勇者様と鍛冶師君
昨晩、アルの部屋で寝て、アルのベッドで微睡む。夢現であるのかしっかりとした感覚はない。匂いとか、暖かなベッドの温もり。まだまだいつまでも寝ていられそう。心地よい。
寝返りをうち、妙に広いベッドである事に気付いて、目覚める。既にアルは隣には居なかった。15年間も追いかけ、やっとの思いで捕まえた彼。でも、彼は手が届きそうになるといつも居なくなっちゃうから。いつも霧が晴れる様に音もなく、跡形もなく居なくなってしまう。激しい不安が頭の中を埋めつくし、アタシは立ち上がっていた。焦りからそのまま彼の部屋と工房が繋がる扉を開けた。作業台の近くにある小卓と椅子。アルがそこで一服しているらしくマグカップを持っている。あ、アタシに気づいた。
「ん? シルヴィア。体は大丈夫か?」
「よっ、良かったぁ……」
「お? 何が良かったのかは知らないが。お前、服」
「えっ? あ゛あ゛っ!」
焦って扉を開けたから、自分の状態を忘れていた。幸いその場にはアルしかおらず、全裸を他の誰にも見られずに済んだ。昨晩の事も有り、アルには見られても今更だし。アルの部屋に戻り、服を着ようとしたのだけど。着物の着方が解らず、見かねたアルが手伝ってくれている。まさかアルに着付けてもらう事になるとは……。恥ずかしすぎる。無事に着物に着替えて再び2人で工房にいる。アルはどこを見るともなしだ。朝はいつもこんな感じみたい。
アルが立ち上がり、仕事場にある炉の火で沸かしていたらしい湯を持ってきた。コーヒーを用意してくれてアタシにも差し出してくれた。あまり飲まないんだけどさ。……にっ、にっ、にぎゃぃぃ……、これブラックぅぅ……。蜂蜜とミルクをもらい、苦笑いするアルを見ながら赤面していた。ゴメンなさいねっ! 舌までお子ちゃまでっ!
ブロッサム様が施してくれたお化粧は、魔法を使われた特殊なものでとても高価な物らしい。水だろうが油だろうが…なんなら溶解液だろうが崩れない優れ物。それだけに流通も稀なものなのだとか……。マグカップにも紅がつかないし、気にしなくていいから楽でいい。アタシが落ち着いた辺りを見計らい、あるからアタシの体調を気遣う言葉が出てきた。昨晩…ついに。おっ、思い出すと恥ずかしい。
派手に赤面したのを隠そうとしたのに、アルにはお見通しらしく、すぐに話題を変えられた。アタシはその気遣いに悶絶している。こんなボーッとしているだけなんて久しぶりだ。いろいろなことが一気に変わったから、アタシも驚いている。住んでいた場所や環境、交友に仕事、立場。いろいろ考えなくちゃなぁ。先生役もしなくちゃいけないみたいだし。朝から太刀海と5人がランニングする掛け声を聞きながら、アルの横顔を見ていた。あぁ、やっぱり幸せだなぁ。何でもない事なんだけど、アルが居るだけなんだけどさ。探し回ったり、我儘したり、振り回したり。いろいろして困らせたけど。……この状態が無性に落ち着く。ホントに何にもないのにね。暖かい。
「ばーちゃんのせいでいろいろ話の段取りを狂わされちまった様だしな。……まあ、こういう事があるから、お前と居ると楽しくてしかたない」
「えっ? えぇ?! ど、どういう……」
「ばーちゃんに忠告されてたのにな。ばーちゃんもアシアド様と同じく、曾孫がはやく見たいらしい。俺はいっこうに構わんが、体が辛いなら少しは自己防衛しろよ?」
昨日、ブロッサム様がアタシに言った言葉の意味だった。アタシに知識が無いと知るや、かなり分厚い古代文字の学術書をアルが見せてくれる。ブロッサム様もだったけどそっくりだなぁ。学ぶためには自分で読む。ご親切に翻訳魔法付きで……。確かに読めないけどさ。
なになに? 生物には様々な生態や文化、生き方がある。今回の主題となる雑鬼族は多くの血統で女性が生まれない。へぇ、ブロッサム様のような女性は珍しいんだね。ただ、女性が生まれると言う前例が無い訳ではない。女神族との混血率が高い事に起因し、生まれてくる事もある。彼女はレアケースで生まれたイレギュラーな存在と言う事らしい。まぁ、……ブロッサム様は男性もタジタジなレベルの男勝り、いくら珍しくてもねぇ。
それだから男性率が高く、アルのお父様もリクアニミスさんもアルも……。というか、魔鬼血統って街中にはほとんど住んでいないから、ブロッサム様のご家族くらいしか知らないんだけどね。
「鬼って言われるくらいだ。俺達はあまりよく思われない種族なんだよ。それに雑鬼族は大きく括られてるだけ。生き物としての種や系統なんて全然違う種類が纏められてんだからな」
「ふーん、なんかそれだけ聞くと嫌な話しよね」
「その先を読めば何となく解る。何故、俺達が嫌われるのかがな」
前述の通り、多くの雑鬼族は他種族の女性との間でなければ子孫を残せない。あぁ、何となく察した。特に魔鬼血統は雑鬼族の中で最も寿命が長く、生殖本能も極めて強い。古くはモンスターと同様に討伐対象にされた。様々な面で危険度が高く。文明社会には不適合な種族だったらしい。
体からは特殊な匂い…フェロモンを発しており、体液には強い誘淫作用がある。学術的には繁殖を確実に行う為なのだとか。ただし、同族間では異常な程に仲が悪く、縄張り意識も無い。協調性がない上、個体毎の戦闘能力が非常に高い。よって鉢合わせになれば、闘争も頻繁に起きる。結果、同族での潰しあいが多く、個体数は極めて少ないらしい。
「だから街中に住んでないんだ」
「あぁ、実際言うと現在でもそんな感じの生物だしな。たまに考えが柔軟な輩が軍なんかに務めてるが……規律を嫌うから傭兵って感じだよ」
様々な伝承に現れる古来よりの種族であり、雑鬼族は神人大戦の時代より存在した。中でもフォーチュナリー共和国に住まう家系、オーガ家は魔装大戦時にまとまらない魔鬼族を1つに纏めあげた家として有名。他の大族として、ドワーフ、ピクシャー、ゴブリニ、オークーなどの族が存在する。また、現存が確認されてはいない伝承の族として神鬼族、シクルゥス、アシュライ、ヘカトゥカウル、ティアンなどが有名。
アルのお父様やアル自身、リクアニミスさんなどの理性が強い魔鬼血統は稀な例なのだ。だから、アルとの行為もアタシを貪り食う様な野性的な物にはならなかった。本来なら雑鬼族魔鬼血統はそういう生き物だと認知しなければならないようだ。……そ、そうだったんだ。
