3
きれいに清掃された床は蛍光灯の光を反射し、眩しいくらいに輝いていた。陳列されている商品も品良く並べられており、売り切れている商品もなかった。大学が近くにあることもありこのコンビニは清潔感や補充に力をいれていた。そのため、近隣に二軒ほどコンビニはあったが、他の店よりは客入れは多かった。そしてそれは、近くの大学に通う聡にとっても変わらなかった。
「……何なのかね、アレ」
呆れを前面に出して呟き、聡は後頭部をかいた。
喉が渇いたためジュースを買いに寄っただけで、買い物さえ終わればすぐに出るつもりだった。だが、店には先客がおり、それは先日会った琴音だった。
友達の友達レベルの付き合いだ。気づかないふりをしたところで、問題はない。むしろ、声をかけたほうが気を遣わせるかもしれない。そう思い聡は無視を決め込む算段でいたが、琴音の様子を見ている限りだとそうもいっていられなかった。
琴音は怪しかった。一言で言うと挙動不審だ。
当たりを何度も見回している割には、何か欲しいものを探しているという風でもない。しかも、手ぶらだ。しきりに、監視カメラや店員に視線を向けてもいる。誰が見ても、これから万引きを行おうとしていることは明らかだった。そして、そんな有様だ。レジの前に立っている店員が琴音を警戒しているのは、聡の目からも見て取れた。
「……無視が一番かな」
関われば面倒ごとになるのは、間違いなかった。そこまで親しい仲でないのなら、わざわざ首を突っ込む必要はない。
ゆえに買い物もせずに出口へと足を進めたとしても、責められるものは誰もいなかった。そう、誰もいなかったのだ。
それでも、聡の脳裏に晶の姿が思い浮かんだ。ふわりと、軽やかに、けれどどこか寂しげに笑みを浮かべる晶がそこにはいた。
見捨てたところで怒りもしなければ、幻滅もしないだろう。そんなことは百も承知だった。ただ、単純に琴音と晶が友達であり、少しでも、ほんの少しでも、晶を見捨てたくなかっただけだった。
聡は立ち止まり、息を吐く。全てを吐き出すかのように長いため息を終えると、琴音の元へと歩いていった。
「や、やあ、琴音さん、お、お久しぶりだね」
覚悟を決めた割には声は震えおまけにひどい台詞だったことに聡は自己嫌悪を覚えたが、琴音はさして気にしていないようで軽く一瞥するだけだった。むしろ、内容よりも話しかけてきたことの方が疑問のようで、聡を見つめる視線は鋭かった。
「あら、聡くんじゃない。 久しぶり――っていうほどじゃないでしょう? この前カラオケで会ったし」
取り付く暇もない応対と慣れないことをしているせいで、返事はまたしても支離滅裂だった。
「あっ、えーと、そうだったね。あー、なんだその、と、とりあえず、話をしたいから、どこか喫茶店でも行かないか!」
今この場から離れさえすれば急場は凌げるだろうと、焦りながらも出した言葉はなんとか自分の要望に合ったものだった。
「――私、用事あるから、ムリかな」
けれど、相手の返答は予想通りとはいかなかった。ナンパか何かと勘違いしているのか、視線は睨むようなものとなっており、穏便についてくる気配はなさそうだ。
聡は疲れたように肩を落とした。
面倒くさい。顔にこそ出さなかったが、聡の心中にあるのはそれ一つだ。
友達の知り合いだから助け舟を出そうとしているだけで、それ以上の思惑はない。つまるところそれは、大した理由もなければ、強制力もないということだ。見捨てたところで困るのは本人だけであり、差し伸べられた手を振りほどかれた以上、聡の罪悪感も痛むことはない。
背を向け、このままコンビニを出たところで何一つ問題はない。
だが、聡の足は動くことはなかった。晶の顔が脳裏に浮かんだからだ。
聡はため息を吐く。嫌そうに、呆れたように、けれど、そんな自分が嫌いではないというかのように苦笑を混ぜて。
「……しょうがない、覚悟を決めるか」
口の中だけで小さく呟くと、聡は再度琴音に声をかけた。
「――琴音さん」
「うん、何?」
まだ、何か用があるのとでも言いたげなその瞳は剣呑で、視線で話しかけるなと言っているのが明らかだった。
聡は気持ちが萎えるのを感じていたが、声をかけてしまった以上後には引けず、唾液を嚥下すると共に不満も飲み込むと琴音を見据えた。
