肆話 ほっほっほ。
三人は細い山道を少し歩いた。すると一軒の家が見えてきた。
「あれ?この道、さっきも通りませんでした?」
「山道は…似た道が多い…。慣れないと大変だぞ…。」
多久豆はドアを開けて二人を部屋に招き入れた。
「阿智さんは…今出かけている…。もう少しで帰るはずだから…待っていてくれ…。」
二人は椅子に腰かけて多久豆の淹れた茶を飲んで阿智が帰ってくるのを待った。窓から見える山は青葉が茂り暖かい陽が差していた。しかし二人の表情は暗く多久豆も何かを感じ取りむやみには詮索はしなかった。三人はあまり話さずに阿智を待っていたが、夕方になっても帰ってこない阿智にどうしたものかとそれぞれが考え始めていた。
「なぁ多久豆、阿智さんはまだなのか?遅くはないか?」
「いや…こういう日もある…。焦らずに待っていればいい…。」
「いや、それにしてもだなぁ…。」
峯藤は焦っていた。二人を襲ったあの化け物についてだったり、友人の斎藤のことだったり気になっていることが多かった。峯藤は阿智を待ちながら何度も斎藤に電話をかけていた。しかし、一回も返事が返ってこなかった。そんな焦りは辰信や多久豆にもひしひしと伝わっていた。結局、阿知が帰ってきたのは日が沈み始め山に隠れ始めた頃だった。重々しい部屋に「よいしょ…。」という嗄れた声と共に老人がドアから顔を覗かせた。
「おぉ、なんじゃ今日は客が来ておったのか。」
そう言って入ってきた老人は多久豆に荷物を預けた。
「阿智さん、久しぶりだな…。」
峯藤と阿智は久しぶりの再会であるにもかかわらず、空気が重かった。しかし峯藤の気を知ってか知らずか、阿智は労いの言葉をかけていた。
「ほっほっほ。それより仁よ、いつ子が産まれたのじゃ。」
「子ども?あぁ違うよ。こいつは辰信って言って今預かっているんだ。」
「辰信か…儂は知っておるぞ。」
辰信は驚いていた。会ったことなんかないはずなのに。
「僕のことを知っているんですか?」
「うむ。しかし辰信よ。お主は自分の事を忘れておるようじゃな。」
「驚いたな。そうなんだ、実は記憶を無くしてしまったんだ。」
「えぇ。分からないことばかりなんです…。」
「ほっほっほ…。まぁ時機に思い出すはずじゃ。大丈夫じゃよ。」
「はぁ…。」
辰信はあまり納得がいかなかった。何かアドバイスをくれるでも無く、何か自分について教えてくれるでも無く。辰信は峯藤が頼りにしている阿智という人ならと少しの期待をしていた。
「それで、仁よ…。今日はどうしたんじゃ?」
峯藤は阿智に経緯を話した。さざなみ幼稚園での事、以津真天に追われた事、そしてなにより峯藤が後悔していた斎藤を置いてきてしまった事、こと細かく阿智に話していた。阿智は頷きながら
「仁よ。大丈夫じゃ、儂に考えがあるぞ。多久豆と共にまずは山を降りようかの。」
阿智は明朝にこの家を出るから荷物をまとめておけと三人に言った。その顔は心なしか楽しそうに輝いていた。
陽は陰り 春の陽気も 静まれば 冷える心で 人を待つ 影を照らすは 思慮深い知恵 後から築く 互いの信頼