アルが淡々と語る種族としての特徴を聞いているうち、かなりアルに申し訳なく思い始めていた。人間にある理性とは歯止めの要素である。……実際、アルも理性で抑えていたらしい。アタシは欲に従順に従い、彼に求めた。自分で言ってて恥ずかしくなってきたよ。
「や、やっぱり……その。アルも……」
「お前の体調の方が心配になる。俺の方は気にする程じゃない。それにオンオフは割と簡単でな。そうして欲しいならいつでもしてやるぞ?」
「あぁ、いや、遠慮します『怖いもの見たさ……で、やってみよぅかな? いやいや、体がもたない。絶対』」
笑顔のアル。そんな彼を見ているだけで幸せになれる。ずっと追い求めてた反動なのかなぁ? コーヒーを飲み終えると、アルはアタシを連れてリビングへ向かう。時間帯としては朝食時だ。アタシの部屋でよく眠れたらしい公孫樹ちゃんがブロッサム様と共にキッチンでパンを焼いている。あぁ、何であんなに公孫樹ちゃんにはエプロン姿が似合うんだろ。……ブロッサム様も割烹着が凄くしっくりくるんだけどね。朝食もかなり豪華。パンにスープにサラダにとかなりバランス良く整っていた。ただ、アタシや女性陣の朝食と太刀海、5人の朝食のボリュームの違いがおかしい。育ち盛りってすごいなぁ。
対するアルは基本的に朝食は取らないらしく、ずっとコーヒーを飲んでいる。何でブラックなんか飲めるんだろ。遠巻きに外を見続けているアル。それを5人が気にしているらしい。ブロッサム様がいつもの事だと嗜めた。アルは確かに1人でホッとする時間が欲しいタイプだろう。昨晩、アタシが酔いつぶれたり、理性を飛ばしたせいで言いたい事も言えていない様子。だからいろいろな整理もしたいんだろうなぁ。
そんな事を考えながら朝食を食べていると外で声が聞こえ始めた。
特徴的で丸みを帯びた高い声。……きっ、来ちゃった。あの声は心紅だ。アタシは急いで朝食をかき込んで逃げようとしたのだが、ブロッサム様に捕まり座らされる。じっとりした視線からは腹をくくれと言われている様に感じた。公孫樹ちゃんはアタシの焦りように冷や汗混じりの苦笑い。5人も何が何だかよく解らず、思い思いの反応だ。太刀海も久々に潮音と会えるためだろう、少々居住まいを正した。そして……。
「オッグさぁん!! たっだいまァ!!」
「朝から騒がしいヤツだな。だが、その分じゃ仕事は順調だったんだろ?」
「うん! とってもいい感じ!」
そう言えば珍しく暁月さんが見あたらないと思ったら……。心紅に背後から飛びつき、撫で回すやら頬擦りするやらで。とうの本人は激しく嫌がってアルに助けを求めている。助けを求められたアルだが、自分に被害が出ない様に心紅を見捨てたけども。
その心紅の後ろにいた潮音。彼女は長兄がいきなり現れている事に驚きが隠せていない。あの子、あんな表情もするんだ。潮音は実家で何かがあったのかと詰め寄り、兄は様子を見に来たと話す。太刀海からの話を聞くや否や少し嬉しそうな笑顔。潮音は優しくて落ち着いた表情が印象的だけど、ああやって笑顔を見せて笑う子なんだ。綺麗よねぇ。
紅葉は公孫樹ちゃんの隣にまっしぐら。公孫樹ちゃんは家族が心配していた、などと言いながら末妹が確りとしてきた事を喜んでいる。あの姉妹は並ぶとそっくりよねぇ。特に体つきとか……。う、羨ましすぎる。
姉妹と言うなら、義理になるけどエレとアタシも姉妹なんだよね。いろいろあって動けなかったアタシの真横にもエレがくっつくように走って来た。エレは過去が過去だからか、人見知りが激しい。慣れた人や恩人ってくらいの人ならこんな感じだけど。楽しげに仕事の話を報告してくるエレ。可愛いすぎる!
オニキスも居たが…出遅れた感が凄い。彼女はまだアルが空かないからか、ブロッサム様の所に向かい、帰還の挨拶と旅の感想などを話している。すると、ブロッサム様がオニキスの頭を撫でてからキッチンへ立ち上がった。すかさず公孫樹ちゃんや潮音も向かい手伝おうとしていたのだけど……。直前から姿が見えなかったニニンシュアリとカルフィアーテが、女の子達に用意されていた朝ごはんを運んできていた。ニニンシュアリはある程度予想された席に運んで行き、カルフィアーテは直接手渡してお疲れ様などと声をかけていた。ニニンシュアリはそつないし、カルフィアーテのあの笑顔は癒しよねぇ。女の子パーティーは彼らの事を知らなかったらしく、ブロッサム様に促され挨拶を始めている。アタシとしては…逃げられるチャンスだったんだけど……。エレが離してくれなくて。タイミングを逃した。
「んぅ? 姉上? 指輪などされてましたか?」
「あ、ぃや、そのぉ」
「え゛っ……」
「そう言えば師匠もしとるやん!」
「ま、まさか……そ、そんな!?」
心紅が真っ青になり、絶望した様な表情をした瞬間に暁月さんが追い討ちをかけた。途端に心紅は気絶し、椅子から転がり落ちそうになったのをミュラーが支えている。紅葉はアタシの左手を掴んで詰め寄ってきた。あまりにも激しく食いついて来たため、近くに居たカルフィアーテが抑えにかかっている。……微動打にしないどころか、パンを咥えたまま完全にフリーズしている潮音。3人の反応を見たオニキスはヤレヤレと言いながらパンを頬張り、エレは満面の笑みでアタシを見た直後にアルに飛びついていた。
太刀海がフリーズしている潮音をつついている。公孫樹ちゃんもカルフィアーテでは止めきれなかった紅葉を嗜め、落ち着かせていた。激しい反応を見せた女の子達にそれぞれの反応を見せた男子パーティー。完全に伸びている心紅をレジアデスが背負い、彼女らの家の方へ運んで行く。エレがそれに気づいたらしくついて行った。何をしてもフリーズが解けない潮音をミュラーとアルフレッドが担ぎ、店のソファに座らせている。太刀海がニニンシュアリからお茶をもらいながらため息をついていた。紅葉は公孫樹ちゃんに慰められてはいるが……。立ち直るには時間がいるだろうなぁ。
「暁月よ。あまりに開けっぴろげすぎるんじゃないのか?」
「遅かれ早かれ知られてしまうんです。先に大ダメージを与えた方が早く立ち直りますよ。それに……あの子達みたいな大人になり切れてない小娘には…オグ君は止められないんです」
「止める? それはどういう意味だい?」
「オグ君が……縛心の呪いをシルヴィアちゃんに仕掛けたのはご存知ですか?」
