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3月上旬 35話

 トラブルだらけだったランジェリーショップを後に、私達はルミネエストを散策する。三月のモールは冬服とこれから始まる春に向けての新作が共存する空間だ。アパレルショップやコスメ、アクセサリーなど今をときめくJKは季節の変わり目には見たいものがたくさんあるらしい。時折マネキンになったり、ある時はテスターになったり、私はされるがままのお供になる。

 

 まぁ下着着させられるよりは全然マシだわ。

 

「うん、いいね! めちゃくちゃ可愛い! ねねこれにしよ。これならさっきのお店より安いし他の服とも合わせやすいよ」

 

 やっぱりこいつはセンスがいい。私がちょこっと好みと条件を伝えるだけでファッション雑誌みたいなコーディネートをつくってくれる。加えて口もよく回るから私は簡単にレジへと向かってしまうのだった。これで当分の間はお出かけ服に困らないはずだ。

 

「まりーはメイクも練習していこうね」

 

 彼女は食べかけの包み紙を膝の上に置き、コンパクトで目元をチェックした。目尻のアイシャドウがキラキラと光る。

 私達は新宿駅の休憩スペースでさっき買ったばかりのチーズタルトを頬張っていた。

 

「めんどくさいな」

 

 バッグから覗く花柄のショッパーを横目にサクッとタルトにかじりつく。ふわふわ食感の幸福が口いっぱいに広がった。

 

「社会人になったらやらなきゃいけないんだから今のうちだよ」

「それは女だからってメイクしなきゃいけない社会が歪んでいるんだよ」

「それは言えるけどね。でもさっき買ったやつがあれば基本はできるよ」

「買ったからにはするけどさ」

 

 お金を払ってしまったものは仕方がない。逆にやらなければ損してしまい非合理的だ。

 

「意外とするんだね値段。メイクって大変だ」

「それはそう。季節ごとに新色出るし好みだって変わるし。でもそこが楽しいんだよ。メイクも服と一緒で流行り廃りに乗っかったり自分らしさを貫いたり。まりーももっと可愛くなるよ」

「そうかな」

「なれるよ〜。だって私、学校より今のガチメイクのほうが可愛いでしょ?」

「そうかもね」

「やった! 嬉しいからもう一個食べちゃお」

 

 現在午後七時。

 太陽も沈み始め、街灯の店頭が夜の帳が下りたことを教えてくれる。道行く人も帰りの会社員や学生が増えてきた。それに付随するように姿を見せ始めたのが諸悪の根源、カップルだ。夜の新宿、欲望渦巻く大人の時間が開幕する。そして私はそれに参戦するのだ。

 

 今から棄権しても私は構わないんだが。

 

「そ、そろそろ行こっか!」

 

 スマホをまじまじと見つめていた茜は威勢よく腰を上げた。

 

 ついに……か。

 

 思えば楽しい人生だったかもしれない。家族は優しくて、不自由は無かったし、健康に生きれたし、美味しい食事も味わえた。

 

 あぁでも叶うならば海外の演劇とか見てみたかったなぁ。

 

「なにしてんの、まりー」

「辞世の句考えてる」

「ジセイノク?」

「いいよ。断頭台には自分の足で向かうさ。潔い最期を飾ってやる」

「なんか不吉だね⁉︎」

 

 美しい散り際というのもまた劇的だろう。だが歩き出してすぐ、やはり落ち着かない己の足取りに自嘲してしまう。

 

「ヒールってのは歩きにくいな。捻挫しそう」

「慣れないうちはちょっと大変かも。ゆっくり歩こ、疲れたら行ってね。全然ゆっくりでいいから」

「そこまでじゃないからいけそう」

「そ、そっか」

 

 私はいつもよりほんの少しだけ高い景色を見ながら茜の後ろ姿を追いかける。頭の位置はまだ茜のほうが上だ。

 

 ヒール履いても負けてるのか。流石バスケ選手。

 

 私の服装はさっきとガラッと変わって大人スタイルに変身している。購入後すぐに着替えるようにとトイレへと連れて行かれたのだ。なんでも新しい姿を早く見たかったらしい。急ぎ過ぎではと思ったがどうせ拒否権はないのだからさっさと着替えてしまった。

 

 幾何学きかがく模様の刺繍が入ったタートルニットで夜の寒さを防ぎつつ、ガウチョパンツとショートブーツで上品なチャーミングさを演出。そして仕上げと言わんばかりにロングカーディガンをふぁさっと羽織ればエレガントな艶めき女子の出来上がり。

 茜の超絶長文早口を要約するとこんな感じだ。アダルティな茜の隣に立っても遜色ないし、不夜城で歩いていそうな気品が溢れていると思う。さっき鏡見てそう思った。

 

 風景は華やいだ駅前からディープなエリアへと塗り変わる。いやらしく腕を絡めるカップル、ネオンぎらつく街角、酔いが回って座り込むリーマン。向こうには陽キャの中の陽キャがストロングゼロ片手に談笑している。

 

 なんか嫌だな……。

 

 ああいう大人を見ると嫌な事を思い出して段々と気分が悪くなってくる。生理的に受け付けないやからだ。

 看板を見ると明らか性的なお店ばかり。夜の繁華街とはここまでぶっ飛んでいるのかと驚くと同時に恐怖も湧き上がってくる。一月ひとつき前の原宿は異世界だったが、ここはもう魔境だ。離れたら最後五体満足では帰れない覚悟で茜にひっつく。今頼れるのは茜しかいない。

 

「うっぷす」

 

 くっついていたことが災いし、急停止した茜に勢いそのままぶつかってしまった。

 

「あ、ごめん。道間違えたかも」

 

 路地の途中でいきなり立ち止まると茜は申し訳なさそうに頭を掻いた。グーグルマップを開いているようだが迷ってしまうのが茜クオリティ。

 

「しっかりしてね。私は分からないんだから」

「にはは〜」

「それに居心地悪いかも。ちょっとね」

「あ……ごめん。配慮が足りなかった。急ぐね。手繋ぐから離れちゃダメだよ」

 

 そうして私の手を握りしめて引っ張る。

 未だ冷え込みが厳しい夜。彼女の手は温かい。

 さっきまでの不安は茜と繋がることで次第に小さく小さく溶けていく。

 

 なんでこういうときだけ頼もしくなるかな。ずるい。

 

 離れないように、離さないように私はぎゅっと握り返した。

 かがやく街の光が私達の道をどこまでも照らしてくれた。

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