余談:岡田啓介
余談:岡田啓介
岡田啓介は二・二六事件の時、首相であった人物である。
高橋是清や斎藤実など、重臣たちが次々と殺害されていく中、岡田啓介は奇跡的に無事であった。
岡田啓介も斎藤実と同じく海軍穏健派の代表であった。そのため、事件では首相官邸が襲撃を受ける。
首相官邸は占領され、庭にいた「老人」が射殺された。
興奮状態の反乱軍は、岡田啓介を殺害したと満足したが、実際に殺害されたのは岡田の義弟で秘書官を務めていた松尾伝蔵であった。
本物の岡田は首相官邸の中で女中部屋にかくまわれている状態であった。
岡田の生存を察知した秘書は岡田啓介救出作戦を立てる。
首相官邸を占拠する反乱軍の監視の下で首相官邸への弔問が許可された際に、岡田啓介と年齢や背格好がよく似た老人をかき集め、弔問客の出入りに紛れて岡田を救出する作戦を立てた。
この作戦は無事に成功して岡田は首相官邸からの脱出した。
事件後、岡田啓介は非常に心を痛めて昭和天皇から自殺の心配をされるほどだった。
しかし、そこから立ち直ると、アメリカとの戦争を避けるために力を尽くした。太平洋戦争が始まった後も、終戦の機会をうかがっており、反東条英機派をまとめた。
終戦を主導した鈴木貫太郎内閣の背後にも岡田啓介がおり、アメリカからは戦前日本の数少ない平和主義者と称えられた。