「はっ?! 今なんとっ?!」
ブロッサム様が立ち上がり、凄まじい剣幕でアルを叱りつけはじめた。アタシへ向けて暁月さんが「ゴメンね」と言いたげな表情とジェスチャーをしてきている。な、何で? 場が混沌としすぎているし、一応営業時間になっていたため、アルの店舗で店番をしていた。そこに紅葉が現れる。アタシに深々と頭を下げてから、公孫樹ちゃんから聞いたと言いって先程の態度をとにかく謝っていた。そして、その紅葉は潮音が既に立ち直り、聞き耳を立てていた事を暴露する。潮音が慌てて釈明する様にしてアタシへ平謝りを始めた。
別にいいんだよ? アタシも2人に怒ったり、何かをする気もない。1回飲んでみたかったから潮音にお茶をお願いし、店舗のカウンターでお茶会をはじめた。紅葉曰く、この時間はお客さんも少ないらしい。だからこんな状態でも大丈夫との事で、とりあえずアタシ達の昔話を始める。アタシが最初に…直接的に出会ったのは14歳の時、勇者の講義中の彼だ。まぁ、入学当初から知ってはいたんだけどね。アタシも彼もそれなりに有名だったから。
「あの時のアタシじゃ、今のアタシは想像もつかないだろうなぁ」
「えっと、シルヴィア様はアリストクレア様のご学友だったのですよね」
「お姉ちゃんもそうだったんですよね?」
「うんっ! 今の紅葉ちゃんは昔の公孫樹ちゃんにそっくりだよ。太刀海も同級生でねぇ。懐かしいなぁ」
当時のアタシはどうしようもないガキだった。視野も狭く、言わば井の中の蛙大海を知らず……。まさにそれだった。それでも努力家と自負できるくらいには毎日頑張ったから、自信もあったんだけどね。でも、外の世界は広かった。アタシの見識や視野を容易く打ち砕いたのが……分校の受験なのに首席入学をかっさらった彼。いつも眠そうなアルだった。彼はアタシとは違い技術者志望。なのに基礎学問は当たり前で魔法関連講義、勇者関連講義、もちろん技術関連講義、製造関連講義から果ては医療関連講義までもを完璧にこなした。おまけに性格は最悪。人を見下し小馬鹿にするようなあの視線。……気に入らなかった。彼は無愛想なのにいつも誰かしらに頼られて……。何でもできるアイツを見返そうと、ずっと! ずっと! ずっと! 努力したはずだった。なのに、追いつけない。
アイツの秘密を知りたくて、アタシは彼を一日中つけまわした事があった。なぜ彼がそんなに完璧なのかが知りたくて。アタシは隠れていろいろな所で見張った。答えは……途方もない努力を重ねていたからだった。アルは確かにとても要領がいい。でも、それは努力無くしては育たない才能なのだ。アタシは努力するヤツは嫌いじゃないし、そういう事なら…アタシは彼を追い越せる様に更に努力するだけ。そうしている内にアタシの成績は上がっていった。
そしてその頃、アタシは大きな問題を抱える事になる。これがアルを明確に意識し始める最初のきっかけになったんだよね。アタシは12歳での入学。本来ならば15歳くらいが平均の所をアタシは飛び級して入学していたのだ。それを生意気とみて目をつけた者達がいた。日に日にエスカレートする嫌がらせ、アタシも気が滅入り始めてしまう。そんな中、ぱったり虐めは途絶え、アタシの周囲が変化する。後から気づいた。アタシを虐めていたヤツらを彼はみせしめにしたのだ。
「虐め……」
「なんて卑劣なっ!」
「そう、弱い者虐め。あの時はさすがに参ったなぁ」
「アリストクレア様がお助けに?」
「最初は全然解らなかったの。ほら、アルってあんまり表立って助けてくれないから。でも、彼なりの信念で動いてる」
「それだけ、シルヴィアさんの事が好きだったんですね」
「どうかなぁ、実はなんで彼に好かれたのかもまだよくわかんないんだけどね。ははは」
当時の姿を思い出してみたらそれは壮絶だった。アタシを虐めていた主犯格達へ、次々に激しい嫌がらせの嵐が巻き起こっていたのだ。地味な嫌がらせではない。やられたら立ち直るには時間のかかる様な酷い物もあった。当然、虐めの主犯格達も対抗しようとした様だけど、適う訳が無い。彼は完膚無きまでにアタシの虐めの主犯格をたたきのめした。徹底的に……。しかも、彼自身がしたと証拠を残さない様にね。それからアタシはアルを追っかけはじめたのだ。最初は感謝の気持ちじゃなかった。あそこまではやらなくて良かったし、アタシは助けてとは言ってない。お節介はやめろ…なんて思っていたんだから。でも、彼にはその言葉は受け入れられていなかった。アタシへ作ってくれたエストックにしてもそうだし。……受け入れてはくれなかったけど、アタシを拒絶しない彼。面倒くさそうにだったけど、アルはちゃんとアタシの相手をしてくれた。
学舎での就学期間を終了し、無事に卒業。道が異なっていたから、アタシ達は疎遠になってしまったのよね。でも、アルはアタシを忘れてしまった訳ではなかった。
「アルよ……。何故、シルヴィアに」
「……アイツに先に死なれるくらいなら、俺は教えてやるつもりだったんだよ。はじめて、じーちゃんが願った気持ちが解った気がした」
「バカをお言いな! シルヴィアがそんな事を望むと思うのかい?!」
「もちろん俺のエゴだよ。ばーちゃんが知ったらこういう反応するのも解ってた。それに俺は信じていたよ。シルヴィアなら、俺を殺すなんて選択はしないってな」
呪い云々の話や魔装の辺りは話さず、アタシがアルを見つけ出し、求婚した流れをざっくり話した。紅葉は物語を読んでいるような感覚らしい。表情に気持ちが直に現れていた。潮音も頷きながら聞いてくれている。いつの間にか心紅も現れ、店舗の隅っこで静かに聞いていた。……アタシだって3人の気持ちが解らない訳じゃない。人を好きになるのにはいろいろなきっかけがある。
頼る宛がなく、知らない土地をさまよっていた見ず知らずの少女を助けてくれた。潮音は世間知らずで特技のない自分を、なんの見返りも求めずに助けてくれたアルに惚れたらしい。お人好しなのよね。アルは……。潮音が何に悩んでいるかも直ぐに解ったと思うし。
「シルヴィア様……」
学舎を卒業しても叶わなかった自分の夢を諦め、悶々とする日々を改める道を示してくれた。公孫樹ちゃんの存在もあったのだろうけど、アルは紅葉に選択肢を与えてあげた訳だからね。芯がなく、惰性的に流れていた紅葉。そんなフラフラした感情にはこの上ない救いだったと思う。アタシだってそうだった。まさか、ホントに勇者を選ぶなんて思ってなかったしね。
