歩み寄りの距離
朝日が眩しくて目が覚めると、懐かしくて暖かな感覚に違和感を覚えた。夢? 夢なら…残酷よね。今は彼が揺らいでる。彼と2度とそんな関係になれるなんて思えないのに。まるで、太刀海と付き合ってた時の……。温もり…太刀海の匂い? 畳? 障子……、私と太刀海の服? たっ、太刀海っ!?
「え゛っ?!」
「んっ? 起きたかぁ? 公孫樹よ。体は大事無いか?」
近くにあった服でできるだけ体を隠した。羞恥に圧され、思わず盛大に振りかぶって…平手打ちをかます。避けもしなかった太刀海の頬から、痛々しい音が高らかに響き渡っていた気がした。とりあえず、お互いに全裸の状態から服を着直し、落ち着く為に状況を互いに整理する。ブロッサム様に閉じ込められ、2人で話し、記憶が飛んだ? お、お酒を飲んだんだ。私……。その後、気持ちと事実関係の整理が終わり、太刀海に昨夜の事と今の平手打ちを平謝りする。状況を作ったのは確かにお節介ババアだけど! 読み切れずに術中にまんまと踏み込んだのは他でもない、私だ。太刀海には迷惑しかかけてない。
それどころか、彼には様々な気遣いを受けていたようだ。記憶は遡れないが、証拠は十分だ。誰かに見られたら……。色んな匂いが落とせてないのもこの際気にできない……。出れないし。化粧も崩れてるけど、どうしようもないのよね。どうしよう! やばい! どうしようっ?!
太刀海はどうしようもないのが解っているのか至って冷静? あ、違うわね。単に諦めてるだけだ。私は彼ほど図太くはない。向かいあったまま正座していて、冷や汗まみれで数十分が経過した。時間は解らないけど、日は既に高い。時兎の館ではとっくに朝食の時間など終わっているはずなんだけど、私達が居る部屋にブランチが運ばれてきた。私がこの館に来た日に案内してくれた女神族の使用人さんだ。生暖かい笑顔が凄く…恥ずかしい。絶対にバレてるよぉ……。もう、いやぁー……。
涙目になっていると使用人さんは既に配膳を終えて居なかった。あれ? ご飯は3人分?
直後に、スパーン! と襖が開かれた。もの凄く気持ちのいい音がしたかと思えば、ブロッサム様がなんの遠慮もなく部屋に入って来たのだ。どうやらブロッサム様は隣の部屋で私達をずっと監視していた様らしい。眠れなかったのか、若干目が落窪んでいる。ご飯の最中は嫌味も込めてだろうけど、赤裸々に私達の夜を語ってくれるから……。いや、煩いから寝れないって…そういうの解ってて……。ぎゃぁぁぁぁぁっ! もうやめてぇぇっ! もぅやめてくださぃ!! お願いですからぁっ!!!!
太刀海が『さすがにやり過ぎです』とブロッサム様に反抗するも、私の時と同じように演出込みの再現を交えてブロッサム様は一蹴する。ブツブツ言いながら私の関係が何で停滞しているのか? と小さな苛立ちを見せながら私達を捏ねくり回す。諦めたらしい彼はもう無言で聞き流していた。お節介ババアのブロッサム様は、私達程にお互いを気にしすぎて、すれ違い続ける者を放っておくべきでない。……と経験から思ったらしい。私の師匠は本当に! めっちゃくちゃっ! 相当なお節介なのよっ! やはり、血は争えないのだろうね。オーガ君。
太刀海も私もこのまま、ブロッサム様の思惑にも私達は強く関わる。海の巫女に関する件もそうだし、海の国の統治には武家と言う執政団体が必要。太刀海だって無縁の話じゃない。私達にあるそれぞれの立場が固まってしまえば、更に会える頻度は下がる。それだけではなく、諦めとか否定の理由付けばかりお互いにしあう為、…先生はこの際無理矢理にくっつけようとしたのだとか。本当は見ていて鬱陶しいだけなんだろうなぁ。目は口ほどに物を言ってますよ、先生……。
「それで? 太刀海、公孫樹よ。アンタらの世継は授かれそうかい?」
「ぶふっ!」
「せ、先生……」
「お前さんらは本当に手がかかる弟子だよ。馬鹿みたいに責任や義務に従順で滅私の考えを種蒔みたいにばら撒く。アンタらみたいな輩は、こうするしかないんだよ。アタシを見なよ! 自由だろ?」
太刀海は溜息をつきながら額を抑えている。もう、何を言っても理解してもらえないのが解ったようだ。先生はケースバイケースって言葉はご存
知ない様ですね。
ブロッサム様は引退した今でも様々な立場を未だに背負っている。その立場があるにも関わらず、ブロッサム様は自由に振る舞う。それが許されるのはブロッサム様のこれまでがあるからだ。私達とは生きた次代も積み重なったキャリアも違う。そんな過去の功績と偉業が関わっているのは言うまでもない。聡明な事に加え、英才教育の末に魔術学院局長となり、フォーチュナリー王国時の精鋭遊撃部隊隊長であり、将軍職を兼任。退役後、度重なる戦争中の勇者部隊統率からの英雄譚。それでいて決して政治には口出ししない主義。評価されるのには先生の積み重ねがあるのだ。
過去に起きた共和政移行の大革命。その時に命を落としたエレノアちゃんのお父様である方。故アルベール氏も先生の熱心な信望者。ご年齢や後継の出現もあり、革命を境に先生は様々な団体から離れた。……が、太刀海も軍学者会議には必ず講師として先生を招く。暁月さんも先生を実母の様に思い甘えているし、我が母も未だにブロッサム様との共同研究を依頼する。シルヴィのお母上で元王妃のアシアド様からも厚い信頼があり、孫のオーガ君なんか急に依頼して学校法人『夜桜勇者塾』をブロッサム様名義で開校した。
これだけの責任や職務、人望を負いながらもブロッサム様はどこか軽い歩みをしている。何故、こんなにも自由に振る舞えるのだろうか? 私達の反応を予想していたらしいブロッサム様。声のトーンを一気に落として言葉を放つ。私達を茶化したあとのトーンダウンだけに、落差や機嫌を過敏に感じ取る私達にはより強調されている。この反応もブロッサム様の策略の1つ。お茶を飲み干し……、潮音ちゃんを呼びつけた。すぐ様現れた潮音ちゃんにお茶のお代わりを淹れる様に言伝てから口を開いた。
「アンタ達は生まれに立場があるからだろう。アタシみたいに明らかな目上には萎縮する。アンタ達の態度は親や団体に響くからね」
