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戦場は計略的に

 我々が海の国を大回りに抜け、海神神社で巫女様との謁見が迫る直前の事。魔解や弟達が闘っているのであろう場所から、凄まじい爆裂が確認された。火薬によるものでは無いな。あれは魔法だ。ワシの出身である水研家は魔術や魔法の知識は乏しい。国外より極秘裏に勇者を配備していたとして、あれだけの力を持つ魔導師はあまり居ないだろう。そうなれば自ずと誰が放ったのかが解る。ワシの様に特殊な魔法感知能力が無くともな。頭を使えば見えてくるものよ。

 正直に話せば遅かれ早かれこうなる事は目に見えていた。我らが陣営は少数精鋭だ。大本営との手数や物理的な戦力差で考えれば、防衛拠点を絞りながら撤退し、国境に位置する本陣での籠城が望ましい。今回ばかりは嬉しい誤算とでも言えようか……。ここまで快く引き受けてくれるとは驚いたよ。魔解の鬼が弟達に加勢していなければこの様に腰を据えての移動などできなんだ。

 それだけではなく、保険なのだろうがもう一つの部隊も動いている。ワシらが海の国へ向かうのとは別ルートで魔解の弟子も陣に加わっている。大本営の頭の固い指揮ではまったく対応はできぬであろうな。まったく、あの鬼は本当によくやる。


「はぁ、馬鹿者……。あれはやり過ぎだ」

「あの程度であれば死人は少数でしょう。魔解殿も威嚇の為に強攻撃を定期的に放っている様子」

「……アタシは無駄な殺生は許していない。今はアタシが最高指揮官なんだよ。我が孫とて線引きはしてもらわねばならぬ」

「しかしながら、大本営は我々の陣営の数十倍に及ぶ戦力にございます。目隠しをせねば魔解殿とて多勢に無勢となりますぞ?」

「ふむ……そなたがそこまで言うならば良いが」


 魔解が加勢しておらず、ワシが居ない陣なれば、水研の大本営は数時間で制圧できねばならないはずだった。できねばならぬよ……。単純な兵士数からの戦力差は数十倍。大本営には拠点を設営する資財などの余裕がある。対して外郭防衛陣は守るべき民衆は多かれど、闘える将兵はそれ程多くない。また、内側からの攻勢を防御するのに向いた拠点は限られるのだ。元より、内部からの攻撃など想定していない。

 その上で偵察に出てくれている炎龍姫(アトロピナ)様によれば……流石は魔解の鬼。と、言う具合らしい。ワシを待つ為にわざと敵へ致命的な攻撃をせずにいるようなのだ。本来ならば外郭防衛陣は持久戦などしたくない。兵糧にしても大本営は備蓄があるが、外郭拠点にある簡易の貯蔵庫では量が限られる。兵糧の事だけではないが無理を押してくれているのだ。


「拍子抜けする程平和な戦だな。魔解殿は何か目的があり、敵を攻めず、抑えるに徹しておる様だ」

「そうかい、ありがとうよ。アトロピナ。概ねはあの子の作戦通りだな」


 魔解の鬼はワシの意思を汲み取り、我が父親を殺さぬ様にしてくれている。やつが単身で攻め入れば、即刻解決してもおかしくはない。戦を静めるだけならば、魔解だけでもできてしまうのだ。だが、やつはワシが用向きを終えて、ワシ自身の手で責任を果たす事を推してくれた。やつには感謝の念しか出ん。

 潮音を匿ってもらった事についても、勇者として席を残してもらっていた事も。ワシだけではないだろうが、あやつの人生に干渉しておるはず。口は悪いし態度も素行も悪い事は否定のしようがない。だが、やつほど義に篤く、心根は真っ直ぐな者は今や少ない。策謀にしてもあれ程に切り替えの良さを活かした者も居ないだろう。その中でも想定外(シルヴィア)との闘いに日々務めて居るしな。あのわがままな嫁をよく御しておるわ……。

 ……想定外と言えば、公孫樹だ。あやつもワシと似ていた。何かしらの重圧から逃げたがる事や、責任を言い訳にする辺りがな。その公孫樹が、ワシの隣で愛おしそうに自らの腹をさすっている。公孫樹の言葉を信じなかった訳では無いが、自覚が欲しい為に第三者にも見て頂いた。戦鬼様にご確認願ったが、やはり神通力、魔力の派脈から考えても確実との事。しかも、双子だと言うではないか。もとより人生設計など無いに等しいワシでも流石に狼狽えた。だが、不思議とこやつの表情を見ておると……守ってやりたくなるのだよ。ワシは強くない。弱いからワシは逃げてきた。守れるものには限界があるのだ。壁を作り、手を差し伸べなければワシは重圧から逃げられる。知らぬ振りさえしていれば……。その代わり、拾えるものは全て拾ってやりたかった。矛盾しているようだがな。そうしている内にワシには『守らねばならぬ責任』ができた。力が足りぬとしても、『逃げるための責任』と決別せねば、新たな命は守れぬ。ワシは父になるのだ。ワシが自らの子らに苦渋を啜らせるような未来を引き込んではならぬ。ワシは……その為に闘うのだ。


「当代の森巫女、夜桜様御一行がおいでになられました!」


 海神神社……。ワシが潮音と初めて会ったのはここだった。穏やかな表情に草木を愛する雫の様な可愛らしい少女。その頃のワシは弟達も妹も……可愛くて仕方なかった。だが、ワシは後に残酷な運命を目の当たりにした。潮音の生まれた理由、我が妹の母が死した本当の理由……。ワシは……その時には実の父親とは不仲だった。

 留学し、ワシが学んだのは医学や軍学のみではない。異国の進んだ文化や、進んだ故の歪み。見て、聞いて、体感した。魔解との学舎生活は発見の連続であり、多数の友好にも恵まれている。帰国し、まずはこの国は息苦しく感じた。古い武家習慣は今やこの国の汚点でしかない。確かに礼節やわびさびなど、汲むべき所ももちろんある。だが、全てを踏襲するのは間違いだ。踏襲は歪みを生み出し、間違った改革が進み始めている。……権力の為に不可侵を破り、形を崩して飲み込もうとしてしまう。独裁の姿勢は今のこの国には不必要。この国は年々、閉鎖傾向にある。外交として全てを開く必要は無いが……、開かねば、風を受け入れねば、腐り落ちてしまうというのに。


『ふむ、見たところ社はあれ以来何一つ変わらぬな。中身は……腐り始めておる様だが』


 長い石段を上がりながら、下級の神官が話す事を聞き流していた。形だけの出迎えならば要らぬと言うのに……。貴様らの様な神官らしからぬ者が堂々と神に仕えておるのか。たわけが、汚らしい言葉が聴こえていないつもりならば大間違いだ。罵詈雑言を並べたくば声を大にして並べるがいい。言論は自由だ。しかし、そなたらが無事とは限らぬがな? 少なくともワシに対しての事ならば大して気にせぬ。この場においてワシは本来ならば疎まれて当然。潮音を歪めた水研の家から出た者だからのう。