気持ちは痛い程解る。母親の陰に隠れ、名前だけが先走る現状を打開できず、のたうち回っていた。そんな時に飾らず素のままに、親身に話を聞いてくれた叔父。心紅にはそれだけ大きな人だったんだろうなぁ。アタシにもアルはそう言う人だ。今もフラフラと綱渡りをしているアタシを支えてくれる彼。アタシの原動力であり目標。彼を振り向かせること、彼の為に生きる事。彼は…アルはそれだけの事をアタシへ手渡してくれたんだ。だから、アタシは誰にも譲りたくなかった。振り回し続けたとしても、アタシの物にしたかったんだ。
「……オグさんを不幸にしたら」
「心紅? どうしたの?」
「オグさんを不幸にしたらっ! 絶対に許さないんだからっ!!」
「心紅、ありがとう」
「オグさんの気持ちが最優先だもん。……だから、シルヴィアさんの次は譲らない」
アタシを睨みながら涙を拭いた心紅。潮音と紅葉が苦笑いしながら、そんな心紅を撫で回している。そこに何故だかブロッサム様がため息をつきながら入ってきた。カウンターの前にある椅子に腰掛けたブロッサム様。珍しく心紅の頭を撫でてやり、アルの奇っ怪な行動やアタシと彼の現状などを3人に説明してくれた。そして、話を切り替える様に扇を閉じ、表情を変えてから明るい話を投げかける。
アタシとアルの結婚式の話だ。加えて、披露宴と合わせて彼女ら女子パーティーと男子パーティーの結成式もしよう。……との事だった。今は皆の晴れ着をアルに作らせているらしい。オニキスとエレもそこに加わり、再びリビングへ5人が集められた。そこには男子パーティーが既に座らされている。向かい合う様に座らされ、お互いに存在こそ知っては居たが、自己紹介していないパーティー同士だ。その10人が顔を合わせて、ついに交流する事になった。
何これ、合コンみたいで面白い。心紅が緊張気味だし、エレは人見知り発動。意外と堂々とした潮音、営業スマイルの紅葉、素のオニキス。ニニンシュアリも満面の笑み、レジアデスはガッチガチだし、カルフィアーテは若干怯えてる。ミュラーとアルフレッドはいつも通りみたいね。一頻り挨拶が終わったのを見計らい、ブロッサム様が再び現れた。改めて挨拶をするのは彼らだけではないらしい。ブロッサム様に新たな弟子がつく事になった為、その人からの挨拶も交えたのだ。
「お、お姉ちゃん!」
「オーガ君やシルヴィには教導資格がないのよ。ブロッサム様に推薦してもらえたし、私が教導師補佐になる事になりました。よろしくね」
公孫樹ちゃんの挨拶が終わり、ブロッサム様が話をはじめる。ブロッサム様は講師となるメンバーの総括、魔法や呪い、神通力の利用を直接技能教導する担当になるらしい。校長先生みたいだね。公孫樹ちゃんは魔法、呪いなどのデスクワークを担当。太刀海は10人の新人達の体づくりを見るトレーナー、保健師などを兼任する。医学にも深い知識がある太刀海はそちらも見てくれるらしい。アタシは経理や書士など様々な資格の二種免許を持っている為、資格が必要な子達に教える事になっていた。ついでにカルフィアーテとエレの特殊技術訓練を担当する。武術や体術、汎用技芸などは暁月さんが教えるらしい。最後にアルが基礎機構や技巧のデスクワーク、実技を教えるという。
ただ、アタシや公孫樹ちゃんはまだまだ未熟。その為、たまに10人に混ざり、訓練を受けるらしいけど。
さっそくニニンシュアリとオニキスは工房へ向かうように指示され、アタシの所にカルフィアーテとエレが来た。ブロッサム様から指示要項を受け取り、納得。確かにこれならアタシが当てられるわよ。まぁ、やらせて見ない事には解らないけどさ。ミュラー、レジアデス、心紅は暁月さんの元へ。公孫樹ちゃんとブロッサム様の所には残りのアルフレッド、紅葉、潮音が集められていた。盤石すぎるよなぁ……。これだけ優秀な存在が先生になると生徒は割と大変なのよね。特に教えるのが上手い訳ではないから、摩擦も生まれやすくなる。だから、公孫樹ちゃんを弟子兼潤滑油に任命したんだろう。公孫樹ちゃんはそういう話が得意だからねぇ。
「ふむ、やはり基礎や導入は専門のヤツが行うといいな。アタシが1人でやるのも限界があったしね。それから、今日はデモンストレーションだ。明日からはこの子らの結婚式があるから、一時休みにするよ」
全員が頷き、その場で解散。夕食前にブロッサム様と暁月さんは用事があるといい、麓の街へ降りて行った。しばらくは自由時間で各々のするべき事を片付けている。
夕食の直前にアルは10人分の晴れ着を作り上げ、目頭を抑えていた。食事が始まり太刀海と酒を飲みながら話し合う。新人達のトレーニングの効率化、それぞれの特性などを合わせたカウンセリングを行おう。……などと相談していた。仕事の話を持ち出さない様にっ! と軽く2人を叱りつけた公孫樹ちゃん。公孫樹ちゃんは皆のご飯を作り、紅葉とニニンシュアリに手伝ってもらいながら後片付けをしている。料理のできないアタシはアルのお酌と勉強熱心なアルフレッドの質問に答えている。潮音は兄のお酌をし、ツマミの干し肉を炙っていた。
食後の時間にはカルフィアーテが少しでも非力な体格をマッチョにしたいらしく、ダンベルを使ってトレーニングしてる。エレもアタシが与えた課題を必死にこなそうとしているようだ。皆自由だなぁ。暁月さんに酷く遊ばかれた様で、ミュラーとレジアデスは疲労困憊で食事の後はソファで寝てしまったし。
久々の自由時間で皆が楽しむ中、夜は更けてゆく。夜が深くなるにつれ、皆が寝る為の話をしていた。昨晩はアタシの部屋で寝ていた公孫樹ちゃんは紅葉の勧めで女子パーティーの家へ行く事になり、太刀海は昨晩と同様に彼らの拠点に向かっている。片付けや就寝の挨拶と共に、アルとアタシを残して皆が引き上げて行った。
皆が居なくなってしまうと、静かすぎて今度は寂しくなった。今夜は暁月さんもブロッサム様も帰らないらしく、2人きりだ。暖炉の近くにあるソファにアルと隣り合わせに座り、何を話すと無しに過ごす。最近強く感じる気持ちだ。何をするともないけど、幸せ。満たされている感覚。
