22.マリアの思惑
「ご用意は整いましたか?」
清涼の館の女官が、紫龍を迎えにやってきた。
ケビンと相談のもと、現在一応紫龍はケビンの実家である名門アーノルド家の姫ということになっている。
有力な後ろ盾もあり、女官の対応も自然、丁寧なものとなる。
女官に手をとられながら、紫龍は緋色の絨毯の敷き詰められた回廊を歩む。
「あれ? こちらは……」
紫龍につき従ったエアリスは、見慣れた光景に、違和感を覚えた。
「ええ、こちらは承香の館でございます。
まずは今日宴にお招きになったご令嬢の皆さまに、王妃様からご挨拶がございます」
王妃の謁見の間には、三十から四十人ほどの、着飾った妙齢の子女たちが一堂に会していた。
王妃はひとつ咳払いをした。
「皆様、本日は我が息子、クラウドの皇太子就任の前祝いの宴に、よくおいでくださいました。
皆様もご存じの通り、我が息子クラウドには正妃としては政略の手前、
大陸の西の国、アストレアより男子の正妃を迎えており、未だ、子がありませぬ。
しかし立太子としてその立場を明らかにした以上
世継ぎを設ける事は国を護るために必須のこととなりました。
そこで皆様には、この国の未来のためにお力をお貸しいただいたのです。
クラウドの妻となり、公私に渡りクラウドを支えていただきたいのです」
王妃の言葉に、エアリスが顔を顰めた。
乙女たちは皇太子クラウドの妻のポジションを狙い、皆舞いあがっている。
「まあ、あのお美しいクラウド様の妻になれるだなんて、なんという光栄」
乙女はぽっと頬を染めた。
「あら、あなた……たかが子爵の身分で大それた夢を見ていらっしゃるのね」
その横で、公爵家の娘がほほと笑った。
「婚姻は家柄だけで、選ばれるものではなくてよ?
あなたこそご自分で鏡をご覧になったことはあって?」
にこやかに笑いながら、乙女たちが互いに毒を吐き合う。
(女って恐ぇ~)
殺気立った乙女たちを遠巻きにして、紫龍は距離を取った。
「なあにが、公私に渡り……よ。
所詮側室なんて、単なる世継ぎを生む道具ではなくて?」
エアリスが悔し気に呟くと、紫龍は目を伏せた。
例えそこに感情がはいってなかったとしても、紫龍が一度クラウドを愛してしまった以上、
クラウドが紫龍以外の人と契りを結べば、紫龍は海の泡となって消えてしまうのである。
紫龍は小さく溜息を吐いた。
「大丈夫ですよ。紫龍様。
紫龍様はそんなにも愛らしくいらっしゃるのですから、
絶対にクラウド様はもう一度紫龍様を愛しますって」
エアリスは不安げな紫龍を励ますようにいった。
そうなのだ。
これはもはや惚れた腫れたとか、見合いとか、そういう生ぬるい次元の問題ではなくて、
自身の命をかけたサバイバルなのだ。
(この女装姿でクラウドを落とさねば、俺に未来はない)
紫龍は決意の満ちた瞳で、きっと前を見据えた。
◇◇◇
「なあ、お前、どの娘が一番だと思う?」
清涼の館に招かれた貴族の子弟たちが、
好みの女性の話で盛り上がっている。
「俺的には、子爵家のエリザベス嬢かな。やっぱり巨乳が一番」
顔にニキビの痕が残る公爵家の跡取りが言った。
「えー、まじかよ? つうか、絶対あれ胸パットだぜ?
