2F 時計の部屋
螺旋階段をしばらく登っていくと、少し広い部屋に出てきた。
くすんだ赤のカーペットが敷かれ、部屋の隅には木製のベッドが置かれている。
西洋の民家ならば、このような部屋もあるのだろう。ただ、この部屋には1つ、異常なことがあった。
「これは……時計?」
どういう仕組みで取り付けられているのだろう、床以外の壁には様々な種類の時計が取り付けられていて、秒針たちがまるで共鳴するようにガチガチと針を鳴らしていた。
「気が狂いそうになるな」
「はい……」
森田さんの感情が込められていない言葉に同意しながら、僕は無意識の内に部屋を探索していた。
悪霊は、ここで暮らしていたのだろうか。
「もしかして、森田さんもこんな部屋で暮らしていたんですか?」
「馬鹿言え。私の住んでいた場所はもっとマシだっての」
それよりもだ。森田は新しいお菓子を口に咥えながら、僕が抱きかかえていた本を指差した。
「あんた、これから悪霊を消すんだろ? だったら手がかりを探せ」
「手がかり?」
「そ。そもそも、ここの連中は人生が途中で終わっているんだ。だからあんたが悪霊どもの人生がどんなだったのか手がかりを見つけて、その本に書かなきゃならん。ほら、腰についてる羽根ペンが執筆用のペンだろう」
森田さんに言われて確認すると、腰に巻いてあるポーチのポケットに、青い石がはめ込まれた羽根ペンが突き刺さっていた。
「あれ、抜けない……」
「あ? 鈍くさいなあ……」
『それは抜けないよ! 績の兄ちゃんの中で物語が出来上がらないとね!』
ふよふよと浮いている金魚から、ゲートキーパーの声がする。どういうことかゲートキーパーに尋ねると、答える気がないのか返ってきたのは無邪気な鼻歌だけだった。
「……はあ。つまり、悪霊を成仏させるためには空想でもいいから人生を与えないといけないんですね」
「成仏……というよりかは終演を与えるんだがな」
今更だが、僕にそんな大役が務まるのだろうか。見ず知らずの誰かに無理矢理僕の考えた人生を押しつけるのは、正しいことなのだろうか。
悩んでいるのが伝わってしまったのだろう。安心させるためなのか、森田さんは僕の頭をぐりぐりと撫でた。
「やれ。これはあんたにしかできない仕事だ。悪霊のヒントはこの部屋にある」
……僕にしか、できないこと。
ゲートキーパーも、海岸で同じようなことを言っていた。
なんで、僕なんだろう。僕は何かに秀でているわけじゃないのに。むしろ、誰よりも劣っているというのに。
本を抱えながら、僕は部屋の探索を続けた。兎に角、物語を書くならば登場人物と世界観は把握しておかなくてはならないだろう。
本棚には哲学書やどこかの国の文豪が書いた恋愛小説などが並べられていた。手に取ろうとしたが、どの本も固く閉ざされている。
「読めない……」
「開かないな。燃やすか」
「森田さん!?」
「冗談だよ」
真顔で冗談言わないでよぉ……怖いよぉ……。
あれ? あの本だけ、なんだか厚さが違う。
取りたいが、どうしても身長が足りなかったため、森田さんにお願いして取ってもらった。
「男性の低身長も考えものだな。ほれ」
「はは……ありがとうございます……」
本のカバーを上から付けることで隠していたのだろう。カバーを外すと、どうやらここに居た悪霊が何かを書きとめていたようだ。
詳しく読みたいが、僕の知っている国の言葉ではない。ハングル文字とアラビア文字によく似ているが、間違いなく別物だ。
「読めない……」
「私は読めるぞ」
「えっ。なんで? もしかして、森田さんの母国語?」
「いいや。こんな言葉ではなかった気がする。わかんねーが、私があんたと違うから、この文字が読めるのかもしれねぇ」
そうだった。記憶を失ってはいるが、森田さんもこの塔に住む悪霊なんだ。きっと何か繋がるものがあるのだろう。
「読むか?」
「はい。お願いします」
低いアルトで、森田さんは本に書かれている言葉を読み上げた。
「――ここは、時計の国。僕はティック。妹と一緒に修理屋をしている。僕は、赦されないことをした。僕はもう、タックと一緒には生きてはならない。だから今夜、時計塔に行くんだ。こうして日記を綴る横でタックが眠っている。ごめんねというには、あまりにおこがましく、図々しい」
「――ッ」
森田さんの言葉に乗って、僕の脳裏に映像が流れてくる。
深い夜だ。月は姿を隠し、星が夜を飾っている。この空を切り取ってイブニングドレスを作ったら、どんなに綺麗だろう。
あたたかなオレンジ色部屋、窓を見やりながら、少年がそんなことを考えていた。
白熱電球のランプをつけて、クリーム色の癖毛を1つに束ねた彼は、隣で眠る妹の、同じ色をした短い毛を優しく撫でていた。
街の遠くに、真っ黒な棒が見える。あれが、時計塔だ。
あそこは罪人を裁く為にある。僕は、行かなければならない。
タックに、何て言って出ればいいんだろう? 何も言わない方がいいのだろうか。
……いや、タックのことだ。僕がいなくなったと知れば、必死になって探すだろう。だって、世界には僕ら2人しかいなかったのだから。わかっていて、僕は君を1人にするのだから。
◆◇◆
「績!!」
森田さんの怒声で、僕は返ってきた。
ここは塔、エピローグタワーだ。僕はティックじゃないし、タックという妹がいるわけじゃない。
ああでも――だめだ、頭が纏まらない。僕は何をみていたのだろう。
『この塔に住む悪霊の記録だよ。績の兄ちゃん』
「悪霊の、記録?」
『うん♪ 悪霊達はね、何もきみを嫌ってここに留めてるわけじゃないんだ。きみが好きで、終演が欲しくて、自分というのをわかって貰おうとする。だから記録を映像としてきみに見せたんだ』
つまり、あの兄が、悪霊なのだろうか。
「おい、大丈夫か績」
「森田さん……」
「糸が切れた人形みたいだったぞ。死んだのかと思った」
「はは……僕も何がなんだか」
『績の兄ちゃんは感受性が豊かだから引っ張られちゃったんだね!! 無事に帰ってきてよかった!!』
「なあ、ゲートキーパー、これ帰ってこない場合もあるのか?」
森田さんの問いに、ゲートキーパーは沈黙する。きっと肯定を示す沈黙なのだろう。しばらくして、金魚はふふっと笑った。
『その為に、きみがいるんでしょ? モリタ』
「……」
森田さんは、冷めた目で金魚を一瞥すると、入口の柱に寄り掛かかった。
「あ、あの、森田さん?」
「寝る。なんかあったら呼べ」
「は、はい!」
ふよふよと、金魚が僕の周りを泳いでいる。
もう少し、この部屋を調べてみよう。僕は本を抱え直すと、再び部屋の探索に取りかかった