さすがにずっと着物を着ていると疲れてしまったため、今はいつもの服装に着替えている。普段着になり落ち着いたのもあるけど、アタシもアルへ遠慮なく体を預けていた。そんな中、アルに勧められるけど…アルが飲むお酒はアルコール度数が高すぎる。お酒は嫌いじゃないけど、お酒に強くはないアタシには少々キツい。
「意外と弱いんだな」
「むっ! 少し、もらう」
「なら、……」
アルが少量を口に含み、アタシへ視線を向けてきた。ちょっと躊躇ったけどアルの意図に合わせる。その唇へアタシの唇を合わせると、例の強烈な刺激の液体が流れ込んで来た。少しずつ、味合わせるような感じ。甘いお酒しか飲まないから……。あっ、……やっぱりダメだ。すぐにフラフラしちゃう。頭の中身が溶けだしたような感覚。体は火照って言うこときかないし。もう一度アルの肩に頭を乗せ、アタシは身を預ける。アルもそれが心地よいのか何も言わない。でも、ちょっと暑いかなぁ。たまにアルはアタシを気にして体勢を変える。その度に彼へすがりついて甘えてるんだけど。
……、どれだけ時間がたったかな? 解らないけど、アルの方から寝息かな? 柔らかな息遣いが聞こえ始めた。ソファに手をつきながら彼の脚の上へ対面になる様に座り、アルの首筋へ……キスマークを付けてみた。えへ……。意思表示してみるとちょっと恥ずかしいかな? でも、こうやってできる。彼に触れていられるのがとても嬉しい。幸せなんだよね。ずっと妄想の範疇でしかなかった彼との触れ合い。彼の体温や匂いに解されて……。そのまま彼によりかかっていた。
「ふぅっ!! にゃっ……あ、アル、いひゃぃ」
「仕返し。シルヴィアは俺のモノって印」
もぅ、吸血鬼じゃないんだから。
彼からしたら甘噛みでもアタシみたいな柔らかい肌だと、十分に刺さっちゃう。歯型? 犬歯が刺さった痕が残ったと思う。……魔鬼の体液は誘淫作用があるのは、アルから説明を受けていた。わざとかな? アルも太刀海との晩酌で結構飲んでいる。ちょっとお酒臭い。判断能力が弱まるくらい呑んでるんだ。……もう1回キスのおねだりをして、アルにソファに押し倒された。……歯止めが利かなくなりつつある。今、幸せだから。アルも嫌とは言わないし、アルとなら何だって乗り越えられる。やっぱり、アタシって意思が弱いと言うか、流され易いと言うか。チョロすぎなのかな? アルがアタシを抱き上げて、彼の部屋に運ばれて行く。片付け……。明日でいいか。
「おぃ、シルヴィア」
「んにゃっ……、にゃに? 今、にゃん時?」
「もう起きとかないとヤバいぞ? 今日は王都に向かうんだからな。ほら、ヨダレ拭け」
「んにぃー……。んむんっ! 自分でできるわよっ!」
アルに起こされ、着替えてから荷物を準備している。お母さんに最低限の着替えや道具を引き取ってもらっているから、荷物は最小限だ。荷物も少ないし、持ち出す物もあまりないから準備も手間取らなかった。そして、夕方からブロッサム様と暁月さんが居なくなっていた理由が顕になり、滅茶苦茶恥ずかしい。それにはアルも苦笑いをしている始末だ。山を降りてゆく中、道の端には近隣でアルとお付き合いのある農家さんやお客さんが手を振ってくれている。街に近づくに連れてどんどん数が増え、ギルドのスタッフの姿も増えてきた。ギルドの建物前でギルドマスターや各町長、市長などから挨拶を受けている。アルってスローライフを楽しみに来ていた訳じゃなかったんだなぁ。出席しなかったり多忙を理由に断っていた感謝状や功績の表彰を受け、最後に名誉市民の勲章を受け取っていた。挨拶もして、今度は草原地帯へ出る。大所帯のはずなのに凄い快速!
「アークとニニンシュアリ、オニキス、心紅、レジアデス、ミュラー、ばーちゃんが先行部隊で王都に向かってる」
「アタシ達はこんなにのんびりでいいのかなぁ」
「大丈夫だ。俺達は今回、主役だからな」
「そ、そぅ?」
「あぁ、立場もあるから、いろいろ式典も増えちまっててよ」
ブロッサム様が出立前に手渡してくれた要項、日程などを記した物を見せてくれた。正式な結婚式は5日後、その前に身内での式をしておくという。その後はアタシの立場やアルの新しい立場を固める為の式典もあるとの事。……為政者や軍、様々な派閥からの干渉をアルが一手に引き受けてくれるらしい。アタシは……様々な干渉から離さなくてはならないと、彼が表情を固くする。
ふっとアタシの脳裏によぎる声。アルは……何でアタシを好きになってくれたんだろぅ。アタシはアルに好きになってもらえる程、彼に何かを手渡せたのだろうか? そんな事を考えていると、アルが頬杖をついてアタシの顔を覗き込んでくる。アルにはアタシが考えてる事を本でも読む様に掴まれてしまう。アタシはまだ読めないのに……。狡いよ。
今だってアタシが言おうとしたのに、静かに首を振りながら言わせてくれない。人差し指をアタシの唇に当て、彼は何も言わずにいる。いつもならば何か意地悪してくるんだけど……。彼の優しさってこういう所なのよね。アタシが虐められていたからといって何一つ態度には出さず、素のままに接してくれて。なのに彼は苦しんでるアタシを見捨てはしなかった。ずっと、見守ってくれていたんだ。公孫樹ちゃんみたいに可愛くなかったし、ちんちくりんでツンケンしてたアタシ。何年も離れていた。なのに、彼はずっと…アタシを心の隅に置いてくれていたんだ。
「言いたい事の全ては解らん。だが、俺は感覚でコイツだっ…と思った女に目をかけてるだけだ」
「な、何よ。アタシが話しかけたりしたら、いつも素っ気なかったくせに」
「そうだな、お前がツンケンしてたのと同じ。それが俺だからだ。お前はこの先も俺に振り回される事になると思う。だからってもう離さない。一生、俺を振り回せ。楽しみにしてる」
最後に額を指で弾かれ、アタシのマリッジブルーは終わった。やっぱり痛い……。
婚約指輪が光るお互いの左手薬指。明日見せる予定だったと言いながら、彼は檜と言われる木を細工した箱を手渡して来た。アルの仕事はホントに手広い。金物から布製品、道具から原動機、通常武器から魔法武器。何でもする。特別な物だから落ち着いた場所で見せたかったらしいのだけど、例に漏れずにアタシが訳の分からない瞑想をしていた為、アルが見かねたらしい。中には……式典用の結婚指輪が入っていた。これまた大きな宝石が使われている。普段使いの物も新しく作ろうとしたらしいが、アタシが今つけている婚約指輪を気に入っている事を知っていたらしい。それをそのまま使うと話してくれた。本来は結婚指輪や婚約指輪の類は白金や金を使うことが多いらしい。だけど、アタシ達の中での銀は特別な意味がある。銀は……アタシの象徴。アタシ自身みたいな物だから。