 だがな? 公孫樹に対する侮辱は許せぬ。我らは観光客ではない。用向きがあり、巫女様に招致を受けた者だ。それ以前に礼節すら立たぬのか? 義も立たぬ神官が居座るとは、この神社も堕ちたものだ。解らぬか? 親書により来訪した使者への無礼となる行為。それは当代の海の巫女様のご意思に意を唱える事と同じ。国外の他種族を巫女として迎える事に例が無いからといって、口にしてよい事と悪い事が有るのだ。

 ワシが怒りから無意識に刀の柄へ手を添えたのを公孫樹が気づいたようだ。公孫樹はそれと気づかれぬ様に寄り添うて来る。ワシが驚いているのを気にせず、そっと手を添えながら抑えてくれた。公孫樹のこの様な気遣いは本当にありがたい。この様に公孫樹は様々な物事に柔軟に対応するのは得意なのだ。あまりにも突飛な出来事でなければな。


「貴方の出番ではないわ。言いたいならば、言わせればいいの。言いたいことがあるならば……ねっ?」


 ビリビリとした氣を一瞬感じたと思えば、途端に数人の神官が倒れる。公孫樹は舌を小さく突き出し、事も無げに前を向いた。見回して確認したがかなりの数の神官が倒れた。確かに公孫樹は地獄耳だからな。気をつけねばなるまい。はてさて、もちろんその場は大騒ぎになった。しかし、一部始終を目にしていたらしい高位神官達が隊列を乱し、陰口を叩いた者達を一喝。ワシを含めた一行へ深々と頭を下げ、謝罪の意を述べた。本心はどうか知れたものではないが、こやつらはまだ頭が働くらしいな。公孫樹はそやつらにまで威嚇のつもりらしく、キツい視線を向ている。

 戦鬼様は当然だと言わんばかりに謝罪に対して頷き、少々派手に仕返しをした公孫樹の尻を叩いている。……あれは痛いであろうな。魔鬼血統は馬力がある。ハイエルフの公孫樹は体に関しては人並みの能力だからな。高位神官達は倒れた下位の神官達には目もくれず、自らの職務へ向かう。親切心や思いやりとは何なのか……のぅ。


『いかんな、古き悪しき時代の貴族のようだ。弱者に手を差し伸べ、祈り、過ちを許すはずの者達すらこのザマとは』


 公孫樹が使ったあの技が気になるのか? ふむ、誰にでも使える訳では無いが、高位の実力を持つ勇者ならば難なくこなすだろうな。ただし、あれ程に緻密な制御ができるものは限られてこよう。実際、ワシは似たような技を使えば範囲が広すぎ、この場のほとんどの者を昏倒してしまったやもしれん。

 かの技における発現割合は公孫樹の様な種族が親和性として高い。体内と体外の魔力交換や吸収、貯蔵などの指標、魔力活性が非常に高い者が意図的に行える技だからだな。ワシも使えなくはない。だが、我々の様な魚人族は体内からの放出は得意だが、体外のからの魔力や魔気変動、それらへの微細な干渉は苦手だ。

 おそらく魔力を急激に加圧され、体内の魔力圧を急に上げられた為、あれらは倒れたのだ。この様に1部の耐性は無いが、その代わりにワシらは多少の手傷では死なない頑丈さはあるがね。んっ? 違うとな? ほほぅ、ワシの嫁は中々に鬼畜と見た。魔力よりも圧を高めれば、負荷が強くなる方法を用いていたか。公孫樹は先程の神官達を彼らの派脈とは真逆の魔力流脈で締め上げたらしいのだ。ワシもフォーチュナリー共和国で学ばねばこんな知識は身につかなんだだろうな。


「力を使うのは構わぬが、体に触るような事はするでないぞ?」

「うん。解ったわ」

「ワシとて覚悟を決めた。……必ず、良き父になってみせよう」

「あ、ありがとう。私に対しても良き夫でいてよ?」


 長い石段を上がり終わり、大門を抜けると本殿へ繋がる道に出る。参道だ。ここから先は男子禁制。ワシはここまでだ。ワシが止まると『ご理解感謝致します』とさらに高位の女性神官達がワシへ頭を下げる。ワシも礼を返し、振り返った。

 しかしなぁ……。公孫樹め、どの様な威力をかけたのかは解らぬが、やり過ぎだ。医者としての立場から見るならば、すんでのところで……と言って過言でないぞ。締め上げられたのはおそらく脳。人間における脳は全ての機能を統率する指令機関だ。その脳を刺激するとなれば、強過ぎる刺激は後遺症を残しかねん。

 先程の高位神官……いや、中級神官だな。やつらを呼び寄せ、軽く叱りながら何故対処せなんだ? と締めくくり、倒れた者達を調べた。頭を砕かれた蛙の様に手脚が痙攣している。酷い者は泡を吹き、顔面蒼白であったり、白目を向いておるな。中には女子も居るのだが……。あまりにも哀れだからな、先程の奴らの手当てくらいしてやるか。手当ても済ませ、後遺症は残らぬと思う。実力も無い者がその場の感情で物を言うからこうなるのだ。立場ある物は言動に気をつけねばならぬ。いくら下位であっても神官であるぞ? 貴殿らは信仰を持つ者達の模範であるべきだ。

 説教を垂れた後、先程まで公孫樹が居た方向を見直した。公孫樹は夜桜勇者塾で戦鬼様から少なからず受け継いだ物がある。彼女の魔を受容する体に、あの鬼を写してしまったのだ。だが、それは空気や気質のみ。力や器量は足元にも及ばんよ。その公孫樹に縛られた神官達を解放し、ワシも手持ち無沙汰な状態をどうにかしたい。数人の頭が柔らかそうな神官を捕まえ、情勢を問う事にしよう。


「森巫女様、本日はよくぞおいでくださいました。この様な見苦しい姿での顔合わせとなり、申し訳有りませぬ」

「いや、我々こそ急な申し入れを申し訳ありませぬな。して? お体はよろしいのか?」

「良くは……有りませぬ。しかし、久しくお会いできず、お話できずにいた森巫女様と……後継の姫。そして、私の娘となる巫女と会えた事はまことに喜ばしいこと」


 海の巫女様……。本名は香潮(カシオ)様。御歳は200歳を軽く超える大長老でもあり、長らく海の国における農耕、畜産、漁業などの産業を支えて下さった方だ。様々な方面に博識な方で海の国の生き字引とさえ呼ばれる。お優しい方ではあるが反面、お叱りになる時は恐ろしいではすまぬらしい。

