序章、というか死亡報告
昨日未明、都内で交通事故が発生。歩道を歩いていた成人男性(28歳)が死亡しました。
ただの平凡な人生だった。普通に生まれ、普通に育ち、普通に就職して、普通に交通事故に遭って。とりあえず今の所ここがピリオドだが、大袈裟に謙遜しているわけではなく本当に、俺の人生は普通に溢れていた。
死因は飲酒運転の車に突っ込まれ壁に挟まれた状態で圧を掛けられた事による心臓破裂。単語だけ見ると痛々しいフレーズだがそこに関しては特に感想なし。ぶつかった瞬間から既に意識は飛んでいたから苦痛を例えよと言われたところで鮮明に言える事は何もない。
「取り締まりが厳しくなったこのご時世に飲酒運転って、しかもよりによって俺かよ。相当運が無かったって事なんだろうけど、なんだよそれ。あーーーー、イライラする」
死んだ事を自覚しながらも全身動かせず視界だけ左右に動かしながら、俺はこの孤独な空間で一人愚痴っていた。
ここはあの世だろうか。少なくとも棺桶の中って感じはしない。閉鎖感は無くむしろ何処までも闇が続いてるって開放感があるくらいだ。まあ全身何故か動かないんだけどね。
いや、動かないというか動かす物がない。具体的に言うと、俺の姿形が見当たらない。そりゃ、自分の視点から自分の全身を見る事は出来ないけど、視線を下げるとそこには何も無くて、感覚も同様に動かそうとしてもそもそも何も無くて動かしようがないのだ。
「あーーあ、死んじまった」
途方もなく呟く。誰もいないし届かないんだろうけど、孤独感を紛らわすにはその何もない虚無にさえも愚痴をこぼすしかないのだ。何て哀れなんだ、俺。
「死んじまったねえ」
ふと、何もないはずの空間に声が響いた。女の声だ。主は一人だが何重にも共鳴していて、まるで声そのものに包まれているかのような、そんな感覚を覚える。
「誰かいるのか?」
「ええいますよ。どうです? 身体を失った気分は」
「どうもこうも最悪だ。終わらない悪夢を見ている気分だよ」
「本来ならその言葉は現実の物となっていました。あなたは運が良いですね」
ビキッ。
突如、空間に亀裂が入った。黒一緒だった背景に白い線が浮かび上がり、そこから僅かながらも光が漏れている。外部からの接触、といった所だろうか。
「やあ、こんにちは」
無から穴が生まれた。そこから、人間の造形をしていながらも視覚じゃ上手く情報が認識出来ない顔がこちらを覗き込んでいた。
何を言ってるか分からないという方の為に補足をすると、俯瞰して見たら人間の顔なのは分かるけど、ピントがどうしても合わないというか、焦点を合わせてもボヤけるという表現の方が分かりやすいのかも知れない。
そんな不可思議な顔を持つ女は、両手で俺が『俺』としている空間を両手で包み闇から白い空間にすくい出した。この空間は白一色というわけでは無く、よくよく見ると所々油絵のように色彩が滲んでいる。だがやはり俺に姿は無い。それなのに女は俺の視線と正面で向き合いながら、至って普通の木製の椅子に腰を下ろした。
「こんにちは、という事は今は日中なんですか?」
俺はすくい出された事には言及せず、とりあえず目の前の不可解な存在とのコンタクトを図ってみた。
「ん〜、どうでしょう。朝と言えば朝だし、昼といえば昼。夜と言えば夜って所ですかね」
「……」
ちょっと理解の及ぶ範囲ではない答が返ってきた。いや、今の今までで散々意味の分からない状況を味わってるわけだから今更ではあるが。
「それはつまり、時間の概念があやふやという事ですか?」
「時間の概念はカッチリと決まってますよ。時間というのは存在の記録ですから。私には私の時間があってあなたにはあなたの時間がある。自我さえあれば、いや、自我すらなくても、万象には時間が記録され続ける。観測者のいない記録は虚構に過ぎないという考えもありますが、あくまで私はこう考えています」
「は、はあ」
「まあ一つ確実な答えを出すならば、ここには時間の概念はあれど昼夜の概念が無いって所です」
「昼夜の概念が無い?」
「ええ。昼というのは日光に当たって自然と明るくなってる時間帯で、夜というのは闇が深まった時間帯を言うのでしょう? ここには太陽なんてありません。だから、明るさは変わらないし気温も変わりません。ずっと一定なんです」
太陽が、ない? え、それはどういう事だ。太陽系の外側にいるという事なのか? いや、そんな単純な話じゃないか。つまり何だ、あの世ってのは異次元に存在するって事か。
ていうかこの女は誰だ。当然のように俺に話しかけているが、もしかして神か? 神様って奴なのか? 無宗教派の俺としては神なんてまやかしを信じる神経なんて持ち合わせていないが、目の前のそれは正しく我らが神と呼び崇める上位存在なのだろうか?