そして、アルからの突飛な発言でアタシは驚きが隠せない。箱を彼に返しながらお礼を言った直後に、アルはアタシへ尋ねてきたのだ。た、確かに、アタシは欲しいよ? でも、こういう事はアルの計画を阻害すると思ってたし。……な、何よ。何を今更? アンタだってノリノリだったくせにー! むぅ……。
アルからの詳しい説明が始まる。アルは確かに雑鬼族魔鬼血統。だが、そこまでその血が強い訳ではない。何故なら……。ブロッサム様は……魔鬼血統と公表しているが、魔鬼血統ではないからだ。ブロッサム様が養女としてオーガの家に迎えられた理由になる。実はブロッサム様は神鬼族なのだ。しかも、驚く事にブロッサム様はその直系。初代オーガからは2つの家が分かれた。ブロッサム様のお家は海の国と森の国の中間点程に隠れ里を築き、歴史から姿を消した。文明や時代の移り変わりのせいなのか里は人が減り、皆外に出ざるを得ない状態になった。その時にブロッサム様は養女として迎えられたのだ。雑鬼としてね。この事実はブロッサム様や一部の血筋、家族しか知らない。だから、アルは魔鬼に近くはあるが最も初代に近い雑鬼。その種族は……。
「俺はばーちゃんの血だけなら神鬼のアシュライ血統。魔鬼に近い、より古来の姿を残した戦鬼。生態的には魔鬼にかなり近いが彼ら程に自由奔放ではないし、理性はある方だ。だが、雑鬼なのには変わりはない。欲しい物はどんな手を使っても手に入れる」
「だ、だからって今その話をするの? これでもアタシなりに悩んで……」
「知ってたよ。だから、俺の意思表示。無理にとは言わない。シルヴィアの意見を聞きたいだけだ」
「……アタシが、そういう言われ方したら断れないのを解ってるくせに」
「やっと解ってきたか。はははっ。と、言うか、ばーちゃんにはバレバレでな。お前が起きる前にお前の寝顔を見て、曾孫はまだか? なんて言ってたからな」
「……『アタシ、いじられキャラ定着してるぅ』」
それから、アルは照れ隠しなのだろう。アタシの粗相話のついでに事情をバラされた。ご、ゴメンなさい。粗相どころかいろいろ助けてもらっていたのに……。あの日いろいろあった中でアルが感じた感情。アタシが暴漢に襲われそうになった時、彼は強い怒りと独占欲を感じたと言う。これまでに無かった感情。アタシがどうにかされていたら、彼は理性を保てなかったろうと語る。……自分の気持ちを理解してしまったアル。その時はそれでもまだアタシを自分から切り離し、大切にしたいと思ったらしいけど。なんでアルはそんなに自分が嫌いなんだろう。
でも、その話で意外だったのが、暁月さんに酷く叱られたらしい。てっきり暁月さんは心紅を推してるのだと……。アルは暁月さんに呼び出された。タイミングはアタシが暁月さんに呼ばれる前日で、アルを無理やり決心させた後だったようだ。暁月さんはそろそろ逃げるのをやめろとの事だったらしい。先送りにしてもまた悩むタイミングは訪れてしまう。それに12歳で入学した学舎の頃からの仲なのだ。いい加減にどちらか決めろ…でなければ選択肢を奪うぞ? などと脅しもかけられたようだ。
「逃げと取られていたのは不本意だが、実際そう見えていたんだ。仕方ない。その上で俺の足場を人に頼らず固めたんだ」
そして、アルは渡されていた写真からアタシを選び、お見合いをすると話したのだと。仕事で遅れたのは暁月さんからの要請とブロッサム様からの要望をとり、様々な団体に力を貸す段取りをしていたらしい。アタシの力を一時的な凍結に持ち込んだのはアル自身。けして暁月さんの力やブロッサム様の力を頼ってはいない。結果的に暁月さんが触らなければならなかったがそれも彼は見越していたのだ。その辺りにはアタシが政務官である事も関係している。だから、アタシはアルの家に住みはするけど……。ついに政治家としてデビューしなくてはならず、暁月さん、アル、アタシ……もう何人かの協力者と共に新たな地盤や政治体制を作り上げるメンバーになるらしい。
アタシは王立院の代表補佐。だが、現在の代表は既にかなりのご高齢。代表答弁や様々な意見演説はメモをもらってアタシが出る事も多かった。アタシが自分で決めては来なかったし、アタシは元第一王位継承者。王家の血を引く人間だ。最近に王政を廃止した国家の政務官なのにね。この前歴はあまり良くない経歴ではある。力は認められてるらしいけど。それもあって政治に口出しはしないつもりだったんだ。
ただ、そんな事は言っていられない。様々な方面の友人や同僚に当たっていろいろ聞いてみたが、派閥間での不仲は国家運営に酷い歪みを作り出していた。そのため、暁月さんや1部の政府中央議会の高官たちが連名で宣言を上げたらしい。アルや何人かの若手が推薦され、新しい体制を作り出す為……一極に固められていく。残り少ない前体制の代表方が願った形へ。
「俺は……勇者と鍛冶師を兼業しながら王立学舎を再編成する」
「もしかして、学舎の校長先生?」
「いや、立ち位置は教導官だが、理事長待遇らしい。独裁を敷く様に内部からぶち壊せとの事だよ」
「へ、へぇ……『学生さん達、ご愁傷様……』」
誰が呼ばれるかは解らない。しかし、アルが密かに進めている英雄計画もこれには大きく関わってくる。残り2人の枠もブロッサム様から推薦があったらしい。ブロッサム様にも……胸騒ぎに似た感覚があると言っていた。アルが感じる違和感や奇妙なできごと。……原初の勇者達に似たアタシ達が立ち上がり、再び巻き起こるかもしれない波を未然に抑える。勇者の血筋が集まる事、それは災禍の前触れ。アルはそのサポーターとしてアタシ達を下支えする為、立ち上がる準備をした。アルが設計し、アタシが動かす為の鎧。アルの技術と魂の結晶。
馬車が走る中、日が暮れていく。今日は最初からアルの隣に座り、体を寄せていてアルの体温をずっと感じていた。長い間の空白を埋める様に密度の濃い時間。アルもアタシの手を握ってくれている。職人と言うだけあり、アルの手は少し硬い。……力も強いし。これだけで幸せ。不意にアルの手がアタシの腰周りを撫でる。……言いたいことは?
