのですか?」

「そうだ。初代天照が倒した物は生きていたが、ワシらの先祖達が悩まされてきたのは……その強過ぎる魂だ」


 魔解の説では魂とは複数の氣が含まれる、生物の感情に突き動かされた物……らしい。あやつは魔装の研究を長年続けるうちに我らが積年の悩み、神海大人の存在にも行きついた。神海大人はやつ曰く、自然の作り出した魔装であるとの事だ。魔装に必要な氣は神通力。やつはその神通力がどの様な物かを探ったらしい。そもそも、魂が複数の氣で構成されておるならば魔力や神通力を使えば命に関わる。……と、そちらの方面に詳しくないワシが反論したのが始まりだった。

 神通力が何で作られているのか……。

 ワシはその仮説に耳を疑った。神通力の大元はワシらが日々使う魔力だと言うではないか。これまでの魔解の学説から魔力と神通力は全くの別物である……、とやつが提起しておるのだがな。魔力の最初の大元は魔気と呼ばれる不完全な素体。その素体は最小の単位である事が揺らがなんだ為、あまり調べられなかった。いや、技術がなく、調べられなかったらしい。しかし、あの男はやり遂げたのだ。戦鬼様の論文に記された伝説の物質、『魔晶(マギカ・クリスタ)』の存在がそれを決め手にした。

 弟子共はどこまで掘り下げるのか……とイライラしている様だが、これは必要な話なのだ。結論から言え? ふむ、仕方ない。これ以上焦らすとワシの首が繋がっておるか怪しいからな。子兎め、ワシを師と思うならばこの仕打ちは無かろうて。ワシに刃を翳しおってからに……。


「あれはまだ氣の塊にすぎん。潮音が隠していた1番深い場所にある感情を取り込む事で魂として再構築され、復活するのだ」

「では、先生が潮音さんを遠ざけていたのは……」

「確かに父の道具にされるのを拒んだり、潮音の自由が本当の願いだ。だが、潮音の事情は様々な理由から特殊でな。そう簡単には行かん」


 こうなる原因を紐解くにはこの地が孕む事情を紐解かねばならぬ。とっくに伝承や口伝は途絶え、当時の真実は解らぬ。しかし、様々に調べる中、ワシは答えを導き出したのだ。

 潮音は巫女としての適合性が強すぎた。その素質は香潮様よりも強く、それ故に様々な流脈を破壊すると言う大問題に直結する。香潮様は力がお強いとは言え、ご自身に神海大人の力が寄り添う程の適合性はなかった。そう、これは適合性の強弱による吸着が問題だったのだ。潮音の体は本来ならば必要なはずの『海脈』を使わずとも神海大人の氣を引き寄せてしまった。それが意図的にではなく、勝手に引き寄せられてしまうのだから止めようもない。潮音が虚ろになったのは……繋がりが強まり、彼女の感情が海底にある神海大人の祠へ引き込まれたから。

 ここで先程の魂と魔力、神通力の話に回帰する事となる。皆の衆よ、露骨に嫌がるな……。

 魂という無形の概念は神通力が割を占める。何故ならば、神通力とは感情と言う生き物が持ち合わせ、突き動かす力に依存するからだ。魂は生きる為にすり減るのでは無く、樹木の年輪の様にして重なってゆく。時を経る事に個人差はあれど成長するのだ。問題となる物。海底に存在するのは……その神海大人の骸に残った膨大な氣塊。心を失い、制御する物を失った残渣だ。魔力、神通力以外にも様々な氣がある。

 潮音は我々水研の中で初代達に最も近い。初代の巫女様は神海大人から海脈を使い、神通力を吸い出す事に優れた体質だった。いや、体へ神通力を引き寄せてしまう体質だな。あくまで仮定だが、一方的に行えたのは防御が堅固な為、取り込まれる様な事はなかったのだろう。潮音はそれを超越し、『繋がる』事ができてしまうのだ。意思疎通ができれば父が画策した絶対的な力となっただろう。しかし、力を制御しきれぬ潮音は、強過ぎる力が流れ込み暴走した。暴れた力は放出される場所を求め、作用しようとするだろう。潮音の深奥に隠した感情が取り込まれ、引き金となり……神海大人の形をした魔装が……完成してしまう。


「その対処には神通力に干渉する技術を持つ術者が必要なのだ」

「そ、そんなヤバい術者なんて存在するんですか? 私聞いた事ないですけど」

「ワシの知る限り……1人だけ存在する」

「えっ?!」

「だ、誰なんですか?! その人なら潮姉を解放できるんですよね?」


 ワシが押し黙り、掴みかかってきた紅葉を落ち着かせる。

 その術者が居たとして、潮音が確実に助かる訳では無い。あの子が固く閉ざした心を解きほぐし、神通力の激しい流れを読みつつ、確実に切り離すだけの技量をこの土壇場で示せるとは限らぬ。二代目水研がなぜ死んだか。我が家に残る途切れ途切れの伝承を読み解いた結果から推察できた。二代目水研は自身を依り代とし、確固とした意志をもって生き仏となったのだ。おそらく、それ以外に策がなかったのだろう。現在に残る対処施策である海神神社もその後に創設されたものだからな。

 紅葉が絶句する。

 それに問題はもう1つある。仮に術者や体勢が万全だと仮定しよう。技術的問題を解決したという仮定で、神海大人から切り離せる状態で作戦を決行したとする。神海大人は魔装化してしまっている。感情はなく、1つの不完全な思念により突き動かされているのだ。感情がないと言う事は、ワシらの挙動は全て障害であると捉える。従って、切り離す間を神海大人が落ち着いて居てくれる保証はない。いや、絶対に暴れる。術者が精神を統一し、安全を保証できる環境を作るには……。物理的に難しいのは言うまでもない。


「ならば、動きを止める為に虫の息に……」

「焦るな、妖精坊よ。あれは海水で作り上げた擬似体に過ぎぬ。あれを叩いた所で根源たる神通力で何度でも再構築され、終わりはない。そもそも何の加護もないワシらでは触れることさえできん」

