三連休の前夜
明日から三連休だと気づいたのは、昼過ぎだった。
カレンダーを何気なく見て、祝日の赤い数字が三つ並んでいるのを確認する。特別な予定は入れていない。旅行にも行かないし、誰かと約束もしていない。
それでも、三つ続く空白は、少しだけ嬉しい。
仕事を終えるころには、身体の奥がゆるんでいた。急ぎのメールは返したし、資料も提出した。週明けのことは、まだ考えなくていい。
パソコンを閉じると、部屋が静かになる。
いつもの静けさだけれど、今日はその静けさに、明日という余白が含まれている。時間が少しだけ、自分のものになる感覚。
「飲みたいな」と、ふと思った。
特別お酒が好きなわけではない。
強くもないし、翌日に残るのも苦手だ。
でも今日は、なぜだか飲みたくなった。
わざわざ買い出しに行くほどではない。
冷蔵庫を開けて、しばらく中を眺める。
ツナ缶がひとつ。
先週買って冷凍しておいたバゲットの端。
開封してから少し日が経った生ハム。
半分に切ったレモン。
とろけるチーズの袋。
「これでいいか」と、私は小さく呟く。
スーパーで買ったハーフボトルの赤ワインは、まだ開けていなかった。何かのついでに手に取ったものだ。値段も高くない。ラベルも派手ではない。
でも今日は、それがちょうどいい。
キッチンに立つ。
まず、バゲットをトースターに入れる。
冷凍された硬いパンが、じわじわと温められる音がする。パチ、と小さく弾ける音。焦げる匂いが、ほんの少し立ち上る。
そのあいだに、ツナ缶を開ける。
ぱかっ、と金属のふたが折れる音が、静かな部屋に響く。油の匂いがふわりと広がる。ボウルに移して、マヨネーズを少し。黒胡椒をひと振り。レモンをほんの少し絞る。
レモンの酸味が、ツナの油っぽさをやわらげる。
フォークでざっと混ぜる。
凝った料理ではない。
でも、こういう適当さが、今夜には似合う。
トースターが鳴る。
焼き上がったバゲットは、端が少し焦げている。包丁でざくりと切ると、表面はカリッとして、中はまだ少し冷たい。
その上にツナをのせ、とろけるチーズを乗せて、もう一度トースターへ戻す。
生ハムは、皿にそのまま並べるだけ。
丸まっていた形を、指で軽く伸ばす。
ワインのボトルをテーブルに置く。
コルクではなく、スクリューキャップ。
きゅっと回すだけで開く。その気軽さがいい。
グラスに注ぐと、赤い液体がゆっくりと広がる。
光に透かすと、深い色の奥に少しだけ透明な縁が見える。
一口、まだ料理ができる前に飲んでみる。
思ったよりも軽い。
渋みはあるけれど、強すぎない。
トースターが再び鳴る。
チーズが溶けて、ツナの上で少し泡立っている。バゲットの端は、さらにこんがりしている。
皿に並べ、テーブルに運ぶ。
よくわからない映画を、配信サービスから適当に選ぶ。タイトルも曖昧なまま再生する。字幕は出すけれど、ちゃんと読むかどうかは自分次第。
ソファに座り、ワインを手に取る。
画面では、見知らぬ国の街並みが映っている。俳優の名前も知らない。ストーリーも、まだ掴めない。
でも、それでいい。
バゲットにかぶりつく。
カリッとした音。
溶けたチーズが少し伸びる。
ツナの塩気とレモンの酸味が、ワインの渋みと混ざる。
思ったよりも、合う。
私は少しだけ笑う。
わざわざ生ハムや高級チーズを買わなくても、冷蔵庫の中でなんとかなる。適当に混ぜて、焼いて、並べるだけで、ちゃんと晩酌になる。
生ハムを一枚つまみ、ワインを口に含む。
塩気が、赤を引き立てる。
舌の上で、ゆっくり溶けていく。
映画は進んでいるけれど、内容は半分も入ってこない。字幕を追ったり、やめたり。俳優の表情だけを眺めたり、スマートフォンに目を落としたり。
でも、画面の光があるだけで、部屋の静けさがやわらぐ。
二口目のワイン。
少しだけ体が温かくなる。
酔うというより、輪郭がゆるむ感じ。
三連休の前夜。
明日、早く起きなくてもいい。
誰とも約束していない。
目覚ましをかけなくてもいい。
その事実が、ワインよりも効いている。
「一人でも平気そうだよな」
ふと、あの言葉が頭をかすめる。
平気かどうかは、わからない。
でも今、私はこの時間を選んでいる。
ツナ缶を開けて、バゲットを焼いて、よくわからない映画を流している。誰かに見せるためではなく、自分のために。
それは、強がりでもなく、寂しさの裏返しでもない。
ワインは、半分ほど減っている。
無理に飲みきるつもりはない。明日でもいい。
グラスをテーブルに置き、映画の音量を少し上げる。
窓の外は、静かだ。
遠くで車が通る音。
隣の部屋のテレビの低い響き。
私はもう一切れ、バゲットを口に入れる。
チーズが少し固まり始めている。
それも、悪くない。
夜が、ゆっくりと深くなっていく。
誰かと分け合うわけではない時間。
でも、独り占めしているような贅沢さがある。
ワインの赤が、グラスの底でゆらゆら揺れる。
私はそれを見つめながら、静かに思う。
孤独かどうかは、まだわからない。
でも、三連休の前夜に、ツナ缶を開けて、冷凍バゲットを焼いて、映画を流しながらゆっくり飲む。
そんな夜を、ちゃんと楽しめている。
それだけで、今日は十分だ。




