ある夏の日、運命の出会い
あの出来事は梅雨が明け、7月の最初の一週間が終わろうとする日であったのは覚えている。
「暑い……」
レースのカーテンを通り抜ける太陽の暑さに目が覚めた。
(まだ夏は始まったばっかりなのに、そんなに張り切って暑くならなくていいですよ〜)
そんな事を窓の外に見える太陽に思いつつ、ベッドから身を起こし、レースのカーテンを開く。静養のために田舎の親戚の方のご好意で使っていない家を貸してもらえる事となり、この家に越してきた。そろそろ2週間が経つだろうか、この新しい生活にも少しずつではあるが慣れてきたと思う。
私の名前は『五月女志穂』らしい……。今は母と妹との3人暮らしをしている。父は一年前に不慮の事故で他界していると聞いた。私は一月程前に交通事故に巻き込まれ所謂『記憶喪失』状態になった。私からすればそれ以前の家族や友人といった他人との記憶が丸々無くなっているので、病院の先生やお見舞いに来てくれたクラスメイトの人達、母親と名乗る女性から私や周りの人間関係についての話を聞かされても何もピンと来ない。ただただ言い表せないもやもやが自分の内側から生まれてきた、それだけだった。
そんな事を思い返しながら着替えを済ませ朝食をとりに下の階に降りて行く。キッチンからはベーコンの香ばしい香りが漂ってきた。
「おはよ〜」
席に着きながら挨拶を交わす。
「おはよ〜、もうすぐできるから待っててね〜」
『五月女愛菜』この人は私が半月程前に病院で目覚めた時、目に涙を浮かべて私を抱きしめてくれた。その事が私の中で深く印象に残っている。この人が私の母であるという記憶は無かったが、抱きしめられた時に心の中で不思議と安心感を強く意識していた。そして私はこの人を見ていつも思う事が一つ、『やばい、二次元のロリママがこっちの世界に出てきてる!』である。とにかく年齢と見た目という2つの要素を比例グラフで表せない人間がいるとすれば間違いなくこの人だろう……。
「里奈ちゃ〜ん、起きてる〜? 朝ごはん出来たよ〜」
愛菜さ――じゃなくて、母が2階に向かって呼びかけていた。
「は~い」
2階から慌てて階段を降りてくる音がする。妹の里奈とは姉妹だと聞いている。だけど彼女と私は姉妹の割に体型や髪の色、顔立ちがまるで違う。私はどちらかと言えば母に似て小柄で童顔だけど、この子はスラリとした身体つきで綺麗な茶色の髪、年の割に大人びた顔立ちをしている。
「お姉ちゃん、おっはよー!」
その声と同時に里奈は飛び掛って私の胸をまさぐり始める。
「ちょっと、いきなり飛び付きはだめー! それからどさくさに紛れて胸揉むなー!」
里奈の肩を掴み自分から引き剥がす。
「えっへへー!お姉ちゃん今日も中々良い反応だね〜」
「この変態ー!」
この子は毎度毎度隙あらば私にセクハラをしようとしてくる。あの日、病院で出会って初セクハラされた時から要注意危険人物であると認識した。
「もう〜二人とも、朝からはしゃいでないでちゃんと座って朝ごはんを食べなさ〜い!」
ロリママが私達の下でぴょこぴょこ動いて私達に注意していた。
(すごく可愛い……必死な所がポイントたか〜い♡)
「はーい」
2人揃って返事をすると席につき朝食を取る。今日の朝食は目玉焼き、パリパリに焼けたベーコン、トースト、紅茶だった。ごく普通の食事内容だけどこの人が作ると何故かとても美味しく感じられる。だから私はすごくこの人の作る料理が気に入っている。
食事が中程済んだ時、母が新しい学校への転入の話題を切り出してきた。
「突然だけど志穂ちゃんと里奈ちゃんに今日はママからお知らせがありま〜す」「ママは2人が新しく通うための高校をここに来てから探してたんだけど、どれが良いかな〜って迷って『美星ノ森学園』って所が良さそうだったから転入のお願いを一昨日校長先生にしてきました〜」
「ママ!『美星ノ森学園』ってあの山の近くの大きな所!? 」
里奈はテーブルに身を乗り出し質問する。強く興味を抱き同時に興奮しているのがよく分かった。
「そうよ〜、とっても大きくて綺麗よね〜。だからママは、2人が気に入るかな〜って思ったの〜」
「あそこの転入手続きに学校の中に入るまでが、と〜っても大変だったんだから〜!」
「何かあったの?」
私はふと、疑問に思って聞いてみた。と言うのも、美星ノ森学園は山の近くにあると言ってもバス停が学園の前にある上に、家から近くのバス停までもそれ程距離は無い。大変な理由が思い当たらなかったからだ。
「それがね〜、学校に着いて中に入ろうとしたんだけど守衛のおじさんに『お嬢ちゃん、ここから先は学園だから入っちゃだめだよ〜』って言われてママは『保護者です!』って言ったのに守衛のおじさんに信じて貰えなくて〜」
「あ〜、それで中々入れなくて大変だったんだね……」
里奈が笑いをこらえながら平静を装って話を引き継いだ。
「そうなの〜、それでおじさんに保険証見せたらやっと信じてもらえて中に入れたの。志穂ちゃん、ママってそんなに子供っぽいのかな?」
無垢な子供のような目で私を見つめてくる、どう答えれば良いのか……
「え、えーっと……」
(助けて!)と里奈に目線を送る。それを察してくれたのか里奈が話題を逸らしてくれた
「マ、ママ美星ノ森学園の中はどうだったの? 制服とか、学校っていつからなの?」
(ナイスフォロー!)
「えーっと学校の中はね〜、正門がと〜っても大きくて教室が沢山あってどこも丁寧に掃除されててすごく綺麗だったよ〜! 後は大きなシャンデリアも飾ってあったよ〜」
「お姉ちゃんのゲームで見たお嬢様学校みた〜い!」
(え? 私のゲーム? 一体何の事を言ってるんだろ?)
「あっ……そ、それでいつから通えるの?」
(今明らかに話題逸らそうとした、ぜ〜ったい何か良からぬ事を……)
「学校は明後日の月曜日からの転入で、制服とか教科書類は明日届くって〜」「2人の制服姿ママ、と〜っても楽しみなの〜」
学校か……、以前の私はどんな風に学校で過ごしてたんだろ? 上手くやれてたのだろうか? その事が少し引っかかった。
「痛っっ……」
突然頭の中に一瞬、電流が流れたような痛みに襲われた。
「志穂ちゃん、大丈夫?」
母がとても心配そうに私の顔を覗き込む
「う、うん。大丈夫、すぐ収まったから」
里奈は私の手を握ってくれた。
「お姉ちゃん、無理しちゃだめだよ」
「ありがと、でも本当に大丈夫だから」
2人が心配そうに私を見ていた。これ以上2人に心配を掛けまいと少し微笑んでみせた。
(でも、あの痛みは一体何だったんだろう? ほんの少しだけど誰かの顔も見えたような……)
(あーっ、ダメだ、どんどんあの一瞬の見えてた事が薄れていく……)
「志穂ちゃん、ちょっとお部屋で休んできたら?」
「うん、ちょっと休んでくる」
私は部屋に戻る事にした。部屋に戻る途中、外を見るとさっきまであんなに晴れてた空が少し曇っていた。
部屋に戻りベッドに横になり目を閉じる、さっき見た光景を思い出そうとするけどもう何のイメージも出てこなくなっていた。
寝返りをして部屋を見回すと隅にまだ片付けてなかった小さな段ボール箱が2つ目に入った
(片付けますか〜)
そうしてベッドから身を起こし段ボール箱に手を掛けガムテープを剥がしていく。
中からカラフルなパッケージの箱がいくつか出てきた。女の子が沢山描かれていた。
(何だろこの箱? 以前の私の趣味だったのかな?)
