11.王宮出版『夫婦生活の営みバージョンⅢ』
キッチンに爆発音が轟いた。
「うおー! なんで?
なんで普通に料理しようとしただけなのに、フライパンが爆発する?」
もうもうと煙が立ち込め、紫龍は咳き込んだ。
「あいたた~」
そして信じられないことに、煙に巻かれた状態でキッチンの端に、
亜麻色の髪にエメラルドの瞳をした少女が蹲っていた。
「え……ええ? お前ひょっとしてエアリス?」
紫龍が素っ頓狂な声を上げた。
そこにいたのは、幼馴染で現在は母国アストレアの大魔法使いとなったエアリス・ポティファルであった。
「は~い、お久しぶりね、紫龍様」
少女は尻を強かに床で打ったらしく、涙目で紫龍を見上げた。
「お前、また空間魔法失敗したのか」
少し呆れたような紫龍の物言いに、
「あなたはまたお料理を失敗したようね、
まあ、そのおかげで空間が繋がって、こうしてあなたのもとに来ることができたのだけれど……」
エアリスの切り返しに、紫龍がうっと言葉
を詰まらせると、エアリスがしたり顔でニヤリと笑った。
「ほうら、王妃様の言いつけをきかないで
花嫁修業をさぼってばっかりだったから、そうやって苦労するんだわ」
「べっ……別に、俺はっ……男だし? こんなの必要無ぇし?」
そういって口ごもる紫龍に、エアリスは小さく溜息を吐いた。
「まあ、お料理はね……あなたの旦那さんが王将のフランチャイズの店長さんになれちゃうくらいに上手だから、
そんなに心配はしてないんだけどさ……」
エアリスは衣服の埃をぽんぽんと叩いて立ち上がった。
「つうか、何しに来たんだよ、お前。とっとと国に帰れ、
何気に他国の魔法使いがこんなところにいるのがバレたら、
スパイだって思われて大変なことになるんだぞ!」
紫龍は顔色を変えて、フライパンをエアリスに押し付けた。
「痛い、痛いってば! わかってるわよ!
それでも無理を承知で来たんじゃない。
国元の花嫁養育係りの長官が、あなたに肝心なことを教えそびれたって、国王陛下と王妃様に泣きついたのよ」
「肝心なこと?」
紫龍は如何わし気に、目を瞬かせた。
そんな紫龍の表情を眦に捉え、エアリスの深緑の瞳がきらりと輝いた。
「そう、夫婦間の営みというか……まあ、あれよ」
エアリスは意味ありげに笑みを浮かべた。
「あれ……?」
紫龍は腕を組んで少し考え込んだ。
「もうじれったい。SEX、セックスよ」
そんな紫龍に焦れたエアリスが、声高に言った。
「はあ? なっなななな何いってんの? この人」
エアリスの発言にひどく動揺した紫龍は、後ずさった拍子に棚に頭をぶつけた。
「いっ痛ぅ~」
紫龍は痛みのあまり涙目になるが、
その上に 派手な音をたてて、調理器具が棚からなだれ落ちてきた。
「紫龍? なんか大きな音がしたけど、大丈夫か?」
物音を不審に思ったクラウドが、二階から声をかけてきた。
「お、おう、大丈夫だ」
平静を装いつつ、紫龍はクラウドにこたえ、
エアリスに向かってフライパンを手渡した。
「やばいっ! はやく帰れ!」
「わかったわよ、でもその前に、これをあなたに渡しておくわ」
そういってエアリスは小瓶を紫龍に手渡した。
その中には、虹色の羽をした小さな羽虫が入っている。
「なにこれ?」
「ふふ~ん、これはね、腐女子七つ道具のひとつ、小型偵察機よ。
羽虫の記憶の封印の解き方はわかっているわね、
あなたはちゃんとそれを見て、あなたの夫が、あなたのせいでどういう心理状態に置かれているかを、
まず把握すること、そしてその気持ちにこたえたいと、あなた自身が思ったのなら、この本を読みなさい」
そういってエアリスは、紫龍の鼻先に一冊の本をつきだした。
「『王宮出版 夫婦生活の営みバージョンⅢ』って……」
手渡された本のタイトルを読む紫龍の顔が引きつった。
「そのフライパンのおかげで、空間が繋がったから、隙を見てまた来るわ」
そう言い置いて、エアリスはフライパンの中に消えて行った。
紫龍はしばらくの間、じっと小瓶の羽虫を見つめていた。