「……」

「あの、ところで、その術者さんはどなたなんですか? まさかブロッサム先生とか?」

「いや、お前の姉だ。公孫樹だよ」

「「?!」」


 紅葉は言葉を失った様に沈み込み黙った。魔弟と妖精坊は議論しながら何やら考えているようではあるが……。

 さらにワシが弟子達に追い打ちをかけた。これだけ条件が揃えど問題は尽きない。神海大人が復活した際、潮音の意志が取りさらわれている状態で無理に刺激した場合、潮音の体に何が起きるか解らないのだ。人員も足りぬ。仮にこの作戦を無理に行った場合に海の国が被る被害は想像もつかん。民の命が危ぶまれ、神社の先行きまで暗いとなれば、国は再建すら行えん。国として立てねば……誰が民を守るのだ? こんな事はワシだって言いたくはない。しかし、潮音の命1つで、国を滅ぼす訳には行かんのだ。

 潮音が無事に帰る保証の低さを……何故ワシがここまでぶつけるかだと? そんな物は決まっておる。……潮音の命を諦めさえすればまず、他の弟子達は助かる。そして、多少の被害は出るが海の国も再び同じ歯車が回り出す。本当はこうなる前に助けなくてはならなかったのだ。……本当に無念だ。ワシが代われる物なら代わりになろう! 生き仏にでも何でもなる覚悟はある。……何故、潮音なのだ? 幼い頃より凄惨で過酷な運命を表した様に生きたあの子が……。ワシは、父が憎い。いいや、ワシ自身が憎くて仕方がない。こんな運命を作り出した者の全てが憎い! 困窮を極めた時、人は神や仏に縋る。だが、神とはなんだ? 神は簡単に人を見捨てる。……何故、潮音なのだ? 辛すぎるではないか。あの子が何かをしたと言うのか?


「おい……、諦めるには早いぞ? シスコン兄貴」

「し、しすこん? だと?」

「師匠!」

「オーガさん!」

「賭けになる事は変わらんが、……最も可能性が高い作戦を練ってきた。協力者も全員了承してくれている」


 魔解の背後より、少々怒りの篭った表情をする公孫樹が現れた。ふむ、……ワシは何度平手打ちを受けるのだろうか。

 その行為に絶句する一同を無視し、公孫樹は……ここからはワシが考えを回す場面ではないと強く言葉にする。公孫樹はこの状況であっても潮音を無事に助ける気で居るようだ。公孫樹が作戦を魔解に代わり、全員に示した。その場に居ない当事者達の為に魔解が魔法通話を開始して作戦を全員に行き渡らせている。便利な世の中よのぅ。

 まず、第一関門。

 潮音の体を安全な場所へ避難させること。神海大人が復活してしまう前に行わねばならぬ事だ。神海大人も潮音が死んでは困る。その為に潮音の体の場所に陣取ろうとするだろう。あれの伝承には国を滅ぼす規模の災厄が記されている。上陸し、暴れ出すその前になんとしてでも潮音の魂が帰る場所は確保しなくてはならないのだ。その役割は……。ワシ、赤八、白槍が担当。ワシらは魚人族だ。簡単には死なぬし、仮に水に取り込まれても呼吸ができる。神通力の膜に覆われており、魔力が反射される為、魔法戦闘抜きの肉弾戦力を優先した結果か。もちろん、他の者も役割が別にある様だ。

 次に第二関門。

 潮音の魂を無事に神海大人から切り離すには、完全に神海大人と繋がっていた方が都合が良い。しかし、神海大人を陸に上げるのは様々な面での被害が大きすぎる。その点を踏まえ、神海大人の骸付近にある浅瀬で動かぬ様に維持せねばならぬ。その役割を担うのは『源龍(ドラグア)族』の3人と雷虎(オニキス)、戦鬼様だ。戦鬼様の大聖獣の阿修羅王は聖獣である為、神海大人に触る事が可能だ。体が聖獣に近い風来坊(レジアデス)炎龍姫(アトロピナ)様、爆龍姫(ベラドニア)様の3人も同じ理由だ。最後の雷虎。あやつも同じ理由らしいが、雷虎はまた別の仕事らしい。


「動きを止める所まではいいが、それでは近づけないではないか。その状況では船も出せぬぞ?」

「まぁ、最後まで聞いてやれ、嫁さんがキレてるぞ」

「えっ?! お姉ちゃんついにプロポーズされたの?!」

「紅葉、今は黙って……」


 苦笑いしながら紅葉へ向けて静止を加えてから、さらなる肯定の説明が入る。

 第三関門。

 それは先程、ワシが述べた通り、接近に関する事だった。飛行可能ではあろうが魔弟では馬力が無く、人は運べぬ。赤羽は可能であろうが今は絶対安静。黒鎌嬢(エレノア)はそもそも長距離は飛べぬ。その代わりとなる人員は居ない。

 それを解決する策……。この先は聞くも恐ろしい作戦だった。行けないのならば遠隔操作により行えば良い……との事。神海大人に繋がる方法は、直接触れる以外にもう1つある。海脈だ。それを魔解が即席で作り出した機材により上手く微調整し、公孫樹が術を行使して潮音の魂を上手く切り離す。そして、海神神社で潮音の体に定着する。こういう段取りらしい。

 ここまでで作戦が終わりならばどんなに楽なものか……。

 最終関門。

 潮音の救出まではこれで完遂。しかし、大きな問題が残る。いくら魂を切り離せたとして、一度魂と繋がった魔装は直ぐには停止しない。魔装はその構造上、1度目覚めると貯蓄している神通力を使い切るまでは停止しない。さらにタチが悪いのは武器などの自律していない魔装ならば大事無いが、自律型の魔装は破壊を止めずに神通力が切れるまで彷徨い続ける。……以前あった炎の巨人戦に近い状態なのだ。皆の疲弊や披露はあれど、動ける人員を動員せねば大災厄は免れない。百歩譲ってこの海の国だけならばまだよい。そんな小規模ならば魔装の存在が国家規模で危惧されてはいないだろう。