ふと1つの箱の、上の方に書かれていた文字に目が留まる、無意識に声に出して読み上げてしまった。
「『ドキドキ恋愛学園♡お嬢様はあなたに夢中!』…………」
そして裏を見てみるとエッチな格好の女の子が何人か描かれていた。
自分の顔が火照っていくのが分かる、すごく熱い。
(待って待って待って、これ状況からして私の物だよね!? えっ!? 以前の私ってこういう趣味だったの!?)
動揺しまくりである。そんな時さっきの里奈の言葉を思い出す。
「お姉ちゃんのゲームで見たお嬢様学校みた〜い!」
そしてこの発言の後の露骨な話題逸らし……
恐る恐る、箱を開いて中を見てみる。説明書、イラスト集、後はDVDケースと…………
「ケースの中身が無い……」
これはもう状況証拠が揃ってしまった。里奈は病院で私が入院してる間に引越しのため、私の部屋の荷物をまとめてくれていたと母から聞いていた。その時に私の部屋から見つけて持ち出したに違いない。
(こ、これはやめさせた方が良いよね…… 人として、姉として。里奈はまだ16歳だもんね)
『以前の私と今の私は違う』そう自分に言い聞かせて里奈の部屋に向かう。
すぅ〜はぁ〜、すぅ〜はぁ〜、すぅ〜はぁ〜
扉の前で三度長めの深呼吸、気恥しさが募り脳内で引き返したい私と姉としての立ちの位置の私との心の中での戦いが始まっていた。
「よ、よし!」
私の中の戦いは姉の私が勝った。ドアをノックしようと手を伸ばしかけた、その時!
「お姉〜ちゃん!」
「ひゃー!?」
急に後ろから声をかけられ、両肩を持たれた。緊張してたせいか突然の出来事に変な声が出てしまう。そして咄嗟に持ってきたゲームの箱を後ろに隠す。「お姉ちゃん何してるの? どうしたの?」
里奈がこちらの顔を覗き込むように話しかけてくる。
(ちょ、直視出来ない……)
私は気恥しさから少し目線を逸らしてしまう。
「あ、あのねちょっと里奈に聞きたい事があって…」
「なになに?どうしたの?」
「その〜、里奈って普段どんなゲームしてるのかな〜って思って」
すごく歯切れが悪くなる、今すぐ部屋に引き返したくなってきた。
「普段?里奈ほとんどゲームとかしないかなー」
少し想定外の回答だった。
「そ、そうなんだ〜」
里奈が身体を少し左にずらし私の後ろで隠している物を見つける。
「お姉ちゃん、その後ろに持ってる箱な〜に?」
(ぎくっ!?)
どうやって切り出そうか、何から話すか、そんな事を全く考えれていなかった自分に後悔の念がのしかかる。
(えーい、どうにでもなれー!)
意を決してストレートに質問する事にした。
「里奈このゲーム知ってる?」
パッケージが見えるように里奈の前にあのゲームの箱を差し出す。里奈がそれを注視する。里奈は少し間を置いて、怪しすぎる受け答えをする。
「え、えーっと里奈分かんないな〜、何だろ……これ?」
里奈の目があちこちに泳ぎまくっている。
「………………。」
「………………。」
二人の間に気まずい沈黙が流れた。実際は20秒と経ってないはずだけど、私達の間には30分程の時が流れていた気がする。
しばらくして里奈がついにこの沈黙に耐えられず、折れた。
「ご、ごめんなさい」
里奈がぺこりと頭を下げた。
「実はこれ、お姉ちゃんの部屋の荷物をまとめてた時に本棚の後ろにこんな箱がいくつか隠してあったの見つけて、ちょっと覗いてみて気になってやってました……」
(中学男子か私ー!)
年頃の男の子がエッチな本を隠す事と大して変わらないと思った。過去の自分が恥ずかしい。
でも今はそんな事よりもちゃんと里奈に話してやめるように言う必要がある。「里奈、私が言うのも何だけどこのゲームはもう少し大人になってからじゃないとダメだよ。だから約束して、ちゃんと大人になるまでもうしないって」
出来れば大人になってもして欲しくはないが、そこまで干渉するのは行き過ぎのような気もしたから少し譲歩する。
無垢過ぎるのも困るけど、出来れば綺麗なままで大人になって欲しいと言う思いが私の中にあった。
「うん、分かった。約束する」
里奈は素直に約束してくれた。
何とか姉としての役割は果たせただろう。
(そう言えば過去の私って本当にどんな子だったんだろ?)