 よる年波もあろうが、最近は心労と政治情勢の急変からかご多忙の様子。潮音の件以来、水研の家が信用不審に陥った。近隣の民衆が武家から離れ、神社へ救いを求めている事もあるのだろう。あのご年齢で執政業務を行われ、巫女の儀もこなされるのは相当な負担だ。……というのも、魚人族は平均年齢がそれ程高くない。小属により異なるが、ハイエルフの様な桁違いな物ではないのだ。


「先程はお騒がせし、申し訳ありませぬ。全て私の監督不行届が原因。務めて改善致します」

「頭をお上げください。こちらの跳ねっ返りにも非はございます」


 ご尊顔を拝する事はかなわなんだ。だが、相変わらずの人望よの。若い神官達は素直に巫女様を心配し、ワシへ座学を求めてきた。ワシはこの国では多少は知られておるからな。執政、国防、医療など教えられる事は様々にある。……とはいえ、彼らは神社での権威が低く何もさせてはもらえぬだろうな。彼らは先程の隊列では石段の下段側に居た者達だ。少し位が上であっても神官としての立ち振る舞いがなっていない者より、彼らの方が幾分も立派であるがな。

 海神神社にも今の世に合わぬ風習が残っているのだ。言い方は極端な物ではだが女尊男卑と言おうか……。元より、海神神社の創設に関する書物にも『海の巫女』と言う神格化された力を持つ女性が現れる。戦に明け暮れ、血に穢れた大地をその女性が海の力を用いて浄化したと言う物語だ。その際、男性は槍玉に挙げられる。女性は神聖な存在、男性は不浄な存在として激しく差別された時期もあるらしい。今では彼らが居る為に解るだろうが、ある程度軟化した。それでも女性上位の本質は変わらない。どこの国にもある物だな。立場があれば諍いが起きる。虐げられた者の中には、それ以上の加虐を行わねば気がすまぬ者もいるのだろう。この様なイタチごっこが……破綻へと導くのだがな。食い食われとなれば、人とてただの獣よ。いつからこの国より歩み寄りと言う言葉が消えたのか。嘆かわしい……。ワシの努力はやはり無意味なのだろうかな。


「跳ねっ返りか…面白い。そなたが……私の娘だね」

「は、はぁ……」

「当惑もするだろうね。この神社は本来ならば世襲制。私の娘が継ぐはずだった。しかし、……忌まわしきあの日、それは叶わなくなってしまったのだよ。今の私ではあの行為を許すことはできない。でもね? これはいい機会だと思う事にしたんだよ」


 ワシがあれ以来一定の方向を見ている事に気づいた神官の1人がそれを問うてきた。ワシの親友が民の為に闘ってくれていると答える。彼らはそれが他国の勇者だとは知らない。おそらくは魚人族の勇士だとおもったのだろう。だが、実情は違う。

 魔鬼血統は様々な土地で疎まれた種族。そんな者がワシや弟達、潮音の為に策を振るい、知恵を絞っている。信じる者は少ないだろうがそれが事実だ。

 だが、見方を変えてみよう。戦鬼様から殺生を制限されておる。やつならば、屠れるだろう。この海の国は弱い。土地の加護に甘え、隣国の強大な国家における後ろ盾があると鷹を括り続けていたのだ。井の中の蛙は身内で揉み合い、蹴落とし、蜘蛛の糸にすがろうとする。しかし、蜘蛛の糸は1本だ。細く、頼りない。ひと握りの物しか……光を見れぬ。国内での蹴落とし合いに疲弊した民は武家への忠義など持たない。守るべきは下支えしてくれた民であったのにな。もはや手遅れだ。

 様々な因子が絡み合い、以前の防衛戦もワシが苦戦を強いられ、魔解はおろか銀嬢までもが助力に現れた。それなのに大本営は一歩たりとも動かぬ。国が腐り始めた現れよ……。内部での摩擦は互いにすり減らす。それを抑え、現体制が変わるまでを耐え忍ぼうとした。これまではワシが仲裁に入っておったのだ。だが、大本営の無理矢理な要求に業を煮やした白槍の阿呆がそれを無駄にし、時をせず併せた様に赤八などは大本営を侮辱し、ワシを国主とたてるなどと声高々に宣言したと言うではないか。ワシが執る舵とは何なのか……。不条理を排し、民が食うに困らぬ国になるよう務めた結果がこれなのだ。誰がどう取り持とうとこの国は空回りが直らぬまでになってしまったのだよ。

 それにワシの気がかりはもう1つある。潮音だ。あの子は一見落ち着いておるし、家庭的で家事などが上手い事は認めよう。しかし、あの子は銀嬢など比にならない程に無鉄砲で怒りや感情に従順な側面がある。一定の線引きがある故、目立ちはせんかったがな。今ではどうだ……。赤羽(ミュラー)までもを口説き落としてからに。1度、これでもかと叱るべきだろうか。


「いい機会?」

「あぁ、そなたから感じる。あの者の移り香をな。それに、その腹の子らは……水研 太刀海殿との子だね?」

「「ザワ……ザワ……」」


 我が父の目的か? 国の掌握? そんな物で済むはずがなかろう。我が父は手始めに隣国の火の国を取るつもりのようだ。フォーチュナリー共和国と肩を並べながら様々に手を伸ばし……、海の国を拡大し、支配を拡げようと妄想を膨らませた。その上で魔法や異能研究の知識が必要と考えた父。だが、研究から始めたのでは時間がかかりすぎる。時間をかけずにより大きな力を得る手段を模索したのだ。その中で起きた事件がある。潮音の母君……次代の巫女様が何者かに拉致されると言う前代未聞の事件だ。ワシはまだ若く、無知だった。その首謀者が我が父で、目的が巫女の力を持つ女性を一族に取り入れる事だったのだと知らされた。海の巫女様と親しかった我が母も父を抑えられなんだ罪の呵責と心労から、その事件の後にしばらく病床に伏した末、亡くなられてしまったよ。あの男はその母の見舞いなど、ただの一度も来なんだがな。

 ……そして、武家衆の中で発言権を強めた父。海神神社に圧力をかけ、潮音を引き取る為に水研の家の使者としてワシを遣った。ワシは何も知らず、潮音を迎えに行ってしまったよ。あの可愛らしかった潮音は父の宛てがう教育係がついてからというもの、人が変わった様に寡黙になってしまった。さすがにワシでも違和感を覚える程だ。その違和感を学友であった魔解に確かめる直前、……さらに深刻な事件に見舞われる。その年、例年よりも長引く長雨の季節。その長雨が一時として止まぬ。畑は腐り、川も荒れ、海は濁った。次第に地崩れや鉄砲水、地震や竜巻などの天災すら巻き起こり始める。ワシは一縷の望みに縋り、魔解へ助けを求め、解ってしまった。その根本の原因は潮音の心に現れた虚構にあったのだ。