目つきの変わったブロッサム様からは警鐘が鳴った。太刀海に関しては……特に厳しい。ブロッサム様だって最初から争いを行う様な人ではない。力技を使うから1部の派閥からは野蛮人と言われ……いや、ソウカモカナァ……。
う゛う゛んっ! あの後昨夜遅く、オーガ君に問い質したのだと言う。彼の調査に合わせて説明するならば、海の国は内乱に突入してしまうのだ。状況を整理する為、オーガ君はオーガ君で秘密裏に調査を進めていたらしい。泣き崩れた太刀海の態度にオーガ君が表情を変えなかったのには、また別の理由があったのだ。ホントに腹の底は知れないわよね。
オーガ君は太刀海をフォーチュナリー共和国へ呼んだ際、海の国と火の国について下調べを入れていた。太刀海があちらに、いては調べにくい内容だったらしい。何故ならば、海の国にも緋桜に与する者がいた事を彼は予見し、下調べの段階で知っていたと言う。フォーチュナリー共和国にいるだけではなかなか国外勢力の勢力分布を掴めない。太刀海があちらに居ると反抗勢力が萎縮し、尾を掴めない為にオーガ君も考えたんだ。その上で、太刀海にもう一度防衛を頼み、皆と臨場した。その際のオーガ君が匂わせた意味深な言葉。あれは緋桜が持つ戦力を炙り出す為。広い意味での敵対、中立を明らかにし、効果的に対象を挑発する為の計画としてわざとしていたんだ。
その際に海の国側は私達の背後になる。まんまとおびき出された訳よね。こちらの味方が排除しても良かったが、手数はできるだけ隠したい。その時に快く申し出て背後の敵を抑えてくれたのが太刀海の弟達。白槍と赤八だ。彼らのおかげで滞りなく作戦は進み、ブロッサム様の因縁はシルヴィが清算した。
その後は友好の生まれた協力者の2人を個人的に心配し、2人と連絡を取り合ったところ、国内が異様な空気らしい。赤八や隠密機動による調査によると、大本営は太刀海が居ない内に2人が指揮を執る外郭勢力を排除しようとしていると言う。今度は彼らが救援を求める内容だった。
急いで立とうした太刀海。しかし、ブロッサム様が厳しい制止を加え、太刀海に扇を向けた。直後、彼にはとても厳しい言葉が飛んだ。
『自分で視野を狭めている』とね。責任を負うと言うのは確かに様々な制約を強いられ、時には非情な判断を迫られる。しかし、それらを全て真っ向から受ければ……、本当に大切な部分を危険に晒す事にも繋がりかねない。太刀海は確かに軍学者であり、頭も良い。でも、硬すぎる。今までのオーガ君の様に逃げ腰で無い事は評価するが、取捨選択ができないのであれば……。
「立場を捨てよ。度がすぎれば身を滅ぼすぞ?」
ブロッサム様の厳しい言葉はブロッサム様が将軍であった時の覚悟その物だ。今の太刀海の立場に似ている。先生は執政に関与はしないが、様々な人々を先生は見てきたはずだ。ブロッサム様自身は高圧的で粗暴な態度はあれど、誰よりも個人やその家族の命を重んじた。将軍が先陣へ立ち、敵の大戦力を無力化するために乗り出す。脱走兵や逃亡兵を許さなかったのは、彼女の起こす災禍に巻き込まない為。そして、敵対する者へも必ず、1度は投降を促す。しかし、投降しない敵には容赦はしない。詳しい事を知らない国内外の勇者や軍人が恐れる伝説級の人。これこそが国喰らいの大蛇の本当の姿だ。
事実、ブロッサム様は国土や人民、部下を護る為、たくさんの命を奪って来た。その際に手が回りきらず、避難が遅れた近隣住民を巻き込んだ事もあるらしい。その度に酷く悔やんだ。眠れない程の後悔をした事もある。だが、悔やんでも絶ってしまった命は帰って来ない。その事実を受け止め、背負うのがブロッサム様の『責任』の取り方なんだ。その場面でその人達の為に手を止めたら、元国王軍の退役兵の皆さんはこの世には居なかった。そうなればそのお子さん、お孫さんも……居ない。どんなに強くとも、博識だとしても、全てを救える訳では無い。綺麗事だけでは……何も救う事はできず、一瞬の迷い、躊躇で大切な人が失われる。それに受け止められるのは個人に備わる器量の範囲だけだ。1人で受け止めるのには限界がある。
次期国主、いや次期体制を支える立場になる彼。太刀海にその覚悟を持てと言っているのだ。責任を持つと言うのは……全てを背負うことでは無い。大なり小なり選択し、拾えない者を排除して行く。その判断を肯定するだけの強い意志を持てとの事だ。それが、責任を背負うという事。大勢の生活や命を纏める存在になると言う事なんだ。
「犯した過ちを反省し改善しない事は無責任だ。過ちを犯さない人間など居ない。だが、過ちを悔やみ過ぎれば、視界が曇りさらに失うぞ? その際は、もっと多くをな」
「……」
「それから、公孫樹。お前もお前だ。責任などと言うがね。今のお前には大した責任は無い。周りを取り巻く世間体や、馬鹿みたいな取り巻きなんか気にするでないよ。責任という言い訳で逃げ道を作るんなら……そんな立場や責任は一切要らん。一度、頭を冷やしな」
潮音ちゃんが障子の前で座っていた。入るべきか入らないべきか迷っているようだ。ブロッサム様が更に溜息をついている。呆れた様に潮音ちゃんへ中に入る様に言ってからお茶をもらい、軽く潮音ちゃんの額を弾いた。怒っている訳ではなく、呆れている様だ。私には大方の理由は掴めたけれど、ブロッサム様も理不尽な事を。あれは可哀想よ。
潮音ちゃんはなぜだかよく解っていない。
話の流れからは潮音ちゃんの額が弾かれる理由は1つ。彼女はいつもならお茶のクオリティの為、お湯の温度まで気にしている。しかし、先生が話す私達への訓戒を耳にし、入室を躊躇ってしまった。お湯の温度はベストからだいぶ下がってしまったのだろう。そうなればお茶は彼女の物にしては美味しくない。ブロッサム様の事だから、単にお茶の味が悪いから額を弾いた訳じゃ無いだろうけど。
「まったく、この子らと来たら。アタシはアンタの美味い茶が飲みたいからわざわざ呼んだのに……。これじゃ意味が無いじゃないか」
「も、申し訳ありません」
