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東条英機
⑧東条英機(第40代)
1948年12月23日、連合国により絞首刑。
太平洋戦争開戦時の指導者。
開戦派だったが、天皇の意向を受け首相になってからは非戦に奔走。
しかし、陸軍を抑えることができず開戦してしまう。
開戦後はリーダーシップを発揮したが、反対派への弾圧、ほとんどの大臣を兼務、陸軍大臣と軍参謀長の兼任という強硬姿勢を取り続けた姿勢は「東条幕府」と批判され、陸海両軍のほか、文官、重臣、右翼勢力までも敵にまわした。
サイパン島の陥落後も首相の座にしがみつこうとしたが、内大臣木戸、さらには昭和天皇にまで見放されて総辞職。
戦後の東京裁判において平和に対する罪等で死刑を宣告された。
この裁判の正当性については一部疑わしい部分がある。