「ふむ……」

「と、言う事だ。詳しい動きは各班の部隊長に一任する。まず、太刀海。妹の帰る場所を必ず、作ってやれ。ここはアイツの故郷なんだからな」


 時間もない。ワシが頷くと皆が走り出す。

 入れ替わりに現れたワシの弟達がワシの左右につき、作戦について問うてきた。ワシは戦の場となれば単騎戦の将。敏捷とは言えぬ故、雪崩込む敵勢を凪殺すのが役目であった。この場では潮音の肉体を奪還する事が目的。そうなればワシが潮音の体を持ち帰るのは得策ではない。敏捷に加え、頭の働く者、次男になる白槍が奪取には適役であろう。こやつは行軍軍師と執政官を務める鬼才。戦の場においては単騎での戦闘を行わぬが、槍に秀でており身軽な身のこなしは1級品であろう。臨機応変に動かねばならぬこの場では最も適任となる。最後の三男である赤八は盾を用いた面制圧が得意な男だ。頭よりも第六感を働かせる事に優れ、野性味の強い自慢の弟よ。ワシよりも大柄でその体躯をいかし、味方を前に押し出す際により力を発揮する。


「赤八、白槍を守り、ある程度まで進め。ワシが囮になる」

「しかし、兄上。私などが……」

「今は最適を用いるべきだ。ワシが行くより2人で進み、より確実にくすねて来い」

「はっ! 御意のままに」

「兄者、ご無理だけはなされるな。潮音もその様な事は望まぬでしょう」

「解っておる。では、ゆくぞ!」


 海脈を操作するには相応の知識を持つ学者は勿論だが、機材を用いるというのならば高い技術力を持つ技術者が必須だ。……ワシも潮音もまだ見放されてはおらんのかも知れぬ。途中で御用があり、少々別行動をされていた公孫樹の母君、椿様などは高名な魔法学者だ。詩詠もその手の知識量となれば確かな物がある。戦鬼様は技術、馬力共にそれ以上であるし、公孫樹や紅葉も高い素質がある。そこに天才技工士の魔弟とその師匠である魔解がいる。海脈の操作は揺らがぬ信頼がおけるな。

 蟹、これはワタリガニのハサミだ。伝承道り。ワシは囮役だからな。できるだけ目立たなくてはならぬ。新たに魔解より受け取った刃……。これは……ハッハッハ! やってくれる。存分に力を奮ってくれよう! ワシらの様な魚人族は体外の魔力に干渉するのが苦手だ。だが、この刃はワシが思念を強めれば強めるだけ、強固な物となる。形もそれに近くなる。初代よ、ワシに力をお貸しくだされ!


「兄上、ご無事で……」

「槍兄、我らは急ごう。太刀兄は連戦でお疲れ。意を汲んだが長くは持たぬであろう。早急に潮音を運ぼう」


 長期戦をしていたが、体力はまだある。それを後押ししたのは武器の性能。魔解の作る武器は完全な受注生産型の物だ。その個人における条件も決まっている。やつをうならせる事。やつの武器はその分、表情を持つ。ワシの姿を映し出す物なのだ。これは魔解の期待も加味されている。ワシの思いがどの様に変わるか……。ワシの進化をやつは試しておるのだ。

 容赦なく叩き潰そうとし、次々に襲い来るハサミ。先程から数が増え、一対のみではない。化け物の個体とは違い、魂を元に復元された物だ。壊した所で再び形作られる。だが、再構築を遅くする事は可能なようだ。先端部を叩くだけでは大元が残り、再構築が速い。しかし、根元から断ち切れば再構築は遅くなる。なれば、大振りな刃では小回りが悪く、的確に討止めながら囮となるには向かぬ。かと言ってワシは小柄でなく、素早くもない。どちらかと言えば愚鈍な部類に入ろう。それでも着実に弟達が進んでいる。このまま派手さを取りつつも無力化を続けねば。ならば、どんな刃が望ましい? ワシは刀剣以外はまともに扱えぬ。……規格外の刀剣?

 いやいや、魔術の微調整に向かぬワシでは魔力で水を操り、足元で発動、断絶という行程を複数同時に行うのは無理だ。だが、固定概念に囚われぬ刃という案は間違いではない。ハサミに振り回され、体力を消費しすぎておる今、無理に正攻法を繰り出せば、ジリ貧になる事は解り切っているのだからな。よし……、白槍が潮音を取った!

 途端に2人へ攻撃の手が向く。赤八が盾で受止めながら白槍を逃がしてゆく。ワシもそれに合わせて支援の手を出す。そうか……盾と長大な刃か。


「潮騒! 白槍! 走れっ!」

「た、助かった……。兄上、感謝致します!」


 柄を逆手で握り、魔力を反対の手に集中する技術。銀嬢から得た感覚を元にワシも以前体得した。初代水研が用いたと言う異形の双刀。身の丈程もあろう長大な逆手持ちの刃、対になる刃は小盾の役割を担いながらも刃が備わる。伝説の刀。素材や形がないので有れば、ワシに合わせて作れば良いのだ。ワシは適応してゆかねばならぬ。腐りかけた国を再び列強の干渉から守れるだけの豊かな国とせねばならぬのだ。これだけの勇士達が、ワシらの為に力を貸してくれている。是が非でも立ち直らねばならぬのだ!

