2月下旬 25話
午後の試合開始のブザーがけたたましく鳴る。
どうせ勝つんだろうけど。消化試合ね。
料理講習会の予定はまた後で決めるということになり、長谷川と連絡先を交換したりどこでやるかとかを少し決めた後、私達は話をそこそこで切り上げた。昼食は余ってしまったが茜がお持ち帰り。この気温なら食中毒も心配ないだろうし、レンチンしてきっとご家族で美味しく頂かれることだろう。心ゆくまで楽しんでいただきたい。
午前とほぼ同じ席からコートを見下ろす。ボールが弾む音とシューズのゴム底から生まれる鋭い摩擦音のアンサンブルは相変わらず止めどない。昼食で力を漲らせた選手の勢いでなお一層激しいといえる。午後の試合は勝ち残った強者揃いだからというわけもあるだろう。
茜の試合をぼんやりみながら、周りにも気を巡らす。
午前より人増えたよね、この辺。
私の周りの空席は目に見えて減っており、ひそひそとした囁きが耳に滑り込んでくる。そのワードはかっこいい、だのすげぇ、だの彗星の茜、だの。あからさまに茜が気になって集まったようだ。出で立ちから分かるが、その中には午前の試合で敗退しフリーになっている選手も結構いる。
そして彼ら彼女らの注目の的、文字通り我らがスター、彗星の茜は流れるように走り回っていた。
ボールを奪い、投げ、駆ける。
今までの疲れなど一切感じさせないその身のこなし。相手チームはまたも翻弄されているのだった。
……?
しかし私は気づいてしまった。
活発な体とは裏腹にその瞳にはさっきまで眩しかった輝きが宿っていないことに。そして隅にはどこか物憂げな一点の翳り。
今の茜は心の底からバスケを楽しんでいるようにはお世辞にも見えない。キャプテンとして激を飛ばす一幕があっても、周りの誰もがその事には気づいておらず、それがまた薄ら寒さを感じさせた。
2クォーター目が終了し試合はハーフタイムに入った。コート、観客席の両方が束の間の休息の時間になる。
自然と茜を追ってしまう目を抑えられるわけもなく私はメガネを直して彼女を捉える。彼女はコーチと二人きりで話をしていた。それも深刻そうに。
どうしたのか。動きには問題ないように見えるけど……どこか痛めた?
その後も茜の行動は異質だった。
第3クォーターからは茜は攻めの姿勢を一切見せず、ディフェンスに転じていた。広くコートを捉え後方指揮、前線は長谷川が担っていた。
オフェンスだからといってディフェンスの力が劣っているわけではない。それを証明するように茜は鎮守神として鉄壁を築いて、重ねたポイント差を守り抜き見事試合に勝利を果たす。
しかしその後の試合の茜はまさかのベンチ入りだった。
陣頭指揮を執るは長谷川。茜は思いを馳せるように、自分のチームメンバーの攻防をただ見つめるばかりだった。
『あの子たちを来年の試合に連れてくことが私が最後にできること』
大会が始まる前の言葉を思い出す。
そこで私はようやく気づいた。
そっか。茜は今日が最後の公式試合だから。
つまりそれはメンバーと轡を並べるのも最後だということ。彼女の心境は相克しているのだ。もっと一緒に戦いたいという気持ちと仲間の力を信じたいという気持ちが。
茜が入ればまず負けることはない。しかしそれは茜がいることで得られる結果であって、残されるメンバーで勝ち取るものではない。このチームに今後必要なのは茜無しで戦い抜く力。彼女はそれを見ている。
茜の祈りのおかげか、チームは無事にトーナメント決勝戦に進出。これが正真正銘の最後になるが茜はそのままベンチ入りだった。
観客席も少しざわめく。さっきからずっと彗星が姿を現さないのだ。彗星の戦いぶりを見ようと集まった観客には少々物足りないのかもしれない。
茜、このまま出なくていいの?
決戦の火蓋が切られた。
攻撃的な気立ての長谷川を司令塔としてチーム全体が猛々しく猛進する。対する敵もここまで勝ち進んできた勇士達であり、一筋縄で片付く相手ではなかった。精鋭同士の一進一退の攻防が続く。
このままだとまずいかもな。
私は俯瞰しながらこの盤面を分析する。長引けば長引く程うちのチームは不利になるかもしれない。
そして予想は残念ながら的中してしまった。
試合が進むにつれ相手の点数がややリード。長谷川の爆進ともいえる攻めの姿勢は確かに強力だが体力の消耗が激しい。生半可な守りなら容易く正面突破できてきたが、今回の相手は堅牢過ぎた。消耗した体力と元々薄い防御のポジショニングも相まって押され気味になっていく。時折メンバー交代が入っても、ハーフタイムのコートチェンジがあっても状況は難しいままだった。
そんな中でも茜は仲間の入れ替わりの横で静かに佇む。
劣勢に立たされた長谷川の表情が険しくなっていった。
あいつ絶対負けず嫌いだからここからもっと沼に沈むかもしれないし……。
得点差は縮まらず、徐々に広がっていく。そして得点差は不安と焦りに変質してメンバーに伝播していくという悪循環に陥る。
このまま押されきってしまうのか、というとき冷水を浴びせるようにタイムアップの報が場をつんざいた。インターバルだ。各々が持ち場を離れてベンチに戻っていく。
はぁ……これでとりあえず落ち着けるでしょ。
いつのまにか前のめりになっていた自分に驚きながら、ほっと胸を撫で下ろした。普段はスポーツなんか興味無いのに、変にハラハラさせられてしまう。全く困ったものだ。
試合の流れとしては次で最後。ここで押し返さないといけないけど……。
幾分が経ち、試合再開かというとき、私の側で声が上がった。
「ねね! あれが彗星じゃない⁉︎」




