婚約破棄の舞台裏。泣いて逃げた生徒会長は、後輩の腕の中で笑う
「アリシア・フォン・ヴァレンシュタイン! お前との婚約を破棄する!」
放課後の生徒会室に、鋭い声が響いた。
生徒会室に居るのは4人。
生徒が皆帰宅し我々もそろそろ帰ろうか、と思っていた矢先であった。
声の主は、生徒会副会長であり、私の婚約者でもある第二学年のエドガー・リヒテンベルク。
彼の隣には、書記のマリアが立っていた。
柔らかな栗色の髪に、花のような笑顔。誰にでも優しい、おっとりとした美少女だ。
「お前はいつも冷たい。生徒会長という立場を笠に着て、俺を顎で使ってきた。婚約者としても最低だ!」
「……そうか」
「おまけに、俺がどれだけ尽くしても感謝の一つもない! もううんざりなんだよ!」
エドガーは吐き捨てるように言った。
私は彼を見つめた。
銀色の髪。切れ長の青い瞳。冷静沈着で、誰にも媚びない生徒会長。
それが、周囲から見た私。
そして今、私は婚約者に罵倒され、婚約破棄を突きつけられている。
「……そう、だったのか」
私は唇を震わせた。
「私が、悪かったのだな……」
「ええ、アリシア様。エドガー様はずっと苦しんでいらっしゃったんです」
マリアが申し訳なさそうに胸元で手を組む。
ただし、その口元には隠しきれない笑みが浮かんでいた。
「だから、これからは私がエドガー様を支えますね」
「マリア……」
二人は見つめ合った。
私は俯き、肩を震わせる。
「ひどい……」
声を絞り出し、顔を覆う。
「こんなことになるなんて……!」
そして、私は生徒会室の扉を開け放った。
「アリシア様!」
庶務の一年生、ノアが慌てて呼び止める。
だが、私は振り返らなかった。
長い廊下を走り、階段を駆け下りる。
涙を流しながら、ただひたすら逃げていく。
背後から、エドガーの笑い声が聞こえた。
「ははっ! あの鉄面皮が泣くなんてな!」
「エドガー様、少し言いすぎですよ」
「いいんだよ。これでようやく自由だ!」
二人の笑い声が、生徒会室に響く。
そして。
「……待ってください、会長!」
ノアが私を追いかけてきていた。
◇
「会長、もう大丈夫ですか?」
人気のない中庭。
ノアは私の前に立ち、心配そうに顔を覗き込んでいた。
私は目元を拭い、小さく頷いた。
「……ありがとう、ノア」
「いえ。あんなことを言われて、平気なわけないですよ」
彼は悔しそうに唇を結んだ。
黒髪に、少し垂れた目元。まだ少年らしさの残る顔立ちだが、真っ直ぐな瞳が印象的だった。
私はその顔を見つめる。
とても。
とても私好みだ。
「ノア」
「はい」
「一つだけ、聞いてもいいか?」
「何でも聞いてください」
「……どうして、追いかけてきてくれたんだ?」
ノアは目を丸くした。
それから、頬を赤く染めた。
「そんなの……決まってます」
彼は一度、深呼吸した。
「ずっと好きでしたから」
私は目を見開いた。
「会長が誰よりも努力していることも、冷たい人だと思われても、本当は周りのことをよく見ていることも知っています」
「……ノア」
「だから、あんな人に泣かされるのは嫌だったんです。俺なら、会長を大切にできます。
……ほんとは婚約者がいるから、とこの気持ちに蓋をする予定でした。でも、あんなこと言われたらもう我慢出来ないです!」
真剣な眼差し。
飾り気のない言葉。
私は胸に手を当てた。
そして。
「……ふふっ」
「えっ?」
「いや、何でもない」
私は涙を拭いながら、彼の手を取った。
「私も、君のことが気になっていた」
「ほ、本当ですか!?」
「ああ。……これからは、私の隣にいてくれるか?」
「もちろんです!」
ノアは満面の笑みを浮かべた。
私は微笑み返す。
そして心の中で、そっと呟いた。
――計画通り
◇
話は一か月前に遡る。
「……すまない、アリシア」
生徒会室で、エドガーは深々と頭を下げていた。
「俺は、マリアが好きになってしまった」
彼は誠実な男だった。
私の婚約者として、これまで何一つ手を抜かなかった。
生徒会の仕事も、私の予定に合わせた行動も、貴族社会での付き合いも。
私が求めれば、彼はいつだって応えてくれた。
だからこそ、彼は苦しんでいた。
「君との婚約は家同士が決めたものだ。君に何の不満もない。むしろ、君は俺にはもったいないくらいの人だ」