 潮音の力は当代の巫女様をも遥かに超え、地脈を狂わせ、空脈には一時、修復不可能と思われる様な歪みを作ってしまった。魔法や異能研究に乏しい我が国には対処できる機関は1つしかない。魔解の指示は残酷であったが、当時はそうせざるをえなかった。巫女様も心を痛めておられたが他に手立てが無いと解ると……自らも体調を崩している中尽力された。海神神社が何人もの上級神官を犠牲にして、何とか最悪の事態を避けたのだ。煮えたぎる様な怒りを胸にワシはその折に立ち上がった。単身で巫女様へ願い出て、潮音を国外へ連れ出し、海の国を……彼女を守ると誓ったのだ。


「あの者はこれまでケジメのつもりか、私には経過の手紙を寄越す以外はしてこなかったよ。……夜桜様が、そなたがかの男と親しいと言うのでな。私は、この古きしきたりを砕き、新たな形を築く礎としたいと思う。神社の歴史を私で閉じ、新たにそなたへ託したい」

「……」

「天照の神子よ。そなたは私の娘となり、私の意志を継ぐ者となる覚悟はあるかい?」

「わたくしは、神子ではありません。私はあくまで、私です。ですが、力を持つ者として、形を背負う覚悟はここにございます」

「……うむ、その言葉さえ聞けたらば、私の役目は終わりだ」


 ……なんと高密度な魔力の流れ。巫女様が公孫樹をお認めになられたようだな。一安心と言えばそうだが。ワシには触れられない。今は出る幕ではなかろう。下級神官達は熱心だ。ワシの配下に引き取りたいものだよ。

 すると、参道の奥門が開き、女性の高位神官が重い口調で声を発した。表情もかなり複雑そうだ。ワシも、そこに居た男性の神官達も驚きと困惑から互いに顔を見合わせる。放たれた言葉の意味をそのままとるならば、男子禁制の奥殿にワシを通す。……と言っているのだからな。ワシが意図を理解しきれずに戸惑っていると、銀嬢が顔を出し複雑な表情で手招きしてきた。さすがに身内が、それもあの銀嬢がとなれば行かぬ訳にはいかない。一抹の不安はあれど覚悟を決め、歩み始める。関係の無い神官達が何事か? とワシを見ているのだろう。相当数の視線を背に受けながら、ワシは奥殿の門を潜り、さらに奥に位置する巫女様の居殿に通された。

 本当に久しぶりにお会いする。潮音に輪郭や目の周りがそっくりなのだ。確かにそっくりでも不思議ではない。何故ならば、潮音はこの方の孫娘なのだからな。それでも何故だか不思議な気分だよ。ワシの祖母でない人が妹とそっくりなのだから。

 巫女様…と口にした瞬間、香潮様自身から俺へ訂正が入れられた。首を横に振り、目の前のお方はこう言葉を発する。私はもう巫女を辞めた、とね。今の巫女、いや代表はワシの妻となる公孫樹なのだと皆の前で宣言したのだ。この響き具合では外にも聞こえたはず。その証拠に外が急にざわついた。奥殿の守護らしい女性神官達の怒声も響く。だが、なかなか収拾はつかず、香潮様の側近らしい神官達が重い足取りで奥門へ向かっていった。

 何の脈絡も言葉もなく、急に香潮様はワシへ頭を下げる。何を言いたいのかはよく解らなかった。ただ一言、潮音が世話になったと言う。ワシは妹を守りたかっただけだ。それに香潮様のお力無くしてはそれもかなわなんだからな。力不足を謝り、礼を言う為に頭を下げねばならぬのはワシの方だ。香潮様はワシが頭を下げ、その様に告げると首を横に降った。この方はワシへ試練を投げ渡す為にここへ呼んだのだそうだ。公孫樹もそれには少し不安げな表情をしている。


「さて、大馬鹿者よ。お主がここに来ぬ故、私が謝るのが遅れてしまった。こんな体になるまで潮音の件を引き摺りおって。……、最後に年寄りのわがままをお聞きなさい。お主の父が腐らせた国を責任もってお主が統治せよ。水研 太刀海! さすれば、娘の事、孫の事も水に流そう!」

「し、しかし……わたくしには」

「お主は何を勘違いしておるのか知らぬがな。私はお主1人で治めよとは言っていない。弟共を使うのにも器量がいる。お主の父親には欲こそあれ、器量がない。このままではこの国は再び穢れに沈む。その前に、お主の妻、公孫樹が『浄化の神子』となってくれた。私はもう用済み、楽にさせておくれ」


 寝台に横になった香潮様は直ぐに寝息を立て始めた。相当なご無理を重ねていたのだ無理もない。あまりにも自然に目を閉じられた為、驚きはしたがな。ワシらが穏やかな寝姿に安堵していると状況は一変する。香潮様も肝が据わったお方よの。この地響きでも目覚められない。寝息はたっておる故、亡くなってはおらぬぞ。

 ワシらが安心しておったのもつかのま、不穏な爆発音が響きわたる。この火薬は魔解の使う物ではない。偵察に出ていた炎龍姫様が戻られ、戦況を報告してくれる。未だ詳細な動きは掴めないが大本営の苛立ちは頂点に達し、魔解や弟子達の部隊へ全面攻撃を仕掛け始めたらしいのだ。さすがにこのままではまずい。魔解は攻撃や偵察、策による撹乱は得意だが防衛戦術は得意でない。この様な場面では向かないのだ。急がねば! 戦鬼様が走り出そうとしたワシの背を思い切り叩いた様で悶絶していると、頭上から罵声が飛ぶ。銀嬢だ。確かに最高指揮官は戦鬼様であるが向き不向きでいうなればワシが適任。直ぐに指示を出せと胸ぐらを掴まれる。

 その銀嬢も戦鬼様に頭を叩かれた。ワシの胸ぐらを掴んでおったら分隊すらできぬとな。ごもっともではあるのですがね。先に手を出さずにお言葉をもらいたいのですよ。戦鬼様。……それに落ち着けなどと言っている本人の目が一番血走っているではないか、銀嬢よ。確かに魔解が心配であろう事は解るが……。思い出せ、通常の軍隊ごときでは勇者、しかもSS級以上の勇者になど歯が立たぬ。紙くず同然に焼かれてしまう。


「大本営の末端部隊が攻勢を仕掛け始めた。細かい動きはもう少し見てみんと掴めぬが」

「今はそれだけで十分だ。引き続きお願い致す」

「了解した」


 だが、おかげで目が覚めた気分だ。そうだな、この様な時だからこそ落ち着かねばならぬ。

 まずは戦鬼様と公孫樹にはこの場に残ってもらう。その指示で公孫樹が反論しようとしたのを戦鬼様が遮った。目的を先に聞いてから判断せよとの事。戦鬼様はこの付近の民が避難してくるであろうこの場の防衛を頼みたいからだ。公孫樹にはいきなりのぶっつけ本番となるが神通力を用いた地脈の制御を頼みたかった。この施設には地脈を利用した強力な結界装置がある。しかし、怪我人や民を落ち着かせる為、神官達は働かねばならない。さらに医療行為が行える神官までもが多数で払う中では効果的な利用は難しい。ましてや香潮様には無理はさせられないからな。戦鬼様と公孫樹の2枚の防御がより手堅く、民を安心させられる。ワシとしても武家の信用が地に落ちた今、神社は民を受け入れる事に尽力して欲しい。