 それでも形作る物が虚妄であってはならぬ。その為に、どんな小さなものでも救う。戦鬼様はお一人で立たざるをえなかったお方。ワシは違う。弟達、若き神官、国を思い父へ意見した古参……。皆から助けられ、助けねばならない。ワシ1人ではこの様に潮音を救えなんだ。ワシは……まだ見放されては居らぬ。神などよりも力強い勇士達が、ワシや潮音の為に闘ってくれているのだからな。

 大した手傷もなく、白槍と赤八と揃って雑木林を走り抜ける。その道中、傷ついた兵に分け隔てなく医療を施す神官たちが目に映った。だが、今は急がねば。どうやら海の方向で動きがあったようなのだ。ワシだけではなく、白槍も赤八も似たような言葉を述べていた。ハサミが追って来ぬ。途中までは執拗に潮音を背負って走るワシ、白槍、赤八を無差別に叩き潰そうとしておったのだがな。


「魔解! 遅くなった!」

「いや、タイミングとしてはベストだ。見ろ、おいでなすった」

「あ、あれが……古代の化け物。神海大人!」

「来たね……。出番だよ! シルヴィア! 阿修羅王!」

「はいっ!」

「久々の狩りだ!」


 一同が生唾を飲み込む音が聞こえた気がした。海神神社の断崖から神海大人の姿を見ている。遠くからでもはっきり見える異色の化け物だ。大昔、初代天照がこの内湾を作り出した時、かの生き物を倒した。遺骸も残らず溶かしたと伝わっていたが、遺骸は海中深くに押し込まれていただけ。その遺骸を押し上げる様に海水でできた巨大なワタリガニが立ち上がる。……いや、……ん? ワタリガニは立ち上がれんと思うのだが。そ、そうだな。気にしても仕方あるまい。

 そして、銀嬢が結界を展開。目標地点へ誘導する為、わざと通路の様にしている。この結界を転送しているのも魔解達の様だ。ワシらだけではなく、神社に逃げてきた民達がざわつき始める。……ワシは夢でも見ておるのか? 神話に現れる化け物を見たと思えば、それと同格の大きさを持つ黒い大蛇が山間から現れたではないか。あれが、戦鬼様の『国喰らいの大蛇』……。途端に神海大人は大蛇を敵と認識し、攻撃の手を向ける。ただし、やつのハサミでは胴回りが太すぎるため、突き立てる以外には闘えぬな。こんな闘いを頻発されては世界が崩壊してしまう。魔装大戦はこの様な災禍であったのであろう。神海大人が口元から放つ強烈な水鉄砲を避け、大蛇は体当たりしながら祠の浅瀬へ追い込んでゆく。……まだ、まだだ。我々には心強い味方が控えている。

 海辺の集落から人を避難させて居るとは言え、津波が田畑を飲み込み、被害は甚大だな。だが、そんな心配をしている状態ではない。水鉄砲の流れ弾がこちらに飛んできたのだ。……しかし、間に合ったか。


「はっ!」

「た、助かった……」

「皆無事?」

「ああっ! シルヴィア。助かったぞ! 引き続き頼む!」


 銀嬢め、やりよる。あの水鉄砲に競り勝つか。

 目標の地点へ戦鬼様の聖獣、阿修羅王が神海大人を押し込んだ。戦鬼様からの司令に次は多少の手傷は覚悟で阿修羅王が組み付き、体の一部を締め付けている。そこへ龍体へ変身した3人が空から加勢する。風来坊が先陣を切り、上から押し付ける為に甲羅へ長い一角を突き通す。残りの御二方も龍体での体に合わせ、抑えにかかった。あとは雷虎の合図を待つのみ。

 海脈と祠が結びつくと反応する機材を魔解より渡され、操作している様だ。雷虎も魔解の弟子である。魔弟程ではなくともそれらを扱えるのだ。……来た! 赤い狼煙だ!

 魔解の合図に合わせ、一斉に起動された機材と魔法陣型魔法回路が作動し、潮音と神海大人の繋がりが新たに確立される。中途半端な状態でその繋がりに触れてしまうと、潮音の魂へ負荷がかかってしまい、不完全になる懸念があるらしい。また、この儀式で求められるのは公孫樹の集中力。公孫樹の気を散らさぬよう、今は祈る事しかできないのだ。


「ここまでは気味が悪いくらいに流れがいい……。そうなると面倒なのはその後だ」

「神海大人の撃破…か」

「うむ、やるしかない。そうせねば周辺国家に大変な被害が出ような」


 この儀式がどういう物なのか……。それは先程遮られ話せていない部分が関わる。ここはより詳しい魔解による説明を代弁しよう。

 神通力は魔気の構成要素から、元素体を取り込める能力を取り除いた構造体だ。ざっくり言うならば、魔気が本来持つはずの情報がない物の集合体が神通力である。魔気は似た情報体を持つ魔気同士が結びつき合う事で、超常現象を引き起こす事が可能になる魔力と言う氣へと変化する。神通力は生き物の体内で素体の異なる情報体と結合した魔気の素が螺旋を描きながら数珠状に輪を作り、それが組み合わさった構造体。魔力など比にならない程の密度の熱量を生み出すが、生体に存在する『感情』や『本能』がなければ生まれない。

 その神通力の流れの中で潮音の魂に関わる部分を的確に見つけ出し、切り取らねばならない。まず並の術者では意図的に高圧力の魔力と神通力を用いた所で、技術が伴わず切り取れない。そもそも、自身の体内や体外ならば切り貼りはできようが、外部の……しかも他人の物となればいかに高名な魔導師と言えど困難を極めるだろう。それに留まらず集中力が切れたり、重圧に潰れ、過負荷深度へ突入するやもしれぬ。公孫樹にはそれを可能にするだけの魔力、神通力、知識、集中力がある。経験が足りぬのはこれから何とかするにしても、今は彼女以外には触れぬのだよ。本当に公孫樹が居なければどうにもならなんだ。


「見つけた……待っててね。潮音ちゃん」

「は、速い。神通力の脈組成をあんなに速く読み解くなんて……香潮様でもあんなに速くは」


 本当に気味が悪い。ここまで動きが無さすぎるのも気味が悪いな。動かな過ぎるのはなお恐ろしい。何が起きてくる?