「それでも、マリアを選びたいのだな?」
「……ああ」
私はしばらく黙っていた。
そして、あっさりと頷いた。
「分かったわ。婚約を解消しよう」
「……え?」
「あなたが好きな人と一緒になりたいのなら、私が引き留める理由はない。実家のことも、まあ私がなんとかしよう」
「ほ、本当か!」
エドガーは拍子抜けした顔をした。
もっと怒られると思っていたらしい。
「ただし、一つお願いがある」
「お願い?」
「……黙っていたが、私にも好きな人がいる」
エドガーは目を見開いた。
「……は?」
「ノアだ。今年生徒会入りした一年生の庶務」
「まさか、あの子に?」
「ああ。けれど、私は生徒会長で、君の婚約者だった。だから付き合うなど考えてすらいなかった」
これはチャンスだ、とエドガーの話を聞いていて思っていたのだ。
そして。
告白までのシナリオも今、出来上がった。
「お願いのことだが、君に婚約破棄を宣言してもらいたいんだ」
「……待ってくれ。どうしてそうなるんだ?」
「傷ついた女性を放っておけない、優しい男の子なんだ彼は。私が泣いて出ていけば、きっと追いかけてくれる」
「いや、しかし……」
「勿論、君たちの評判に傷がつかないように、放課後の生徒のいない生徒会室で行おう。
また、君とマリアとの関係を堂々と認めてもらえるように周囲に便宜も図ろうじゃないか。
そして肝心のノアについてだが、彼と君たちの仲が拗れないように私がなんとかすると約束しよう」
エドガーは頭を抱えた。
「君は……本当にそれでいいのか?」
「もちろんだ。
ああそうだ。君が私を侮辱する台詞は、事前に相談して決めておこう。君は演技が下手だからせめて台本を用意しないとな」
「……君らしいな」
そんな私の様子に根負けして、彼は最終的にこの計画に乗ってくれた。
その後、マリアも交えて三人で計画を練った。
エドガーは最後まで「本当に泣かせる必要があるのか」と心配していた。
マリアは「アリシア様、私、悪いことをしている気分です……」と何度も私に文句を言ってきた。
だが私は、二人にこう告げた。
「大丈夫。これは、みんなが幸せになるための舞台なのだから」
こうして、一か月前には婚約解消を済ませていた。
今日の婚約破棄は、ただの演技。
あの二人が笑ったのも、私が事前に頼んだからだ。
ノアに余計な罪悪感を抱かせないため、エドガーにはあえて悪役を演じてもらったのである。
もちろん、ノアにだけは何も知らせていない。
彼の行動は台本に入れたくなかったから。
◇
翌朝。
私が生徒会室に入ると、エドガーとマリアが並んで座っていた。
「アリシア、おはよう」
「おはようございます、アリシア様」
「おはよう。……二人とも、ずいぶん仲がいいな」
私が微笑むと、二人は揃って顔を赤くした。
「そ、それは……」
「ふふっ。隠さなくていいぞ」
そこへ、ノアが入ってきた。
彼はエドガーとマリアを睨みつけると私に元気よく挨拶してくる。
「会長、おはようございます!」
「おはよう、ノア」
彼は私の隣に来ると、少し恥ずかしそうに小声で尋ねた。
「今日、一緒に帰ってもいいですか?」
「ああ。もちろんだ」
私が笑うと、ノアも嬉しそうに笑った。
若干、「まだ演技だって言ってないのか」という視線を感じているが、彼らにはウインクして黙らせておいた。
もう少しだけ、彼にとっての悲劇のヒロインでありたかったから。
窓の外では、春の風が花びらを運んでいた。
私は生徒会長だ。
人前で弱みを見せず、常に冷静で、誰もが憧れる存在。
けれど、恋愛に関しては、少しばかり不器用だったらしい。
だからこそ、今回は少しだけ演出を加えた。
――泣いて逃げる生徒会長。
――追いかける後輩。
――そして、始まる恋。
なかなか悪くない脚本だったと思う。
「会長、何かいいことでもあったんですか?」
ノアが首を傾げる。
「ああ。……とても良いことがあったよ」
私は彼の手を握った。
「だが、これからはもっといいことがある予定なんだ」
ノアは不思議そうにしながらも、私の手を握り返してくれた。
その温もりを感じながら、私は心の中でそっと笑った。
婚約破棄、大成功。
さて、次は――初めてのデートの計画でも立てようかしら。
今度こそ、台本のない恋を始めるために。




