踏み外すべき日常
「なあ、私たち今、どこに向かっているんだ?」
私たちは家を出て、山の中を歩いていた。
森の入る時の必需品として遭難したときのための食糧を入れたバックと護身用のナイフをもっている。しかしサイハは片手にナイフ一本のみ、コハクも腰にお母さんから盗んできたという剣をさしているだけだ。
あまり深くには入らないということだろうか。
流石にユイトは巻き込めないからと家に置いてきたが、本当にこの二人はユイトにだけは甘い。そりゃあんだけ可愛い弟がいれば溺愛もするだろうけどその優しさを少しでも私にも向けてほしい。
空は快晴。雲ひとつない青空に、太陽だけが厚かましく存在を主張している。
森林は深く、獣の声が遠くで鳴いている。
夜になれば一寸先も見えない闇に呑み込まれるが、 今は昼。日が沈む前に村に戻れば問題ない。
「商人にいたずらしに行くんじゃなかったのかよ」
広場なんてとっくに通りすぎて森の中だ。いたずらの為の道具の調達に来たのかとも思ったが、どうやらそうでものない様子。
「はあ。そんなわけないでしょう。あんなの嘘で方便よ。わざわざあの夢見る処女商人にいたずらするのに貴方の力なんて借りないわよ」
ナイフで高く伸びた草を刈りながらとんでもないことを言う。こんなところで罵声を浴びるとは、ここに居ない商人さんもびっくりだろう。
私だけならいざ知らず、商人さんも傷つけるのか。
いやしかし、処女なのか。そういえば仕事が恋人とか言っていたもんな。あの商人も苦労している。私はまだ八歳だが、憐れみを覚える。
仕事以外に男と話したことがないこともあってか、商人さんは男に免疫がない。男に初めて触るのであろう、前に一度鼻息荒くユイトの手を握ろうとしていたからサイハは商人を敵視しているのだ。ああいう女が一番危険だから近づくなとユイトに念押ししているようだし。
根はいい人だからそんなに警戒する必要はないと思うんだけどな。
「じゃあ何をしに行くんだよ」
悪戯をするのではないのなら。それでもユイトを置いてきたのなら。
この二人がユイトに嘘をついてまで、何をしようと言うのか。
「貴方、魔物って知ってる?」
魔物。それは知っている。見たことはないけれど、本で得た知識なら僅かにある。
「少しなら」
「そう。じゃあ最近この辺りで魔物が目撃されたことは?」
「それも聞いた。お母さんから。だからあまり森の深くには入るなって」
だから、あまり深くまで着いていきたくはない。
しかし二人は躊躇いもなく整備もされていない人の通らない道をすいすい進んで行く。サイハは私が進む為の道を作りながら。コハクは木に上り、周りを見渡しながら前の木に飛び移っている。危ないと思ってしまうが、コハクは風の魔法が使えたから万が一足を滑らせても大事にはならないだろう。
私は大きな木の根を上り、来た道にナイフで印を着けながら二人の背中を追う。
二人はこの辺りの道はもう覚えていてそんなものいらないらしいが、私が一人になってしまった時に無事戻れるようにこうして印をつけている。
それは森に入るさいのお母さんとの約束でもある。
「じゃあ質問。この村で目撃されたのなら、その目撃者は誰でしょう」
そんなことを聞くくらいなら、答えはそういうことだろう。
「サイハってことか」
正解、と蛇の頭を踏み潰す。同時に取り出したナイフでその胴を絶ち斬った。
明らかに手馴れた行動。逞しさもあるが、やはりこの人達は恐ろしい。
「じゃあ何でこんなところに来たんだ。危ないのになんで」
魔物なんて本を読んだだけでも恐ろしい化物を実際に見ておいて、なんでわざわざこんなところに。
「だからよ。危ないから。危険だから。死ぬかもしれないから。理由なんてそれだけで十分でしょう。こんな平和を模した村でボケーっと日々を過ごすのなんて飽きるでしょ。むしろ飽きたでしょう。だから探すのよ。こういったイレギュラーが起こるなんてお父さん曰く初めてらしいから。こんなこともう二度とないかも知れないでしょう?」
繰り返しの毎日にはうんざりだと、そう思った女がここにもいた。
その言葉を聞くだけで、反論の言葉なんて何一つ出てこない。
日常から逸脱した非日常なんて、誰より私が望んでいたことじゃなかったか。
そして、そんな事を思うことは、何も不思議なことではないのだ。私が特別なわけじゃない。私も、目の前の少女だって、普通の女の子なんだから。
「別に見つけて討伐しようというわけではないのよ。私の目的はこうして探しているだけで果たされている。もしかしたら死ぬかもしれないこんなスリル、滅多に味わうことはできないでしょう」