「わ、解ったわ」

「そうさな。アタシは力技のが向いている。公孫樹よ、外は任せな」

「はっ! 私も最大限努力します」


 香潮様の側近であった数名の高位神官達からも同意の念を受け取れた。4人居た神官達は各々動く。2人は彼女らの部下にあたる神官達へ指示を、民の避難誘導やいざと言う時の防衛などの班を動かしている。1人は戦鬼様に付き、防衛についての算段やより効果的な方法を提案。最後の1人は公孫樹に付き、結界の機動施設へ向かった。

 これなら安心だ。ワシとは銀嬢に来てもらう。さすがに手数で無理に攻め入られてしまえば乱戦模様は避けられん。それを抑える為には銀嬢の広域守備結界が有効だ。ワシは土地に不慣れな奴らに情報を与えに走らなくてはならぬ。

 炎龍姫様には引き続き情報伝達と偵察を依頼。現状、総大将の位置にある父と対話ができるように持ち込む為、まずは双方を膠着させて、手を出せぬ様にせねばならぬ。魔解が強攻撃を定期的にしていたのは大本営からこちらの手数を読みにくくする為。でなければ魔解があんな狙いの不確かな攻撃はせん。殺して良いならば乱戦も行っただろうが、戦鬼様が殺生を固く禁じたのだから魔解もその手には出ぬ。……魔解の落ち度と言うならば増援の弟子達に隠密を徹底しなかった事だな。大本営があの攻勢に出たのは陣の薄さに気づいたからに違いない。

 ワシは水の道筋を作り最短距離を滑る。銀嬢は……あの鎧。まぁ良い。とりあえず、銀嬢はワシを無視し、先に想定した地点へ到着した様で大規模な結界を作り出した。それに気づいたらしい魔解以下数名がワシのところへ集まる。何故だ? 何故これ程までにこやつらがあっさりとこちらに来れた? おかしい。炎龍姫様の報告の様には敵の将兵がこちらには向いていない? 冷や汗が滲み出ている。魔解がワシに話しだした。大軍が押し寄せて来た直後、敵陣の後方で奇襲があったらしい。言わずもがな今の我々がそんな策は打てない。……何者か解らない者からの襲撃があったと言うのだな? 大本営の本陣は海の国の首都にあるはず。土地勘がなければあの街で的確な奇襲は難しい。大本営の統制が崩れる程の的確かつ効果的な策を練られる人物。状況が混迷している。皆の証言は一貫して確かに先程まで敵将兵がギリギリの間合いまで威嚇攻撃はしてきていた……らしい。しかし、踵を返すようにこちらからは離れて行った。もう、迷えぬ。……まずい事になってしまった。


「くっ、こんな時に……潮音っ!」

「……まさか、あのアホが単体で?」

「あぁ、ワシらがこちらに来る直前、潮音は赤羽を侍らせてこちらに出た様なのだ」

「師匠、それなら合点はいきますが……状況がさらに悪くなりますね」

「緊急事態だな。全員……よく聞け! 俺と太刀海だけで潮音をこちらに連れ帰る。それまではシルヴィアの命令が絶対だ。無駄な動きはとるな? 解った者は返事をしろ!」


 魔解が声を荒らげる事がまずは珍しい。それ程に切羽詰まった状況とやつも理解してくれたようだ。ワシも指示をする場で怒鳴りつけるなどはしないがな。それでも判断能力の高い魔解は合理性をとった案を提示した。このような策の場合は緊急性と危険性を示す意味でやつも威圧を行うのだろう。しかし、弟子達は誰一人残ろうとはしない。潮音の存在が絡んだ途端に皆の表情が変わったのだ。

 隊長を任された銀嬢すら、魔解へ反抗しているのだ。今回の増援部隊は隊長を魔弟(ニニンシュアリ)。副隊長に子兎(ココア)、さらにその2人の護衛に妖精坊(カルフィアーテ)黒鎌嬢(エレノア)、最後に詩詠(アルフレッド)、紅葉が来ている。雷虎(オニキス)風来坊(レシアデス)、ついでに爆龍姫(ベラドニア)様は別の懸念の為に八代目様について今は海上に居るらしい。フォーチュナリー共和国から海の国を見た上で……海の国を海から? 寒気以上に血の気が引いてゆく。

 そのワシを見たのか魔解が新しい提案を弟子達と銀嬢へ向けた。パーティーの相性や秘密保持を条件から排除し、展開力と解決への可能性に賭けたのだ。このような采配は魔解には珍しい。確かにあれこれ議論している時間はないのだ。いくら無理して移動しようにも大本営の分厚い軍を突っ切らねばならぬのだからな。並大抵の覚悟では越えられぬ。新しい条件が提示され、銀嬢はそれならばとこの場に残ってくれた。しかし、このままでは時間が無い。魔解の提案。それは……。


「解った! ガキ共。依頼主が焦りだした様だ。時間が無い。ニニンシュアリ! お前で自分らの命は守れ。出撃の条件は……8人での帰還だ」

「師匠……。はいっ!」

「アタシは?」

「俺のバディを任せる。背は守ってやるから前を頼んだ」

「うんっ!」


 ワシの両腕を魔弟と子兎が掴み、護衛官の2人と走り出す。突如として穴が開いた結界を抜けていく。そのさらに後ろからは魔導師の詩詠と紅葉も続いた。詩詠は残った2人に礼をとり、ワシらを追ってくる。ワシを囲んだ4人はもはや手加減はない。大本営の兵卒達は先陣を切って突っ込んでくる真紅の兎から逃げ惑っている。母君が母君なだけあり、子兎ももう並の勇者では相手にならぬな。大本営にも勇者は居る。しかし、子兎と対峙しては10秒とてもたぬ。悲惨よ悲惨。……これ程までに差が生まれておるのか。それだけではない。子兎が刃を向ける前、銃器を用い、特殊な機材で移動しながら的確に将を撃ち飛ばす者がいる。魔弟だ。正確無比の狙撃手は師が認める程の物。あやつは魔解とはまた違う技術者である。ちと堅すぎるきらいはあるが、この先にやつはまだまだ伸びてゆく。その度に波に揉まれようが、やつは器用さで乗り越える。どうにもならない時は誰かを頼る潔さもあの歳で持ち合わせておるな。