「ん?」
「アタシ、そんなに痩せてる?」
「いや、普通かな? 俺の好みはもうちょっとな」
「胸?」
「全体的に」
ちょっとむくれてやりながら全体重を彼に預け、体を密着させる。他愛もない会話が暖かくて嬉しい。だんだん眠くなってきていた。再び暗幕を入れて、眠る。蜥蜴達は休まず走って凄い。でも、アタシは眠い。アルに寝ておく様に言われてるし、おやすみ。
翌朝、目が覚めるとアタシは修道院の寄宿舎にある一室で寝ていた。隣には公孫樹ちゃんが寝ていて、床に座りながら毛布に包まっていた太刀海。? 何の音だろ。木槌の音? 窓から外を見ると……。な、何あれ。暁月さんと心紅が沢山いる? その中をカンナで木材を整えるミュラー、石材を器用に加工するレジアデスがいた。さらに奥にはゴミ掃除や子供達と共に手伝いをしている潮音に紅葉、カルフィアーテもいる。アタシも着替えて出ようとすると、アタシはブロッサム様に捕まった。ついでに公孫樹ちゃんも叩き起されて別室へ。
太刀海はこれまで寝ずの番でアタシや皆を警護してくれていたらしく、ブロッサム様も寝かしておけと言っていた。新人達は皆アルを手伝い、アタシを除いた皆は仕事をしていたらしい。ブロッサム様から嫌味を言われながらまた違う化粧を施され、公孫樹ちゃんからウェディングドレスを着せてもらっていた。アルに作ら…………何でも作らされるのね、アルって。でも、これ……見覚えが。
「アンタのデザインらしいね。いい趣味してんじゃないかい」
「でも、これは……」
「アンタの部屋で見つけたらしいよ。アシアドがアタシに見せてくれたからね。どうせならってな」
ブロッサム様がアタシの準備が終わった事を女の子達へ伝え、皆が部屋に駆け込んできた。お母さんもシスター達も小さなアタシを知っているからか、涙で顔が凄い事になっていた。暁月さんと心紅も見に来ている。どうやら改修工事も片付き、新郎も準備に入ったらしい。ノックの後に合わせたような燕尾服に身を包んだ男子パーティーが現れた。皆がかなり似合っていて女子パーティーの反応も良好、若いシスター達にも大好評だった。……最後に白い燕尾服のアルが歩いてくる。中に入ると……ブロッサム様が珍しく目尻を指で拭う仕草をしていた。デザインは男子パーティーの色を白にしただけみたいだけど……。また、いつものアルとは違う。
若いシスター達のいろめきをよそに、子供達や新人の10人は会場になる教会の飾り付けを始めていた。ニヤニヤしながら暁月さんやブロッサム様は部屋を後にし、お母さんやシスター達もしばらくすると部屋から出ていく。あとは時間になるまでアタシ達2人で話してろってことらしい。馬車の中でいろいろ話した後だしなぁ。……アルがかっこいいのは前からだし。
「やっぱり、似合ってるな。そのドレス」
「胸元開けすぎな気もしたけどね。タハハ……。まさか自分で着る事になるとは」
「そうか? 似合ってると思うぞ? お前、クビレが綺麗だし胸だって無いわけじゃないしな」
「は、恥ずかしいわよ! そんなマジマジと観察したみたいな言い方!」
「実際したしな」
「もぅっ!」
椅子に座って話して居たのだけど、アルに前から抱きしめられた。ちょっと苦しくて…でも、嬉しくて。
アタシには複数の感情を持つアタシがいることがわかってきた。アルに実機を動かす前にそれらをできるだけ精査する様に言われていた為、アタシも気にしていたのだ。それが制御できなくなってはいけないから。……嬉しくても悲しくても、腹が立っていたとしても複数のアタシが喧嘩する。……でも、今は違う。浮き足立ち、安定しなかったアタシは複数の自分を統制できていなかった。彼の為に? 違う。彼と居る為に歩いているアタシは…1つになれている。
……こんな時でも意地悪な彼。馬車の中の会話で話していた話の中に、アタシははぐらかして答えていない物があった。子供の話だ。照れ隠しなのだろう。主導権を握りたいらしく、彼はアタシをいじめる。アタシはその答えをわざと耳打ちして、直後に来たノックに応答した。お母さんがアタシを連れて行ってくれて、後からアルが入ってくる。友達の結婚式に出席した時とは少し違ったけど……。指輪の交換や誓いのキスなど。式は滞りなく進み、今は身内での立食パーティー。ちなみにブーケトスでキャッチしたのは公孫樹ちゃん。いろんなおちを踏んだけどね。
「私がとったと言っていいんですかね? このブーケ」
「いいんだよぉ! だって、私も先生もキャッチはしてないし」
「それはそうですけどね?」
アタシが投げたブーケは最初に暁月さんの真上に。歓声を上げてたから暁月さんが取るかと思いきや、楽しそうに掛け声をかけてレシーブした。2度目に空中へ飛び上がったブーケは…ブロッサム様の真上へ。しかし、ブロッサム様は空気のトランポリンを作り、ため息をつきながらブーケを再び空へ。こういうイベントには無理やり取りに行く人が1人や2人は居るものなんだけど、今回は現れ無かった。運動神経のあまり良くない公孫樹ちゃん、紅葉の方へ飛んでいく。ボーッとしていた公孫樹ちゃんがキャッチしたのだ。取ったはずの公孫樹ちゃんはちょっと複雑な表情をし、院長先生は公孫樹ちゃんにもここで式を挙げてねなどと言っていた。
1人だけ異色な紋付袴の太刀海。潮音はドレスが落ち着かないらしい。皆似合ってるのになぁ。アタシを取り囲む様にして皆が話し、自由なスタイルだからか各々が好きな物を食べたり飲んだり。アタシは公孫樹ちゃんに禁酒を言い渡されてるけどね。
「シルヴィはしばらく禁酒だからね?」
「は、はぃ。解ってます」
「ホントにぃ? シルヴィは学習しないもんねぇ。ねぇ? オーガ君っ?」
「ノーコメントで」
ここぞとばかりに肉料理を食べている心紅。あの子、兎よね? アタシへにへーっと笑いかけながら食事を楽しんでいる。あれだけ楽しんでくれているなら良かったかな。白と金をベースカラーにしたミニドレスが可愛らしい心紅。お母さんの暁月さんは白、金、赤を使い区別したドレス。動き回っている心紅は元気なガキンチョのリーダーみたいになってるわね。