今持っている情報だけで判断するならば、隠れてエッチなゲームしてる大人しい女の子みたいな感じになっている。
周りの人からは私について病院で色々聞いていたけど、もっと深い部分はまだ自分には分かってない。だからもっと私をよく知る人から私について深く知りたかった。
「ねえ、里奈、私って事故の前ってどんな感じだったのかもっと前より詳しく話してくれる?」
姉妹なら母よりも近くで私の事を見ていると思い、里奈に自分について教えて貰うことにした。
「前のお姉ちゃん?」
里奈は少し考えた後、頷いて私の手を引いて私の部屋に入ろうとした。
後ろを向く時、一瞬だけ里奈の横顔に陰りが見えたような気がした。
2人で部屋に入る。
「急にこんな事言ってごめんね」
まだ里奈に対しても少し気を使ってしまう。
「全然大丈夫だよ、自分の事知りたいって言うのは自然な事だし。でも話長くなりそうだしちょっと待ってて、お茶入れてくるね」
そう言って里奈は下に降りて行った。
湿った風がレースのカーテンを揺らした。後で少し降りそうだ。
「もう10時か…」
壁に掛かっている時計に目をやり、思っていたよりも時間が過ぎていた事に少し驚く。
トン、トン、トン
暫くして、階段を昇る音が聞こえてくる。里奈が戻ってきたようだ。
「お待たせー」
里奈が持ってきたお盆の上にはポット、カップとスプーンが2つ、砂糖の瓶、スライスされたレモンが添えられた皿が置かれていた。
「雨、降りそうだね。お姉ちゃん、ちょっと窓閉めておかない?」
「うん。じゃ、閉めとこっか」
窓を閉じ少し暑いのでエアコンを点ける。その間、里奈はお茶を淹れてくれた。
「はい、どうぞ」
里奈が少しぬる目にして淹れてくれたお茶を貰う。
「ありがと。じゃ、早速だけどお願いできる?」
「うん。じゃ、まず私達が小さい時の事から話すね―――。」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
これは私がまだお姉ちゃんと出会う前の『五月女里奈』の話。
私はパパと今のママじゃなくて前のママとの間に産まれたの。
ママとパパは里奈が産まれてから少しずつ仲が悪くなってきたの。
ママはよく何処かに行っちゃうし、パパも仕事が忙しくて中々帰って来れなかったの。でも私、パパはいつも優しくしてくれるから大好きだったの。
でも私が小学校に入学して、少ししてからパパとママは離婚しちゃったの。パパは暫く元気が無くて落ち込んでたの。
私、そんな元気の無いパパを見てると悲しくて、でもどうにも出来なくて… だから私、『パパのために少しでも何かしてあげよう』って思って掃除とか料理をママの真似をしてしようとしてたの。
少しずつだけどやってる内に上達してきて、パパも少しずつ元気になってきて暫くそんな二人の生活が続いてたの。
そんな暮らしが続いて一年位経った時、パパが私に『紹介したい人がいる』って今のママを連れてきたの。
最初に今のママを見た時『里奈のためにお友達連れてきてくれたの?パパありがとー』って言った事があったかな。
パパも新しいママも少し困った顔してたの今でも覚えているの。
その時もう一人後ろから黒髪の女の子が里奈のパパの足の横から顔を出してこっちを見てた、それがお姉ちゃん……。
里奈のパパに頭を優しく撫でられていたの覚えてる……。
これが私がお姉ちゃんに会うまでの話。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
里奈が私についての話をしてくれていた時、私に対して里奈は何を思っていたのか、その時の私はまだ何も分かってあげれていなかった…。
「お姉ちゃんと私は、小さい時にはよく一緒におままごとしたりして遊んでたな〜」
仲の良い普通のどこにでもいるような姉妹、それが分かっただけでも私にとってはとても大切な事に感じれた。
「時々、私がお姉ちゃんに料理とか掃除の事、教えてあげて一緒にしてたの」 小さい時は里奈の方がしっかり者だったようだ。少し意外な一面が分かった。「中学の時に家族でキャンプ行ったりもしたよ、パパがすごく張り切って『キャンプに行こう!』って言ってたの」
私の父はイベント事が好きな良い父であったのだろう。
「キャンプか〜、どこに行ったの?」
「甲府にあるキャンプ場、すごーく周りの山が綺麗で、山の間を流れる川で遊んだり、バーベキューとかしたんだよ!でも川で遊んでる時、お姉ちゃん足滑らせて溺れてた所をパパが助けてくれたんだよ!」
(私って意外と運動音痴だったんだろうか? お父さん、ありがとう)
命を救ってくれた亡き父に感謝する私だった。
それから里奈は私の中学時代について色々話してくれた。
要約すると、私は中学の時は明るくてクラスでも友達が多い方だった。家でも良く褒められていたそうだ。それでいて少し奥手なところがあったようだ。「じゃ、高校に入ってからは私ってどんな感じだった?」
直近の二年の私について聞いてみる。これが私が特に知りたかった部分の一つだ。事故直前のもう一人の私…。
「高校の時のお姉ちゃんか……」
ここで里奈の声の調子が変わった。少し暗くなった気がした。
私に何かあったのだろうか、一気に不安な気持ちになる。ここから先の話を知りたい気持ちと、このまま聞かずにいたい気持ちが自分の内側から生まれてくるのが分かった。
「お姉ちゃんが高校に入って三ヶ月位した頃かな?お姉ちゃんが学校から帰って来る時すごく疲れた顔するようになってきたの」
「口数も少しずつ減ってきて、帰って来るとよく部屋に籠って何かしてたの。多分その頃からお姉ちゃん、あのエ―」
「こほん。」
里奈がわざとらしく咳払いをする。
「あのゲームとかやってたんじゃないかなー?」
なるほど、その時から私はそっちサイドに堕ちていったのか…
「それからお姉ちゃん中学の時に比べて人を選ぶようになってきてたよ。それから――」
「人を選ぶ?」
里奈の言葉が引っかかり、つい途中で口を挟んでしまった。
「うん。お姉ちゃんは中学の時は誰にでも優しくて、話しかけやすい雰囲気だったんだけど高校に入ってからはちょっと話しかけずらい空気だったなー、相手によって態度変えてるように見えたなー」
高校入学から三ヶ月、私の中でどんな変化があったんだろうか。すごくもやもやする。
「その時の私ってどうしてそうなったか分かる?」
ふと、里奈と視線が合った。里奈の私に対する目付きが一瞬きつくなった気がした。
もう一度目を見てみるとそこにはさっきのあの目は無かった。多分ただの見間違えだったのだろう。
「どうだろう?お姉ちゃんが何考えてたか里奈にも分かんないよ。」
「そう…」
この私の心境の変わり目がとても大切だと何故だか思ってしまう。ただ単に自分の記憶の一部として大切とかでは無く、もっと大きな何かがあるような…
上手く言葉に出来ないそんなもどかしい気持ちになった。
「まだかな〜」
里奈が小声で呟いた。どうしたんだろう、何を待っているんだろ…
「里奈、どうしたの?」
里奈は少し微笑んで答える。
「えーっと、お昼ご飯まだかな〜って」
時計を見てみると、そろそろ12時になる。気付けば2時間も話をしていた。「お腹空いたね。そろそろ下にご飯べに…いこっ…か………………。」
夢を見た。不思議なありえない、変な夢だった。男の子みたいな乱暴な喋り方の私と里奈が口喧嘩をする。そんな変な夢を見た気がする。
少し身体が不思議なふわふわした感じになる。身体の内側に意識が沈んでいって代わりに何かが出ていくような…。そんな変な感覚もあった気がする。
気持ち悪い、酔いそうだ。
(夢の中で酔うなんて変だよね…)
「……………………。」
目が覚める。夕日が反対側の窓から沈んでいるのが見えた。とても真っ赤で綺麗だった。
「あれ?」
部屋を見回すとお茶セットも里奈の姿も無かった。時計を見ると丁度17時を知らせていた。
どうやら私は5時間ほどぐっすりと眠っていたようだった。
「寝すぎた〜」
寝起きで口の中が水分を欲していた。私はベッドから起き上がり下に水を飲みに行くことにした。リビングを通ると母がソファーに座りながら雑誌を読んでいるのが目に入った。
母が私に気づくと雑誌を折畳み、微笑みながら話しかけてくる。
「志穂ちゃん、よく眠れたかな〜? お昼の時呼びに行こうとしたら里奈ちゃんが『お姉ちゃんは疲れて寝てるからそっとしてあげて』って。」
「お腹空いてる?お昼のオムライス温める?志穂ちゃんこれ好きだったんだから〜!」
「ありがと。じゃお願いします」
「は~い」
何故か母は今日はいつも以上に上機嫌だ。
母がオムライスを温め直してくれている間に私は冷蔵庫から水を取り出して、コップに注ぎ一気に飲み干した。
渇いた口の中を冷たい水が一気に駆け抜ける。
「ほっ…」
一息ついた時、ふと右手の甲に薄く長めの切り傷があるのを見つける。
(なんだろ?部屋のどこかで切ったのかな?)