 しかしながら、物理的な物は単体戦力では対処しにくい。雪崩込まれてはいくら2人が練強と言えども、特殊な結界技術の無い2人には防御には向かぬ。無駄な殺生をして欲しくない故、2人も峰打ちと威力調整した衝撃波魔法での射撃である様だ。殺してしまっても構わないならば、2人だけで構わないのだろうが……。子兎は特にイライラし始めている。あやつは以前までは潮音以上の暴走常習犯だったのだよ。強過ぎ、不器用。扱いきれない力を慣れ込ませたのだ。その点で言えば魔弟が抑えに入った事で母君である八代目様もご安心なされたようだがな。

 やはり、動き出したか。師団級の部隊が展開する。このままでは前を固められ、挟み撃ちにされ……。なっ?! 衛兵団が無力化だとっ?! いつの間に広範囲の魔法を用意しておったのだ? ……いや、個性が強過ぎる。確かにあれでは普通の教育では伸びぬはずだ。


「ありがとう! 紅葉ちゃん!」

「アルフレッドもな。助かったぞ」

「礼ならば潮音さんを救出してからで頼む。僕らは太刀海先生を目標地点まで送り届けるのが仕事だ」

「そうよっ! 私にお礼言うなら、美味しいお菓子と潮姉のお茶がセットでなきゃ!」


 驚いた。詩詠までもが呪縛持ちだったのか……。詩詠の肌の色が青黒く、瞳は金色、眼球も黒色に変色している。体からは禍々しいオーラと共に古代大和に伝わる呪字が溢れ出ているではないか。確かあやつはフォーチュナリー共和国を挟み、海の国の反対に位置するアルセタス公国の出身のはず。……ならば、手に持つあの本が関わっているのだろう。詩詠は術を行使する間はずっと筆を走らせ続けているのだ。魔解が手渡した物にしても……。あれは……。魔解が手渡したのか? やつは古い遺物にはあまり好感はなかったはずだが。

 紅葉もまた異色だ。あれは…雷虎と魔解が合作し、メンテナンスも2人でこなす物。紅葉の隠された能力を引き出した雷虎。紅葉は確かに頭が極度にいい。姉の公孫樹が真っ青な演算能力と暗記能力。公孫樹は潜在能力の塊であり、それらを微細に調整する事に長けるが、紅葉程に要領のいい展開力はない。それを……魔法として発動するのでは無く、魔力を加味した現象として放つのだな。発動までの過程が微妙に違うだけであるから結果は同じ。学者でなければ、同じであると解釈するだろうが。

 武器によって複写、増幅、威力調整を自動で行い、攻撃としての種類や技などは自身が調整する。声色は明るく、暖かに響き渡る軽い音色。しかし、その音響の端々には強力な魔力が渦巻き、衛兵団は一定の範囲に入ると吹き飛ばされて行く。外目には紅葉は歌っているだけなのだがな。2人共が空中を滑りながらワシらを追いかけてくる。

 ……それにしても異質だ。隠密機動部隊すら見ぬとは。まぁ、原因は妖精坊と黒鎌嬢だな。やつらは護衛官(ボディーガード)などと言われている……。肩書きは確かにそうなのだが、隠密機動も真っ青な機動戦闘力と潜在能力だ。細かく話すのは難しいが……奴らは正気の沙汰とは思えぬ事を平気でしでかす。妖精坊は模擬戦時、広範囲破壊攻撃を片手で受け止めた。黒鎌嬢はワシですら気配を察知できぬ程の隠密力。……これだけの実力者に守ってもらえるのはまこと光栄なのだが……。いっこうに進んでおらぬきがするのだが?


「のぅ、何故か進んでおらぬ気がするのだが」

「大丈夫です。進んでいますよ。進んで居ないと感じるのは後ろが追っかけて来てるからです」

「?! まさか、結界を押しておるというのか?」

「はい、そのまさかになります」


 黒鎌嬢が楽しげに飛来してきた鎌を掴んだ。刃が鞘に納められてはおるが、あんなものを一般人が受けたら怪我では済まぬぞ。しかも、飛来している鎌は一つではない。まるで道化の様だな。自身の魔法により作り出した鎌を、可能な範囲や軌道を予測し投げておる。義理の姉妹とは言え、癖や美貌などが似ておる。……それに、破天荒で常識破りな辺りもな。あの笑顔がどこまで本心か、あの姉妹の本当の恐ろしさは我慢強さ故。

 距離感が狂っていたのは銀嬢が結界を押し、ワシらを追いかけているかららしい。後方に残った2人の策謀はこうなっている。銀嬢が作り出す結界をある程度の間隔で止め、また新たな結界を押しながら場を制圧してゆくのだ。これは魔解がワシに作った配慮。ワシが率いておった陣へ害が出ぬようにしてくれたのだ。銀嬢の結界は彼女自身が扱えば、紙より軽く、対価も小さい。国を縦断する様な大規模どころか前代未聞の包囲網を使っている。それにも関わらず、生活の利便魔法と同程度の魔力しか使わない……。その秘密はなんなのだろうか。末恐ろしい女よ。魔解という後ろ盾も加速させておるがな。

 これでは公孫樹と戦鬼様に残ってもらった意味が薄れてしまうではないか。ただ、懸念は尽きぬ。国の外郭を大回りして隠密機動が攻め入るやも知れん。その為に魔解が残り、白槍と赤八にも言伝、守りを幾重にも固めていたのだ。

 仲間達がこれだけしてくれておる。間に合わせねばならんのだ。ワシとてなにもせなんだ訳では無い。公孫樹が過負荷深度に囚われた時に魔解が居合わせたあの時ワシも近くに居たのだ。森に伝わる伝聞を魔解が調べ、ワシにも伝えてもらった秘密がある。ワシらが知ってしまった隠されるべき事実。……本来ならば水研の家と海神神社には伝わっていたはず。それが絶えてしまった本当の理由。ワシはこれを表に出さぬ為に、潮音自身を守る為に戦っていたつもりであったのだ。潮音が故郷へ来てしまった。これは最悪の事態。まだ、彼女には制御できぬ。

 ワシの表情の変化に気づいた者がワシへ情報を求めてきた。ワシとしては本心を明かすならば、ワシだけで対処しておきたかったのだ。……、が。ワシだけではどう転んでも対処はできなかった。その後の状況についてもワシとしては虚しい程に無力だ。


「先生、そろそろお教え願えませんか?」

「何を知りたいというのだ? 詩詠よ」

「お惚けになるのでしたらご勝手に。しかし、我々は皆、内湾の『アレ』には気づいております。『何か』が解らないだけで。お答え願いたいのは僕は自分のパーティーで最年長です。リーダーでは無くとも、皆を支える立場にあります。先生ならば、お解り頂けているのでしょうけれども」


 そうだな、お前の言う事は正しい。言わねばならんな。……最悪の事態が進み、手遅れになれば、潮音を助ける事は叶わなくなってしまう。それ以前に対処できねば皆の命を失う原因になりかねない。残酷やも知れぬが、あれの正体を教えねばならぬか。潮音を殺める事になろうとも、フォーチュナリー共和国やこの近隣国家が危機に晒される事よりも……対価は小さい。