 今回は潮音自身に神通力脈を蓄積させず、海脈に戻して再び神海大人に返される。神通力は強すぎれば毒になる物だ。何事も過剰はいかん。受容できたとして容器が壊れては意味がない。それを解決したいのだが、神通力を蓄積する無機質の素体はあまりない。魔解が見つけてはいるらしいが、蓄積こそすれど極微量。そんな物をこの場では使えぬ。神海大人にやつの動力源たる神通力を返さねば後も楽ではあったのだがな。

 もう1つ、大きな問題がある。公孫樹の圧迫に繋がる為、公孫樹や感情が表に出やすい者へは絶対に伝えるなと、魔解や……戦鬼様から伝えられたのだ。今の潮音の体は半分程抜け殻の状態。魂が移動した……訳ではなく、正確には神通力の核である『感情』が抜き出された状態な訳だ。魂が不完全となると生体は不完全となり、機能は麻痺してしまう。仕方ないとは言えど、医者としては心配だ。呼吸が弱くなり、脈も細い。酸素が欠乏すれば脳や様々な機関に悪影響がでる。それだからできれば……迅速に捕まえねばならぬのだ。


「太刀海、大丈夫」

「?」

「潮音ちゃんはまだ、生きたいと願ってる。貴方がついていてあげて」

「あ、兄上? 公孫樹様……、し、潮音は大事無いのか?」

「落ち着け、槍兄よ。ワシらにはどうにもならぬのだ。義姉上と兄者におまかせする他無い」


 事を知らぬ数人からワシへじっとりした視線が集まる。公孫樹は気にできる余裕もない。ワシも潮音の体調を見続けねばならぬ。急変は無くとも、体に障害が残ってしまう事は医者たるワシが避けねばならぬのだ。しかし、ワシは切除や組織再生の魔法施術は得意だ。だが、酸素の循環を助ける施術や魔力の滞留を抑える施術を行った経験はない。酸素循環ならばなんとかなるが、後者はどうにもならぬ。

 そして、公孫樹が叫んだ瞬間に神海大人が大暴れを始める。潮音が生きたいと願う意識を神海大人が離そうとしないと、苦しそうな息遣いが漏れる。母君の椿様と妹の紅葉が様子を伺う。しかし、椿様が紅葉を触らない様にキツく抑えた。紅葉の技量では彼女の魂へ干渉をうけるやもしれないとの事だ。公孫樹だから複数の感情を強く持ち、神海大人から自身の魂へ干渉されぬ様に闘えている。より強く堅い決意の心がなければ直ぐに引き込まれてしまう。……公孫樹の神通力密度は神海大人と同等であると言う事だ。八代目様は神通力密度も技量も申し分ないが、いかんせん大雑把な部分が強い。魂や感情の切り貼りを行うのはそんな性格からか事前にご辞退を受けた。その娘子の子兎は……極み付きの不器用。潜在能力ならば八代目様や公孫樹を遥かに凌ぐのにな。

 そんな闘いの最中、雷虎から余裕のない叫び声に似た報告が横入りする。波風に煽られている様で声も途切れ途切れだ。しかし、内容は伝わった。龍の3人と阿修羅王の力ではもう抑えられそうにないと言うのだ。


「や、ヤバいで師匠! レジやんもアト姉もベラちゃんも阿修羅も疲れ切っとる! こっちが落ちかねんでっ!!」

「なんとか持たせろ……と言いたいがそれは解ってる!! 俺達も乱れた海脈の制御に必死だ!」

「あっ! ベラちゃんが! てか、ウチもヤバい! 吹き飛ばされてまうっ!」

心紅(ココ)、出番よ」

「あぃ……、いつでも行けまぁっすっ!!」


 爆龍姫様が跳ね飛ばされた現場に兎の親子が瞬間転移さながらに駆けだした。あの親子は海面を走るのか。……この場には似つかわしくない光景だが、凄まじい数に分身を作り出した2人が自身の手脚を掴み合い、網の様に覆い被さる。八代目様の指示に合わせて炎龍姫様、風来坊、阿修羅と力を解き、雷虎が高速艇で3人と一体を回収。休養と治療の為、こちらに戻って来た。

 網の代わりをしてくれている自身の分身達からの文句など意に介さない2人。実際問題、この策は魔解も使うのを躊躇った物だ。時兎の親子はこの後の主戦力として立って欲しかったからだろう。あの技は彼女らの体に強い負担を掛け、後に長い休息時間を必要とする。この後に控える討伐に2人が参加できなくなる事を意味するのだ。そこへ、……お召し物を引きずりながら戦鬼様も現れた。神通力を使い過ぎたのか体が縮み、容貌はもはや幼子。キセルを咥えておられるが年齢は…5歳程か? その上で目が落ち窪み、あの美貌が見る影もない。疲労に余裕が無さそうだ。それでも公孫樹を気遣うあたり、本当にあの方の慈悲深さや思いやりに助けられている。我が亡き母の生前を目にしたようだ。重い足取りでワシの横につき、戦鬼様がさらに処置を始めた。


「代わりな」

「いえ、戦鬼様。おやすみ下され。そのお姿では皆の指揮が下がります」

「アンタの冷や汗と脂汗まみれの酷い顔も似たようなもんさね。アンタ、魔気流導ができないんだな。そっちをアタシがやる。アンタは酸素循環と体調の確認を続けよ」

「ご協力、感謝致します」

「手を止めるな、馬鹿たれが」


 機材を制御している魔解と魔弟の師弟も汗まみれだ。単に機材を操作するだけではない。魔解が即席で組み上げた物故、その性能はさほど高くないらしいな。本来ならばあれは10人程で扱う物を2人で扱っているようだ。魔解の愚痴が小さく零れている。あの魔解が愚痴を零すか。やつも余裕がそれ程ないのだ。機材を壊さぬ様に微調整しながら、公孫樹が闘える好適な場を整えている。本来ならば何人もの人間が注視せねば万全とは言えぬのだからな。気をはらねばならぬだろうよ。あの魔解が息を荒らげながら忙しくしておるからな。魔弟もよくやる。あの小さな体のどこにどれ程の力を隠しておるのか……。

