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「聡、デートしようか」

 聡が自室でくつろいでいると、突然やってきた晶は部屋に入ってくるなりそんなことを口にした。

「何だ、突然」

 いつものことといった調子で表情を変えることもなく、ベッドに寝転んでいた聡はそう言い晶を一瞥した。

「いやー、何だか最近、聡と一緒じゃなかったからさ。 側にいたいなと思ってね」

「ちょっと、忙しかったんだよ」

 聡はばつが悪そうに顔をしかめた。

 聡はあれからよく、琴音と会うようになっていた。琴音から連絡が入るのもあったが、放っておけないという理由もあった。そんなこともあり、琴音と会う頻度は減っていた。

「どっかに付き合うくらいは全然問題ない。用事は決まっているのか?」

 後ろめたいというほどではないが、居心地の悪い思いがする聡はぶっきらぼうだが気遣うように言うと、琴音は笑みを浮かべた。

「うん、行きたい所があるんだよね」


 昼間だというの辺りは静かで、周りにある木々からも穏やかな気配が滲んでいた。それはこの場が郊外にあるからというだけでは、ないだろう。

 黒く立派な墓石、その前で晶と聡は黙祷を捧げている。二人は墓地にいた。

「デート場所が墓場とは、驚きのセンスだな」

 黙祷を終えた聡が晶に告げると、彼女は楽しそうに微笑んだ。

「そうかな。カップルで墓場なんてある意味、最高のデートスポットじゃない」

「この墓地に身内がいなくて今の季節が夏だったら、そうかもしれないな」

 何でもないことのようにつぶやき、聡は視線を墓石に向ける。そこには聡と同じ苗字が刻まれている。――兄の墓だった。

 見つめる瞳には、憤りも、悲哀もない。けれど、風化したと呼べるほど無感情でもなく、なぜ、どうしてといった、声にならない疑問が渦巻いていた。聡は兄の死を認めてはいたけれど、納得は出来ていなかった。

「それに晶は幽霊を信じていないだろう。肝試しにもならないじゃないか」

「信じたいとは、思っているんだけどね」

 軽口のようで重い言葉に、聡はため息を吐く。やっぱり、デートスポットには向いていないなと、頭の片隅で思いながら。

「そうか」

「まあ何にせよ、久しぶりだねタカ兄」

 晶は墓石向かってそう口にした。ここにはない誰かに語りかけるように。それが独白だと知りながら。

「タカ兄がいなくなってさ、ずいぶん経ったよ。私はね、髪が伸びたかな。聡は――」

 晶は振り返り聡を見る。無表情に、けれど、瞳は不安げに揺れながら佇んでいた。

「大人っぽくなったかな」

 視線を再度墓石に移し、晶は心情を吐露していく。降り積もる雪のように想いは静かに積もっていく。しかし、それは溶けることも、形になることもない。質量のないその熱量は、ただ、晶を突き動かす。そうしなければ、永久に有り続けるからだ。決して消えることはなく、心の奥でたゆたい続ける。

「タカ兄、聡はねやさしいよ、私のためになんでもしてくれるし、支えてくれる。聡がいるから、私はこうしているんだと思う」

 晶は一旦口を閉じると、考え込むように目をつぶった。

「――私は」

 そして、瞳を開くと苛立ち気に後頭部をかいた。

「あー、やっぱ、ダメだ。私なんて、言葉、アタシには合わないや。やっぱり、アタシが一番だよ」

 晶は照れくさそうに頬をかき、重荷の取れた笑みを浮かべた。

「大人になろうと思ってずっと背伸びしてたけど、タカ兄の前では何かダメみたい」

 軽い笑い声が晶から聞こえたが、それに応対するものはいない。墓石は何も答えず、カラスの鳴き声が墓地に響いた。聡も何も言わず、ただ晶を見つめるだけだった。

「タカ兄から見て、アタシはは何か変ったかな? 『キレイになった』とか、言ってくれるかな?」

 問いに返答するものは、誰もいない。静けさだけがこだましていた。それが晶には心地よかった。答えなど、求めていなかったからだ。いつか、口にしなければいけない言葉だったから形にしただけだった。