幸い傷は浅く大して痛くも無かったので無視した。
「出来たよ〜」
母がテーブルに熱々のオムライスを出してくれた。ケチャップでハートマークまで…
「ありがと!」
スプーンで一口ぱくりと食べる。口の中に広がるバターの香り、遅れてやってくるケチャップの酸味と甘み、そこにチキンライスが加わる。
「おいし〜い、すごくおいしい!」
「きゃ〜♡ママ嬉し〜い!」
満面の笑み、母はとても嬉しそうだった。
そして母は私の向かいに座りルンルンであった。
「志穂ちゃんも里奈ちゃんも本当に大きくなったね〜」
「え?」
母から突然話を切り出されて少し驚く。
「ちょっと今日2人が小さい時の事ママ、思い出してたんだよ〜」
小さい時の事について、今日里奈が色々教えてくれたのを思い出す。
「ママ、二人がこのまま仲良く大人になってくれると嬉しいな〜」
「うん、きっと大丈夫」
本当にそう思っていた。そして何より早く家族や友人との記憶が戻ってきて欲しかった。
リビングの横の大きな窓の方に目をやると洗濯物が大量に干されていた。
私の視線に気づいたのか、母が私が寝ている間に起きた出来事を話してくれた。
「お昼ご飯の前に急に大雨が降ってきたの。ママ洗濯物慌てて取り込んでたんだけど、踏み台持ってくるの忘れて一番上の洗濯物届かなくて困ってたの。そしたら丁度里奈ちゃんが降りてきて手伝ってくれたの〜」
あの後やはり雨が降ったようだった。窓を閉めて正解だった。
「大きな雷も鳴ってすごかったんだよ〜」
全く聞こえていなかった。里奈と話している時に何だか目の前が暗くなってきてそのままカーペットの上に倒れ込むように寝たような…
それからが全く記憶に無かった。寝ていたのだから当然と言えば当然だが、普段なら大きな物音がすれば起きるはずだ。なのにどうして…
「志穂ちゃん、どうしたの?難しい顔してるけど考え事?」
母の言葉で我に返る。
「ううん、大丈夫。なんでもないよ」
これ以上振り返っても何も分かりそうに無かったから、考えても無駄だと思った。
「そう。なら良いんだけど。困ったらちゃんとママに相談してね?」
「うん、ありがと。それとご馳走さま、美味しかったよ」
「は〜い」
その後、私は身体をリラックスさせて思考をスッキリさせるためにお風呂に入る事にした。
部屋に着替えを取りに戻る時、階段で里奈と会った。
「今日はごめんね、途中で寝ちゃって」
里奈は少し間を置いてから
「大丈夫だよ。お姉ちゃんの方はよく眠れてたみたいで良かったね。な――――――だ…。」
「え?ごめん最後なんて言ったのかもう一回言ってくれる?」
里奈が話の最後に何か小声で言っていた…
「なんでもないよ、気にしないで!」
そう言って里奈は下に降りて行った。
胸の奥で私の気持ちじゃ無い何かが、ざわついていたような気がした…
「とりあえず、お風呂入ってさっぱりしよ〜」
そう一人呟き、着替えを持って風呂場に向かった。
洗面台の前で服を脱ぎ、カゴに入れる。風呂場の扉を開けると湯気が視界を覆う。
まずはぬるま湯で優しく髪をほぐしていった。顔を上げた時、鏡の私と目が合った。
「痛っっ、また?」
再び朝経験したような電流が頭の中を流れるような痛みに襲われる。しかも今度は連続して痛む。そして何故か鼓動がどんどん速くなる。そしてまた誰かの人影が見えた気がする。でもその頭の部分は吸い込まれそうな黒色をしていて顔は分からない。
一体自分の中で何が起きているのだろうか、言い知れぬ不安に襲われる。
暫くするとその痛みは無くなった。
その後、私は湯船に浸かり痛みの中で微かに見たあの人影について思い出そうとしてみた。
「男の人…?」
顔は見えない、シルエットも朧気で分からない、だけど私の直感がそう告げていた。
私はお湯に顔をつける。十、数える。
(1、2、3、……、9、10)
「ふぅ〜」
私はお風呂の時にはこの顔つけ、10数えをする。何故かは分からないけど、何だかこれをしている時、とても懐かしい気持ちになるからだ。これも事故前の私に関係しているのではないかと思っている。事故前の習慣であったり、小さい時の思い出だったり、そんな類の何か…。
私は湯船から上がる前に軽く身体のマッサージをした。
ふくらはぎ、太もも、腰周り、二の腕、肩。順番に優しく、丁寧にほぐしていく。
全て終わる頃には少しお湯がぬるくなっていた。少し長湯し過ぎたようだ。 全身をシャワーで軽く流しバスタオルで身体を拭き、ドライヤーで髪を乾かす。
この時、私はとても無防備だった。扉に背を向けていた上に、ドライヤーの音で侵入者には気づけていなかった…
「お姉ちゃん、隙あり!」
少し冷たい手がいきなり後ろから私のおしりを軽く撫でる。驚きのあまり、私は思わずドライヤーを落としてしまった。
「もー!ビックリするからやめてよ!」
ドライヤーを拾い上げながら里奈に少しキツめに注意する。
本当にこの子は…
「ごめん、ごめん。お姉ちゃん、本当に反応面白いからつい」
「もう!知らない!」
私は少し頬を膨らまし里奈に背を向け、くしで髪をとかす。
「でも、お姉ちゃんそんな無防備なんじゃ悪い人にやられちゃうかもよ?いつもあの子が守ってくれる訳じゃないし」
「そんな心配私には、い・り・ま・せ・ん!」
(そもそも『あの子』って誰よ、私には守ってくれるような彼氏なんていないし。話を聞く限り多分…)
「ふ〜ん、じゃぁ〜」
今度は里奈は私のお腹に左手を回してきた。
「ちょっと、だからやめてってば!」
何か冷たい金属のような物が腰の辺りに当たった。
「お姉ちゃんだめだよ〜、じっとしないと変な所に当たるよ?」
「里奈、私そろそろ服着たいからちょっと離れてお願い〜」
冷たい金属の何かが一瞬私の身体から離れた。それと同時に…
ガチャッ
扉が開く音がした。そして振り返ると、母が頭の上が少し見えるくらいまでバスタオルを積み重ねて運んできた。
「里奈ちゃん、お姉ちゃんを困らしちゃだめだよ〜!」
母が危なげに揺れるバスタオルの山をケースの中に置きながら里奈に注意する。
「はーい」
そう言って里奈は風呂場から出ていった。
「本当、何しに来たんだろ?」
あの腰に当たってた金属はベルトだったのだろうか、それとも何かのイタズラ道具だったのか…?