「で、こうやって馬鹿みたいに真に受けるからね。余計に腹が立つ。何でこんなに馬鹿ばかりなのかねぇ……。まったく」
いやいや、いやいやいやいや…………。ブロッサム様に怒られたら誰だって萎縮しますよ。余程のドMかオーガ君くらいじゃないですか? 怒られてどうじないのは……。
潮音ちゃんは『訳が分からない』、と太刀海や私に助けを求める様に視線を向けたが、この状態では裏目にしかでてないわよね。
私が苦笑いしていると、ブロッサム様は扇を開いた。そこでブロッサム様が話に区切りをつけたのだ。母やブロッサム様の圧力、立場、潮音ちゃんの存在や国の存在を排除して自分達の気持ちに気づけと言い、外に出る様に言われた。
その直後、私にとっては驚愕の事実が顕になる。この部屋からは中庭が見え、中庭を挟んで反対側には心紅ちゃんの居室に繋がる廊下が見えるのだ。その心紅ちゃんの部屋側からニニンシュアリ君と心紅ちゃんが連れ立って現れた。女子パーティーでは皆のお姉さん役である潮音ちゃん曰く。明確に付き合っている様子では無いらしい。だが、時期を追うごとに心紅ちゃんは艶を強め、最近では以前よりベッタリ。
最初のきっかけは武器のメンテナンスだったと言う。心紅ちゃんが最初に依頼したオニキスちゃんは緻密な魔法回路の加工は苦手。心紅ちゃんの双刀の様な武器は対応できないと断られた。そのオニキスちゃんから勧められたのが彼らしい。犬猿の仲と言えるくらい仲は悪いけど、お互いに認める所は認めてるのよね。二人とも。オニキスちゃんが言う通り、ニニンシュアリ君はその手の加工や整備が専門。本業は武器製作よりもインフラ整備であるらしいけど。そのニニンシュアリ君はオーガ君の技術を受け継いだ一流の技術者だ。様々な技を使う。今まで依頼していたオーガ君にシルヴィがついてしまい、なかなか武器の話ができない。だから心紅ちゃんは彼に頼ったんだ。それに今なら解るはずだ。心紅ちゃんのパワーゴリ押しだけでは通用しない。カルフィアーテ君の例の技術に対抗したいのかな? まぁ、理由はそれだけじゃないっぽいけど。
「私は街でカフェなどに2人で通っているのを偶然見かけましたよ。私だけじゃなくてアルフレッド君と紅葉ちゃんも見たそうです」
「え、そうなの?」
「最初は乗り換えがはやすぎる……。なんて思いましたけど。心紅ちゃんは切り替えが上手ですからね。今ではいい感じに見えます」
「へ、へぇ……。そうなんだ」
ブロッサム様と潮音ちゃんが2人の後ろ姿をもう一度見てから、何やら頷き合う。私達にも目配せしてから2人を尾行する算段を立てはじめた。
乗り気でない太刀海は慣れない洋服を着せられ、肌に合わないのかちょっと不服そうだ。ブロッサム様も洋服が慣れない様だけど嫌悪はしていないわね。イメージと全然違う服装の皆は新鮮で面白い。ブロッサム様の服はシルヴィがデザインした物らしかった。シルヴィのブランドマークがしっかりと使われている。明るい色調を好まないはずのブロッサム様もシルヴィのプレゼントとなると話は別のご様子で……。孫の嫁からのプレゼントはとても嬉しそうだ。見た目は若々しいブロッサム様。色調は紺色と白のアクセントが入るワンピースに上着は青がメインカラーの白のワンポイント。上品に仕上げた小さな帽子の髪飾りを添える。ハイヒールがお好みだったらしく、中でも厚底やピンヒールがお気に召したらしい。色合いにも気を使い、カラーリングは浅い青色の物だ。色白でスレンダーなブロッサム様はよくお似合いになる。やはり、違和感が強いのか自分の服装を見回していた。
「ふむ、最近の流行りなのかねぇ……。洋服と言うのはアタシにはよく分からない世界だが、あの子の見立てなんだ。外れはなかろう」
潮音ちゃんは双子コーデと言うか……、親子コーデ? ブロッサム様は潮音ちゃんより若干の細面で眼光も鋭い。それもあって色合いも深めである。それに対して幼く見える潮音ちゃんの物は同じデザインでも色合いが明るく、水色のワンピースに上着は純白。アクセサリーも帽子ではなく紫陽花のブローチとヘアピンだ。潮音ちゃんもはにかんでいる。実際問題だけど、ブロッサム様は20代中盤で年齢が止まっているらしいから……実際には姉妹コーデ? に見えなくもない。潮音ちゃんも十分綺麗なのにね。あれでまだオーガ君に未練があるらしい。心紅ちゃんじゃないけど素直に次に行けばいいのに。今は一夫多妻の文化は衰退してる。まず、彼女が肌で感じた通り、オーガ君やシルヴィは望まないだろうし。
……ん? いいタイミングね。第三者に見てもらえば潮音ちゃんも自分の魅力に気づくかしら。潮音ちゃんはどうも彼女自身を過小評価してる気がするのよね。何やら荷物を運んでいたミュラー君が通りかかった。太刀海がいつもと違う格好なのに驚きながら、皆が違う趣向である事に驚いていた。……ミュラー君、もしかして。
ちなみに、私と太刀海はペアルック。たまたま居たシルヴィが見繕ってくれたのだ。なんか、少し焦ってたようにも見えたけど……。私は一見して落ち着いた印象である。だが、シルヴィはそんなの気にしないらしく、割合派手な服装を選んでくれた。
ブロッサム様や潮音ちゃんが羨ましいのだけど、私は割と肉付きがよくて。よく言えばふっくらしてるからピッタリの服は嫌煙してきた。それなのにラインが出やすい組み合わせを選ばれている。これまでの仕事柄カジュアルな感じの服はあまり着ないからこういうのは新鮮ではあるけどね。太刀海は洋服自体に違和感があるらしく、かなり挙動不審だ。
「ふむふむ、ミュラーも繕えばそれなりじゃないか」
「先生。私は面白半分でのこのような行為は……。友人としてもあまり」
「ふん、そんなんだから未だに……」
「先生っ!!」
「?」
ミュラー君も苦労しそうね。
とりあえず、尾行スタート。既にだいぶ先に行かれているはずなんだけど。ブロッサム様は私と太刀海を放ったらかし、ミュラー君と潮音ちゃんを連れて2人を捜索しているようだ。何がしたくて何が楽しみなのか……。よく解らないけど、実はブロッサム様はブロッサム様でただ遊びたかっただけなのかな? 今のこの状況で?