 さらに疲労困憊の面々が加わる。龍の3人はもう動けぬようだな。いくら負荷が小さいと言えど、負荷が全くない訳では無い。ワシらの体感しておる時間よりも相当に長い時間を3人と一体は抑えてくれておったのだ。神通力……生きる意思とこの世界を取り巻く素体の結晶。それがどれ程に我々を脅かすのか、ワシらはそれを身をもって体験しているがな。


「くそ……もう少し、もう少しなのに。なんでこんなに頑固なのよ。あの子はっ!」

「巫女様よ。苛立ってはなりませぬ。対立することだけでは解決せぬ事もありますぞ?」


 急な声掛けとその柔らかな物腰に、荒み、疲労しきった周囲の皆は驚愕した。公孫樹はその問いかけには答えぬが、これまで対峙してきた感情の波を逆転させる。

 戦鬼様はその行動を睨みつけた。公孫樹がこれまで以上に危険に晒されるやも知れぬからだ。勿論、潮音にもその負担はかかってくる。……ワシには解らぬが、そのやり方で潮音が助かるならば。頼むっ! 公孫樹。潮音を助けてくれ!


「お姉ちゃん! 無理はしないで!」

「……」


 公孫樹に飛びつこうとした紅葉の首根っこを掴み、引き剥がした椿様。そして、香潮様が公孫樹の背に触れる。神海大人から公孫樹に流れ込み、環流が乱れた神通力の脈を分散させているのだ。……神通力の流れは水や空気とは違う。神通力は数珠玉の様に次々と結合し、前習えの状態を取る。よって、公孫樹が引き込んだ神通力の流れは止まることなく、彼女へ流れ込むのだ。それを長年の経験を活かし、できる限りの規模で海の国の分散施設へ流しているのだ。それでも、公孫樹にはかなりの負担。目の前に現れた問題に対処する技師の2人。できるだけ神通力の流れを緩やかにしたい様だが、しわ寄せは時兎の親子へと繋がる。

 珍しく声を荒らげた通信が八代目様から入るが、まともに取り合う余裕などもはや魔解にはない。合理的に、均等に負荷がたまり過ぎぬ様に抑えるので精一杯なのだ。あの機材にしても神通力の流導を調整はできぬ。あくまで流れる速さの微調整と海脈を維持するため、彼ら2人が神通力を使いながら状況に応じた処理をしているに過ぎない。早くせねば、魔解達にも余裕がない。勿論、時兎の親子にもだ。


「遅くなり申し訳ありませぬ。母上」

「クルシュワル老!」

「大先生!」

「僕も来たよ。お祖母様」

「リクアニミスさん!」

「……あぁ、本当に遅かったね。そろそろ、動く。刃鬼(クルシュワル)よ。動けるガキを連れていきな。後は任せたよ」

「解っております。……ゆくぞ。皆、着いて来い」

「取ったァァァァァァ!!」


 その瞬間。公孫樹が叫んだ。……潮音の脈が、呼吸も正常になっておる。戦鬼様もさらに体が縮まられては居たが、座り込みながら小さな手で煙管に口を付けた。しかし、にこやかに笑う椿様にそれを取られてブー垂れている。が……あのご様子ならば大事無いな。それよりも……。

 公孫樹が競り勝ち、潮音の意志を奪還した瞬間。気が抜けた様に香潮様が倒れたのだ。ずっと付ききりであった側近が支えるが、少しの間を空けたと思えば、途端に号泣し始める。その意味をワシは瞬時に理解した。医者であるワシにはその場でせねばならぬ。死亡の確認だ。側近はしきりに尋ねて来るが、解りきった事。ワシが放った時刻と宣言から、他の側近達も崩れ落ちる。実はワシも気がかりではあった。しかし、あの場では御方のご協力がなくてはどうにもならなかった事も事実。それに香潮様のご意思は硬かったのだろう。側近の声に耳を傾けなかった。公孫樹が拒否をしなかった事、場の困窮も相まってかな。

 200歳を超える大長老の最期は穏やかとはならなんだが、やり切ったという気持ちの見て取れる晴れやかなご表情であったよ。

 香潮様の逝去は確かに大きな話であるが、それよりも問題は今のワシらだ。香潮様に託された民を守りきらねばならぬ。潮音の不完全な魂が元通りとなり、脈動を始め、心肺も稼働し、一時乱れた脈拍と呼吸も安定した。……が、時兎の親子もそろそろ限界だ。意志という指標を失った神海大人の外形は、その有り余る力が激しく暴れだしたのだからな。……後入りのお二人が並び、まだ動ける人員を引き連れて出ていったが。はてさて……、どう転ぶか。ワシももう動けぬ。元来、魔力の微調整などが苦手な種族である魚人族。ワシも類に漏れぬ。訓練し、ここまでではあるがな。やはり、限界だ。


「さて、小童共。あれが何か理解できる者はおるか?」

「神通力の塊……ですね」

「その答えでは合とも否とも取れん。あれが居る訳を見よ」

「心が抜けたエネルギーの塊ですか?」

「近づいたな。なれば、やつを倒す為にワシらは何が要る?」

「強い『意志(ジンツウリキ)』」

「そうだ。だが、我が息子、アリストクレアが言うとおり、神通力は諸刃の剣。ヌシらは学べ。その真髄と、それが本当はどの様なものであるかをな」


 様子を見守る為、何もしない事には落ち着かない面々。魔解は外部を映し出す機材を用い、奥殿で闘いの様子を我々に見せている。公孫樹は神経をすり減らす様にした為、目眩を起こした。今はワシら動けぬ者は皆が手当てを受けている。戦鬼様を始め、龍の3人も酷い倦怠感をうったえておるし、時兎の親子もさらに縮んでいた。……ただ、潮音の生還を行った際の好転もある。香潮様が最後の力を振り絞り、ある程度の余力を削いでくれた事で完全な神海大人よりも幾分か覇気が劣る。