今日の里奈の言動は気になる所が多かった。
部屋に戻りベッドに腰掛ける。雨の後もあってか、窓から入る夜風が少し冷たく心地よかった。
何だか今日はとても疲れていた。体が重い…
少し早かったが、私はそのまま寝ることにした。
学校…クラスメイトが数人、隅で何か私の話をしていた…
私の名前と『五月女さんのお父さん』と言う単語は聞こえたけど後はよく聞こえない…
「…………………。」
朝、目が覚める。昨日とは違い朝から少し曇り空が広がっていた。
上半身を起こした時、私は身体の異変に気づく。
身体のあちこちが痛い。何故だか分からないが筋肉痛になっていた。
昨日は特に運動や力仕事をした覚えは無い。全身筋張って動きずらかった。 そして寝起きのせいもあってか、筋肉痛で歩き方が少しロボットみたいになっていた。
下に降りると今日は魚の焼ける匂いと味噌汁の香りがした。
「志穂ちゃん、おはよ〜」
「おはよ〜」
母は卵焼きを作っている最中だった。今日は和食の定番のご飯、味噌汁、鮭、卵焼きのようだ。
少し遅れて里奈がゆっくりと降りてきた。
「ママ、お姉ちゃんおはよ!」
「うん、おはよ〜」
三人分のお茶を用意しながら挨拶を交わす。
「おはよ〜、里奈ちゃん」
母が皿に鮭と卵焼きを盛り付けて運んできた。
「いただきます」
まずは卵焼きから一口食べてみる。ふわっとした食感を感じた後、すぐに中からだし汁が溢れる。だしの豊かな風味が口の中を満たしてゆく…
「おいしい〜」
無意識に口に出てしまう。それほど私にとってこれは美味しく感じれた。
「志穂ちゃんだし巻き玉子も、好きだったもんね〜」
母が以前の私の好みについて教えてくれた。この美味しさなら誰であれ大好きになるのではないかと思った。
「じゃ〜お姉ちゃん、『最後』だから私のだし巻きあげるね!」
そう言って里奈は自分のだし巻きを私にくれた。
「ありがと〜」
今日は里奈はやけに機嫌が良かった。笑顔が絶えず少し怖いくらいに…
その後、食事を終えた私は洗い物の手伝いをする事にした。
母が踏み台を持ってきて食器を洗い始める。私は洗いたての食器を布巾で丁寧に拭いていく。
「志穂ちゃんありがと〜」
「こっちこそ、いつもおいしいごはんありがと」
自然と互いに笑みがこぼれる。
キンコーン♪
しばらくして玄関のチャイムが鳴る。
「制服が届いたのかも、ママが出てくるね」
そう言って母が出ていった。
制服とか教科書が来るって言ってたけど二人分は流石に母一人では無理だろうと思い、私も後から玄関に向かった。
そして玄関に向かった私の目の前にはとても悲しい光景があった…
配達員のお兄さんに屈んで目線を合わせて貰いながら、『お父さんか、お母さんいるかな?』と聞かれ『私がそうです!』と答える母がいた。配達員の人は見た所、子供の冗談だと思っているようだった。
この状況、あの話とデジャブを感じる…
そして配達員の人が私を見ると私に受け取りのサインを求めてきた。
母が私の服を少し引っ張って潤んだ目で見てくる。
「志穂ちゃん……」
私は配達員の人に事情を説明した。今まで子供扱いをしていた母を見るや否や…
「し、失礼しました!」
と言い残し、くるりとターンしてそそくさと出ていった。
「大丈夫、私はお母さんの事ちゃんと大人って分かってるよ」
頭を撫でながら慰めた。さっきの出来事はかなり母のメンタルにきたようだ。
「それよりもほら、制服とか教科書見てみようよ。お母さん私達の制服姿とか楽しみにしてたよね?」
そうしてさっきの出来事から、母の意識を逸らしていく。
母の表情が急に明るくなった。
「うん!じゃ、里奈ちゃんも呼んできて制服着て三人で写真も撮ろうね〜」
「そうだね、良い思い出になると思うよ」
そうして母は里奈を呼びに2階に行った。その間、私は二つの段ボールをリビングに運んで行った。筋肉痛の身体には応えた…
荷物を運び終わったとほぼ同時に母と里奈が降りてきた。
「ママ、二人の制服姿しっかり撮るからね〜」
そんな事を言われると少し緊張してくる。
「このブレザー可愛い〜!」
里奈は既に箱を開き制服を取り出していた。私も中を確認してみる。
黒地に金色のボタンが二つ、左胸の所に校章が付けれられていた。校章は星にリボンのような帯を巻いたような形だった。カッターシャツは薄い爽やかな青色で夏用の半袖、冬用の長袖がそれぞれ入っていた。スカートに至ってはチェック柄のオシャレなデザインだった。そして胸元につける細いリボンが入っていた。
里奈は手早く着付けてくるりとターンしたりしていた。とても満足しているようだ。
早速私も着替えてみた。とても新鮮な気持ちだった。同時に身が引き締まるような感覚も味わった。
「二人ともすごく似合ってる〜、可愛いよ〜!」
母が私達の周りをくるくる回りながらケータイで色々な角度から写真を撮っている。少し気恥ずかしかった。
「二人共、こっち並んで〜」
母が私と里奈の手を引き、壁の近くに並べる。そして母が間に入り写真を撮る。
「はい、チ〜ズ〜」
パシャ、パシャ
三人で並び記念撮影をした。母が私達に撮れた写真を見せてくれた。良く撮れている、特に母がとても良い顔をしていた。本当に幸せそうな家族写真だった…
その後、私達は教科書の整理や中に同封されていたプリントを元に、明日の転入に際しての大まかな手順の確認をしていった。
そのプリントによるとまず私達は1時間目のホームルームが始まる30分程前に職員室に向かいそれぞれの担任の先生と挨拶をした後、教室に向かうそうだ。それから自己紹介をしていく流れになっていた。
私はかなり緊張していた。人と話すのは苦手では無いがクラス全員の前で話すのにはやはり勇気がいる。皆の前で緊張のあまりドジをしないか少し不安になってきた。
そうこうしている内に昼時になり、母が昼食の準備に取り掛かった。私と里奈は部屋に荷物と制服を置きに一旦戻った。
本棚に教科書を並べていた時、里奈の部屋から微かに笑い声が聞こえてきた。 楽しみで浮かれているのだろうか、結構可愛い所があると思った。
下に降りようと部屋を出ると廊下に甘〜い匂いが漂ってきた。
キッチンに行ってみると母がホットケーキを焼いていた。
「志穂ちゃん、お片付け終わった?今日のお昼はホットケーキだよ〜」
お昼にホットケーキとは珍しいと思った。
「ホットケーキは里奈ちゃんが好きなの〜、小さい時よく食べてたんだって〜」 昨日里奈と話をした時、里奈についてもう少し聞いておけば良かったと思った。妹の事をあまり知らないというのは、姉としてダメだと思うし。
「あー!ホットケーキだー!ママありがと〜」
匂いに釣られたのか里奈も降りてきた。ちょっと可愛かった。
「里奈ちゃん、ジャムとバター用意しておいてくれる?志穂ちゃんはお茶お願〜い」
「はーい」
私達はそれぞれ昼食の用意を手伝う。母が焼けたホットケーキを皿に盛り付け、里奈が上からバターを載せ、ジャムを周りに垂らしていく。バターが溶けてケーキから滴る。
「いっただきま〜す!」
里奈が一口ぱくりと口に含む。
「う〜ん!おいしい!」
