2月下旬 26話
「ホントだ!」
「満を持してか!」
声につられて見下ろすと茜が肩のストレッチでアップしている。傍にはすまなそうにしょぼくれている長谷川がおり、茜は持ち前のテンションで励ましているようだ。太陽が顔を出したように茜の表情は明るい。
やっぱり皆とバスケしたいんだ。
やる気に満ち溢れた彼女を見て、何を思ったか私は席を立った。そしてチームを真下に見下ろす位置に移動し、より近くで観戦する。持っていた荷物は足元に、立ったまま手すりに掴まる。
私が試合をどうこうすることはできない。精々できるのは見届けること。私らしくはないなと思ったが茜と、彼女らと同じように一時熱に浮かされるのも悪くないなと思ってしまった。
だから。
「茜! 頑張れ!」
ハッと顔を上げた茜はこちらを真っ直ぐに見つめる。
視線が交差する。
「あとお前も!」
ついでに長谷川にも顎をしゃくった。
「ありがと!」
茜はぴょんぴょん跳ねながら手を振り、長谷川はというとフンと鼻で笑って親指を立てて見せた。
聞こえなかったらどうしようとか無視されたらとかいう想像は杞憂だったようだ。人前で大きな声を出すことに抵抗はあったが、こういう場ならおかしくないと思いたい。
初戦と同じように円陣を組んで士気を上げ、試合再開。茜の影響かメンバーにも余裕が見えてきた。
茜の活躍はスコアに如実に表れる。向こうのリングにボールを通し、相手の攻めは許さない。彼女自身の動きは言わずもがな、長谷川をはじめ他メンバーの動きにも活力が宿っている。茜の馳せ参じたことによって試合の趨勢はほんの少しずつだがこちらに戻ってきた。
しかし時の歩みは止まってはくれない。
折角差は縮まっていくのに残り時間はじりじりと減っていき、残り30秒となる。向こうが有利の一点差。ボールはこちらが持っており、ここで決めるしかない。
こちら側は長谷川のみを守りに配し、他全員で前に行く攻撃的な展開を見せる。ここで取れなければ負けるのだから攻めを重視するのは当然だろう。対して敵は各選手をマークしながらも茜を注視して陣を固める。敵からすればこの場面を防げば勝利を掴めるのだから、無理に攻めず強力な茜の動向に気をかけているようだ。
「真由!」
茜が仲間にパスを飛ばす。しかしそこに猫のようなしなやかさで敵がボールを掠めとった。真由と呼ばれた少女は機転を効かせてなんとか奪い返すも、攻勢に転じることはできず再び茜に戻してしまう。
死守せんとする相手の布陣は固く攻めあぐねていた。
残りタイム20数秒。
ビートを刻むようにボールをつき、彼女は徐に口を開いた。
「真由ちゃん。カバーリング上手くていつも助かってたよ」
何事かと、突然独りごちる茜にチームメイト皆が戸惑いを浮かべた。
「智ちゃんはチームの間を取り持って過ごしやすくしてくれてた」
味方だけでなく敵も茜の奇妙な様子を前に対応に困っていた。
「沙紀ちゃんはオフェンスよくついてきてくれて頼もしかったんだ——ッ!」
茜を阻む相手が予測不能な事態に味方と顔を見合わせたタイミング、茜の足が力強く床を蹴り出す。つま先の軸を突き立て、側方をダンスのように回りながら抜き去った。
「止めて!」
相手の主将が喝を入れるように喉を鳴らした。それを合図に硬直していた選手が再起動され、全員が茜に迫る。
「ほんとは皆に、もっとちゃんと伝えたいけど、今は——ッ!」
跳躍。
その体はコートの赤い線を越えてはいない。
大砲を撃ち出すようにボールが手を離れた。
「スリーポイントシュート……!」
私は手すりを強く引き寄せながらボールの軌道を追う。
チームの勝利を託された渾身の一球は空中を疾った。一秒にも満たない物体運動が何十秒にも引き伸ばされたフィルムみたいに目に映り、私を強張らせる。
茜の体が落ち、チームメイトは弾道を見守り、相手は自陣を振り返る。
破裂音が響いた。
それはボールがゴールボードに衝突する音。
ボールは弾かれたのだ。
「あっ……」
どこからか短い呟きが聞こえた。それは眼下の選手か観客かそれとも私か。
安堵と諦観の二色に塗りつぶされたコート。
しかしそこには燦然と輝き己を主張する別の色があった。
「後は任せたよ! 希美ッ!」
それは燃え尽きることを知らぬ、滾る茜色。
「ぬうおぁぁぁぁッ!」
茜が集めた注目の裏、長谷川は自陣から懸命に風を切っていた。
その走りは追い抜いた茜の髪をそよがせる。
茜の声が背中を押して、その長躯が翼を得たように飛翔した。
高く。高く。
その手が落下するボールをしっかと捕まえた。決して逃がさない。
「行っけぇ!」
「長谷川!」
「届けえええぇぇぇぇ!」
弓なりに反らした背がロックを外されたように勢いよく弾き戻された。そしてその力のままにボールをリングへと叩きつける。
直後試合終了のブザーが会場を黙らせた。
リングを通ったボールが床で弾む音だけが鳴り響く。
そしてこの場にいる全員が得点板へと目をやった。
「……勝ってる」
いつの間にか私の口はそんな言葉を溢していた。
最後の長谷川のゴールに二点の得点が認められ、敵チームに一点差をつけている。
勝利だ。
「「「わあああああああ!」」」
間欠泉が吹き出すみたいに観客席がドッと湧き上がった。学生が、老人が、小さな子供が、皆揃って立ち上がり、手のひらを打ちつけて選手を讃える。オリンピックとかワールドカップの中継で見るような観客席が目の前に広がっていた。
拍手の雨を浴びながら、下では選手たちが身を寄せあって歓喜している。その中心は茜と長谷川だ。
相手チームの寄せつけない布陣、それを突破すべく茜が出した術はアリウープだった。茜がコートの注目を一身に集め、その隙に長谷川は身構える。そして長谷川を信じた茜のパスは、茜を信じた長谷川の手でリングに導かれた。
二人の信頼があるからこそできる以心伝心のコンビネーションプレイが決まったのだった。
ったく、熱いものを見せてくれる。
私はずれたメガネの位置を直した。柄にもなく叫んでしまったではないか。
抱き合う彼女らに無意識に口が緩む。
おめでとうって感じかな。茜。
全てのコートで試合が終わり、波が引くように選手が捌けていく。
そんな中コート際で一人、削り出された彫刻のように佇む人物がいた。
彼女は幾許かその姿勢のままいて、深く頭を下げた。誰もいないコートに捧げられた礼は感謝か惜別か。どちらにしてもその背中から感じる寂寥は、手すりを掴んだままの私の気持ちを少し重くさせたのだった。
このまま大会優勝というお祝いムードで明るく今日という日を締めくくりたかった。
だけどそんなことは叶うはずないと私も茜もかねてから薄々気づいていただろう。
茜は大会とは違う別の目的も持ってここに来ているのだから。