 医者であるワシが倒れ込んでおるのが悔しくてたまらぬ。本来ならばワシが助けるべきなのだ。

 突如、神社が大きく揺れた。立っていられぬ様な揺れに神官達は大慌てだ。刃鬼様が神海大人の水鉄砲を斬り裂いたのが理由。斬り裂いたはいいが、近くの山は酷い有様だ。神社に当たらなんだのは良かったが……。画面に映る皆々は真剣そのもの。魔解の兄上にあたる城鬼(リクアニミス)様が刃鬼様の刀にある秘密を話しながら、自身も父君の横に並び、2発目の水鉄砲を大槌で打ち返す。水鉄砲の直撃に揺らいだ海面と神海大人。横倒しになるが再び海水で再構築してしまう。


「キリがないな。どうする? 父さん」

「決まっておろう。ここに居る者でやつを再び海底に縛るのだ。二度と……今回の様な愚考を起させぬ様に。強き縛りを与えるしかない」

「策は?」

「皆の衆。一朝一夕には行かぬが、自身の武器に神通力を塗布できればよい。できぬならば、道具に頼るのが得策だ」


 神海大人は紛い物。生きている訳ではない。実体がある訳ではない為、何度攻撃しても再構築する。

 二代目水研は自身の体に神海大人の神通力を取り込み、三代目水研に作らせた海脈を神社へ通した。それをゆっくりと空脈、地脈を通して土地に還す事で災厄を豊穣の礎へと変えたのだ。ただし、その方法にも唯一の欠点があった。血奮を持って生まれる存在だ。二代目水研はその血奮が特性として持つ膨大な神通力の許容力と、引き寄せやすい体質から生き仏となった。二代目が生き長らえるのには限界がある。いかに神通力を使い、体を保っても不老不死とはならない。神通力は生き長らえさせる事はできても、同時に体内の各部位を摩耗させる。二代目が死した後、血奮持ちに強すぎる力が引き寄せられれば再び災禍が訪れてしまうのだ。故に三代目はそれを引き起こさぬ為、2人の子達の別れた体質を利用した策を練った。三代目の嫡男が四代目を名乗らなかったのもこれが関わっておる。

 魔解が倒れ込みながら、秘策を口にする。本来ならば魔解が行おうとしたらしいが、やつもあのザマだ。正確無比な射撃はほぼ不可能であろう。その為に兄君と父君に臨場願った訳だからな。その秘策とは……。


「この封印具をあやつの中心に捩じ込む」

「そういう事か。アルの事だ、だいぶ前からこれを用意してたんだね。だけど、自分がへばった時にこれを扱える人間が居ないと踏んで」

「大先生らがおいでになったんやね」

「そういう事だ。だが、事は口で言うほど簡単ではない。先程の拘束時ならばまだ容易であったが……」


 そう、無差別に近づく者を叩き潰そうとする神海大人には簡単に近づけない。泳いで行けるのは腕の立つ魚人族のみだ。赤八と白槍では近づいて手助けまではできようが、例の封印具を上手く使えぬだろう。そこで今回は……。

 刃鬼様と雷虎、城鬼様と妖精坊の組みを主体に小型高速艇で攻撃や反撃を限定させずに近づき、封印具を用いて海底深くへとお帰り願う訳だ。陣割りは先程の4人の他もしっかりと決められたようだな。赤八と白槍は海底での救出班。実は雷虎は泳げぬ。万が一に船が沈められた際の保険だ。あやつら以外にはできまい。次にこちらの防衛につく者達。椿様が銀嬢と交代し、紅葉、詩詠が結界要員としてこちらに来た。最後に残った黒鎌嬢はまた別に動く。先程の雷虎と同様に、対岸の海岸付近から状況判断し、海神神社より封印具の起動を教える役割だ。

 休みない……。連戦で皆が疲弊しきっている。潮音の血奮も戻り始めた。一安心だな。ワシも務めは果たしたいが動けぬ。

 時を待たず、作戦が動き出す。相も変わらず揺れ続けはする様だ。さすがに疲れた様子の銀嬢が魔解に膝枕をしてやりながら潮音の横顔を見ている。そして、その隣にいる公孫樹にも目を向けていた。


「中々どうして、久々の戦場は滾るのう」

「大先生……ウチは気が気じゃないですっ!」

「はっはっはっ! 子虎よ! まだまだ未熟よのうっ! どの様な逆境をも楽しまねばならぬ! ワシらの様な者は……特にな!」


 刃鬼様の刀をワシは見た事がある。ワシも最初は解らなんだ。しかし、何度も何度も見ておるうちにワシはその刃の本当の美しさが解った。あの親子は本当にそっくりだ。認めた者にしか打たぬ。刃鬼様が打つ刀はかのお方が打つ際に神通力を流し込みながら鍛えるのだ。手にする者が使い、正しい使い方をしてくれるという思いが込められた武器なのだよ。性能では語られぬ。誇りを魅せる一振なのだ。余談だが、かの工房に飾られておる刀は全て持ち主不在の物。持ち主を……様々な理由で失った物達の居場所なのだよ。物によっては100年以上ふり抜かれておらぬ物さえある。

 自身が鍛えた刃に自身の纏う神通力を流し込み、波状に打ち出して神海大人の攻撃を潰しながら接近する。海面を滑る小型高速艇の班は確実に距離を詰めていた。城鬼様と妖精坊もまた巧みな動きで翻弄しておる。

 撹乱のつもりなのか、赤八と白槍も何やら海中で小突いておる様だが……。魔解が倒れても機材の目の前に座り続け、黒鎌嬢の合図を待つ魔弟。民の為に忙しく動き回る神官やワシに賛同してくれた兵卒達。まだ、この国も捨てた物ではないな。


