災いのタック
――ゲルトルートに会いに行ったのは、店じまいを終えた後だった。
お兄ちゃんに気づかれないようにこっそりお店を抜け出して、時計塔に向ったの。
私はお兄ちゃんが大好き。シナリオには花屋のお兄さんと20歳の誕生日に結ばれるなんて書いてあるけど。そんなの嫌。私はお兄ちゃんと一緒になりたい。
台本通りにしなければ、時計塔で燃やされてしまう。だから私はこの国を支配している、あの偏屈な魔女に全てを打ち明けた。
「ほう、兄に恋慕があるか」
「はい。ゲルトルート様、台本を書き換えることはできませんか?」
巨大な蛇は赤くて長い舌をちろりと出しながら私を取り囲んだ。
「無理だねぇ。これは約束だからねぇ。あんた1人を特別扱いできないさ」
「――」
いくら交渉しても、ゲルトルートが頷くことはなかった。
わかってた。だって、私の様に台本通りの生き方を望まない人も、いたはずだから。
きっとその人達はもういない。蛇が全て時計塔という竈で灰にしてしまったのだから。
胸が苦しい。黙々と時計を直すお兄ちゃんの横顔を、見れなくなる日が来てしまう。
お兄ちゃんは知らない誰かと結婚して、私も知らない誰かと結婚する。
――耐えられない。
「ゲルトルート様、私は罪を犯しました。兄を好きになった私を、どうか燃やしてください」
胸が痛い。むせあがる感情に押し潰されて膝をつくと、ゲルトルートは顎で優しく私の頬を撫でた。
「おお、おお、修理屋の娘、そう泣くな。私だってあんたを無下にすることはとても心が痛いんだ。だからチャンスをくれてやろう」
しゅるりと蛇の尻尾が動く。ゲルトルートは「ほら」と私に綺麗な銀時計をくれた。
「いいかい小娘。これは願いを叶える懐中時計。願いを唱えて蓋を開けばどんな願いも叶えてくれる。1回だけあんたに貸してやるから、賢く使いな」
懐中時計を受け取ると、ゲルトルートは私を外へ追い出した。
魔女にも優しさがあるのね。ありがとう、ゲルトルート。
私はお兄ちゃんのいる家に走った。
伝えなきゃ。ずっと言えなかったこの想いを、ちゃんとお兄ちゃんに伝えなきゃ。
――お兄ちゃんと、一緒になりたいって。
◆◇◆
黄色の少年「ふ~む。話を聞く限りじゃあ、このままティックとタック、2人結ばれそうですが」
黒フードの青年「ご尤も。ゲルトルートはあたかも願いが叶うように、タックに言い聞かせたのです」
黄色の少年「というと?」
黒フードの青年「何でも願いが叶う懐中時計。この魔道具の説明を、ゲルトルートはしっかりしていませんでした。懐中時計は純粋な願いを叶えるものではありません。これは本来、持っているものの『深層にある欲』を叶えるもでした」
黄色の少年「へえ、へえ! つまりつまり!?」
黒フードの青年「……タックの奥深くで眠っていた『犯されたい』という欲を、懐中時計は叶えた。叶えてしまった」
ナレーター:黒フードの青年が言い終えると、観客達から歓声が上がった。1人の観客が『なんという残酷な展開だ! 素晴らしい!』と指笛を鳴らしている。
黒フードの青年「ゲルトルートにとってもこれは賭けでした。時計が劣情意外を叶える可能性だってあった。だが、彼女にはそんなことどうでもよかった。蛇の魔女が欲しかったのは兄妹の幸せでも不幸でもない。賭けることへのスリル……退屈しのぎの暇つぶしだったのです」
◆◇◆
何が起きたのか、理解するのにどれだけ時間がかかっただろう。
お兄ちゃんがつけた歯形……お兄ちゃんがつけたキスマーク……。
お兄ちゃんは、私を愛してくれた。
お兄ちゃんと、1つになった。
怖かったけど、お兄ちゃんになら乱暴されてもよかった。
だけど、お兄ちゃんは泣いていた。
お兄ちゃん、泣かないで? 私は平気。お兄ちゃんになら、いいの。
お兄ちゃんじゃなきゃ、嫌だったの。
…
……
…………
お兄ちゃんは次の日から、返ってこなくなった。
次の日も、また次の日も、お兄ちゃんは返ってこなかった。
認めない。お兄ちゃんと一緒じゃないなんて、一緒にいない私なんて、認めない。
私は20になる前に、大きな置き時計様の秒針を心臓に突き刺して、独り息を引き取った。