「ねえ、タカ兄、アタシはタカ兄のことが好きで、タカ兄はアタシのこと好きだったのかな」

 それはどこか独白のような響きがあった。答えを知りたくないというニュアンスの方が強かったせいかもしれない。だが、そんな祈りにも似た問に聡は反応した。

「……確かめる術がないのに、そんな質問意味があるのか?」

「あるよ。だって、答えはちゃんとあるもの」

「死人に口はないぞ」

「うん、そうだね。だから、聡に決めて欲しいんだよ」

「――何を言っているんだ?」

 聡の声が一瞬かすれたのは、驚きのせいだった。予想をしていない言葉が耳朶を打っていた。そんな聡を尻目に晶は滔々と語っていく。

「任せたいんだよ、アタシの心もタカ兄の心もさ」

 都合のいい台詞だと聡は感じた。それは他人任せという字面を整えただけだ。結局、それは逃避でしかない。

「それは逃げているだけじゃないのか」

「うん、アタシもそう思う」

 聡が本音をぶつけると、晶は頬をゆるめた。

「聡を逃げ場所にしたいんだよ。ずっと、逃げ続けたって構わない、聡と一緒なら」

 晶は告げていた。弱さを聡に預けたいと。聡に弱さを託したいと。その結果、どうなろうと構わないと。

「ねえ、聡、アタシと一緒に、出口のない迷宮を彷徨ってくれますか?」

 晶は手を差し出す。握ってくれることを願いながら。己の弱さを抱えてくれることを、望みながら。

 聡はため息を吐く。重く、長い、紫煙のようなため息を。やるせないとでも、言いたげに。

「僕は晶のことが好きだ。たとえ100回裏切られたとしても、101回目にはまた信じると思う」

 それを愚かと呼ぶことを、聡はわかっていた。理解しながらも、どうしようもできないこともわかっていた。だがそれゆえに、意地があった。

「でもだからこそ、譲ってはいけないものがあるんだ。――どうして任せるなんて言ったんだ。一方的でよかったのに。晶の出した答えなら、どんなものでも良かったのに」

 嘆くように聡は言った。そこには懇願するような、色があった。考え直せとでも言うかのように。けれど、そんな思惑を晶はたやすく袖にする。それもまた晶の意地だった。

「聡、アタシは女の子なんだよ。だからさ、好きな人に答えを委ねたいんだ。それが女ののプライドって奴だよ」

 晶は笑う。朗らかに、どこかフッキレタように。それに聡はため息を吐くしかなかった。

「僕は晶を裏切れない。それが晶を好きって口にすることの、けじめだと思うから。だから、お前が願ってはいても、思いもしない答えは口にできやしないんだ」

「聡はやさしいね。ちゃんと、アタシのことを考えてくれる」

 晶は一瞬微笑むと、すぐに顔を歪めた。それは今にも泣きそうで、必死に涙をこらえているようだった。

「でもだからこそ、残酷だよね」

 聡はため息をこぼす。そして、淡々と言った。

「晶は兄貴のことが好きで、兄貴は晶のことが好きだった。それが僕の中の真実だ」

「……そっか」

 墓石を見つめ、晶もそれだけを口にした。


 黒い墓石は光を反射し、無口に佇むだけだった。

「……聡、帰っちゃった。二人っきりになったね、タカ兄」

 聡の姿は消え、一人っきりになった墓地で晶は墓石に話しかけた。

「ねえ、タカ兄、アタシたちはさ、よく手を繋いでいたね」

 晶は語る。自分に言い聞かせるように、独白にも似た思い出を。

「タカ兄が告白してきたときも、手、繋いだよね」

 晶は笑う。だがそれは思い出し笑いというのとは違う。自嘲だ。

「アタシがが不器用だからかもしれないけど、言葉ってさ、届かないよね。言いたいことがさ、すりぬけてく気がするんだ」

