20.クラウドの記憶
霞のかかった視界の先で、誰かが泣いていた。
なぜかひどく懐かしくて、温かな感情が胸に満ちるのだけれど、
それが誰なのかはわからない。
華奢な肩を震わせて泣いているその人が愛しくて
「泣くな」といって抱きしめてやりたいのだけれど、うまく身体が動かない。
霞の中に消えていく、深い闇色の双眸を俺は確かに知っているはずなのに。
クラウドが目を覚ますと、そこには見知らぬ男がいた。
男と言っても自分と同じくらいの年齢で、
大層綺麗な顔をした少年だった。
「このボケっ! 倒れたっつうから、こっちはどんだけ心配したと思ってるんだ」
そしてなぜだかクラウドは起き抜けにその少年に殴られてしまうのである。
「痛ってえな! てめえ誰だよ」
クラウドは不機嫌に少年を睨み付けた。
「クラウド様、それはあんまりな言いようでございます。
紫龍様は昨夜、クラウド様がこちらに運ばれてから、
一睡もせずにご看病なさっておいででしたのに」
アルバートンがクラウドを窘めた。
「はあ? っていうか、アルバートン、
勝手に俺の部屋に俺の知らない奴を入れてんじゃねえよ」
クラウドはアルバートンを睨み付けた。
「はい? 一体なにをおっしゃって? 紫龍様はクラウド様のご正室で……」
アルバートンは口ごもった。
クラウドの中から、紫龍に対する記憶が消えているのである。
「正室? はあ? あはははは。
この俺が男の嫁なんてもらうわけねえだろ。マジきもいって」
クラウドはひとしきり笑い、紫龍に向き直った。
「出て行けよ、ここは俺の部屋だ」
それは紫龍がぞっとするくらいに冷たい声色だった。
いつの間にか部屋の外に女が一人佇んでいた。
「クラウド様」
ブロンドの髪の美女は艶やかに微笑んでクラウドの名を呼んだ。
クラウドはまるで操られるように彼女の手を取り恭しく口づけた。
「皆の者、よく聞け。彼女こそ俺の正妃となるべき人なのだ。
だから皆も心して彼女に仕えるように」
◇◇◇
(男の嫁はキモイ……か。さすがにヘコむわ)
紫龍・アストレアは自室に戻って、ベッドに倒れ込んだ。
「さあて、ドレスは何色にいたしましょうか? 紫龍様」
エアリスは黒猫特急便で急きょ国元から取り寄せた、
トラック一杯分の豪奢なドレスの山をかきわけ、小首を傾げた。
「いや……あのね……エアリス……ちょっと聞いてもいいだろうか?」
紫龍は少し遠い目をして、努めて言葉を選んだ。
「エアリス、君は一体何をやっているのかな?」
紫龍が目を瞬かせて、エアリスの奇行を見つめている。
「何って、ドレスを選んでいるのですわ。紫龍様」
エアリスがにっこりと微笑する。
「そう……っていうか、
この状況で一体エアリスは誰のドレスを選んでいるのかな?」
紫龍が不思議そうに小首を傾げた。
「もちろん紫龍様のドレスですわ」
エアリスはふんわりと微笑した。
「なんでも現在クラウド様がぞっこんになっているマリア・クラディスを
年増だからという理由で、王妃様がお気に召さないらしく、
どうせ側室を迎えるのならば、マリア・クラディスだけではなくて、
複数人の側室を迎えるようにお命じになったそうですわ。
今夜国王の住まう清涼の館で、クラウド様の側室を定める宴が仕切り直されるらしいです。
なので、紫龍様には……」
紫龍はエアリスが言葉を発する前に、きっぱりと拒否した。
「嫌なこった……誰が行くかよ」
紫龍は不機嫌にエアリスから顔を背けた。
「ちょうどいいじゃねえか、もともと俺は単なる人質だ。
あいつに側室を置くことをどうと言える立場じゃねえしな」
紫龍は心が引き攣れて、少し泣きそうになった。
「もっと自分に自信を持ってください。
紫龍様は正室ではありませんか!