……と、ブロッサム様達はカフェに入って行く。どうやらターゲットを見つけたらしい。私達も気になるけど、ゾロゾロ行っても怪しまれるだけだから普通に別行動をとる。たまにはこういう機会もありだしね。太刀海は必ず私の斜め後ろを同じペースで歩く。太刀海の歩幅は私などよりも随分広いはずだから……やっぱり太刀海は気遣いの人なのよね。他の歩行者に私が巻かれないように速度を合わせているんだ。それだけじゃなくて、ナンパから護る為にピッタリついてくれてる。王都は都と言うだけあり、通行人や旅行者なども多い。それだけいろんな人が居るから絡もうとしてくる輩はいつだっている。太刀海みたいなボディーガードが居ると正直助かるわ。いつもはシルヴィがその役目だったのだけどね。あはは……。あの子、私と対比になると露骨に機嫌が悪くなるから。その手の面倒な男性が近寄らなくなるのよ。あとからあの子のご機嫌取りはしなくちゃならないけどね?
「まったく、この様にせんとならんか。ほんに面倒な奴らよのぉ」
「え、はい? 心紅ちゃん達はいい感じですけど?」
「姫、未だにお気づきにならなんだのですか?」
「えっ? え…? な、何をですか?」
「まぁ、潮音はこういう娘よのぉ。ま、本当の所はアタシの好奇心もあったよ。曾孫が孫の弟子と恋仲になるのか……とな。お節介ババアの悪いところだ。あははははっ!」
「はぁ、先生もお控え下さい。ニニンシュアリはこういう事に敏感でを極度に嫌がる気質なので……」
私と太刀海がよくデートしてたのは、王都の書店街か王立図書館の分館だ。私の趣味が読書だし、そういう場所が好きなのもあるけど。私だけではなくて、太刀海は静かで落ち着いた場所が好きだった。特に古い神殿や寺院跡、遺跡などはよく行ってたみたい。
今居る書店街の脇道はアーケード街になっていて喫茶店やこじんまりとした工芸品店、画廊、画材店や楽器店が並んでいる。専門店街ではないし、表通りからは外れるからこの辺りはちょっと異質な空間だ。表通りのカフェは女の子達が入り楽しそうに会話をしているけど、この辺りの喫茶店はそんな雰囲気は無い。まず、私も太刀海も騒がしい表通りは好きじゃなくて、こういうしっとりとした感じの場所が好ましい。アーケードは閑散とはしていないけど、賑わい過ぎている訳でもなく。寒い季節は暖かく、暑い季節は避暑に最適。文学生や画家、音楽家に愛される芸術の道。裏通りみたいに吹き溜まりにはならず、それなりの品格が維持されている。
そこに行く前に私が読みたかった恋愛小説の最新刊を書店で購入し、学生時代に行きつけにしていた喫茶店へ向かった。よかった、まだ営業してる。『OPEN』と札が出ていた。お店は時間が止まった様に何も変わらない。太刀海が通りすがりに直したドアベルや年代物のステンドグラス。薄暗い店内だけど、けして嫌悪感を抱かせない。適度に明るく、理想的な広さを表現するならば……秘密基地のような空間。清潔で行き届いた手入れ、カウンターやテーブルまでこだわった内装……。でも、時間には適わない。そういう部分もあるのよね。私としては味わい深くて今のお店も好きだけど。
もう1つ違っていたのは中で切り盛りしていたのが若い女の子であった事かな? 太刀海が見回して居ると女の子は気づいてこちらに来てくれた。オーダーと勘違いしたようだ。太刀海は構わずにブレンドを2人分オーダーし、最後にお店の事について女の子に質問した。
「あの、マスターは?」
「はい、わたくしがマスターを務めさせてもらっております」
「ん? ではご老体は?」
「お客様は祖父をご存知なんですね」
「えぇ、私達が学生の時にとてもお世話になりまして」
「あぁ……。そうだったんですね。実は祖父は他界しまして……。5年程前に私が祖父から店を引き継いで居たのです」
「あ……」
「……、ご冥福をお祈りいたします」
「ありがとうございます。このお写真の学生さんは昔のお2人ですよね? 祖父も上から見て喜んでいると思いますよ。お2人がお幸せそうになさっていて、またこの店においで下さったので」
私の外見があまり変わっていなかったかからだろう。マスターは私達が写る写真をこちらに持って来てくれた。太刀海も確かにがっしりはしたけど面影はある。太刀海の秘密基地だったこの喫茶店は私にも居心地がよかった。交際をはじめてから教えてもらい、学舎が休みの日は太刀海が居なくても、一日中居座った事さえある。先代マスターにはよく愚痴を零したものよ。太刀海も私も先代マスターに顔を覚えられていて、繁忙期は臨時のアルバイトをした事がある程だ。その頃の写真が残っていたのだ。額縁に入って飾られている。獣人族の鳥人型でフクロウの獣人さんだった先代マスターとお孫さんらしいマスター。あの時の友好が思い出されるくらいそっくりだ。まだ、凛々しい感じはあるけど、きっと彼女も良いマスターになっていくだろうね。
ただ、話の流れで否定できなかった彼女の勘違いがある。
私達は夫婦ではない。チクッとくるこの感じと、同時に不思議とふわふわする。……話に花が咲いていたけど、マスターは手際よくコーヒーを入れてくれた。先代とはまた味の違うコーヒーだ。まだ修行が足りないのだと自嘲気味に言うけど、基礎がない訳じゃない。美味しいわよ。彼女らしい、爽やかでほんのり苦味が効く味わい。豆の煎り方や淹れる際の蒸らしで味わいが全く違う。使っている豆の原産地は同じでもね。私がそうやって言うと太刀海も黙って頷いた。嬉しそうにパーっと表情が明るくなる。カウンターに居た犬型獣人族だろうお爺さんに茶化され、マスターは笑いながら怒っている。ふふふ、可愛い子よね。あのお爺さんの言う通り、先代を模倣する必要はないわよ。貴女には貴女のコーヒーがあるんだから。
