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広田弘毅

⑦広田弘毅(第32代)

1948年12月23日、連合国により絞首刑。


総理大臣期の国策基準、日独防共協定、特に日中戦争期の外務大臣としての責任で訴追された。


広田弘毅は二・二六事件の直後に首相に就任した。

すでに陸軍の政治への介入は避けられないものとなっており、軍備の拡張、中国戦線の拡大、軍部大臣現役武官制の復活、日独防共協定など、のちの太平洋戦争に繋がる道が着々と整備されたことが決定的な要因になるだろう。


彼自身は穏健派だったこともあり、軍部に責任を押し付ければ無罪になるとの見方が強かったものの、広田は天皇に責任が及ぶことを恐れて黙秘を貫いた。


その結果として死刑判決が下ったが、この判決は日本国民はおろか、連合国からも疑問を呈された。


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