そういえばサイハの母親は騎士だと聞いたことがある。幾多の戦場をくぐり抜けてきたそこそこ名の知れた騎士だったらしい。騎士であったユイトの母親と狩人の自分の母親とを比べた時何となく恥ずかしくなった思い出がある。
その血が騒いでいるのか、彼女は今まで見たことのない笑みを浮かべている。
触れれば斬られてしまいそうな、今まで感じていた恐ろしさとはまた違った恐ろしさがある。
「でも、万が一魔物と出会ったらどうするんだよ」
「そのときはそのときでしょう。とりあえず貴方を生け贄にして逃げることは確定しているわね」
「止めてくれ。私はまだ死にたくない」
「相変わらずビビリね。そんなことではユイトは守れないわよ」
「ユイトが入れば話は別だ。死んでも守るし、本望だ」
つまり、ユイトの知らぬところで死にたくないということ。本当は死にたくはないし、そんなことを考えたくもない。だけどユイトの為に死ねるのなら、それ以上の名誉はないだろう。
「あらそう。気が合うわね、私たち」
そしてそれは、この女だって同じだ。
私ではまだ、彼女の思いには届かないこともわかっている。彼女と私の離れている距離が、それを物語っている。私にはまだユイトは相応しくないと、そう背中が語っているようにも見える。
少なくとも私には今、超えなくてはならない大きすぎる壁が二つある。それはきっと、最初で最後の敵になるに違いない。
「とにかく、私はおそらく同じ想いを持っているであろう貴方を、わざわざユイトに嘘をついてまで連れ出してあげたのよ。何か言うことは?」
「ありがとうございます」
「ええ、これでチャラね」
「チャラって?」
「何でもないわ。早く先に進みましょう」
再び歩き始めたサイハを慌てて追いかける。
日が沈む前には帰れるといいんだけど。
―――――――
その後川に突き落とされたり、コハクが落とした蜂の巣の被害を受けたり、熊に追いかけられたりしながら、小高い丘にたどり着いた。
しかしなんでだろう。怒り狂った蜂も、お腹を空かせた熊も、なぜ私だけを追いかけてきたのか。その間サイハとコハクは助けようともしてくれず、笑いながらこっちを見ていただけだった。
最終的には破れかぶれの拙いファイヤの魔法で撃退したのだが、魔力が尽きて休憩をしたいとお願いして連れてこられた場所がここだった。
眼下を焼く白い日差し。
広大な山々を見渡せるこの場所で、一人の女が出迎えた。
「少女が三人。使いにしてはいささか幼すぎる。はて、いったい何用でしょう」
後ろで結ばれた銀髪に、此方を見る顔は凛として。できるだけ機動力を重視した鎧を身にまとっている。
見たことのない、村の人間ではない女に一歩後退るが、しかし、私の隣にいる少女に恐れや躊躇いなんてものはなく、逆に一歩踏み出していた。
「貴方は仕事熱心ね。わざわざこんな村にきておいて、そんなに肩肘張っていると疲れるわよ。それとも、魔物でも出た?もしかしてもう倒し追えたのかしら。格好いい冒険者さん」
相変わらずの不遜な態度。相手が相手なら殴られたって仕方がない。
コハクはコハクで女なんて無視してその隣で、
「ヤッホー!!!」
山彦をするな。
「はは。貴方はとても勇敢な子ですね。いやなに。魔物はまだ倒しておりませんし、見かけておりませんが、村の迷惑になりそうな障害は幾つか取り除きました。―――――そら」
ドサリと後ろで何か倒れる音。
そこには何かに真っ二つにされた血濡れの猪が倒れていた。
驚いてもう一度女を見ると、いつの間にか引き抜かれた剣が血で汚れている。無論、彼女がこの猪を斬ったことは疑いようもない。全く何をしたのか分からなかったし、恐怖よりさきも感動が私を支配した。
こんな芸当、きっとお母さんでも出来はしない。
ヒヤリと、生暖かい滴が頬を伝った。
「やめてあげてくれないかしら。この子は只でさえ臆病で泣き虫なのだから、そんな脅かし方をされたらお漏らししてしまうわ」
「メルトのお漏らし大号泣!」
メルトのお漏らし大号泣ー
メルトのお漏らし大号泣ー
メルトのお漏らし大号泣ー
「うるせぇ!」
それに意味がわからん。
お漏らしなんかしないし。
泣いてもいない。
「もう、この土地には馴れたのかしら」
「そうですね、人との関わりは少ないですが、この森も周りの山も随分と歩いたので土地勘は養われました。猪狩りなどしたことがなかったので、狩りをするのも初めてでしたが、こつは未だ掴めませんね。ドラゴンを殺すより難しいです」
なるほど。この人はドラゴンを殺せるのか。