その紫龍様を差し置いて側室をおくなど、断固として阻止すべきですわ」
エアリスは眉を吊り上げて、怒りを露わにしている。
「もう……いいんだよ。
色々心配してくれてありがと……な、エアリス。」
紫龍は力なく微笑んだ。
「お好きなのでしょう? クラウド王子の事が」
エアリスはそんな紫龍を見つめて小さく溜息を吐いた。
「もういいんだよ。考えてもみろよ、俺は龍族の血を引く半月で、クラウドとは生態が異なる。
ひとりの人間の中に男と女の両方の性を持った存在なんて、
初めから気味悪がられこそすれ、受け入れられるはずがない。
政略結婚の手前そんな俺と結婚する羽目になったクラウドのことを今は気の毒だと思っている」
エアリスは目を瞬かせ、そして小さくため息を吐いた。
「男の紫龍様も、女の紫龍様も、中身は同じ紫龍様ではありませんか。
そんなことよりも、さぁ、紫龍様、気を取り直してドレス選びですわよ」
そういうと、エアリスは腕をまくった。
「だからちょっと待てと言っている、エアリス。
いくら俺が龍族の半月とはいえ、一応見た目は男として分化発達をしてしまっている。
女物のドレスが似合うわけがないだろう」
紫龍の言葉に、エアリスがポカンと口を開ける。
「いえ、紫龍様なら女装でも全然OKだと思います」
そういってエアリスは紫龍の全身に視線を這わせた。
そしてしばしの間腕組をして考えこむ。
「確かにそのまま女装という手段を用いたとしても、
絶世の美女になられるのには間違いはないのですが、
まあ、側室候補ともなれば身体検査も不可欠でしょうし、一応本物の女の子になっちゃいましょうか」
そういってエアリスは鏡の前に立ち、紫龍の衣服を脱がせた。
「うわっ、ちょっ……エアリス、やめろ!」
鏡に映るのは紫龍の、薄く筋肉のついた均整のとれた男としての裸体。
その身体を見て、紫龍がため息を吐いた。
「初めから女の身体で出会っていたら……」
クラウドを失う事はなかったかもしれない。
躊躇い中で、思っても甲斐の無い思考ばかりを繰り返してしまう。
鏡越しにエアリスは小さく首を横に振った。
「そうではありません、紫龍様。姿形に関係なく、
紫龍様とクラウド王子は魂で固く結ばれております。
クラウド王子は、今は一時的に記憶を操作されておいでですが、それはきっと長くは持ちません。
そして、今から行う秘術も、紫龍様が恋をしてこそ、初めて成立するものでございます。
心から紫龍様がクラウド王子を欲するのでなければ、決して成功しない秘術なのでございます」
そういったエアリスの右手がすでに青く輝きを放っている。
紫龍は自身の身体にこれから起きる変化を受け止めるべく、目を閉じた。
身体が熱い。
その身を流れる遥か古の血脈の中に、自分が覚醒していく。
「紫龍様のからだを女の子に変える代わりに、
紫龍さまはその代償を払わねばなりません」
エアリスの言葉に紫龍は静かに頷いた。
「わかった、ではその代償に俺は一体何を支払わねばならないのだ?」
声だろうか、それとも目を抉りだせといわれるのだろうか、覚悟はしているとはいえ、
紫龍の手には緊張のために、じっとりと汗が滲んでいた。
「では、『処女膜が破れるときに10倍痛くなる』で手を打ちましょう」
紫龍は咽た。
「げほっ、ごほっ、は……はぁ? なっなにいってんの? この人」
ひどく動揺した紫龍は後ずさり、焦った拍子に足の小指を柱の角にぶつけてしまった。
「いってぇ」
そして涙目になる。
「ちなみに紫龍様は、クラウド様と接吻をすることによって、
その記憶を取り戻すことができ、その身体で初エッチをすると、もとの身体に戻れます」
そういって、エアリスが何事かを呟くと、紫龍の周りに青白い光を放つ、魔法陣が出現した。
「んっ……ふぁ……」
紫龍は身体が温かな光に包まれ、宙を漂っているかのような感覚を覚えた。
やがて身体を取り巻く光の粒子が飛散すると、鏡の中に全裸の美少女がいた。
漆黒の髪が背中まで豊かに流れ、
白磁の透き通るような肌に、薔薇色の頬。
唇は朝露に濡れたさくらんぼのように愛らしく、
濃い睫毛に縁取られた漆黒の瞳は、憂いを含んで艶めかしい。
その姿に、エアリスは息を呑んだ。
「か……完璧ですわ」
感動にその肩が小さく震えている。
「完璧な萌え属性の美少女ができあがりました。これでも欲情しない男は、不能とみなしてよいでしょう」
エアリスは満足げに微笑んだ。




