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3月上旬 34話

「はいじゃ、これつけて」

 

 店の奥のフィッティングルームに行くと下着を一着差し出された。

 

「つけれたら言ってね!」

 

 シャッとカーテンを閉められる。

 

「……っはぁ」

 

 束の間の一人の時間。ここにずっと閉じこもってはいけないだろうか。

 そこで渡された下着にようやく確かめる。

 

「ふむ……」

 

 慣れない下着用ハンガーを苦心して取り外す。はすの花弁が幾重に重なるように胸を包む薄桃色ブラジャーはこの店のさっきの陳列を考えると割と落ち着いた印象を受ける。輪郭をレースで縁取り愛らしさも持たせることで、高校生の私がつけていても大人び過ぎない可愛げあるデザインといえるだろう。

 

 これくらいだったら許容範囲。……脱ぐか。

 

 いよいよといった心持ちでニットの裾を持ち上げる。このカーテンの裏にすぐあいつがいると思うと、遮る布一枚がとてつもなく頼りない。なんてったってあの女は人のブラジャーのタグを勝手に漁って完璧なサイズを割り出す変態だ。自制が効かなくなった茜が今にも入ってきたら……。

 

 シャッ。

 

「どう?」

「うわぁっ! やめろよ!」

 

 断りなく開けて顔だけ突っ込んできやがった茜に批判の眼差しを向ける。まだ脱いでなかったのが幸いだった。

 

「開けていいか聞けよ! バカ!」

「あはは〜ごめんごめん。それじゃ」

 

 まるで落ち着く隙がない。

 茜の強襲に備えつつ、上だけ裸になると、渡されたブラジャーをつけてみた。柔らかい生地に胸が包まれ、首から肩の負荷が緩和される。

 

 うわ、ガチでピッタリだ。キモ……。

 

 姿見に自分を写して確認すると、まぁ割と様になっている気がする。ただベージュとかグレーとかのブラしかつけていなかったので、素肌がピンクに包まれている光景は慣れない。

 

「つ、つけたよ」

 

 『よ』を言い終わる前に茜はぬっと顔を覗かせた。こんな感じの絵面がキービジュアルになっているホラー映画があった気がする。

 

「いいねぇ〜。美味し……じゃなくてー、えっとー、老いを感じないねぇ」

「リカバリー下手」

「着心地は?」

「ピッタリだよ。流石ですね」

「照れるな〜」

「因みに今の皮肉ね」

「うーん……」

「なに」

「腕上げて」

 

 言われるがまま上げる。腋が丸見えになることによる羞恥心に気づいたのはバンザイしてからだった。遅れてだんだんきまりが悪くなってくる。

 

「入るね」

「え、ちょ!」

 

 外部に見られないよう、忍のような身のこなしで侵入すると狭い部屋故に私達の距離はとても近くなる。茜はサングラスのテンプルを首元に差し、手のひらを目一杯広げると私の胸をわしっと捉えた。

 

「やっ、おま!」

 

 脇を目にして、ついに抑えが!

 

「変な声出さないの。それはちゃんと後でするから、はい動かない」

 

 すると茜はえらく真面目な面持ちで私の胸を見つめる。てっきり無理矢理揉みしだいて興奮しだすのかと思っていたが違うみたいだ。

 

「目測と成長予測で割り出した以前のバストデータにさらなる独立変数を追加して割り出した関数グラフに沿って今のバストを再計算したブラジャーを選んだつもりだったんだけど……やっぱ試着すると違うな……。まりーはバージスラインがほんの少し広めだね」

 

 キモい。頭いいかもしんないけど確実にマッドサイエンティストだ。

 

「なにそれ」

 

 怪訝な顔を向けつつ馴染みのない言葉をただしてみる。

 

「おっぱいの下側の輪郭。この部分」

 

 茜は私の胸を下から支えるように持ち上げた。ちょうど正円の下半分の孤みたいなものだろう。

 

「このラインの幅は個人差があるんだけど、これにワイヤーを合わせることが重要なの。今はちょっとワイヤーのカーブがちょっとキツいから広げてあげたいんだけど……だめだね。こっちつけて」

「えぇピッタリで問題なかったよ」

 

 正直ブラジャーごときに何度も着たり外したりするのがめんどくさい。現に違和感はなかったし。

 

「だーめ。まりーはお胸事情に無関心過ぎるから、ピッタリの許容範囲が広過ぎるの。でも私からしたらピッタリじゃない」

「でも」

「まりーはいいおっぱいしてるんだから、もっと綺麗に見せれば全然違うから。はい付ける。てか付け方できてる? そこからチェックね」

 