 晶は何も伝えることができなかった。自分が本当に好きなのは誰だったのか。ただ単に、関係を壊すことが怖くて、告白を断れなかったということを。

 晶は墓石をなでる。冷たく、硬い感触は、昔よく握っていた手のひらとは真逆のものだった。

「でもまあ、手をにぎったからって、心が通じ合えたわけじゃないんだよね」

 苦笑を浮かべ、そう言う。二人は結局分かり合えなかったのだと。その努力はしたけれど。

「多分、アタシたちはあれからすぐに、別れたんじゃないかな。アタシは聡が好きで、タカ兄はアタシが好きだった。そして、タカ兄はそんなアタシを直ぐに見破って、困ったように笑うんだ、いつもみたいに」

 姿が思い浮かぶのか、晶は懐かしさそうに目を細めた。

「多分さ、十年後とかにさ、お互い大人になって昔話をするときに、『そういえば』ってどちらかともなく口にして、『つきあったりもしたよね』って懐かしむように笑う、そんなよくある想い出のはずだったんだよね」

 ありえたIFを晶は語る。そこには熱があった。けれど夏の陽炎のように不確かで、決して形になることはないものだった。

「アタシたちはさ、さよならを探していたよね。たぶんきっと、アタシたちはそんな若気の至りみたいな、そんなくすぐったいような想い出がほしいくらいには好きだったんだね」

 お互いどこかで終わることを、予感していたと晶は思う。だからこそ、つきあったんじゃないだろうか。本気にも、遊びにもなりきれない関係だからこそ、お互いの気持ちを確かめるために必要な儀式だったのかもしれなかった。

「なにごともなければさ、アタシ達は別れていたんだろうね。そんでさ、アタシは聡とつきあっていたんじゃないかな」

 晶は困ったように後頭部をかき、空を仰いだ。

「……兄弟二人そろってさ、残酷だよね」

 泣きそうな声音で、晶がつぶやく。天気は快晴で雲も無く、何一つ晶をを慰めるものがなかった。それこそ、残酷なほどに。

「……なにもさ、別れ話をしようと思った日に、いなくならなくてもいいのに。キモチがさ、消えないんだよ。タカ兄にさよならを告げて、終わりを迎えるはずだった色々がさ」

 空を仰いだまま、晶は笑う。瞳には潤みがあった。けれど、こぼれることはない。だから、彼女は笑顔だった。

「ねえ、タカ兄、アタシがあの日、別れようって思わなければタカ兄は死ななかったのかな」

 そんなことはなかっただろうと、晶はわかっていた。それでも、口にせずにはいられなかった。

「……ただの感傷だね。でもさ、こういうのって、忘れられないよ。ずっとずっと、アタシの中で澱になるよ。疑問がね、いくら払っても、払っても、すぐにわいて来るんだ、煮だった泡みたいにさ。そんでさ、その泡の檻にアタシは閉じ込められているんだよ」

 晶は視線を墓石に向ける。瞳には、水分があった。それはまだ、水分だった。

「――託したかったな。聡と一緒に歩みたかったな。でもさ、ダメだよね。選んでくれるのならいい、押し付けるのは間違っているよね!」

 明の頬を透明な雫が伝っていた。ようやく、こぼれた涙はゆるやかな足取りで、晶の心を吐き出していた。悲哀をただ静かに、形作っていた。それは高らかに告げていた。聡が好きだと。好きだから、泣いているのだと。

「人を好きって言うことは信じなきゃいけないよね。自分ともに歩んでくれるって、それが恋する乙女のプライドで好きってことだよね、たぶんきっと」

 雨が降っていた。墓石を水滴が濡らし、光を反射させる。

 雨は長く、降り続いていた。

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