「……あの、お写真よろしいですか?」
「え? 構いませんけど」
「こんな出会いってなかなかないじゃないですか。私、これからも頑張ります! その記念に1枚」
太刀海と顔を見合わせてから、そこに居合わせたお客さんの皆が集まり写真を撮った。魔法って便利よね。任意の遠隔シャッター。
マスターはまだまだ若い子だけど、しっかり者だし私達以外にもちゃんとお客さんがいる様でお店も順調なんだろう。王都にはこんなふうに表通りにはない隠れた名店が沢山ある。こうやって代替わりしても精神と言うか、心を受け継いで行く。なんか、いいなぁ。久しぶりにホッコリできた。
意外と甘党な太刀海。何やかんやでケーキなんかを色々オーダーして結構長く居座っちゃったなぁ。まぁ、その分はちゃんとお代で貢献したし、いいかな? マスターに挨拶をして私達は再び夕方の王都を歩いた。わざわざ送り出して手を振ってくれてる。
メインストリートはまだまだ熱が引かず、大動脈として往来する人々を受け入れている。でももう少しすると、メインストリートは熱が引き始め、居住地区にほど近い商店街と歓楽街が灯りを灯す。王都は眠らない街だ。その時々で違う顔で魅せる美しい街。
学舎時代、悪ガキだったオーガ君と太刀海。2人は夜の街を探検しては寮母さんに大目玉を食らってたのに、凝りもせず無断で外出を繰り返していたのだけどね。そんな懐かしい時間を思い返しながら私は我に返る。横には太刀海が居て……。私達はもうあの時の様な子供ではない。私達ハイエルフは長寿の為か生殖本能が薄い種族ではあるが、世間的には既にそういった相手が居て然るべき年齢だ。……まぁ、未婚でも今の時代なら何も言われはしないけど。急に私の中で引き締まる物があった。
「ね、ねぇ。太刀海」
「ん?」
「覚えてる? 学生だった頃の話」
「沢山ありすぎるな」
「あ、…………。そ、そうよね。貴方には沢山楽しい思い出があるわよね。そう……よね」
「お前との思い出はどれも大切な物だ。優劣はない。で、その中のどれの事を言いたいんだ?」
遠くを見るような太刀海の視線。今の彼の位置は斜め後ろでは無い。真横だ。しかも、ほとんど密着している。太刀海はがっしりした190cm程ある巨体。私も180cmは無いけど175cmはあると思う……。彼とは骨格が違いすぎるから華奢には見える。知りたいくせに目を逸らしていたい……。違うものに目隠しされてる。だから、私達のゆったりとした歩みは止まらない。
本当ならば太刀海はこんな事をしている時じゃない。ブロッサム様が引き止めて居なければ、私がこうやって隣を歩いて居なければ……。本国に帰り、大本営からの干渉に対応する為に兄弟と協力して闘っているに違いない。私が居なかったら。思わせぶりな事を言って、彼とのこの時間を引き伸ばさなかったら。
私達はまた同じ位置に戻ってしまう。ただ漠然と生活して、母の名にドロを塗らぬように。ただ、流れに任せてシルヴィを手助けし、罪悪感を薄めるように……。ただ、流されて、居心地がいいこの時が壊れてしまうのが嫌で。拒絶されるのが怖くて。彼には私よりも大切な物が沢山あるから。兄弟、妹、家臣団、国民。天秤にかけるなら、私1人なんて比較にもならない。……聞き返したいのに、言いたいけど、怖くて。本当は…彼から私を必要として欲しくて。なんの縛りもない。家柄や仕事、肩書きなんて何も無い私を……見て欲しい。抱きしめて欲しい。私が本当に欲しいのは……貴方からの『愛してる』と言う一言だけなのよ。
「貴方とお付き合いを始めた時の条件」
「……」
「あ、新しい…条件は……ないの、かしら?」
いつの間にか大通りから歓楽街の奥、夜の街へ私達は入り混んでいた。気づけば私の歩みは止まり、高鳴り始めた音が邪魔をする。呼び込みの声、通行人の会話、機械音……。何よりも心音が煩くて、焦りが昂らせて時間の感覚が狂っている。あぁ……、煩い……煩い! 煩いっ!! 煩いっ!!!!
いかがわしいお店、派手な露出の多い服装の呼子。派手な外装の宿泊施設。たぶん、違法な薬物や道具を扱う露店。そんな道のど真ん中で立ち止まってしまった私。通行人は邪魔そうにすり抜ける。……途端に太刀海が私の腕を掴んだ。速足になり、私を連れ込んだのはそういう施設。ボーイはホテルであるだけあり、品のある対応をしてくれたけど。この区画にあると言うことはそういう目的の施設のはず。太刀海が優しくて、意外と小心者なのは私もよく知っていた。彼が防衛戦において強いのはリスクテイクがより堅実だから。その太刀海が私をこんな場所に連れ込むって事は……。
「あの時の条件を、覚えているか?」
「う、うん。学舎に在学中なら付き合ってくれるって……」
「……やはり、勘違いをしていたか」
太刀海は急に力を込めて抱きしめてきた。逞しい体つき。比較にすると未練がましく聞こえるから嫌だけど、オーガ君は見るからに細い……。逞しさなら太刀海の方が断然際立つ。え? あぁ、先に訂正するけど、オーガ君とはそういうお付き合いはないから。ここ、重要っ! 私はそんな尻がるじゃないわよ!
さっきから私は自分の体が弾んで居るように感じた。太刀海の唇、キス。昨晩は記憶がないから、体の記憶が呼び覚まされてるのかしら。母に言われた私達の体。脳に記憶するだけではなく、体に魔法を刻み込む体質だ。ただ、それは魔法だけに留まらない。体で記憶するのよ。身をもって体験した事を私は忘れない。いくらビジョンとして記憶に残らなくても、体には染み付いてる。この暖かで懐かしくて……。もどかしい。私達は確かに今こういう状況だけども。その先の段階には……。せめて、彼のトラブルを……解決してから!