「まだ何か疑問が?」
「ええ、そりゃ沢山疑問はありますよ。ここはどこなのか、あなたは誰なのか、何故俺の身体はないのか、俺はこれからどうなるのか、まだまだ聞きたい事は沢山ーー」
「それを聞いて何か意味はありますか?」
遮られた。相手は一貫して静かにこちらに対応している風に見えていたが、その実全くこちらに興味など示していなかった。
「? どうしました、黙り込んで」
「いえ……」
重圧を掛けてきた癖にどうしたもこうしたもあるか。この天然ドS女め。
「それでは、本題に移りますが。あなたは先日不慮の事故に遭い死亡しました。この事はご存知ですね?」
「……はい」
「人間に限らず生物全般に言える事ですが、死、という物を迎えた生物は一般的に記録の消滅が起こります」
「記録の消滅」
「記録、月並みな表現で言うと魂ですかね。先程話した時間にも関係するのですが、時間の進行が止まった生物は停滞ではなく排斥されます。存在証明が時間であり記憶であるわけですが、それらが存続出来なくなるとソレの存在証明が出来なくなりますから。これは誰が決めたわけでもない自然の摂理ですから抗いようはありません」
「それはつまり、俺も消えるはずでは……?」
「ええ消えましたよ。一度は。でもあなたがいた世界にはあなたの事を記憶している人々がいましたから。それらから記憶を取り上げて魂を再現してしまえば、形は無くても自我を芽生えさせる事は出来ます」
「……えっ? なんですかそれ、俺、無かったことにされたって事ですか!?」
「? ええ、あなたにまつわる情報は全て抹消しましたよ? 人一人を無から作るんです、それくらいの代償は仕方ないでしょう」
特に語る事もない人生だったけど、それら全部がオジャンにされちゃったよ。運が無さすぎるというか、もうそういう次元の話じゃないよねこれ。超常的存在からイジメを受けてるよねこれ。
「……そこまでしてなんで俺を復活させたんですか。特に特色ないでしょ、俺」
「だからですよ」
「え?」
「恐らく記憶にないでしょうが、あなたは一度私と邂逅を果たしている。私は造形物とは波長が異なる為通常は認識される事のない存在の筈なんですが、あなたは私を見て電車の席を譲ってくれました。丁度三年前の出来事ですね」
え、知らない。なにそれ。ていうかなに、この人電車利用するの? 明らかに上位存在なのに?
「私を認識した人間は過去にもいました。ほんの少数ですが。そういった者たちは例外なく人類の歴史を代表する人物になるという法則があったのですが、何故かあなただけは何もせずに死んでしまった。それが気掛かりでしてね」
「えぇ……時代が悪かったんじゃないですか。今の時代、この先の未来に名を残すような所業なんて散々やり尽くされてますよ」
「ええそうなんです。あなたは生まれる世界観を間違えてしまったんですよ」
「ほう」
「なので、せっかくなので生まれ直しましょう」
「ほうほう、えっ?」
「だから生まれ直すんです。転生です転生。異文化でいう所の輪廻転生? です」
「なるほど輪廻転生、えっ?」
「そいやっ」
ブオンッ!
女が両手を地面にかざすと、周りの背景がプログラム空間のようにカチカチと入れ替わり、広大な大空の、遥か上空に切り替わった。しかし重力に引っ張られ落ちる事はなく、ただただフヨフヨと浮かびながら女は下の街を指差した。
「ここがあなたの住む別世界線の日本です。そして、あそこであなたは魔術の名家の跡取りとして転生してもらいます!」
「ええーーー!? 何故!」
「好奇心です」
「おおい!?」
「ほら、オカルトが淘汰された世界で平凡な人間になっちゃったんだとしたら、こう色々と融通の利くこういう世界の方が面白い人生になると思いませんか?」
「別に思いませんけど!? 生まれ直せるなら普通に元いた世界で満足なんですけど!?」
「そうですか。それじゃ、行ってらっしゃーい」
「えっ?」
不意に浮遊感に襲われた。身体がない筈なのに確かに落ちている。怖い、怖い、怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い!!!! 視界は依然として女の方を見上げてるから背面から落ちてる、怖すぎる!
「あ、そうだ。折角ですし何か希望するオプションとかあります? ある程度の無茶ならあなたの根源を改ざんすればいいわけですから、希望があれば聞きますよ」
落ち行く俺を尻目に、離れた距離から確かに聞こえる声で女が俺に問いを投げかけた。
「ほーーう!? それじゃ転生無しってのは!?」
「無しで」
「クソッ! じゃあ不死身! ここ魔法とかあるんだろ! 不死身で苦痛を感じない身体!!」
「チェンジで」
「はぁ!? じゃあじゃあ、何もしなくても勝手に全方向の攻撃弾けるとか!!」
「つまらない」
「何ならいいんだよ!!!」
「! そうだ、不死身じゃないけど寿命と老いを無いものにしましょうか? 何歳から成長が止まるか分かりませんが」
「あああああもう何でもいいよ! あんたにもう何も期待しないよありがとうさようなら!!」
迫り来るアスファルト。いや迫ってるのは俺か。こんな調子で落ちてるんだ、きっとちゃんと勢いよく衝突するんだろうな……。身体無いのに……。
グチャッ。
ほら見たことか。生々しい音が勝手に再生された。実際は音なんかなってないけど、俺が無意識にそれを再生して、そして意識が明滅する。
「なーんて、ちゃんとサービスはしますよ。ある程度は頑張ってもらわないと私の暇潰しにもなりませんし」
完全に落ちる直前、女が耳元で何か言っていたが、もう今更それに反応する気力も無いしなんて言ってるかもよく分からなかった。