「――ごめん。とりあえず、先に謝っとく。そして――行くぞ!」
聡は言うやいなや琴音の腕を取り、一気に走り出した。
「えっ、えっ!? ち、ちょっと」
予想外の出来事に琴音の声音は上ずっており、普段ならばそのまま着いてくようなことはなかったが、聡の勢いに飲まれ釣られるように走っていた。
「な、何すんのよ!」
「後で説明するから、今は着いてきてくれ!」
吠えるように叫ぶ琴音に聡は叩きつけるように言うとコンビニから退出し、近くにある公園の方角に向かって行った。
突然のことにコンビニの店員はあんぐりと口を開け驚きを隠せないでいたが、時期に面倒ごとの種が消えたことに気づき、安堵の息を一人ついていた。
様々な色彩の落ち葉が、絨毯のように敷き詰められ公園を彩っていた。
遊具は少ないがその分自然とのふれあいを重点においた園内は広く、たくさんの街路樹が植えられ季節の花がいたる場所で咲いている。
そんな景色を楽しむためにベンチも多く設置されており、その内の一つに聡と琴音は座っていた。
「――で、こんな所に連れて来た理由、教えてくれるんでしょうね?」
不本意ということを隠そうともせず、剣呑な目付きで琴音は聡に問う。
「――理由が聞きたいのは、こっちもだ」
予想していた問いだったのか間髪いれずに返すと、琴音の目尻がつり上がった。
「ハアー、何を言って――」
「どうして、万引きをしようとしていたんだ」
怒りをあらわにした琴音は半眼で文句を叩きつけようとしたが、遮るように聡が口を挟んだ。言われた言葉は想定外だったのか琴音の顔色が蒼白に変わったが、ハッタリとでも思ったのかごまかすように勢い良く口を開いた。
「ま、万引きって、 な、何のことよ。わ、私、全くわからないわ!」
「あんだけキョロキョロして、バレていないつもりだったのか。勢いで走って逃げたから店員さんもあっけに取られてなんもしなかったが、十中八九バレていたぞ」
思い当たる節があるのか琴音は目を泳がせ、驚くように体を震わせた。そのわかり安い態度に聡はため息を吐いた。
「まあ、これにこりたら、万引きなんて止めることだ。小中高生なら警察沙汰にはならないだろうが、僕たちの年代じゃ即警察だ。スリルとかそんなが欲しくて、捕まるのはゴメンだろう?」
ドラマや漫画によくあるような半分遊び感覚の理由で、琴音は万引きしようとしていたのだと聡は思っていた。申し訳なさそうにうなだれ、反省するだろうとふんでいた。だからこそ、軽い忠告だけして帰るつもりだった。
「――――わよ。スリルのためなんかじゃないわよ! ……お金が必要なのよ」
だが、予想外なことに琴音の反応は怒りだった。それはどこか逆恨みにも似た、行き場のない気持ちをぶつけているようだった。
「……そうかよ」
嘘を言っているようには、見えなかった。琴音の言うことは本当なのだろうとその剣幕から聡は察したが、それは同時に彼女の中途半端さを認識することとなった。
万引きで稼げるお金などたかが知れていた。それならむしろ真面目に働くか、夜の仕事を探したほうがマシだろう。そのどちらにも発想がいかないのは、単にその程度の気持ちだからなのだろう。これ以上はお節介になるため、そのことを告げる気は聡にはなかったが。
用事が終わったので帰宅することを伝えようとした時だった。琴音の方が先に口を開いたのは。
「あっ、そうだ、ねえ、聡くん――」
軽い声音だった。友人から本を借りるような、気負いのない、何でもないことを語る、そんな口調だ。
「私を買わない?」
琴音は続ける。微笑みを浮かべ、何気ない一言を告げるように。
「三万って言いたいけど、助けてもらったから二万でいいわよ。どう?」
上目遣いで見つめる瞳は蠱惑的で、劣情を誘うような魅力に満ちていた。琴音の提案に頷く男は多いだろう。だが、聡は疲れたようにため息を吐くだけだった。
「……二十三点ってところだな」
「えっ?」
「ムリしているのが、バレバレってことさ」
「べ、別に私は、ム、ムリなんて――」
指摘に顔を真っ赤にしている時点で図星だと言っているようなものだと聡は思ったが、そこには触れず言葉を続ける。
「万引きするのにあんな挙動不審だったのに、体を売る場合は冷静っておかしいだろう。そんなの、ムリして演技していますって、言っているようなもんだろう。それに声に顔色は普通だけど、足震えているんだよ」