とても幸せそうな顔をしていた。私も食べてみる。口に入れた途端、バターとジャムがパン生地に絡み絶妙なバターの塩加減とパン生地とジャムの甘みが口の中で溶け合う…
私も思わず頬が緩んでしまう。
「お代わりもあるから二人ともいっぱい食べてね〜」
母はそう言って生地をボールに継ぎ足していた。
「ママ、最高〜!」
本当に里奈は無邪気な笑顔でホットケーキを食べていた。ふと、里奈がホットケーキを特別好いている理由が気になり質問してみた。
「里奈は何かホットケーキに思い出があるの?」
里奈は一旦食べるのをやめ、少しお茶を飲んでから話してくれた。
「この際だし話しておこっかな〜。ホットケーキはね、パパとの思い出なの。里奈のためにパパが休みの日に作ってくれて一緒に食べてたんだ〜」
「志穂ちゃんがオムライス好きだったのも、ママと一緒に作ってたからなんだよ〜」
母が新しく焼けたホットケーキを里奈の皿に載せながら、補足してくれた。 里奈との間接的だけど共通点が見つけれて少し嬉しかった。
食事を終えた私は午後をゆっくりと過ごした。テレビを見たり母と他愛のない雑談をしたりと、本当に穏やかな午後が過ぎていった。
里奈は部屋に戻ったきりだった。
7時くらいになり母と私は夕食の準備に取り掛かった。今日の夕食は夏の定番、そうめんだ。
だし汁は母の手作りだった。鰹、昆布、その他調味料を加え煮込んで作るらしい。母がそうめんを茹でる間に私はネギ、生姜等の薬味を用意していった。「志穂ちゃん、里奈ちゃん呼んできてくれる?」
「うん」
私は志穂を呼びに行こうと廊下に出た時、里奈が帰ってきた。いつの間にか外出していたようだった。
「里奈、ご飯そろそろできるよ〜」
「分かった〜、着替えたらすぐ行くね!」
里奈は笑顔で応えた。
私はそのままキッチンに戻り夕食の準備の続きをしていった。
外を見ると、空にはぼんやりと月が浮かび、雲が少し多くかかっていた。
里奈が降りてきた。
「お姉〜ちゃん、何か手伝おっか?」
「じゃ、この刻み終わった薬味とだしを一緒にテーブルに運んでくれる?」
「はーい」
私達が準備を進めている間に麺の準備も出来たようだった。
母が涼しげな色合いのガラスの皿に麺を綺麗に盛り付けて運んできた。
「うわぁー、きれ〜い!ママ上手〜」
「ありがと〜、里奈ちゃん」
一口程に纏められた麺がいくつも皿の淵から中心に向かって花弁のように盛り付けられていた。とても芸術点の高い出来栄えだった。少し食べるのが勿体ない気さえする程だ。
「志穂ちゃん、里奈ちゃん、早く食べよ〜」
「うん、そうだね」
そうして私達は夕食を楽しんだ。明日の学校の話や先生の予想をしたりと、話題は尽きなかった。
食事を終え私はお風呂に入る事にした。私の後から里奈もついてきた。
「お姉ちゃん!一緒に入ろうよ〜」
「え〜、里奈変なことするし…」
初めは私も断ったのだが里奈が変な事はしないと約束した上に、どうしても入りたいと何度も言われては流石に私も折れてしまい、一緒に入る事にした。
服を脱いでいる時、里奈が私達の小さい時について少し話してくれた。
「小さい時はお姉ちゃんとよくお風呂入ってたんだよ。お風呂の中で水鉄砲で遊んだりしてたんだ〜」
「何か楽しそう」
少しクスッと笑う。
「でもさ、もうあの時には戻れないんだよね〜」
私は里奈が何か他の事を思い起こしながら、そんな言葉を漏らしたように感じた。
そうして里奈に少し手を引かれながらお風呂場に入って行った。
髪を洗い終わり、スポンジに手をかけた時、里奈がその私の手を持って言ってきた。
「お姉ちゃん、今日は里奈が身体洗ってあげるね!」
「自分で洗えるからいいよ〜」
「そんな事言わないで〜、今日は『特別』だから」
里奈が半ば強引に私のスポンジを取り背中を洗い始めた。里奈は私の身体を丁寧に、丁寧に洗ってくれた。
「お姉ちゃん肌スベスベしてて気持ちいい〜」
「そうかな?里奈もスベスベしてると思うよ」
「お姉ちゃんの方が気持ちいいよ」
そんな会話をしながら私達はその後、ゆっくりと湯船浸かった。二人だとかなり窮屈だったけど、これはこれで私は良かった。
「里奈、里奈は明日からの学校楽しみ?私は何だかちょっと不安で…」
私は胸の片隅にあった不安を里奈に打ち明けてみた。
「楽しみだよ〜。お姉ちゃん、明日の事なんてどうなるか分かんないじゃん。だから今日の事から心配した方が良いんじゃないかな〜?」
里奈は私にもたれ掛かり、少し微笑みかけながら、アドバイスと言うよりは忠告の様なものをくれた。
「ありがと、ちょっと気持ちが軽くなった気がする」
「なら良かったよ。お姉ちゃん、そろそろ里奈のぼせそう〜。そろそろ上がろうよ〜」
そう言って里奈は湯船から上がった。私も里奈に続いて上がる。そうしてタオルで身体を拭きドライヤーで髪を乾かしていった。
リビングに入るとエアコンが付けられていて、快適な空間が広がっていた。 母は2階にいるのだろうか?私と里奈の二人きりだった。
私はソファーに腰掛けてくつろぐ。里奈が横に座り、私にくっついてきた。ちょっと可愛かった。
「お姉ちゃん、お風呂上がりにアイス食べたくならない?」
確かに…こんな涼しい部屋でアイスを食べられるのはかなり魅力的だ。
「それ良いかも」
「でしょ〜。じゃ、里奈が奢るからお姉ちゃん、アイス買ってきて欲しいな〜。」 なるほど、そう来たか…
「お姉ちゃんが帰って来たら、里奈がマッサージしてあげるからお願〜い!」
少し手間だけどお風呂上がりの散歩も悪くないと思い私はアイスの買い出しを引き受けた。近くのコンビニまでは歩いてたった5分程の距離だ。
私は部屋からジャージを持ってきた。髪を後ろで結びながら、出発の準備をしていた。
「里奈はアイス何が良い?」
「お姉ちゃんに任せよっかな〜」
そう言いながら里奈は私に1万円を差し出す。
「これでお願い。ちょっとしたお礼の意味もあるし…」
流石にこんな事で妹からお金を貰うつもりは私には無かった。帰ってきたらちゃんと返してあげようと思い、一旦そのまま頷き受け取った。
里奈は玄関まで一緒についてきた。
「じゃ行ってくるね」
「うん。悪い人に襲われるかもしれないから気をつけてね〜」
里奈は笑顔で私を見送ってくれた。
「は〜い」
そう言って私は家を後にした。
そう……。
この時から私の運命の歯車は、もう一つの歯車を無理やり組み込んで大きな音を立てて回り始めた。その歪な形をした運命の歯車は私の人生を大きく変えていくことになった…
外が少し湿っぽい、雨の前のしっとりとした空気だった。
私は少し早足でコンビニに向かった。路地の隙間で人の気配がしたような気がした。夜だから少し怖くてそう思ってしまっただけだったのだろうか。見た所誰も居ないようだった。
「いらっしゃいませー」
コンビニには女性の店員さんと客は私だけのようだった。田舎と言う事もあってか夜はやはり出歩く人が少ない。
私は母の分も追加で買うことにし、カップアイスを二つとシャーベットを手に取りレジに向かった。
「ありがとうございましたー」
会計を済ませ私は再び足早に家の帰路につく。
さっきの路地の隙間の前を通った時、私は急に右手を引かれ路地裏に引っ張り込まれた!
