浜口雄幸
③浜口雄幸(第27代)(在職中)
1930年11月14日、右翼に銃撃。(死亡は1931年8月26日)
東京駅で右翼活動家に銃撃された。
原因は統帥権干犯問題である。
当時、アメリカやイギリスとの対立が段々と深くなっていく中、浜口は協調外交を展開した。
アメリカの警戒を払拭するため、ロンドン海軍軍縮条約に参加し、海軍の軍縮を行ったのである。
しかし、これが大問題を引き起こした。統帥権干犯問題である。
統帥権とは軍を動かす権限であり、天皇は軍部にこれを与えていた。
(野球で言えば選手を動かす監督。)
一方、編成権は軍の兵力量を決める権限であり、天皇は軍務大臣(つまり内閣)にこれを与えていた。
(野球であれば選手を獲得するGM。)
さて、「海軍の軍縮を行う」というのは統帥権と編成権のどちらであろうか?
、、、編成権だろう。海軍の兵力量を決めるのだから。
実際、浜口も「これは編成権だから俺の内閣に権限がある」として軍縮を行った。
しかし、これに軍部が猛反発したのである。
「これは統帥権だ!畏れ多くも天皇陛下から軍部が任されている統帥権を無視するとは何事だ!」となったのだ。
軍縮を統帥権の範囲とする軍部の主張は無茶苦茶なものであった。
しかし、「浜口雄幸は統帥権を干犯した!天皇陛下を侮辱するものだ!!」と軍部が主張を続けたため、「なに!?浜口は天皇陛下を侮辱したのか!!」と思い込む馬鹿が現れる。
こうして、浜口は右翼の活動家に襲撃された。
当初は一命をとりとめたが、その後の活動で無理がたたり、襲撃の傷が悪化して亡くなった。
ちなみに逮捕された犯人は
「濱口は社会を不安におとしめ、陛下の統帥権を犯した。だからやった。何が悪い」と供述したが、「統帥権干犯とは何か」という質問には答えられなかったというエピソードがある。行動力がある馬鹿を表したエピソードだ。