 耳が跳ねる様に立ち上がり、ギョロりと子兎の視線がワシへ飛ぶ。握りしめた獲物を振り抜かぬ様に抑えているな。腕が震えておる。ふむ、前置きのこの段階でもカンに触ったらしい。魔弟に頭を撫でられ落ち着いたようだがな。

 あの海に隠された物は海神神社の歴史に密接に関わっているのだ。海神神社は表向きの役割とし、主産業と自然の均衡を正しい基軸に合わせて調整し、人と自然との調和を守り続ける為にある。だが、……もう1つあるのだ。海神神社は海の国の北端、岩場が連なる断崖にある。かの施設は……初代天照がこの地に鎮めた荒ぶる神の魂を抑える施設なのだ。

 何故、海神神社が必要なのかと言えば、我々魚人族の素体がより綿密に関わる。女神族ならば予知や様々な神事を行える膨大な神通力や魔力に恵まれ、体内体外に関わらず調整が得意だ。しかし、魚人族はそれ程までの潜在能力は無く、体内ならば訓練次第で伸びても体外の要素を微調整する事は難しい。

 ならば何故、代々の巫女達は規格外の長命なのだ? 何故、潜在能力がそれ程高くないにも関わらず、短命とならずに長寿を得て、国を豊穣へと導けるのか……。断絶されてしまった歴史を紐解くため、書物を漁った父。伝聞書の文字は古代文字の為に部分的にしか読み取れなんだようだ。その秘密を父が断片的に知り、『暖海の巫女』と呼ばれた亡き潮音の母君に子を産ませたのだ。その子が潮音だった事は運命のいたずらとしか言えぬ。男児であったならば実態は変わったかも知れぬが……。


神海大人(しんかいたいじん)?」

「初代天照。……公孫樹や紅葉の祖が居た時代。この世界ができたばかりの頃だ。彼女の用いた魔法により、この地で打倒したのが神海大人。巨大な蟹らしい。神が如き長命と荒い気性から、初代天照が鎮め、この地に封印したのだ」


 時が経ち、天照の娘達は森へ、聖地(フォーチュナリー)へとその血族の居地を定めた。代わりに、初代水研の子孫達が神海大人を代々に渡り監視し、可能であれば復活を抑えてきた。……が、結論から言えば根源を打破せねば驚異に見舞われる事は避けられぬ。その際に二代目水研が三代目水研と共に作り出した仕組みが……海の巫女だったのだ。

 三代目水研には娘と息子が居た。三代目は命をとして巨蟹を葬った父の為、神海大人の驚異を抑える策を練り、彼の娘と息子に役を与えた。娘は巫女となり、息子は監視役となったのだ。初代巫女はその類まれな体質を活かし、神海大人の魂より神通力や魔力を……神社に存在する海脈から吸い上げる方式を確立。そして、豊穣へと寄与したのだ。通常の魚人族よりも巫女様方が長命なのには理由があった。神海大人の魂より吸い上げた神通力を一度体内に蓄積する為だ。普通ならば多すぎる神通力は体の摩耗を早め、死を早める。しかしながら、巫女を繋ぐ一族にはそれに耐えうる体質があった。……海神神社が世襲制であったのはその体質を受け継いだ巫女が必要であったからだ。それを理解してかせずか我が父は崩してしまったのだよ。潮音が水研の館に入ってから国が荒れたのはその辺りに理由がある。潮音は……。

 今は潮音よりも事の起こりだな。何故、三代目が役目を分けるに至ったのか。父はそこを見落としている。三代目の嫡男は四代目を名乗らなかった。三代目の嫡男の息子が四代目を名乗っている。一代を離したのはこの体制を続けて行けるかを見届けたかららしい。巫女には巫女の、武家には武家の……。それぞれの力が別れていなければならず、保っていた均衡が崩れしまうからだ。何故三代目の息子が四代目を名乗らなかったのか。彼は『血奮』を持ち合わせたから。強すぎる力は統治にも、祭事にも向かなかったのだ。だから、彼は四代目を名乗る事を辞退し、一武人として過ごした。その後、血奮が現れなかった彼の息子に託した形となる。


「潮音さんは不適合だったと?」

「逆だ」

「はい?」

「あの子は、どちらもできてしまう。できてしまうのに暴走してしまうんだ」

「それはできないのと同じでは?」


 子兎の棘が強い言い口にワシが強く反論した事で隊列の空気が変わった。

 潮音の潜在能力は稀に見る物だ。魚人族には類を見ない程に魔力活性、神通力密度、肉体強度に秀でているが……彼女には欠けている物がある。感情コントロールだ。ようは我慢が効かないのだよ。一見落ち着いて見えるのはあくまで線引きがあるから。この線引きにしても上へ下へと幅広く変動する。特に、彼女の過去に触れたり、トラウマに触れてしまえば…血奮だけではなく、過負荷深度に囚われ、余計に面倒になる。戦鬼様や銀嬢、子兎は模擬戦時の潮音を見ているはずだ。顔色一つ変わらず彼女は無意識の内に引き込まれる。気づいた時には流血沙汰だ。それで何人か潮音の教育係が死んでいるしな。

 この暴走しやすいと言う前提で聞いて欲しい。巫女の力を利用すれば、神海大人を蘇らせ、使役も可能。父は家…いや、自分の戦力(コマ)とする為、神海大人を使役を試みた。その為の……操り人形として潮音を使おうとしたのだ。

 潮音の母君は用済みとされ放逐された後、神社に保護されたらしい。しかし、その目的と潮音の力に気づき自害してしまわれた。潮音は幼かった故、事を理解していない。これで全てが繋がる。ワシもその当時は怒りに囚われた。父と絶縁覚悟で潮音を連れ出し、魔解に見守ってもらえるように頼んだ。潮音が知るよりも長い期間をな。


「私は、腫物に触るような立場を体験してきたので今の潮音さんの辛さはよく解ります」

「……」

「心紅さん、抑えましょう。彼女は今、孤独なはずです。その彼女に1番必要なのは……何も言わずに寄り添ってくれる人でしょう。事がどう運ぼうと僕らは見捨てずに助ける事のみに目を向けるべきです」


 妖精坊が最もな意見を飛ばした。それがどんなに難しい事か直ぐに解るさ。ワシも一縷の望みに託しておる。以前は何度も何度も呼びかけ、正気を取り戻させた。今では潮音の心がどこにあるやも解らぬ。ワシの声も、もはや潮音には届かぬかもしれんのだ。妖精坊よ。お主は誰がその役に相応しいと思う? ワシは……もう、力不足だ。

