18.古の血脈
「涙をお拭きくださいな、紫龍様」
そう言って、いつの間にかエアリスが部屋に佇んでいる。
髪をアップに結って、
承香殿のお仕着せ仕様である。
「エアリス……?」
紫龍が顔を上げると、
よく見知った幼馴染の少女が自分に微笑みかける。
「ええ、紫龍様」
エアリスは昔から変わらない。
そのエメラルドの瞳に、紫龍は故郷アストレアが抱く海を重ねる。
「龍の血を厭わないでくださいな」
ベッドに身を横たえる紫龍の枕元に座り、
エアリスが優しく紫龍の髪を撫でる。
「私たちは誇り高き龍の一族なのですから」
エアリスの言葉に、紫龍が苦し気に瞳を閉じた。
「分かっている。
だが俺はどうやら人を愛してしまったようだ」
静かに言葉を紡ぐ紫龍に、エアリスが無言のままに頷いた。
「そうですわね。でもよろしいじゃありませんか。
わたくしたちのご先祖も、そうやって人間の王子様と恋に落ちたのですもの」
その身を流れる遥か古の血脈に、紫龍は想いを馳せた。
それは寝物語に幼い頃、
乳母たちに繰り返し聞かされた始祖の物語であった。
昔、ひとりの龍人の姫が、人間の王子に恋をし、
王子に恋焦がれた姫は魔女に、
自身の声と引き換えに人間にしてもらい、愛おしい王子に会いに行った。
しかし王子は龍神の姫ではなく、隣国の王女に恋をしてしまい、
報われぬ恋を悲しんだ姫は海の泡となって消えてしまったのである。
有名なアンデルセンの『人魚姫』の童話であるが、
その話には実は続きがあった。
報われぬ恋に人魚姫は海の泡となったのだが、
実は泡になる前に人魚姫は王子との間に子を儲けた。
それが紫龍の故郷であるアストレアの始祖となったのである。
「恋とはどのみち、ただの人であったとしても、
龍の血脈に属する者であったとしても、皆、命懸けなのでございます。
何せ新たな生命を生み出す行為に続くものでございますからね。
間違っても『無傷で溺愛』などというロマンス小説のような
都合のいい展開にはなりません。これはBLですしね。
今時流行りませんけど」
そう言ってエアリスは肩を竦めて見せる。
「ですからあなた様も、クラウド様を愛してしまったというのなら、
ちゃんと腹をお括り下さい。
ご存知でしょう? 龍の一族に伝わる鉄の掟を」
エアリスの言葉に、紫龍は重いため息を吐く。
「龍の一族に『失恋』の二文字はございません。
その心を手に入れるか、それが叶わないときには
相手の命を奪うかの二択しか存在しないのでございます」
もしくは……、この俺が海の泡となって消える運命。
紫龍はエアリスが口にしなかったもう一つの選択肢を、
心の中で呟いた。
◇◇◇
「紫龍の幽閉を解いて下さい」
クラウドもまた、王妃の前に跪く。
「王太子としての自分の使命はきちんと果たします。
ですから紫龍を辱めることはやめてください。
性別がどうであれ、紫龍が俺の正妃であることに変わりはありません。
側室に子ができたとしても、その母はあくまで紫龍です」
クラウドの言葉に王妃が小さく息を吐いた。
「わかりました。あなたがそこまでいうのでしたら、
紫龍・アストレアの幽閉を解きましょう。
その代わりと言ってはなんですが、
早急にあなたの側室を迎える準備をいたします。
いいわね、クラウド」
王妃の言葉に、クラウドは一瞬痛みに顔を顰め、
それでも無言のままに頷いた。
王妃の許しを得たクラウドは承香殿にひた走る。
「紫龍!」
クラウドがその名を、腹の底から叫ぶ。
「クラウド……?」
その声に紫龍が目を見開く。
部屋を取り囲む衛兵が、クラウドの顔を見るや、
身体を引いて、クラウドに敬礼し、
クラウドを部屋に案内する。
「お前……なんで?」
そう呟いた紫龍の身体を、クラウドがきつく抱きしめる。
「怪我はないな?」
そう問われて、紫龍がコクコクと頷くと、
「無事で……良かった」
クラウドは紫龍の肩口に額をもたせ掛けて、
ほっと安堵の息を吐いた。
「東宮殿に戻ろう」
そう言って微笑むクラウドに、
紫龍は少し目を細めた。
二人が戻る場所は、
今まで生活を送っていた、3LDKの『ロッジ』ではないのだ。
クラウドは王太子として立つことを、承知したのだと悟る。
「おっ……おおう」
そう応える紫龍の声が強張って少し震えてしまった。
無言のままにつながれた、クラウドの手も少し震えていた。
それはひどく冷たい手で、紫龍はぞっとした。
「なんで、俺の幽閉が解かれた?」
紫龍がそう問うと、クラウドが一瞬身体を強張らせた。
「俺が王太子として立ち、側室を迎えることを了承したからだ」
クラウドが苦しそうに、言葉を紡ぐ。
「そうか……」
紫龍も言葉少なに応じる。
「だが、俺の正妃はあくまでお前だ、紫龍。
そしてこの心も……」
クラウドが辛そうに言葉を切る。
「ああ、そうだな。俺を好きになってくれて、ありがとなクラウド」
紫龍もそう言って、微笑みを浮かべる。
「なんでこんなときに、お前は笑えるんだ?」
クラウドの無機質な眼差しに、紫龍は目を細めた。
「なんでだろうな……」
そう言って、目を伏せる。
「俺は今、滅茶苦茶なことを言っている。
『ふざけるな!』と、だからお前は泣いて怒って、いつもみたいに俺を殴ればいい。
もっと取り乱して、『俺を連れて逃げろ!』くらいは言ってもいいんだぞ」
言葉を紡ぐクラウドの瞳が凍えている。
いつもとは違うクラウドの様子に、気付かなかったわけではない。
しかし紫龍も、今は自分自身の感情を制することに精一杯だった。
「言わねぇよ! バーカ!」
心を殺すしか、ないと思った。
「もともと俺たちは政略結婚だったんだ。
それを承知でお前のもとに嫁いだんだ。
今更お前が俺に気を遣う必要はない。
お前が王太子として立つ以上、俺はお前の正妃として、
そのつとめを全うするだけだ」
紫龍の言葉に、クラウドが目を閉じた。
「そうか……」