 結局茜の前で上裸になる羽目になってしまった。ワンステップずつアドバイスを受けながら新しい下着を丁寧に付けていく。こうすると分かるが、私はかなりテキトーに付けていたらしい。

 

「バージスが広めの人は広めのワイヤーをちゃんと当てがってあげて、脇からお肉を胸に持ってくる」

 

 私の肉をしゅるしゅると操る手捌きは器用で繊細だった。ただ背後からやられると羞恥がとてつもない。鏡の中の自分が組みつかれて乳房を弄ばれる様子は見るに堪えない。今日は私の羞恥心を鍛える日なのだろうか。

 

「はいできた!」

 

 新たにフィッティングされた自分の胸を鏡に写した。

 

「おぉ!」

 

 さっきとの差は歴然。

 気持ち胸のボリュームがアップしている気がするし、谷間もくっきり見える。女性の胸という画像検索をかけたら真っ先に候補に上がってきそうなオーソドックスなバストだ。だからこそシンプルに綺麗だと思える。

 そして付け心地も違う。私からすればさっきだってピッタリといえたが、あれを90ピッタリだとすると、今は100ピッタリだ。工程を変えるだけでこんなに違うのかと驚きを隠せない。

 

「ブラジャーはお胸を支えて過ごしやすくするものだけど、あわないものを使ってると形が崩れてきたり、痛くなったりしちゃうからちゃんとしたものを選ぶこと」

 

 自分の見た目とか気にしないのだが、明らかに良くなってるビフォーアフターを示されてしまったら身につけるものも気を配りたくなってくる。

 

「でも自分じゃ分かんないし」

「確かに。私がいなくなった後にどこぞの馬の骨にまりーの胸を愛撫されるのも癪に障るしな」 

「言い方。てかあんたって嫉妬するんだ」 

「そりゃあするよ! 今でこそ誰もまりーの魅力に気づいていないけど、このダイヤモンドの原石が今にも輝き出して、世の人間たちが寄ってたかってちやほやしだした日には……むき〜!」

 

 このままこいつが憤死したら今夜のホテル監禁は免れるだろうか。

 

「そんな日が来ても他の人に気移りしちゃダメだよ」

「私は……あーはいはい」

「あー面倒くさがってる!」

「ていうか服着ていい? いつまで裸同然でいればいいわけ?」

 

 私は思い出したように手で体を隠した。下着姿、狭い空間、女二人っきり、なにも起こらないはずなんだが、変態を相手取るに少量の布切れつけてるだけじゃ、不安で不安でしょうがない。

 

「うわ! 裸って言われるとコーフンするわ」

「恋愛対象裸子植物でいいんじゃねぇの?」

「じゃあ今日はいくつか下着買っとこ。私の育乳シミュレーションに基づいておっきめもね」

「会話してくれ」

「いくつか見繕ってくるから。今度はこっち試しておいて」

 

 時速百数キロで投げつけられる言葉を振りかぶって打ち返すような、会話のベースボールを終えて、茜は押し売りみたいに別の一着を押し付けていって出ていった。ちょっと騒ぎ過ぎたかもしれない。周りに迷惑かけていないだろうか。

 

「……ふぅん」

 

 しかしこうして見ると……いいかもしれない。セクシーってやつ。

 

 自分を写しながら左右を向いたり振り返ったり胸を持ってみたり。着替えのときに毎日見る下着姿だが、やっぱり一段と見映えがいい気がする。

 

 こういうのも悪くないかも。

 

 背中に手を回してホックを外しながら稀有な気持ちになる。自分に正直になるなら次の下着にちょぴっと期待している。茜の目利きは優れているし、褒められることに嫌な気持ちなど覚えるはずがない。どうせ私一人じゃ新しいブラなんて買えないのだから今のうちに選んでもらうほうが賢い選択だ。

 

「じゃあお次は……っと」

 

 つけていた下着をハンガーに戻して、受け取ったやつを期待感とともに広げる。

 ぴらぴら〜。

 

 ……なにこれ。

 

 広げた黒いブラジャーは形こそオーソドックスだが本来胸を覆ってくれるカップはどこに捨ててきたのかどこにもない。トップが小さな三角形になっているだけだ。生地は極薄、というか普通に持ってる指が布越しに見えている。

 

「……」

 

 嫌な予感を覚えつつ一緒にあったショーツを見てみると、案の定こちらは恥部を全く隠す気がない超極小面積紐パンTバック。余りある茜の性欲が質量を持って現出したとしか思えない。

 シャッ!

 

「まりー、どお!」

「着れるかああああッ!」

「うぶっ」

 

 顔面を穿つようにクリーンヒットした下着は茜がちゃんと買い取ったそうだ。

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