「太刀海はさぁ、無理な事は無理って確かに言うけど。いつも悔しそうだったじゃない?」

「ん? どうした? 銀嬢よ」

「アタシ、そんなアンタ達2人を見てていつも思ってた。苦しかったら、アタシ達を頼りなさいよ。今回みたいにギリギリになる前にさ」

「……うむ、そうだな」


 自然と涙が止まらずに溢れ出た。もし、過去に帰る事ができたのならば、ワシは迷わず魔解に助けを求めただろう。この様な未曾有の事態に発展する前に様々な手を打てただろうに。ワシは……なんとも極まった阿呆だ。ワシ1人で解決できる事などホンのひと握りよ。それが今になって解った。本当に……もう少しで失う所であった。あの時の様な力の無さ、無力な自分から逃げるばかりに……。母上が亡くなられた事を父のせいだけにし、ワシは目を背けた。目を向けているつもりであったのに。

 ……?! ワシが物思いに耽っておると再び地鳴りが起きる。しかも今回はかなり大きい。神社の外部で悲鳴や怒号が飛び交い、半狂乱に陥った民の声が聞こえる。ワシは体が動かなかった。動かしたい。動かしたいのだっ! 動けっ!

 先程までの映像の中心に居た神海大人が居ない? 何故だ? 刃鬼様から通信が飛び、急に何かの異質な氣に包まれ、跳ね上がったと思いきや海神神社の真上に落ちたと言うではないか。くそっ! 何だと言うのだ! こんな時に!


「シルヴィア! これをやつにぶち込め!」

「?! ど、どうやって?!」

「大丈夫だ! お前なら、できる! 女神の力を使え!」


 訳も分からずと言った状態の銀嬢。神官達すら収拾をつける事ができない今、事を締めくくるのにはやつを仕留めるしかない。椿様、紅葉、詩詠は結界を用いて潰されぬ様に維持するのがやっとの様子だ。……そして、事が動いた。

 銀嬢の鎧が開かれ、白銀の派脈と真紅の派脈が渦を巻く。海神神社の奥殿。その屋根の上で片腕を神海大人の腹下へ向けている。神通力……? 神通力の様だが、これほどまでに巨大な派脈を肌で感じた事はない。こんな物を無造作に放たれたら神社は愚か、この周辺一帯が吹き飛ぶぞ?! それでも銀嬢は止めぬ様だ。確かに、この場では手数もなく、物理的に押し返せる戦闘員ももはや居らぬ。銀嬢は先程、魔解より手渡された弾丸型の封印具を、掲げた片腕の真上に放り投げた。その封印具が徐々に銀で包まれてゆく。何をする気だ? 銀嬢の能力はワシには解らぬ。何が起きるというのだ。


「椿様! 紅葉ちゃん! アルフレッド君! アタシの合図と共にアタシの真下から皆さんを守れる結界を用意してください!」

「……やるしかなさそうね。二人とも、準備はいいかしら?」

「お、お母さん、それよりも重くて、潰れ、そう!」

「何とかなるでしょう! シルヴィアさんお願いします!」


 銀嬢の派脈はさらに強く渦巻く。拡散せずに一点に集約されつつある。以前までは白い派脈だけだった。しかし、ワシらが王都で遊んでおる間にあれ程の何かを手に入れたというのか?

 派脈が一点に集まった。神官や神社の内部に居る者達全てが、神々しいまでに強く閃く銀嬢を見ている。おそらく、準備は終わった。あとは放つのみ。しかし、銀嬢は何があったのか動かずに居る。それにもう1つ妙な点がある。神海大人は先程とは違い、体重を掛けている様には見えないのだ。ワシの疑問だけではない。……ワシだけではない。皆に聞こえておるのだろう。先程亡くなられたはずの香潮様のお言葉が。銀嬢には最初に届いていたようだ。

 こう考えれば合点がいく。潮音の思念を取り返す為に、公孫樹が闘っていたあの時だ。香潮様は自身の思念を潜り込ませ、潮音の思念を切り離させて蓋を閉じた。香潮様は既にだいぶお体が弱っており、最後の一手を投じたのだろう。潜り込んだのはいいが、香潮様は適合性の問題があり、神海大人を抑え込む事ができずに暴走。それをこの土壇場で制御を奪ってくださったのだ。そして、ワシら海の国の民へ最後のお言葉を残し、香潮様は最後の旅立ちを迎えられた。

 涙しながら銀嬢の放った鮮烈な何かは神海大人の水塊を一瞬で消し飛ばし、封印具へとその生命力の現れである神通力を封じ込めたのだ。香潮様、海の国はお言葉のまま、日々歩みます。


『強く、生きよ。海の国』


 後日、ワシらは海の国の民と共に、最大級の葬列を組み、香潮様のご葬儀を執り行った。ご遺骨は神社のしきたりに習い、海の祠へ安置されている。それと同時に神海大人の神通力を封じ込めた例の封印具もだ。

 さらに数日し、最も重傷であった赤羽が動けるようになり、あとは潮音が目覚めるのを待つだけとなった。いつ目覚めてもおかしくはないのだが、やはり神海大人との繋がりはかなりの負担であったのだろう。そうだ、封印具と言えば、こんな話題がある。魔解の封印具はあくまでも神通力をその場に根付かせる核の役割をするだけらしい。最初は香潮様の意識が残るのでは? と皆が期待したが、その様な都合のよい事はないそうだ。

 そう言えば、ワシがまだ留学する以前の話だ。ワシの母と香潮様は親しかった。それ故、個人での交友もあり、少なからずありがたいお話を伺っていたのだ。常々、申されていたよ。物事には最適がある。されど最適を維持するのは難しい。どこかで何かを妥協したり、譲歩したり……。考え方によっては受け入れなければならない。争いや諍いもあるだろう。だが、対立ととるか互いに競り合い、切磋琢磨ととるか。どちらと取りたい? とな。

 今となってやっとこの言葉のありがたみと難しさ、素晴らしさに気づけた。……失った物もあったが、得たものもある。海の国は香潮様からたくさんの物を授かったよ。未来が残されていると言う希望をな。ワシも……皆と共に精進しよう。

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