 そして、やつらから求められたのは……最悪の事態の手前がどういう状況であるか、という情報だ。潮音は感情に囚われやすい。子兎も似ているがあの子は欲に従順なだけだから単純だ。だが、潮音の場合は怒りや悲しみに囚われやすく、引き込まれるとそう簡単には帰って来ないのだ。だから、できる限りはその直前で潮音を救い出す必要がある。この状況から見て、潮音は父の命を狙っているはずだ。自身のこれからだけではない。ワシや香潮様、海の国に関わる事など様々に関係してくる。父が死す事で好転と取る人物は多い。そして、潮音が居ることでワシらが渦に巻かれやすくなる。父を討ち、自害する。……この粗筋が最も安易に想像できる道筋だ。だが、誰一人そんな事は望まぬ。仮に父を殺していたとして、我らが弟子達は誰一人として潮音の死を望まぬはずだ。

 おそらく、赤羽はその阻止の為に潮音の傍として同行したのだろう。

 無駄に頭の働く軽口男であるあの男。潮音の計画を読めぬ訳が無い。相手の手を読む能力となればきやつは1級品。あとは潮音が力を抑えずに闘った場合、赤羽が無事であるかどうかが心配ではあるが……。潮音は体の強度や後の事を考えないのであるならば、ワシなど寄せ付けもしない。周囲や仲間の安全を保証したいが故、あの娘はこれまでは弱く見えたのだ。銀嬢がその事に関してはワシに零した程だからな。全く、末恐ろしい女子ばかりが揃いに揃ってからに。

 目の前でククリ刀を閃かせる子兎、この娘はいずれ災禍を舞い込ませるだろう。強すぎる力は自ずと呼び込むのだ。潮音の様にな。雷虎は表には出ぬし飄々としておるが、かの娘も深奥には何やら抱え込んでおる。いつ弾けるか、その時にならねば解らぬか。紅葉はどうなろうな。姉と同じと言うならばこの先荒れるのであろう。さらに大きな渦を巻いて……。黒鎌嬢は今のところは安心だな。物事を隠しては居らぬし、比較的正直だ。揺らがぬ者など居らぬ故、いずれは壁にぶち当たろうがな。

 男衆は気にしても仕方なかろう。自ら切り開く器量のある者ばかりが居る。だが、その時にどの様に折り合いを付けるかで我々も奴らとの語らい方を変えねばならぬ。我らはかの物らの師だ。導かなくてはならぬ。

 ……赤羽よ。無理はするでないぞ? 実力を認め、弱くとも構わぬ。時に逃げ、退く事も必要だ。お主はワシよりも両腕が広い。救える範囲が広いのは確かに良い。ワシなどよりも思慮深く、懐も深いな。だが、絶対にお主の懐に納まりきらぬ難が押し寄せるだろう。ワシも学んだ。共に、越えようぞ!


「敵の数や密度が厚すぎやしませんか?」

「おそらく、潮音に押されておるのだ。逃げ場がない将兵がたまり込んでおる。そろそろ森を抜け、市街地に出るぞ! 将兵もその分多い。覚悟を決めよ」

「「応!!」」


 この周辺には凄まじい量の血飛沫が散っている。やはりか、頼む、まだ正気を保って居てくれ! 

 大本営の将兵達の中にはワシを目にし、投降する意思を固めた者も多かった。中には牢に押し込められていた古参の将までいる。時間はないが弟子達に指示を出す。それらの解放などを並行し、広い街を探しながら走り続ける。他とは頭の構造が異なる詩詠。投降した将兵と投獄されていた武将を銀嬢の結界の間に案内して行く。様々な面での安全の考慮だ。今や何が起きてもおかしくはない。魔弟と妖精坊も逃げ遅れていた民衆や武家の女性、老人の避難誘導が優先の様だ。捜索は子兎と黒鎌嬢が主体。紅葉は様々な声掛けを行い、人の密度の変化を試みて居るようだ。

 弟子達が働き、ワシも潮音を探すことを優先できる。……しかし、本当に気味が悪い。先程から断末魔がそこらかしこから響いているのだ。ワシも驚いた。いくつもの建物を突き破り、赤羽が飛ばされてきたのだ。満身創痍で危険な状態。これは本格的にまずいかもしれないな。辛うじて会話ができる赤羽に応急手当を施しながら簡単な状況を問う。


「も、申し訳、ありません」

「謝るな、お主の考えくらい読めておる。して? 潮音は?」


 大本営の背後から奇襲をかけ、父を拿捕すると言う潮音についてきたらしい。しかし、予想通りで潮音は父を見つけ次第、討つつもりでいたようだ。赤羽はそれを阻止する為、潮音と闘った。最初の内は赤羽が同門であり友であるが故、潮音にも躊躇いがあったと言う。それが時間の経過と共に潮音から理性が消える様に急所を躊躇い無く狙う様になった。完膚なきまでに叩かれ、今に至る。潮音は水魔法で分身を作り出し、父を探しているようだと赤羽は話す。……暴走が進み、もはや手当たり次第に人を殺めているのやも知れぬ。

 赤羽、よく生き残ってくれた。潮音をここまで止める為に尽力してくれた事に感謝する。……よくぞこれだけの手傷でそこまでの情報を整理しながら生きていてくれたよ。しばらくは休ませねばこの後の回復に関わる。直ぐに仲間を呼びたいが……。今の部隊では手数が少なすぎる。どうしたものか。満足な医療施設も薬や道具もない。左腕が複雑骨折、翼骨も酷い有様だ。肋が合計6本、左足首と太股が酷い骨折。おそらく、一部の内臓にも酷い傷があるだろう。外目には解らずとも経験からある程度推察できた。せめて、治癒魔法が使えれば……。ん?


「兄者! よかった、よくぞご無事で」

「赤八?! 何故この場に」

「魔解の鬼殿がワシを出してくれた。して、この死に損ないは?」

「ワシの弟子だ。潮音を止めにかかってこの様になっている」

「やはり、魔解の鬼殿の見解は正しかったか。ならば、ワシがこやつを陣まで運びましょう。兄者は残られ、潮音をお探しくだされ」

「いや、戦力が足りぬ。お主も……」

「ワシは貴殿の弟だ。兄を助け、支えるのも弟の務め。白槍兄にも報告致す。この死に損ないも兄者の大切な弟子。さて、兄者。……潮音をよろしく頼みましたぞ」


 はぁ、あの粗野な赤八がこの様な手を取るか。ありがたい。

 合図の為に指笛を吹き、こちらに移動してきている弟子達を集めた。赤羽の容態を話し、潮音の状態を伝える。皆から思い思いの反応が現れ、今後の動きをできるだけ整理して伝えた。

 まずは、父を見つけ次第拿捕する事。そして、海の国の西端からフォーチュナリー共和国に出る。神海大人の加護は海の国にしか働かない。潮音をそこから切り離せさえすれば最悪の事態にまでは昇華しないだろう。あとは暴走している潮音をどうにかして鎮れば事は解決するはずだ。

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