見たことがないから想像できないが、とんでもなく強いということだろう。
「殺すだけなら簡単ですが、どうしても無駄に傷を負わせてしまう。中身を傷つけずにどれだけ美しいまま仕留められるかを問われるらしいですが、なかなか奥が深い。どうやら貴方も手慣れている様子。ご教授願いたいものですね」
「お断りよ。私に教えをこいたければ金貨五千枚を用意しなさい。話はそれからよ」
「そうですか。生憎私は銭を持たぬ貧乏人。ここは潔く身を引きましょう」
丁寧な言葉でフワリと笑う。おそらく彼女なりのジョークであったのだろう。残念そうな雰囲気はそこにはない。
「ところでこんなところに何用でしょう。私を探していたわけではないようですし、迷子の様子もない。なるほど、探検でしょうか。子供らしい遊びと言えますが、ここはいささか遠すぎる。もう少し村に近い場所で満足すべきでしょう。流石にこれ以上奥へいくとなると、村の安全を依頼された冒険者として、何より大人として許容することはできません」
「なにそれ番犬の真似事?自由を有する冒険者が、随分と墜ちたものね」
「いえ。自由とはいっても、ある程度の束縛はあります。それに、私は自由の名の元にこの依頼を受け、首輪を着けた。私たちのもつ自由とはつまりそういうものです」
着けるも自由外すも自由。これはあくまで番犬の真似事。自由に生きる彼女は真似事はできても番犬はなれないし、ならない。しかし、なることもできる。つまりは自由。
それが冒険者の誇り。そもそも番犬なんかに彼女は興味はなさそうだ。
「…………………帰るわよ」
「随分と素直に引き下がりますね。私のイメージでは、貴方はもっと言葉を多様して私の懐柔でもするのかと思っていましたが」
「私は負け戦はしない主義なの。引き際というのも理解しているつもりよ。貴方とこれ以上話しても無駄みたいだから大人しく村に帰ることにするわ」
「そうですか。貴方は聡明な方なのですね。将来が楽しみです」
「その誉め言葉はありがたく受け取っておくわ。ふふふ。貴方が守ってくれるなら、この村も大丈夫みたいね」
「受けた依頼は命をかけて果たします。魔物の被害からは必ずやお守りします。安心して夜は御休みください。おねしょはどうしようもありませんが」
「わざわざ言うなよ!」
「メルトのお漏らし「もうお前は黙ってろ!」
「ユイト愛してるー!!」
ユイト愛してるー
ユイト愛してるー
ユイト愛してるー
メルトのお漏らし大号泣ー
「なんで今さら返ってきた!?」
「なかなか面白いですね貴女方は。どのような形であれ友情というものは美しい。どうか何時までも仲良くいてくださいね」
仲良くなんてないけど、勘違いなんですけど。
「それじゃあせいぜいお仕事頑張ることね。今度はお土産でも持ってきてあげる」
「ここは遠いから、あまり立ち寄ってほしくはありませんが、そうですね。ならば貴女方の友情にも負けぬ美しい花を一輪。所望しましょう」
美しい花と聞いて一瞬ユイトの顔が思い浮かぶが、ユイトを渡すなんてできるわけない。
「そう。ではいずれ用意することにするわ。さようなら。山彦娘も、帰るわよ」
「山彦娘も、帰るわよ」
「物真似上手いな。流石姉妹」
頭を下げてその場を去る。
冒険者さんは笑顔で手を振って見送ってくれた。
どうやら村に泊まっているようだしまたいつか出会う事もあるだろう。
日はまだ高い。どうやら夕焼け前に村には帰れるみたいだった。
―――――――
ちょびっと一幕
「はーちー!はーちー!いやーだー!くんなくんな!いーやーだー!うぇぇええぇぇーん!やーめーてー!」
「あははははははははは!!ひーひーひーひっひっーひゃひゃびゃびゃびゃびゃーーー!!」
「あははははははははは!!!さあ逃げなさい逃げるのよ。全身刺されて肉団子のように腫れ上がりたくなければね!!」
「いーやー!!!」
メルトナを刺しそうな蜂はサイハとコハクが魔法で全て打ち落としてあげてました。
「くまくまくまくまくまくまくまくま!!!くま!食べられる!食べられれれるるってマジで食べられる!助けてサイハ~コハク~!」
「ほら、死にたくなけば木に上りなよ。恐い熊さんに食べられちゃうよん」
「手が届かねー!手が届かないって!もー!!」
「もっと跳び跳ねなさい。月に夢見る兎のように。敵から逃げるバッタのように。この手が掴めないのなら貴方は所詮虫以下よ」
「くるよ!来ちゃうから!くま!来る!食べられる!もーだめだー!ええぇぇーん!ユイトー!助けてー!」
この熊は優しい森の熊さんです。人間に危害は加えません。サイハとコハクの友達です。