公孫樹ちゃんと紅葉はサラダ中心、今は食べながら若いシスター達と話し込んで居るようだ。公孫樹ちゃんも着痩せしてるなぁ、…なんて思ってたけど紅葉も十分いい体つき。羨ましすぎる。修道院を出た若い男の子達の視線といったら……。特に紅葉なんて凄い人気よね。若いし可愛いし。公孫樹ちゃんは黄色と橙のエレガントなドレス。メイクはあまり好きじゃないらしくかなり薄めだけど、公孫樹ちゃんは元から綺麗だからそれでも凄い綺麗。紅葉はこれまた真っ赤なミニドレス。姉妹揃ってホンワカした雰囲気だからか男性陣は釘付け。でも、若いシスター達と話しているからか近づけないみたい。そりゃ身内みたいな女の子達の前で初対面の女の子を口説こうなんてね。アタシならしないよ。寄って集って弄られるのが解り切ってるし。
「公孫樹ちゃんは彼とか居ないの? ブーケをキャッチしてたし、式も間近とか!」
「まだまだよ……。出会いないしなぁ」
「そうなんだ。公孫樹ちゃんも美人なのにねぇ」
「ふーん。でも、お姉ちゃん…むぐぅ!」
潮音は小さな子供達の相手をカルフィアーテとしていた。2人は小さな女の子達に人気みたい。潮音は薄い緑色と濃い緑色の落ち着いたロングドレス。薄い羽衣のような布を肩に羽織っている。そんな潮音も若い男性陣には人気だ。カルフィアーテもかなり幼くて柔らかな表情の子だから、女の子と勘違いされてるかも……。やはり、小さな女の子が居るから男性陣もナンパは控えているみたい。
太刀海やミュラー、レジアデスの3人はアルとの手伝いの間に仲良くなった男性陣と派手に飲んでいる。若い男性陣は既にできあがっているし……。目の前に美女揃いなのにナンパもできない反動なのだろうか。ただただ楽しげだ。しかしながら男の子達が皆そういう訳じゃない。この子はこの子でブレないわね。アルフレッドは呆れながら院長先生から王都の歴史や伝承についての話を聞いていた。自由とは言うけどホントに自由すぎよねぇ。
「太刀海の兄さんは所帯持ちなのかい?」
「いや、恥ずかしながら独り身だよ。ヤツを見習いたいものだ」
「アリストクレアさんとシルヴィアさんですよねぇ。稀代の鍛冶師と国の大勇者。凄い結婚だ」
「うむ。どちらも大きな立場を背負うヤツらだからのぉ。ワシのようなただの防人とは違う」
お母さんとブロッサム様も話し込んでるし。お母さんはお酒が入ると大雑把さに拍車がかかってしまう。ブロッサム様の口ぶりだとどうやら孫の話題らしい。アルに似るかアタシに似るか。どちらにしても可愛い事には変わりないけど。アルの血が濃ければ確定的に男の子だろう。でも、ほとんどオリジナルの人との交雑は前例がないらしく、ブロッサム様は楽しみらしい。曾孫が女の子ならこれ以上ないくらい可愛がりたいと言っていた。アタシは苦笑いしかでないけどね。アハハ……。
アルはアタシへ気遣いをしてくれているらしく、あまり呑まずにアタシの近くで話し相手をしてくれている。アタシ自身はって言うと……。舞い上がってしまってニヤニヤと緩み笑いが止まらず表情を固めるので精一杯だ。アルはそれが解っている様で終始笑顔を崩さない。
そして、慌ただしく儀式的な結婚式、任命式などが数日かけて終わりを迎えた。新人の10人も新たにランクを1つずつ上げて、数人が中堅勇者へリーチをかけている。アタシ達はと言うと……。
「ねぇ、アル。コレなんだけど」
「デザインはいいが、毎度装飾が華美で高価過ぎんだよ。もうちょい安く抑えらんないのか?」
アタシは務めていた代表先生に言伝、政務官事務所をエウロペ山岳地帯の街に構えていた。ギルドから転籍してきた公孫樹ちゃんが秘書となり、修道院から出た若い子達を雇い入れる形で運営を開始。同じ建物内にデザイナー事務所も構えて王都からアタシの商会を丸ごと移設している。アタシが来ただけでそれだけ大きな変化があり、商業の活性云々の様々な話が立っている。量産するタイプのデザインや一点物などいろいろな作柄を始めた。それは……アタシの旦那様の技術力があってこそね。アルは相変わらず閉鎖的な感じだけど、更に人気に拍車がかかって大変みたい。なんたってアタシの旦那様なんだから。
それに彼も勇者としての弟子はとれないけど、ニニンシュアリとオニキスが正式な弟子となっていた。毎日扱かれているらしく2人ともよく寝不足で死にそうな顔をしている。ただし、これは2人が無理をするかららしく、アルが晩酌時によく零していた。昔の自分を見ているようで懐かしい気持ちになる一方、かなり心配しているようだ。こういう時期に新米鍛冶師は事故を起こし易いのだとか……。新人達も様々な副職を掛け持ちしながら生計をたて、自分達の足場をかためつつある。
「新しい生活には落ち着いたか? シルヴィア」
「うん。おかげさまで。何不自由ないわ」
「それは何より。……で、だ。暁月さんと軍から連名の特別任務が来た」
「?」
「初陣になる。お前とその鎧のな」
「相手は?」
「火の国の軍、及び聖獣による大規模部隊だ」
海の国に帰った太刀海はかなりの力を持つ軍人としてブロッサム様に推挙されていた。今やフォーチュナリー共和国と同盟を結ぶ国家にまで前線指揮権を持っている程なのだとか。その太刀海から暁月さんを介して来た緊急の救援要請だったらしい。暁月さんはタイミング悪く別の任務を遂行する為、海の国の反対側まで遠征するとの事。白羽の矢が立ったのはブロッサム様とアル。だが、ブロッサム様は辞退している為、アルが部隊を率いる事になる。そうなればアルだけでは絶対に無理をする。だから、護衛に新米10人とアタシをつけ、太刀海達の陣の増援に向かうのだ。目的は火の国の軍の無力化。本国への攻撃はしない。
アタシの力は奥の手。それまでは遠距離攻撃ができるメンバーと前衛主力メンバーで陣を整えるとの事。このままでは海の国にもどんな被害が出るか解らない。なぜ、このような状態なのかは解らない。だが、言える事は1つある。彼やブロッサム様が言う歪みが姿を表したのだろう。
「戦況がどうかは解らない。しかし、今回は俺達の仲間は総動員だ。ばーちゃんも国境を守ってくれるらしいし」
「ブロッサム様、体調悪いの?」
「いや、ばーちゃんは火の国と確執があるんだ。あまり火の国を焚き付けるのもいかんからな」
「そ、そうなんだ」
数日後、アタシ達は太刀海の待つ海の国と火の国の国境付近まで移動した。これが新たなる大戦の火蓋になろうとはこの時、誰もが予想すらできていなかったろう。アルの備えと仲間の奮闘。彼が望む平穏の為、アタシも全力で闘うだけだ!