琴音は告げられらた事実に驚き慌てて視線を足へと向けると、自分では気づいていなかったものの言われた通り小刻みに震えていた。
「まあ色々と訳ありみたいだから、何も聞かないさ。それと持ち合わせが少ないんで、これで勘弁してくれ」
そう言って聡は財布を取り出すと、そこから一万円札を抜き出し琴音に差し出した。琴音の顔色が険しくなり、誰が見てもそこに怒りが浮かんでいるのは明らかだった。
「バ、バカにしているの! 何にもしていないのに、一万円ももらえるわけないでしょう!」
「――逃げるなよ」
聡は静かにため息を吐くと、ただ、そう口にした。
「万引きしてでもお金がほしいんだろう。だったら、くれるって言うものはもらっておけばいい。それが嫌だって言うなら所詮はその程度、向き合うつもりがないってことだろう」
琴音はどこまでも中途半端だった。矜持が邪魔し施しは受け入れらず、かといって、夜の色にその身を染めることも出きず、安易な解決策とは程遠い過ちに手を出す。その何色にも染まりきらぬ様が、聡は苛ついてしょうがなかった。自分のすぐそばにいる人間が、たった一色に染まりきりもがいている姿を見ているせいの八つ当たりめいたものであったが。
「プライドとか遠慮とかそんなもんで誤魔化して、逃げ道にするな。どうせ、逃げ切れない。どっかで捕まって後悔するだけだ。だから、やれるだけのことをやれ。それがきっと、一番傷つかない」
実感がこもった言葉に、琴音は反論を失い素直に聞いていた。キツイ内容だけれどそのどこか消毒液にも似た痛みは、慰めるような響きもあって琴音の心の傷ついた部分にやんわりと降りてきった。
「………あなたって、やさしいのか、残酷なのか、よくわからないわね」
「よく言われるよ」
「まあでもいいんじゃない。やさしいだけじゃないっていいわよ」
琴音は目を閉じると、相談を持ちかけた時などに友人からかけられる言葉を思い出す。それはどれもが気づかようなやさしさに満ちていて、砂糖菓子のような果てのない甘さが詰まっていた。
「甘いだけの言葉はやわくて、どうやっても壊せなくて、その言葉に逃げる――ううん、違うわね。その言葉から、逃げられなくなってしまうのよね」
耳あたりのいい言葉は締め付けるような強さではなく、縋りつきたくなるなぬくもりに溢れている。それはまどろみを誘う心地よい毛布のような質感で縛る。
「でも、あなたの言葉は硬くて冷たいから、簡単に抜け出せる。その残酷さに救われるのよ」
「――そうか」
「とはいえ、ただでもらうのは、やっぱりしゃくだわ。だから、ちょっと待っていて」
そう言うと琴音は近くにあるトイレへと、駆け足で向かって行った。聡は何をするかわからないため黙って見送っていたが、悪寒のような嫌な予感がしていた。
数分後に戻ってきた琴音は、満足そうな笑みを浮かべていたが、それがさらに聡を不安にさせた。その笑顔にはどこかイタズラを画策する子供のような無邪気さがあったせいだ。
「お待たせ」
「おはやいお帰りで」
嫌な予感がする聡は冷や汗を浮かべ皮肉げに言うが、満面の笑みを浮かべた琴音には通用しなかった。
「ねえ、ちょっと、手、出してくれる?」
トイレに行って何か得るものがあったか疑問だったが、断るほどもないので頭をひねり手のひらを琴音の前に出すと、彼女はやわらかく、そしてあたたかな物を載せた。
「はい、コレ、私からのお礼」
満面の笑みで渡され、視線をそれに向けるとそこには布があった。白い、女性用下着だった。聡の顔は青ざめ、驚きに目を見開いていた。
「な、何だ、コレ! なんのつもりだ!」
「何って、お礼よ、お礼。あっ、私のスカートの中は気にしなくて大丈夫よ。今日はたまたま、替え持っていたから」
「そんなことは聞いていない!」
「コ、コレで、わ、私ができることは終わったわ! そ、それじゃあね!」
言い終えると琴音は顔を朱に染め走り出した。その勢いは激しく智は再度声をかけることかなわず、黙って見送ることしかできなかった。
「恥ずかしくなって、逃げたな。しかし、パンツ、どうしろってんだよ」
困惑を抑えきれず聡はつぶやくが、その答えを知る者はどこにもいなかった。