「ちょっと!やめてください!離して!」
私を引っ張り込んだ男は片手で私の両手を掴み、そのまま私を壁に押し付けてきた。手首が痛くなるほど強く握ぎられ身動きが取れ無い…
「こんばんは、お嬢ちゃん。ちょっとおじさんと遊んでくれないかな?」
余りの恐怖に声が出なかった。私は口がパクパク動くだけで何も言えなかった。
「ごめんなお嬢ちゃん、お嬢ちゃんの事は知らねえけどここを通る女の子がいたら好きにしろって、その後殺してくれって言われてんだわ。持ってた金は全部やるときた。」
男が不気味に笑いながらそんなことを言った。もう私は何が何だか分からなかった。
「本当、ひでー話だよな。ま、俺はお嬢ちゃんで楽しめる上にやる事やって、お嬢ちゃんから軽く金貰えんだから美味い話だよな〜?」
そう言いながら私の尻ポケットに手を掛けてきた。
怖い、やめて、誰か助けて……
「どした?お嬢ちゃん何か言ったらどうだ?怖くて喋れねえのか?ま、それはそれで都合が良いけどな。はははっ」
そう言って男は私の身体を空いている方の手で撫で回してきた。
男の手が私の太ももを撫で回す。息が掛かるほど近くにまで顔が近づいてくる…
「お嬢ちゃん、俺は女の子が首絞められて苦しむ顔が大好きなんだよ。お嬢ちゃんの綺麗な顔が苦しくて歪む所、俺に見せてくれよ。」
男はゆっくりと私の首に手を掛け、ゆっくり、ゆっくりと首を締め上げてきた。私の力では男の人の手を引き離す事は出来なかった。息が少しずつ苦しくなる。
(まだ、死にたくない。私はまだ記憶も戻ってないし、お母さんや里奈ともっともっと色々な話がしたい!死にたくない…)
「お嬢ちゃん、良い顔してるね〜」
どんどん首が締め上げられてくる。息が出来ない…
その時、またあの頭痛が私を襲う。
こんな大事な時に…
首を締められているのか頭痛からなのか、もうよく分からなくなっていた。 意識が段々遠くなる…
(お母さん、里奈、さよなら。ごめんね……)
私はもう死ぬと思い、最後に家族に思いを馳せた。
そして次の瞬間、私は自分の内側に意識が沈んでゆき、入れ違いで何が出ていくのを感じた。この感覚は前に眠っている時に感じたような…
とても不思議な感覚だった。
「おいおい、もうちょっと楽しませてくれよ〜」
そう言いながら男は少し手を緩めた。
「おい、お前…。その汚ぇ手、離せよ」
私じゃない私は男の手を掴んでいた。
「お嬢ちゃん〜、今更凄んだっておじさん怖くないよ?」
男は小馬鹿にしたような受け答えをする。
「離せって言ったのが聞こえなかったか?」
私はその時不思議な感覚に陥っていた。自分の身体が勝手に誰かに動かされている、そして私は自分の意思で身体を動かせない、まるで身体の主導権を奪われた、そんな感覚を。
「お前はこいつの、そして俺の使ってる身体に度を越してやり過ぎたな。もう少し出れるのが遅かったら死んでただろ…」
この私の身体を動かしている『誰か』の口調は何処かで聞いた気がする。
「お嬢ちゃんいきなり何言ってるのかな?」
次の瞬間、強烈な蹴りが下半身に命中し、男が地面にうずくまる。
「あーっっ!、何にしやがんだ、このガキ!」
男は苦痛に満ちた声で私を罵っていた。正確には私の身体を使っている誰かに。
(一体何がどうなってるの!?あなたは誰!?私の身体どうなるの!?)
私はそう強く私の内側からこの身体を使っている謎の人物に問いかけてみた。「うるせー!ぎゃーぎゃー喚くな。黙って見てろ。」
(えっ、通じてる?今、私の言葉通じてる?)
「聞こえてる。話はこいつを黙らせた後だ。ほら、見ろよ」
男がポケットから折りたたみ式のナイフを取り出していた。
私は内側からスクリーン映画のように映し出される外の様子を見ていた。いや、見ていたと言うよりも感じていたのだろう。
「さっきから何を一人でゴタゴタ言ってんだガキ!もういい、気が変わった。お前はじっくり刻んで殺してやるよ…」
男は不敵な笑みを浮かべ、ジリジリとこちらに寄ってくる。
「お前、今『殺す』って言ってたよな?武器持って殺意示したら、自分も同じもの賭けてるって事分かってる?」
「何言ってんだ?お前の今の立場わかって言ってんのか?丸腰で何が出来る?」(その人の言う通り丸腰じゃナイフ相手に何も出来ないし危ないから逃げようよ!)
私は必死に私と今私の身体を動かしている彼の身を案じて語りかけた。
「ダメだ。こいつはちょっとやり過ぎたんだよ。」
「だからさっきから何一人で喋ってんだよ!ガキ!」
そう声を荒らげながら男はナイフで切りかかろうとしてきた。
しかし、信じられない事に彼はむしろこの状況を楽しんでいた。彼は笑っていた…
「安心して見てろ、かすり傷すら付けずにこの体は後で返してやるから」
そう言って彼は素早く左に踏み込み、こちらに突っ込みながら振り下ろされる男のナイフをかわし、鳩尾に膝蹴りを入れると、そのまま男の首に手を回し地面に顔から叩きつけた。
「あーっっ!」
男が余りの痛みに苦痛の声を上げる。
そして男が落としたナイフを徐ろに拾い上げると、そのまま大きく振りかぶり男の首に突き刺そうとした。
(だめー!!)
