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2月下旬 20話

「まりーってば私との先約があるのに、待ち合わせなんてダブルブッキングだよ。ひどーい」

「違くて! 誤解! ここが茜との待ち合わせ場所だと思ってて他に誰かとか……てかどしたのその格好⁉︎」

 

 驚きながら、返事して、ツッコミを入れるでてんやわんやだ。

 

「へへーん、似合う? ここの制服だよーん」

 

 茜はスカートの裾を持ち上げて膝を少し折ると慇懃に挨拶してみせた。確かカーテシーとかいったか。ヨーロッパの伝統的な挨拶だ。かなり板についていて上品にこなしている。

 

「でも彼女の予定があるのに、他の人と待ち合わせなんて……まさか浮気⁉︎」

「だから違うわ。あと声でけぇ」

 

 周囲のお客さんにさえ浮気だとか誤解されるたらたまったものではない。そもそも浮気が糾弾きゅうだんされる関係とは思ってないが。

 

「冗談だよ。まりーは約束守れる子だからね」

「やめてよ。茜はここで働いてるの?」

「そうそう。週二とかあんまり多くはないけど、すっぱだかでバイトしてるの」

 

 そこだけ聞いたら語弊しか生まない。声に出して読みたくない日本語だ。

 

「今日はバイトしてる私を見てもらおうかなーって。ほら〜メイド服だぞ〜」

 

 くるーっと回ってフリルを膨らませる。

 

「はいはい、可愛い可愛い」

「可愛いって言われた〜えへへ」

 

 私は一旦落ち着くためお冷を口にしながら片手間に褒めておく。

 

 こんな棒読みでいいのか。

 

「店員さんがお喋りしてていいの?」

「大丈夫大丈夫。マスター優しいし、お客さん少ない時間を選んで来てもらったから。でもお一人様ワンオーダーお願いしまぁす」

 

 茜は柔和な笑顔を浮かべた。バイト中だから営業スマイルかもしれない。

 

「了解。おすすめは?」

「はい。当店パスタが自慢でして、おすすめはマスターの朝のニュース番組の星座占いによって決まる日替わりパスタです。今日はさそり座が十二位でしたので『もう最下位で下がることないから明日は希望しかないなペペロンチーノ』ですね」

「じゃあカルボナーラで」

「なんで聞いたし」

「いや店員としてちゃんと説明できるか試しただけ。てかツッコミどころしかない日替わりメニューよ」

 

 やっぱりこの店はネーミングセンスがおかしいのかもしれない。

 

「余談ですが、昨日は一位だったので『超絶好調だけどあとは落ちるのみペペロンチーノ』でした」

「日替われよ」

「ただのマスターの気分だから。ではそちらのメニューをお下げします。カルボナーラ、少々お待ちくださーい」

 

 言い慣れているだろう決まり文句を述べて立ち去る。メイド服を苦もなく着こなしていてウェイトレスとしての仕事も実に熟達していた。

 

 バイトしてるのは知ってたけどもこういうとこなのか。

 

 他の客に呼ばれて、はーいただいま、とすぐに駆けつける。食べ終わった食器を素早く片づけたり、ウォーターピッチャーを補充したり。

 言われた通り、私にとって働く茜は新鮮だった。

 

「お待たせしました」

 

 しばらくしてカウンター内から湯気立ち昇る大皿が差し出された。

 

「おお」

「召し上がれ」

 

 盛り付けにも趣向が凝らされており、カルボナーラソースを被ったパスタが円錐に盛られ、すぐそばに金色こんじきの旨みを今にも吹き出しそうな半熟卵が寄り添う。ブラックペッパーはパラっと全体に散らされていた。

 

「言っとくけど、パスタで一番好きなのカルボナーラだからね」

 

 好物なのだから審査は厳しいぞ、と言外に匂わせる。それに対して茜は澄ました顔で料理を顎で示した。

 

 私だってソースから作ることあるし。

 

「いただきます」

 

 まずは卵を割らずにいただく。

 スプーンとフォークでくるくるくる。

 ベーコンを一片乗せて口へ。

 もぐもぐもぐ。

 

