「黒と白、森との遭遇」
森に入った、それは入らされてしまったと言うか、入れ込まれてしまったと言うべきか強制的な、心の準備を待つ事の無い、むしろその空間自体が彼女に入って来たとでも言った方がいい恐ろしく情け容赦の無い出来事だった。彼女は、入った瞬間に思った、殺されると、身を八つ裂きにされ剥き出しになった心さえ引き千切られて、完膚なきまでに食べ尽くされると確信した。だが、何が彼女を襲うのかは、少なくとも視覚の判断では理解出来なかった、彼女が死を確信した感覚、つまり心の判断だけが彼女が危険に晒されている事を痛烈に物語っていた。心の目には全てが見えていた、真新しい血のシャワーを浴びて来たばかりと言った出で立ちの赤黒い肌の人食いの鬼達が彼女の周りで嬉しそうに小躍りして地獄の賛美歌を絶唱している様が。今にして思えば彼らの正体についてちょっとした予見を見出したのは、物体としてでは無かったにせよ物の怪として彼女の小さき体を今尚凌駕していたその怨念の葉音大なる彼らの存在がすぐそばに迫って来ていたからなのかも知れない、と考えながら彼女は身震いを押さえようとして両腕の袖を引き千切らんばかりに掴んだ。周りの空間にこれと言った存在を視認出来ないのにも関わらず彼女にこれだけの絶望が齎されているのは正しくそれら魔の物が彼女の心に自らの在り方を直接的に伝達して来ている所為だった。その彼らの一人が言う、まだ人間が残っていたと言うのか、この人間の影を食らいたい、せっかく夕刻の闇が世界を覆い尽くし始めているのに我々に影が無いのは嘆かわしい、影こそがこの世界での存在の証であるのに。また他の一人の言葉、世界がお前達動物の世界から我々植物の世界へと書き換えられた時動物は自動的に植物の持つ影に吸い込まれるだけの餌に成り下がった、そして我々はお前達を食らう事で自分の影を維持して来たが我々にも動かないで居るには限界がある、動く場所はどんどんこの世界に否定され我々の体は遂に無に帰してしまった。また別の言葉、今までは風が無くなっていたから良かったものの再度現れたと言うのか、もう我々に体は無いとは言え我々の恐怖を今尚掻き立てる、もしこの忌むべき風が闇を失う前の我々を揺さぶっていたならその度に体の無は近付いたであろう、人間お前は何をしようと言うのだ、この風で我々の世界を吹き飛ばしてしまう積りなのか。そしてまた別の言葉、お前が我々を感知した衝撃で落としてしまったその水の球の光源は太陽の花の花弁か、それが有る内は我々はお前を食う事が出来ない、我々にとって太陽とは絶対的な物だからだ、我々がお前と言う闇を取り込む為の口を開けたならばその口に光が入り込んできてしまい我々は消滅してしまうだろう、我々植物は光と言う神に背いた闇の眷属に成り下ってしまったのだ。別の言葉、お前がもし太陽の花に辿り着こうとしているのなら止めた方がいい、あの忌々しい地上の太陽さえ無ければ我々もこの光を否定し闇だけを求める体に安心出来る筈なのだがあの太陽が有るおかげでそうもいかないからこうしてあれをどうにかしようと集まっている、天の太陽が偽りだと感じられる以上、この世界の光を保っているのはあれだとしか考えられないのでね、ああ、集まっているのはもう体を動かしたからと言って失う物が何も無い上動物を取り込んだ事で動く能力を獲得していたからなのだが、そうして集まってから今までもあの太陽を殺そうと仲間達が無謀にも挑んでいったが全員返り討ちに遭い死んでしまったのだ、最近は空が赤く染まるにつれ弱り始めているとは言え、我々植物にも太刀打ち出来ないのだからお前の様な動物が近付いても尚更何も出来ないだろう、ここで大人しくその光の花弁を風に乗せお前の下を離れさせ、我々の一部となるが良い。彼女は疑問を抱いた、私自身も闇の塊だと言うのに何故闇の眷属である彼らは私を敵視しているのだろうと。その疑問は読み取られてしまった、彼女にもはや単独思考の自由は無かった。言葉、お前が闇の塊だと言うのか?我々はお前の闇を吟味する舌を出す訳には行かないからその事実を判別する事は出来ないがそうか、もしかすると我々が食らい尽くしてしかし我々の体から流出して行った全ての闇がお前と言う餌に集約されていると言うのも有り得ない事ではないな、あれだけ光の眩かった世界だ、闇は色々な個所に散らばっているよりも一箇所にまとまっている方を選んでいたのかも知れん。別の言葉、そうだとすると今夕刻となっているのも頷けるな、お前が光の花に近付き過ぎた余りに闇がお前の体から流れ出しているのだろう、夕刻の色と同化する事は叶わないがもしお前の闇全てが空に解き放たれたなら我々は夜と言う安らぎの死に溶け込んでこの闇得られぬ永き苦しみの時に終止符を打つ事が出来るのかも知れないと言う訳か、これは面白い。そして言葉、しかし、お前はでは何が望みなのだ?闇の体をして光の花に出会いに行って、そこに何を見出す?このまま行けばあの光の花ももはや最後の花弁を残すのみとなったし、お前もあの花も朽ち果てて全ては夜と言う我々の楽園となる、何もかもが今までの光の停滞から闇の停滞に陥る事になるのではないか?彼女は圧倒的な質量の殺意に飲み込まれたままで、その質問に答える余裕を持てなかったが答えは決まっている。光と闇は交じり合っても終わってしまう事なんて無い、きっと光に闇が色を付け、そしてそれが七色の虹を生むのだ。




