15 猪の水車亭
彼女は酷く怯えて、焦燥していた。
最初に聞いた時はひどく簡単な仕事だと思ったが、蓋を開ければその中は文字通りの地獄だった。
褐色の肌に明るめのブラウンヘア
冒険者特有のガタイの良さの中にも
女性特有の線の細さを兼ね備えた鍛えられた女が
カンテラの灯りの中強張った顔で、
ぶつぶつと何事か呟いていた。
部屋の暗さとここ数日間は寝ていない女は、恐怖と焦りの中でギラついた目だけが暗闇に不気味に浮かぶ。
「か、カーネリアスがあの様に
いとも簡単に…
支部長様は大した強さも無いって…あんなバケモノ!無理だ!」
ガタガタと震える右手を押さえる様に左手で包み込んで強く握りしめる。
巨大な範囲攻撃魔法
あの様な規模など見た事もなく、属性に至っては想像すらも出来ないものだった。
一瞬で大地を消し去った天地創造級の人知を超える力に私は恐怖した。
それにあの恐ろしい殺気と
その巨大な影から覗く何物も滅さんとする
闇に浮かぶ光る虹色の二つの目。
まさかあれは私を見つめて居たのでは無いだろうか?
あの目が脳裏から離れないのだ。
夜の闇に紛れてこっそりと遠くから監視してみたものの、あっさりとこちらに視線を合わせて来る少女の形をした存在のあの瞳が
今もべっとりと私の背後に迫ってくる幻視を見せる。
祟り神の触り。
我々は開けてはならぬ扉に手をかけたのかも知れない。
「元々の任務を、す、遂行して…か、早くこの街を一刻も早く離れねば!」
最早恐怖と狂信の狭間で壊れかけた彼女は
ブルブルと震える唇を血が流れるほど噛み締めて、
夜の闇へ消えていった。
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西街の一角に店を構える、
猪の水車亭は冒険者に人気がある。
宿泊と食事が出来るフロアを持った店で、
ロックボア料理が名物でそこそこの
有名店である。
店主の無愛想が売りのカイ・コンラッドと、
声が大きな女将のリダと、看板娘のアリーナが切盛りする繁盛店だ。
西街でもギルドに近くあった店は大きな被害が無かった為、ようやく落ち着きを取り戻しつつあった街の活気と共に忙しい店の喧騒が戻ってきていた。
店主のカイは冒険者時代に作り上げた筋骨隆々の身体で腕組みして厨房からフロアを見ると、満足気に頷く。
一時は店を放って置いてでも炊き出しや救助に奔走もしたコンラッド家の人間だが、やっと店に戻り今まで通りの猪の水車亭が続けられる事に感謝をしていた。
スルトが怪我をしたと聞いた時は、飛び出そうとしたアリーナとリダを必死に引き留めた。
何が起きているのか見当もつかなかったがそれでも、桁違いの瘴気と魔力の満ちる西門の近くへは決して行かせる訳にいかなかったからだ。
それから血の海の中で倒れている水色の青年が居たと聞いた時のアリーナは焦燥とした顔で取り乱していた。
数日後ギルドに出入りしている冒険者の一人が見かねて知らせてくれたのだが、青年が無事生きて居ると知った時はアリーナもリダもほっと胸を撫で下ろして、会える事を忙しさの中で楽しみにしていた。
それから更に数日後に見知らぬ女性二人と、
水色の髪の青年を見かけた時には、アリーナは駆け出していた。
しかし、駆け寄る途中でアリーナは大きく驚き目を見開く。そしてみるみる泣き出しそうな悲しげな顔が浮かぶ、
生きていると聞いてどうして無傷で帰って来るのだと思っていたのだろうか?数日間何も心配する事なく会える事だけに浮かれていた自分はなんて馬鹿だったのかと思うと、
見開かれた目からは大粒の涙が溢れてきた。
リダも遅れて駆けつけてきてやはりその目は
大きく見開かれる。
「あんた…それは…」
カイも絶句する。
「ご心配おかけしました。腕は無くしてしまいましたが、彼女達のお陰で生きて戻れました。」
生きて戻れた。
その言葉の意味はアリーナ達に重く降りかかった。
「そうかい…まあゆっくりしていきな、色々と心配しなさんな」
リダは優しい言葉をかけてくれる。
カイは難しい顔のまま頷いてくれている。
二人は元冒険者で今は引退した身だが、
冒険者時代には死んでしまった仲間も、怪我で引退した知り合いもいたのだろう。
「わ、私ッ」
アリーナは堪えきれずに涙を流して泣いた。
黒曜はずっと僕の影の中に居るみたいだ。
アリスとオリビアも居るけど大丈夫だよね?
それから僕らは、これから街を出て
エドガードへ向かう事を話して
長い間お世話になった事を感謝した。
急ではあるが準備が整い次第出発する事、
最長で一年と長い旅路になる事を話した。
「旅路に立つ奴らに、辛気臭い顔を向けるんじゃ無いよアリー、カイあんたも!別に今生の別れって訳じゃ無いんだろ?生きてりゃまた会えるさ。更に強くなって帰って来るんだよ」
そう言う優しい人なんだリダさんもアリーナもカイさんも。
その日は彼らと共にアディとフラン、アリスにオリビアも席を囲みみんなで一緒に酒を飲みささやかな宴をして、夜はふけていった。