「いかがですか?」

「……」

 

 ふむふむ。

 食器をナプキンの上に静かに置いた。

 

「素晴らしいでございます」

「いえーい!」

 

 私は深い一礼をもって感激の意を示した。目の前の料理はそうしなきゃいけないと従わせるような絶対的な美味しさを秘めていたのだ。

 

「ふふん、すっぱだかのパスタを舐めるなよ」

「冗談ぬきで美味しい。なんでこんなクリーミーで奥深い味なの?」

 

 質問しながら早速次の一口をくるくると用意する。

 

「隠し味にはなんとコーヒーとクリームチーズが入ってるのです」

「え、コーヒー? どうやって作るの。レシピ教えてよ」

 

 私は聞き漏らすまいと急いでカバンを空けて筆記用具を掴む。しかしその手は茜に押さえられてしまった。

 

「ここから先は教えられませーん。企業秘密」

「え、ダメなの?」

「ダメです」

 

 ぶぶーっと口をすぼませて腕をバッテンクロス。

 

「ここの売りのレシピ漏洩したらクビになっちゃうよ」

「あんたどうせもうやめるじゃん」

「あーまりー。そういう言い方デリカシーないよ。はい3000ノンデリポイント。私辞めた後も有効な秘密保持契約してるもん」

「ぐぬ、こんな小さい店なのにそこは抜かりないのか」

 

 いや、こういう店だからこそ他との差を守っているのか。

 

「そんなに知りたいならここでバイトすればいいじゃん。まりーの言う通り私辞めて一人空くし、家で作る分には問題ないと思うよ」

「バイトかー。したことないし、これから受験だしな」

「まりー次第よ。大きな声で言えないんだけど時給とか待遇とか結構優良なのですのよ。おほほ。あ、はーいただいま!」

 

 朝っぱらから住宅街の一角で駄弁るマダムみたいのような仕草で耳うちすると、呼び声に飛んで行った。

 

 バイトねぇ。うま。

 

 確かに注意深く味わってみれば味蕾みらいでチーズを感じることができた。だがコーヒーはやっぱり分からない。隠し味の名の通りしっかりと隠れているけども、コーヒーがいなくなってしまうと味は変わってしまうのだろう。正に影の功労者だ。

 

「もし働きたいって言うならマスターに仲介してあげるからね」

 

 戻ってきた茜はカウンターで頬杖ついてお喋り再開。忙しくないってこともあるだろうが、ここまでの態度でも許されるということはやっぱり働きやすいのだろう。

 

「でもお金には困ってないしなぁ。それにアルバイトって大変そうだし」

 

 私のお財布事情は、お年玉とかの収入はあっても単純に使い道がそんなに無いから口座から出ていかないのだ。

 

「でも働いてみたら色々変わるかもよ」

「変わるねぇ。あ、そうだ」

 

『変わる』という単語で道中の長谷川との会話を思い出す。

 

「さっきそこで長谷川と会ったんだけど」

「おお、希美ちゃんね。希美ちゃんもパスタ食べていったんだよ。ボンゴレビアンコ」

「へー用事ってここだったのか。意外とグルメなんだな」

「頻度多めに来てくれるんだよ。嬉しいねー」

「ふーん。で、私言われてたんだよね。『お前変わったよな』って。他の人と話すこと多くなったよなみたいな。でさ、茜から見て変わってる?」

 

 自分としては特に感じとってはいないが、自覚がないだけだろうか。客観的な視点がないと分からない気がする。

 茜が思案しているうちに私はパスタを口へ運ぶ。

 

 んなー美味しい。もう好き。

 

 果たして茜は口を開いた。

 

「うん。変わってる。人間らしくなった」

「あれ私ディスられてる? 今まで人間じゃなかったってこと」

「人間じゃないでしょ」

 

 おい。

 

「今まではずぅーっと他人なんて空気か石ころみたいに思ってたでしょ? 寄せつけない壁つくってたし。そのくせ頭いいからもう人間じゃないじゃん」

 

