午後の光の中で(前編)
予定のない土曜日は、街に出る。
特別な目的はない。ただ、部屋の中にいると、時間が溜まっていく気がするから。財布とスマートフォンだけをポケットに入れて、鍵を閉める。
外の空気は、思ったよりもやわらかい。
公園へ向かう道すがら、小さな商店街を通る。八百屋の前に並んだみかんが、陽を浴びて少し透けている。魚屋の氷が、かすかに溶けて水を落としている。
知らない人たちの生活が、ここにはちゃんとある。
私はその中を、通り過ぎるだけの人だ。
パン屋の前を通ると、焼きたての匂いが漂ってくる。思わず足が止まる。ガラス越しに並ぶ丸いパン。どれも、今すぐ誰かの朝食になれそうな顔をしている。
私はひとつ、あんパンを買う。
「ありがとうございます」
店員が言う。
目が合う。
それだけで、少しだけ胸の奥があたたかくなる。
公園のベンチに腰かける。
袋からあんパンを取り出す。
向かいでは、小さな子どもが転びそうになりながら走っている。母親が手を広げて待っている。その間に流れる空気は、見えないのに確かに存在している。
私は、そこに入ることはない。
でも、見ているだけでいいと思う。
風が木々を揺らす。葉が擦れ合う音が、やわらかく重なる。遠くで犬が吠える。誰かが笑う。
街は、こんなにも賑やかだ。
その真ん中で、私は静かに座っている。
孤独なのかな、と考えてみる。
今、隣に誰かが座っていたらどうだろう。同じパンを分けて、他愛もない話をするのだろうか。それとも、ただ無言で並んで座るだけだろうか。
想像はできる。
でも、想像できることと、必要であることは、少し違う。
あんこの甘さが、舌の上でゆっくり広がる。
今日の風は、少し冷たい。
その冷たさが、心地いい。
私は立ち上がり、公園の中をゆっくり歩く。池の水面が、光を細かく砕いている。ベンチに座る老人が、鳩に餌をやっている。誰かの会話が、風に乗って途切れ途切れに聞こえる。
誰も私を知らない。
それは、少し自由だ。