だってあいつ高一のときぶっちぎりのA カップだったもんよ」
父を外務次官にもつ、少し神経質そうなメガネの青年が鼻で嗤った。
「ふん、貴族の子女なんぞ、みんな高飛車で性格悪いに決まっている。
それよりも優しくかしずいてくれるメイドだ。
メイドマニアの俺としては、やっぱり伯爵家のリリアンヌ嬢につき従っている、ミリアちゃんだろう」
母を皇族に持つ、実業家の息子は巨漢を揺すり、額の汗をハンカチでぬぐった。
「しかしまあ、どいつもこいつも、精一杯飾り立ててはいるが、
どれもどんぐりの背くらべ、大した美人はいなさそうだな」
父を大臣に持つ、彼女いない歴=自分の年齢の青年は、
そういって精一杯の虚勢を張ってみる。
やがて弦楽が甘美な旋律を奏で始めると、
招待客たちは軽やかにワルツを踏み始めた。
そして人々はその曲の終わる頃、広間にふっと現れたひとりの美少女に釘付けになるのである。
結い上げた艶やかな漆黒の髪に、深紅の薔薇の花飾りをあしらい、
それと同じ色の豪奢なドレスを纏っている。
黒目がちの瞳が、どこか憂いを帯びた神秘的な雰囲気を醸し出し、見る者全てを魅了する。
一同の視線が紫龍に集まると、エアリスは内心、ほくそ笑んだ。
(つかみ、オッケーですわ)
そして弦楽が次の曲に入る前には、紫龍にダンスを申し込む、男たちの列ができていた。
「わ……わたくし……ダンスは」
慣れない男たちの脂っぽい秋波に戸惑い、紫龍は後ずさる。
しかし男たちは執拗に紫龍を追いまわし、たまりかねた紫龍が広間を出た所で、
紫龍を脇の小部屋に招く者があった。
「こちらへどうぞ」
女官に手招きされて通された部屋には、
ブロンドの髪の美女が長椅子に優雅に腰をかけていた。
マリア・クラディスである。
「差し出がましいかとも思いましたがお困りのご様子でしたので、
お声をかけさせていただきました」
マリアは紫龍に向かって艶然と微笑んだ。
「いえ、実際困っていたので助かりました。ありがとうございます」
紫龍はマリアに礼を言った。
「ふふふ。あなた、こちらへいらして」
マリアは親し気に紫龍を自身の座っている長椅子の横に座らせた。
「あらあら、走った拍子にせっかくの薔薇の花飾りが乱れてしまっていますわ。
女の子はいつも身だしなみをちゃんとしなきゃね」
そういってマリアは紫龍の乱れた髪を直してくれた。
不意に鼻腔に甘い香りが掠めた。
不思議とその香りは、紫龍に昔母に抱かれていた頃を思い出させた。
母のような、姉のような温もりは、紫龍にとって決して居心地の悪いものではなかった。
その一方で、その温もりに身をゆだねてしまいそうになる自分を叱咤する自分がいた。
この女こそ、クラウドの記憶を操作し、
国を乗っ取ろうとしているハマン大臣の陰謀の手先となっている大法使い、マリア・クラディスなのだ。
容易に心を許してはいけない。
しかし、紫龍にはどうしてもこのマリアから邪悪なものを感じる事が出来なかった。
ドアのノックとともにクラウドが部屋に入って来た。
「体調が優ないと聞いたが」
クラウドの心配そうな表情に、紫龍の心が引き攣れた。
「いえ、大したことはありませんので、ご心配には及びませんわ」
マリアは力なく微笑した。
そういえばマリアの顔はひどく青ざめている。
体調が優れないというのも頷ける。
「そうか。ではこれを」
クラウドは手に持っていた花束をマリアに手渡した。
「まあ、美しい。ありがとうございます」
マリアはクラウドから花束を受け取り、微笑みながら目を伏せた。
それはまるでクラウドの好意に痛みを覚えるかのような苦しげな表情だった。
クラウドもそんなマリアの様子にどこか苛立った様子だった。
「ところでこちらの令嬢は?」
クラウドは視線を紫龍に向けた。
「今夜の宴に招かれたご令嬢のおひとりなのですが、
人に酔ったご様子でしたので、こちらにお招きいたしました」
マリアの代わりに女官が答えた。
「そうか、名はなんという?」
「し……」
クラウドの問いに、紫龍は言葉がつまった。
『紫龍』と答えてはいけないのだ。
『し』のつく姫らしい名詞。
紫龍の頭はフル稼働を始めた。
(し……シクラメン。だめだ姫じゃなくてなんかラーメンの名前みてぇだし。
し……志村けん……姫じゃなくてどっちかっていうと殿だろう)
「し?」
クラウドが続きを促す。
(嗚呼、思いつかん)
紫龍は頭を掻き毟りたい衝動に駆られた。
刹那である。
マリアが優雅な仕草でブロンドの髪をかき上げた。
その拍子に耳に大粒の真珠のイヤリングが垣間見えた。
「真珠です」
気がつくと紫龍は反射的にそう答えていた。
「真珠姫か。美しい名だ。覚えておこう」
そういって、クラウドが満足げに笑った。
「我が名はクラウド・リーニィ・グランバニアだ。よろしくな」
クラウドは紫龍に握手を求めた。
「わたしはそろそろ公務に戻るが、真珠姫はゆっくりとしていってください。
マリアも話相手ができて喜んでいるから」
そういってクラウドは部屋を後にした。
「わたくしもそろそろ広間に戻ります。
きっと共の者たちが心配しておりますから」
紫龍がそういうと、マリアは紫龍の耳元に低く囁いた。
「今夜、ハマン大臣がクラウド王子の暗殺を計画している。
あなたは近衛隊の隊長にこのことを知らせて、クラウド王子を護りなさい。
紫龍・アストレア」