 そう言われると否定できない。全部当たっている。

 

「でも最近ちょこーっと人当たり良くなったよね。ちょっとずつだけど確実にさ。朝とかおはようって言われるようになってるし、返してるし」

「とりあえずしてるだけ」

 

 私はお冷に口をつけた。

 

 そういえば挨拶増えたな……。

 

 それにクラスメイトとの会話も増えた気がする。茜と二人でいるとき、茜に用事があってやってくる生徒と取り止めのないテーマで言葉を交わすことがあった。いつの間にか会話の輪に入っていたという事もしばしばだ。

 

「コミュニケーションの基本は挨拶。この前ね、仲良い子とお喋りしてたんだけど、『紫水さんって実は面白い? 茜と楽しそうに話してるから私も仲良くしたいなぁ』っていう子いたよ。そういう子が関わり持ちたがってるんだよ」

「うーん」

 

 私はコップから落ちた結露を擦った。爪の隙間に冷たい感覚が沁みてくる。

 

 私と仲良くしたいなんていう人いるんだ。

 

 てっきり私が他人に注目しないのと同じように、他人も私なぞ眼中にないと思っていた。

 

 他人に注目してないなんて本当か、紫水茉莉花。もしそうならさっきの長谷川との会話なんて生じなかったはずだ。

 

 コップの水面で揺らぐ自分に自問。

 

 そっか私、他人の長谷川に一瞬でも興味を持ったんだ。しかもそれを心に留めるだけでなく、口に出した。私の心の目はバイクに跨るライダーではなく、ライダーの長谷川に向いていたのだ。

 

「ふふっ」

「どした? 怖」

 

 にわかに肩を震わせる私を茜は怪訝に見つめた。

 

「いや、ほんとだ。変わってるわ私」

 

 皆に並列するのが嫌だった。

 私は違うから。

 良い意味でも悪い意味でも。

 だから言葉なんて必要最低限しか交わさないし関心も持たない。

 

 だけど今も悪くないかもな。

 

 カタッという食器の音。目の前にソーサーに乗せられた白磁のマグカップが置かれ、黒い液体から香ばしい匂いが漂う。

 

「私の奢り。君が変わったと言ったから、今日はまりー記念日」

「中途半端な俵万智ありがとう」

「ふふ、まりーが少しずつだけど、良い方向に進んでくれてて……私は嬉しいな」

「どうして茜が喜ぶの?」

「べっつにー」

 

 ピピピという食洗機のお知らせ音が鳴る。その言葉を最後に店員は厨房の作業に取り掛かってしまった。

 

 コーヒーはやはりブラックに限るね。

 

 深みのある香りを鼻に遊ばせてから一口。ホッとさせてくれる苦味が身体の内側をシャキッとさせてくれる。リセットされた味覚で再びカルボナーラを頬張り、私は麺一本残すことなく平らげた。

 

「ご馳走様」

「お粗末様でした。もう行っちゃう?」

 

 お皿を下げてもらいながらカップ片手に腕時計を確認。この後用事もないし、外の明るさも問題ない。

 

「うーんまだ……」

 

 紫水茉莉花、ここでちょっとしたイタズラ心が湧く。

 

 あ、そうだ。茜をびっくりさせてやろ。事実だしちょっとふざけてもいいでしょ。

 

 深い意味はなく、予想だにしないだろう言葉をしたり顔で準備する。

 そして指を絡ませるように手を組み、上目遣い。

 準備完了。

 数多の演劇を見てきた私が、演者さんを思い返して考えたイイ感じ(?)な女性のポーズだ。

 

「メイドの茜が可愛いからもう少し眺めてるよ」

 

 パリンッ。

 

 飲食店で響けば誰もが目を向けてしまうに違いない音で店内の視線が一気に集まった。なにが起こったかは見ずとも分かるだろう。

 

「ま、ま、ままままりーが! 変わってる!」

 

 赤く色づかせた頬を必死に隠す茜を認めて、あとで全額弁償してやろうと決意した。

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