「ワシは……あの時、こう言ったんだ」
「はぇ?」
「在学中ならば、何も気にせず共に居られる。しかし、国に戻ればそれは叶わないだろう。それでも、望むのか? ワシの嫁となる事を」
「……?? んっ? えっ?」
えっ? なんか……今、もの凄く重要な事を聞いた気がするんだけど?! 最後の方っ! なんて言ったの?!
太刀海は私が放心していると思ったのか、椅子に座らせてくれた。私がまだ10代の頃の話。20歳になる年だから厳密には10代最後の年なのかな? オーガ君にシルヴィを虐げていた事を突きつけられ、シルヴィの強さに…気づかされた。自分の醜さと罪悪感に負けた私。根が貧弱で顔色ばかり気にする上、何か柱がないと立てない。そんな宿り木のような私は虚無に囚われていた。その様な時、太刀海に救われたのだ。私に扇動され、後に暴走してシルヴィを実質的に虐めていた学生達は次々にオーガ君に反撃され、自主退学していった。でも、私は彼女らの様に逃げられなかったのだ。なぜ、あんな馬鹿な事をしたのかと、過去の自分を呪ったわ。でも、答えなんて出る訳がない。いや、最初から出ていた。罪を背負ってシルヴィに尽くす。もしくは、逃げ出す。逃げた方が簡単よね。でも、私にそれはできなかった。シルヴィは王族出身である事を隠していた。その事実と私の母の仕事や立場が重くのしかかった。王都の王立学舎は母の母校。中退なんて事になれば私の未来は無い。最悪の事態。それは事実が明るみになれば、私だけではなく母まで……。
太刀海は罪の意識と言うか、勝手に1人で苦しんでいた私に唯一声をかけてくれた人だ。オーガ君がしてた報復から私の事は知っていたに違いない。なのに、彼だけは私を肯定してくれた。
その時の私には唯一の救いだった。虚無に囚われ、自身を否定しかできないくらい自分を追い詰めた私。そんな私には……彼が輝いて見えたんだ。その当時、どうも太刀海はシルヴィに恋をしていたらしい。しかし、彼はオーガ君の背を追いかけるシルヴィに気づいた。オーガ君は親友。自身が身を引けば丸く収まる。この関係で私達はお互いに意思疎通こそせずとも、利害関係の上で利用し合って生きていける……。そう思ったのよ。でも、私は予想外の展開に狼狽えた。シルヴィについている時、必ずオーガ君が居る。そう、オーガ君の親友であり、ルームメイトの太刀海もいつも居た。いつの間にか、そういう感情が私には芽生えていたのだ。ただ、ちょっと異質な物よね。隣国の王子に相当する人を好いてしまったのだから。
「え、えと……。もしかして、私って」
「まぁ、気恥しい故、当時のワシもだいぶ小声で言った記憶もある」
太刀海は感情が表情にはでない癖に、羞恥に弱くて態度や行動には直ぐに現れる。ごつくて雄々しいのは外観だけで、中身はかなりデリケートなのよね。その太刀海が踏み込んでくれたことが嬉しくて、私はちょっと舞い上がっている。……。これは肯定してくれた……、ととっていいのよね? 嫁、嫁……。シルヴィも大概だとは思ってたけど、焦らされた後はやっぱり。嬉しいなぁ。
私が太刀海の手を握ろうとすると、立ち上がる彼。
彼の口から空気を読まない一言が飛び出し、私は思わず彼を見返した。先に言うけど、私達はこういう施設を利用するのは初めてじゃない。王都の学舎はエリートになる子息子女の教育機関。学術院が作法や生活習慣などを刷り込むのが目的だから、監視の目が強いのも言うまでもない。そんな寮で逢引などしよう物ならば半日でいいネタにされてしまう。状況や素行にもよるが反省文や馬鹿みたいな謹慎なんて事も有り得るわ。学術院の監視より面倒なのは実は学生なんだけどね。窮屈な過密生活空間で学生達は日々娯楽に飢えているからね。私も事実そうだった。
だから、太刀海とオーガ君の脱走ルートを教えてもらってからは……とても楽しかった。シルヴィも含めて4人で抜け出し、遊び歩いたのはいい例。もちろん、学舎を卒業する頃にはすっかり大人だし、利用するエリアも広がっていった。こういう所に彼と来たのだって1度や2度じゃないし。部屋のドアノブに手をかけた太刀海が違和感に気づき、振り向いたはずだ。あぁ、……ギリギリ、意識は残ってる。さて、本音をぶちまけようかな……。たーちーみーっ! 逃げんなぁっ!
「お、おい!」
「今更なぁに言ってんだよぉっ! オラァ! オメーはいつまでアタシをほっとくきなんらよぉっ! なあぁ?」
「いい加減にしろ! 公孫樹! 落ち着け!」
「オメーは据え膳も食えねぇってかぁ? このチキン野郎! アタシがどんな思いで……ずっとまってたのにぃぃ! ああああ!」
体どころか言動すら自分の意思を外れ、太刀海を困惑させるだけの事をぶつけてしまっている。両手を抑えられた状態で私はまだ暴れている状態だ。
私は待っていた。太刀海にリンクをとった訳じゃないから、ただの自己満足だけどね。オーガ君と太刀海は連絡を取っていたようだから、たまに仕事で会っていたオーガ君にそれとなく聞いていたんだ。会えないけど、太刀海が無事ならいつも安心できたから。そして、私へ手紙が来た。オーガ君から……。寒気がし、内容を確認すると、一気に安堵が押し寄せた。私はその封筒の凝り方から誰かの訃報や危篤と勘違いしたのだ。それが太刀海へ直結したのよ。彼は防人。火の国からの干渉を一手に引き受ける。最前線に詰める彼はいつも死と隣り合わせ。いつ来てもおかしくはない。
オーガ君が英雄パーティーを組む話を持ちかけてきた。『もしかしたら……』と思っていれば、ホントに来た。エウロペのギルドに寄り、ブロッサム様宅を尋ねていた太刀海……。でも、久々に会った私はどうしていいか解らなくて。なんて声をかけるべきか解らなくなっていた。太刀海はそんな私にも気遣い、過度な接触を避けてくれているのが痛かった。心が痛かったのよ。
「なんれ、そんなに気遣うろよ!」
「ワシは解らないんだよ。明確に言ってくれなければ解らん! ワシは拒まれていたと思っていたからな。探ろうと思えば魔解から情報を得て手紙を寄越すくらいはできたであろう?」