私は声の限り叫んだ。手が止まる。彼が私の考えがまるで理解できないという風に私に語りかけてきた。
「こいつ、お前の事殺そうとしてたのにどうして止めるんだ?」
(そんなの関係無いよ。どんな理由があっても人は殺しちゃだめなんだよ…)
「まぁ、お前が良いなら今回は殺さないでおくか…」
「とっとと失せろ」
そう彼は男に冷たく言い放ち、ナイフを収めた。
男はあたふたと逃げ出し、途中に色々と脇の壁や物にぶつかっていた。
(あの、助けてくれてありがとう…)
「気にするな。それよりもさっきのお前の質問に答えてやる」
そう言って彼はまず自分自身について話し始めた。
「まず名前から、俺の事は今は『イヨリ』で良い。そっちの事は『志穂』って呼べば良いか?」
そう言って淡々と彼は話を進めていく。
(待って、何で私の名前知ってるの?)
「何でってそりゃ、ずっとお前の中にいたんだから知る機会なんていくらでもあった。」
(ずっと!?)
こんなよく分からない人が私とずっと一緒にいたと言う事実にただただ驚くしかなかった。
「正確にはお前が病院で意識が覚醒した時からだな」
(あなた一体何者なの?)
「今はまだ答える訳にはいかない。まだ周りの問題が解決してないからな。然るべき時が来たらきちんと話すつもりだ」
「で、次に今のこの状況についてだな。俺はお前と一緒にあの日病院で目覚めた。最初は俺も自分が人の心の中にいるなんて思わなかった。色々と推測を重ねている内に、どうやら俺とお前は同じ体を共有していると言う結論に至った。分かりやすく例えるなら体をルームシェアしているって事だ」
説明されても私には全く理解できなかった。この現象は理解できる領域を遥かに逸脱した状況であるというのはよく分かった。
(えっと、その、つまり私とあなたがくっ付いたって事?)
「当たらずも遠からずだな。まぁ、そんな理解で良いんじゃないか。」
彼は少し面倒くさそうに答えた。
「今お前が覚えていれば良い事はこの三つだ。一つ、俺とお前は運命共同体である。お前が死ねば俺も死ぬ。二つ、俺はしばらくお前の中で世話になる。一度死んだ身だが、この世に未練ってやつがまだまだ残ってるからな。それに引き離し方もまだ分からないからな。そして三つ目だ、これからはお前の身に危険が迫った時は俺が出てお前の身を守ってやる。」
「何か質問は?」
(待って、待って、質問だらけなんですけど!?)
どうして彼はこうも冷静でいられるのか私にはまるで分からない。
「何だ?端的に説明したつもりだったけどな。」
(引き離し方分からないってそれ致命的じゃないですか!?)
「宛は幾つかある。当面はその宛を頼りに解決策を探すつもりだ。」
これが最大の不安要素であったけど予想通りまだ解決法は無いようだった。
(もう一つ、この入れ替わりってどうやって戻すの?)
「あー、それなら俺がコントロールしてるからそこは大丈夫だ。お前は俺の事は好きには呼び出せないけどな。安心しろ、俺は滅多にこんな事はしない。これするとかなり疲れるんだよ…。それにお前の身体にも掛かる負担が大きいしな」
(負担って具体的には?)
彼はおもむろに私の身体を使い身体中を触りまくった。
(ちょっと、ちょっと何やってるんですかー!?)
「お前、今日筋肉痛がすごいな。使ってて思ってたけど身体中筋張ってる。」(今日起きたらそうなってたけど、それが何か関係あるんですか?)
「これがお前の身体に掛かった負担の証だろうな。おそらく俺が出るとお前の身体中に過度なストレスが掛かってるんだろうな。まぁ、無理やり精神を肉体に繋いで動かしている訳だから無理もないか…」
これで今日の謎の筋肉痛の正体が分かった。
(最後にあの頭痛もあなたと関係が?)
最後にとても気になっていたあの電流が流れるような頭痛について質問してみた。
「頭痛か…いつ痛んだ?」
(えーっと、確か昨日の朝とかお風呂の時とか?)
「これは定かでは無いが俺かお前、どちらかが精神的に不安定になったからじゃないか?今はこうして俺は自由に外と内側をコントロール出来るようになったから、もうその頭痛は今後無くなるはずだ。こうして俺が自らの意思で出れるようになったのはお前の心がさっきの出来事で不安定な方向に完全に振り切れて俺とお前が持っていた心のガードの様な物が消し飛んだからだろうな。それまではお前の自我がきっちりしてたから出る隙はほとんど無かった。それで朝の方で何か心当たりはあるか?」
彼は自らの仮説を元に詳しく状況を説明してくれた。
(朝は多分学校の事ですごく不安になったからかな?じゃ、夕方の頭痛はイヨリさんが何か動揺とかしたって事だよね?何かあったの?)
二度目の頭痛について率直に質問してみた。
世の中には知らない方が幸せと言う言い回しがある。私はこの質問の後で、彼の回答を聞かなければどれだけ幸せだっだろうか…
「あれか、あれは外の世界を見ると風呂場だった。そこにその…裸の女が鏡に映ってて、いきなりでかなり動揺したな…」
(わた、私のはだ、裸、見たんですかー!?)
「本当に悪かった…」
(………………。)
(この変態、バカ、鬼畜、変態、セクハラ、変態!!)
「悪かった、あれは事故だ…」
彼は以外と素直に反省しているようだった。心を通じて何となく分かる。
(裸見たのは許さないけど、助けてくれたのは本当に感謝してる…)
(だから……少しの間なら一緒にこの体使っても良いかな…)
私は彼の事は今はよく分からない、でも彼がいると何処か安心している私がいるのも事実だった。そうした思いから私は彼との暮らしを受け入れる事にした。
「じゃ、これからよろしく頼む、志穂。」
(よろしく、イヨリ…)
月が道を照らす。さっきまでのどんよりとした曇り空は嘘のようだった。
(じゃ、帰ろっか)
「そうだな、その前にアイス買い直した方が良いんじゃないか?」
(あー!ぐちゃぐちゃに溶けてるー!)
この夏の日に私と彼、『イヨリ』との運命の出会いがあった。長いようで短かった彼との日々は、私の人生に置いて最も楽しく最も辛い時を同時に合わせ持つ、そんな日々だった…
第一章 「ある夏の日、運命の出会い」 〜完〜
ここまで読んで頂きありがとうございました!
ふと思い立って小説を書いてみた超ど素人の筆者です(笑)
素人などで表現や小説の決まり的に間違った所があるかもしれませんが何卒……
それでも楽しんで頂けていたなら幸いです!
ArtiFact