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【第三回】地の文コンテスト ~獏~

【獏】月の顔 空 - wings

著者:N高等学校「文芸とライトノベル作家の会」所属 空 - wings

 月は青白く。

 窓の隙間から流れ込む月の明かりが、二人の少年を照らしています。一人はベッドの上で夢と現の境をまどろみながら。もう一人はベッドの脇の椅子に腰掛けています。


「眠い」

「気のせいじゃないかな」


 ベッドの少年が呟きます。彼の顔をじっと見つめている椅子の少年は、額を優しく撫でてやります。ベッドの少年の声は柳の枝よりもか細いものですから、意識を彼の乾いた唇に常々注いでいなければ、到底聴き取ることなどできません。


「でも僕は確かに眠いんだよ」


 ベッドの横には小さなテーブルが置かれていて、載っているのは水差しとコップが一つずつ。コップには水滴がぽつりぽつりと付いています。数分前までは、確かにそこに水が注がれていたはずです。

 椅子の少年は窓の外に視線を移します。街が見えます。眩しい明かりが宝石の輝きのようにキラキラと光を放ち、まるで宝箱のひと隅を覗いているように感じられます。


「気のせいだよ」

「そうか……なぁ」

「うん」


 青白い月。

 ベッドの少年の視線が揺らぐようなことはそうそうありません。彼の視界に覆い被さっている無機質な天井か、椅子の少年に向けられる以外は。決して短いとは言えない、ですが長いとも言えない時間をベッドの上で過ごしてきた少年は、彼がほんの少し、たった右に四十度ほど視線を傾ければ窓の景色を望めるというのに、ですがそれをしません。首を動かせないはずはありません。なぜなら、彼は左に六十度ほど顔を傾けて、いつも椅子に座っているもう一人の少年に笑いかけることができるのですから。


「でも眠くて眠くて仕方ないんだ」

「気のせいさ、気にすることなんてないよ」

「だって、眠いのになんだか寒いんだ」

「大丈夫、大丈夫だから」

「足が震えて前に動かないし」


 椅子の少年はふと溜め息をこぼします。


「ほら、支えてあげるから、外に」

「頭がぼうっとするんだ」

「きっと平気さ、君なら」


 ベッドの少年の声に、椅子の少年は淡々と返します。椅子の少年の視線はなおも窓の外へと向けられていて、ベッドの少年が自分を見つめていることに気づいていません。

 少しの間、部屋の中に静寂が訪れました。

 ようやく視線に気づいた少年は、空ろな視線をベッドの上から投げかけてくる彼に優しい笑みを返してやります。


「もうダメだよ、僕、もう君と遊べない」


 一転。その言葉を聞いた椅子の少年は勢いよく立ち上がります。


「そんなことない! 君、昨日までピンピンしてたじゃないか!」


 ベッドの少年は徐ら視線を動かし、元の天井へと向かい直します。空ろでありながら穏やかな笑みを口の端に湛える少年の胸が、ゆっくりと、起伏しました。


「何回も困らせちゃったね」

「そんなこと……そんなことっ、」

「昨日逃げ回ってたのはね、君と一緒に居たくなくて」


 夜天に蒼月。

 夢現の境を行きつ戻りつ、ベッドの少年は馳せるように瞳を閉じます。いきり立った少年は落ち着きを取り戻し、再び椅子へ腰を落としました。


「なんで君はそう……今そういうことを言うんだよ.……」


 少年は言葉を噛み締めました。否。嚙み殺そうとしました。苦々しい味覚が口の中に広がって、ついに息苦しさを感じるまで。少年は胸を押さえます。


「でも君、泥んこになりがなら僕のこと見つけてくれちゃってさ」

「……」


 息を吐くことすらままならない。

 少年は目を閉じて願いました。声を出せないから、願いました。

 もうこれ以上、彼の言葉を聞きたくないと。


「いつものかくれんぼの延長だと思ってくれればよかったのになぁ」


 月は青白に染まっている。

 少年の力はより強まって、さらに胸を押さえつけます。


「なんか昨日は嫌な予感がしたんだ」


 ベッドの少年の言葉が止む気配はありません。


「予感的中じゃないか」


 ふと顔を上げた少年が気がついたのは、ベッドの少年が自分のことをうつつ見つめていたことでした。


「君は……君はなんでそう……」


 呻くように言う、椅子の少年。


「ありがと。今まで楽しかったよ」

「……僕も」


 音を一つ、そして一つと肺から搾り出そうとしても、それさえ難しい。

 もはや微茫の景色と化した視界に腕を伸ばし、少年は彼の手を取ろうとします。ですがベッドの少年の手は布団の中にあって、露わになってはいません。少年の腕はベッドの上を迷子のように、あちらへこちらへ探りますが、見つかりません。


「僕も、ミケと一緒にいられて、楽しかった」


 見かねたベッドの少年は、ゆっくりと、椅子の少年のさまよう手を握ってやります。椅子の少年は、ようやく見つけることのできたその左手を、でき得る限り強く握り返しました。


「みゃーお」


 ベッドの少年がふっと笑いました。彼の優しい眼差しに気づけるほどの意識は、もはや椅子の少年に残されていません。


「……冷たい」


 蒼白な月が天に映ゆ。

 どちらの温度かはわかりません。ベッドの少年か、あるいは椅子の少年か。そのどちらかの手は今、氷のようにひんやりとして冷たいのです。

 少年の力が徐々に弱まっていき、彼の左手から力なく離れました。


「おやすみ」


 少年の顔から苦悶の表情がすっかり失せて、薄っすらと浮かんでいるのは安らぎの面差し。

 ベッドの少年は椅子に座っているはずの彼から視線を外し、右に四十度ほど顔を傾けて、あの「窓」へと意識を向けます。


「いい夢を見られるように」


 少年は瞳を閉じます。


「僕がずっと君の獏になってあげる」


 行き場所のない左手が、なおも所在なげに虚を握っていました。


 窓の隙間から流れ込む月の明かりが、二人の少年を照らします。

 一人はベッドの上で夢と現をたゆたいながら。

 一人はベッドの脇の椅子に、力なく頭を垂れて座っています。

 彼の岸と此の岸を繋ぐ灯明など、汪々と生きるわたしたちに必要なのでしょうか。まして今夜は十六夜の月。あまりにも明る過ぎる今宵に、灯台は不要。

 癆を患うヤマイヌの遠吠えに怯え驚きながら、月の視線は街へと向いています。旅立ちの風が月の顔を撫ぜて、遠い異国へ辿り着いたなら、怎で苦しみから解き放たれたと思えましょう。jamais vu と déjà vu の境にこの上ない安楽を求めたならば、その行方はまったくの壊落であると、月は教えてくれるでしょうか。

 いいえ。

 月は、運行上の把握を白状にも怠り、白道を無視するがゆえに、





 青白いのです。






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