「バカ! それはアンタも同じでしょ?!」
頭に血が上り、私は目眩を起こした。実は太刀海が付ききりなのは理由がある。まだ、私は経過観察中なのだ。だから、主治医の太刀海は離れない。そんな太刀海だけど、今度は私の肩を掴んで押し倒して来た。柔らかいベッドに沈んだ私。お酒の事もあり、まったく力が入らない。最初から太刀海に筋力でかなう訳ないんだけどね。私達ハイエルフは筋力などは強くない。肩が痛いくらい握りしめられてる。こんな太刀海は初めて見た。イライラしてるんだ。困惑してるのもあるのだろうけど、勢いに任せるなんて彼はしなかった。
いつもなら優しいタッチの太刀海が粗暴な手つきを私に向ける。乱暴な彼が新鮮で…何故か甘い声が漏れていた。それが少し悔しくて、私も反抗している。それからは互いに言葉では素直になれないまま、私は太刀海に力で押し込まれていた。気づけば朝だし……体はベトベトなのよね。太刀海はソファに座って沈み込んでいるわね。根が優しいからか、自身のした力技を受け入れられない様子だ。ソファの前にあるローテーブルにはすごい量の酒瓶が並んでいるから、事が終わってから彼は一睡もせずに飲み続けていたらしい。……太刀海は酒豪だけど、彼だってあれだけ飲めば。
「たち…み?」
「す、すまぬ。体の相性の問題もあり、無理はさせてはならぬと思っていたのだが……自制が効かなんだ」
「ねぇ、太刀海。何でそんなに気にするの?」
「ワシの性分だからとしか言えぬ」
「……これだけしたのに?」
「何?」
「たぶん、昨日と今日で……割と確実に、妊娠してると思う」
途端に太刀海が青ざめた。私もショックだ。そんな態度をされるとは思わなかったから。
私達ハイエルフ族やエルフ族は生まれた子供は何よりも大切に育てる。実はエルフ系統の種族には特殊な事情があり、森エルフや孤村エルフの出生率は極めて低い。まずエルフ族は男性の出生率が少ない。ハイエルフ族は本来は女性しか生まれない。次代が進み、ハイエルフが街へ進出し、人やドワーフと混ざることで男性が稀に生まれる様になった。
そうやって枠付された種族がハイエルフの混血。エルフ族になる。私の父はエルフ族が掛け合わさり続けて生まれた為、系統育種され人為的に生まれたハイエルフと称される男性。時代背景があり、混血の種族は疎まれた。そんな中、純血を作り出す施策があったらしい。あまりに短命であったのは遺伝子汚染によるしわ寄せが理由。そして、もう1つ。魔法種族であるハイエルフは体中に様々なロックがある。特に私達の様な家系には多い。無限図書館もそのロックの1つ。このロックは個体の性質によってもことなる。……私は母に無い『愛の呪縛』があるらしい。
何を考えたか、太刀海は急に土下座してきた。土下座が流行ってるのかしら。
直後、彼が放った言葉で太刀海がどうしてそういう態度を取るのかがやっと解ってくる。太刀海が優しく、分け隔てなく誰でも助けちゃうのは性分からだ。そんな太刀海が私の意思を尊重する癖に深い部分に踏み入らせないのは……。彼が不安定な立場だから。太刀海は防人。いつ死んでもおかしくない。普通ならばそれだから世継ぎを早くにもうけると思うが、彼は様々に肩身が狭く子供や妻となる女性を守れない。責任感の塊の彼ならではの悩みだ。
「養育費は払う! 育てる為に必要な物はなんだって用意する。だが、海の国には来るな。……ワシの妻としては認知しないし、子供もワシの子としては育てるな」
「は? それはどういうこと?」
「ワシはいつ死ぬとも限らぬ。自らの命も保証できんのに……妻子の命を守れる訳が無い。ワシが生きている限り、腹に子が居ると言うならばワシはっ……」
「……必要な物はなんでも用意してくれるのよね?」
私は初代天照に似た存在。初代にも愛の呪縛があったらしい。
私の体は魔力の通過でトリガーが引かれる。魔力と言うのは学識上、魔法を使う為のエネルギーだ。でも、どんなに活性が低い種族であっても微弱な魔力は存在する。体内を循環する魔力や魔気は超常現象を引き起こす事はできない。体を循環しやすい形に変わり、体の中を循環する。魔力は一種の氣で種族により複数存在する氣脈の1つに該当。氣脈はその特性から感情と強い親和性があり、様々な種の感情と組み合わさり私達が用いる魔法として利用されるのだ。私の体にある様々なロックは感情が魔力と反応し、元素的な役割を切り離して体へ司令を送る仕組みに変わる事により存在する。
呪縛持ちに必ず言えるのは通常ならばありえない密度の魔力や神通力を持ち合わせる事。その派脈が強すぎる私達には体の様々な場所に関所があり、逆流防止弁の様な役割を果たしているのだ。私には排卵にもその仕組みが関係している。……母の学識とオーガ君の調査を複合して考察すると、私は始祖帰り。私から生まれる娘は始祖帰りとなる確率が増す。その為のロックなんだ。不便な話しよね。誰かと結婚しても合わなかったら私は子供すら持てないのだから。
母の過程だけど、愛の呪縛とは魔力に文字通り、愛と言う感情が溶け込み、体を循環する事で鍵となる物だ。この類のロックは珍しい類である。学識もあまりない。私は母に調べてもらい発覚した稀な例なのよ。太刀海に良いようにされて、それでも愛が芽生えたって言うのは癪な話なんだけど……。事実だから仕方ない。私は太刀海を愛してるんだ。太刀海に話したのは嘘や可能性の話ではない。もちろん脅しでもないわよ。私の思いを伝えたいだけ。もう、逃がさない。私はこうなってしまった。私には……私だけではなく、これから増える家族を幸せにする義務がある。私の母の様に、家族を……。私も繋がってゆくの。
「紅葉がまだ母のお腹に居る時かな? 父が急に死んだの」
「……知っている。いつだったか聞いたからな」
「貴方は必要な物を必ず用意してくれるって……それが責任なのよね?」
「あ、あぁ」
「私は、この子達の父親が欲しいわ」
「んっ?!」
「聞こえなかったかしら? 何でも用意…」
「それはっ! 断る」
『何でも、用意してくれるって……言ったくせに』と耳元で囁いてやった。予想通り。狼狽えた太刀海は私を押し倒した。Take2を巻き起こしてくれたわけだ。これで確実ね。それこそ無茶苦茶にされた気がしたけど……。夕方くらいに太刀海に背負われていた。実際、腰が抜けてて歩くどころか立てすらしなかったわよ。どれだけ無茶苦茶してくれたのかしらね? 私の方が先に壊れちゃうかも……。赤らむ空、王都の中、大通りを避けて時兎の館へ向かっている。館が見えてくる辺りで、黒い和服に煙管が目印の方が居た。何やらイライラしているようだけど……。私を背負って居た太刀海にピンと来たのか一言目は穏やかだった。
『世継ぎは授かったか?』
2度目のこのセリフを無視した太刀海は長い石段を登っていく。ブロッサム様は沈黙を肯定ととったらしく、一瞬は表情を柔らかくした。ただ、次の瞬間には厳しい言葉が飛んだ。少し休んでから私が動ける様になったら降りて来いとの事。
「で? 何の言伝もなく無断外泊とはいい度胸だな」
「戦鬼殿、ワシらはもう30に近い成人なので……」
「何を言ってんだい、ガキ共が。なーにが30歳だ。その年になっても基本ができてないなら変わらぬわ。たわけが!」
「うっ……」
「まぁ? 今までの杓子定規の面白みもなかったアンタらよりはマシだがな」
私が言葉に詰まった後、太刀海がオーガ君に相談したい事があるとブロッサム様に話し出した。しかし、ブロッサム様の瞳が一瞬だけ別の場所を見る。
太刀海はその態度を見て表情を曇らせた。
……ブロッサム様の口から2つの動きが語られる。まずは、お騒がせな女の子と、それに快く同行した男の子動きだった。昨日の深夜、時兎の館から1番近い門を抜けた若い2人組が居たらしい。1人はつややかな長髪に落ち着いた雰囲気の美人。もう1人は王都には珍しい赤茶色の羽根の鳥人族とフォーチュナリー共和国軍の衛兵が証言。そして、ブロッサム様が確認したところ、潮音ちゃんとミュラー君の姿が忽然と消えていた。太刀海が立ち上がったがブロッサム様は軽やかな回し蹴りを打ち込み、太刀海を横倒しにする。太刀海を動かす気はないらしい。肩へ彼女の扇を突き立て、脇腹に腰掛けている。長い舌と瞳孔は彼女の強い感情から現れる。
それに合わせ、単独で動いたのがオーガ君。ブロッサム様は承認していたらしい。2人が出る前にオーガ君は白槍、赤八兄弟の救援に単身で動き、自分が3日経って帰らぬ場合はニニンシュアリ君が率いる男女混合パーティーで増援に向かう予定だったのだ。しかし、潮音ちゃんはその段取りを無視し、何かの目的の為にミュラー君を連れて海の国へ向かったらしい。ブロッサム様の機嫌が非常に悪いのは潮音ちゃんの行動からだったようだ。
「まぁ、下拵えは間に合って良かったよ。アンタ達が帰って来る前にアルから魔法通話が来た。どうやら開戦してしまったらしい」
「なんと……愚かな」
「しっかりおし! アルがなんの為に単身で援軍に出た? お前の弟達を助けに行ったんだ。アンタ達にはしなくちゃならない事がある。現海の巫女からアタシ宛に友好伝書だ。読みな」
「……」
「公孫樹……アンタを次代の巫女に推薦するとな。だが、2つだけ条件が有るそうだ」
ブロッサム様が太刀海を抑える体勢から立ち上がった。指笛を吹くと桜の枝を伝い、ブロッサム様の聖獣が2つの物を体に巻きながら持って来る。長細い袋と……なんだろ。宝石箱?
どちらもオーガ君が私達には作ってくれた物らしい。実はパーティーとして起用した段階で、彼は私達が再開の喜びから直ぐにくっつくと思ってたいたようだ。どこまで恋愛……いや、対人音痴なのよ……彼は。その為に、新作ではない野太刀とロッドをくれたのだと言う。じゃぁ、こっちが本命? ブロッサム様の聖獣は私達の足元に滑り込み、まずは太刀海へ横柄な態度で話しかけた。流石はブロッサム様の聖獣だ。ご本人に負けず劣らずの豪快さと破天荒ぶり。太刀海へふわふわと渡ったのは……刃が無い柄? 違う、あれは……。ミュラー君の斬馬刀と同じだ。でも、彼の為にオーガ君が用意したんだからそれなりに違いがあるはず。
私にも杖? 違う。拡張パーツかしら。何やかんや色々入っている。どんな機能なのかは解らないが、とりあえずもらっておかなきゃ。……その箱の中にさらに箱が納められていた。箱の飾りは太刀海の家紋と我が家の紋章が象られたレリーフだ。素材は魔甲亀族の甲羅。しかも、あまり類の居ない水晶の物みたい。もう、ここまで来たら何の箱かは容易に理解できる。まだ、視界に入って居ない太刀海はブロッサム様と今後について話してるけど……。中には結婚指輪が入っている。3組入っていて、1組は華美で細工が緻密。たぶん、式典用。2組目は……普段使い。最後の3組目の指輪にはメモ紙が挟まれていた。たぶん、太刀海宛だね。
「ん? 公孫樹? どうした?」
「な、なんでもな…っ! ちょっ、ちょっと!」
「なるほど、魔解め。ワシらを呼んだのは先頃からワシらを組み付ける為だったのだな? 1つと言わず借りを作ったばかりか、複数の御仁に世話になってしまったか。戦鬼様にもお手を煩わせてしまいましたしな」
「お節介ババアは十分に楽しめたからいいのだよ。はっはっはっ! のぅ? 公孫樹」
それはようございましたね……。
私達は正装に着替え、母の従者と親書を届けてくれた海神神社の神官達が護衛についた。海の国を大回りして海神神社の本殿へ向かう事になっている。神官達が来る時ですら空気は最悪だったらしいから……戦況が不安だ。いくらオーガ君が向かっているとはいえ、大本営の戦力と外郭守備戦力の能力差は絶大。だから、太刀海は急いで立とうとしたらしい。
でも、ブロッサム様はなんの心配もしていなかった。それがすっごく気味悪い。太刀海は死者をできるだけ出したくないだろう。オーガ君は……兵器の専門家。手遅れになれば大本営が甚大なダメージを受け、禍根が根付いてしまう。急いで行かないと……。




