第五話「浴場と洗浄」
外から生温い風が吹き抜けてくる。
人形の体となったキュウタにとってその感触は廊下で体感したものと変わりない。
衣類を纏わずとも自身の体が布製であり衣類のようなものだからだ。
一方アルトは異なる。
「ふふん! 誰かとお風呂に入るの久しぶりだなぁ!」
アルトの肌は全身とても白い。
恐らく生活の殆どをこの大きな屋敷の中で過ごしているからなのだろう。
それとは対照的にアルトの全身を包む長い髪は濃い赤毛で、その肌の白さを引き立たせる。
かなりの癖毛なのかその髪は重力に逆らい、湯気の中でも巨大な尻尾のように彼女の動きにあわせ揺れていた。
ようするに彼女はこの露天風呂とも言える浴室の入り口に、身につけていた衣類を全て脱ぎ捨てきたのだ。
「……ねぇキュウタ、どうして外の方ばかり見ているの? 外が気になるの?」
キュウタはそんな彼女のありのままの姿を直視することが出来ず、壁に空いた穴から外ばかり見つめていた。
「……き、君は恥ずかしくないの?」
ぼそぼそと言葉を漏らすキュウタにアルトが首をかかげトドメの一撃をかける。
「……何が?」
改めて彼女から聞いた話を整理すれば、彼女はこの場所で今よりも幼い時から一人で生活していた。
それは彼女に恥じらいを教えてくれる存在がいなかったことを意味する。
「さ、しっかり洗おうねキュウタ!」
「むぎゅ!」
アルトはキュウタを抱きかかえ湯をためた浴槽へと向かう。
衣類がない分キュウタは今まで以上に彼女のやわらかい肌の感触を布の体全身で感じることになる。
未成熟ではあるが成長途上の彼女の体は彼を身悶えさせる程にははりと凹凸があり、湯船からあがる湯気の中でもしっとりと彼の体を優しく包んでいた。
彼女が一歩歩く度に背中へとプニプニした何かが彼を撫でる。
気恥ずかしさが頂点に達するキュウタであるがその時違和感を覚える。
羞恥心こそ湧き上がってくるものの、彼はアルトに対して性的欲求を抱くことは無かった。
これはアルトが未だ幼いからという訳ではなく、彼自身に理由がある。
人形となったキュウタは人間だった頃と体の構造が異なる。
人形である以上、繁殖の必要性がない。
繁殖に必要な器官を持たない以上、それに伴う感情も生まれない。
確かに人間は大怪我をして腕を失った時、無い腕が痛む「幻肢痛」というものを感じることがある。
つまり元々持っていたものを失った場合でも、ないはずのその部位の感覚が残っていることがある。
しかし彼の場合は失ったのではない。
生まれ変わったのだ。
彼自身、未だこの事実に無自覚であるが彼女との肌と肌との触れ合いの中で人間の頃の感覚と今の自分の感覚が違うことに気付いていく。
女の子から女性へと向かう若々しい肉体を前に彼の抱いた感情は性的な興奮ではなかった。
代わりに肌を通じて伝わってくる彼女の温かい胸の鼓動、そこにどうしようもない愛おしさを感じた。
そのことに気付いた時、キュウタは彼女の腕の中でそっと自分の胸に手をあてる。
彼の胸からは心臓の鼓動の代わりに言いようのない「熱」を感じる。
それは触れれば熱いというものでも、アルトの肌のような温かさでもない。
不確かなゆらぎある「熱」だった。
彼はそれがなんなのか理解出来ず、ただただ手をあてるばかりだった。
「どうしたのキュウタ?」
無垢な笑みを浮かべたアルトがキュウタに問いかける。
「……いや、なんでもない」
「ならまず綺麗にしようね! キュウタ!」
浴槽の側に立ちアルトは水桶を用意する。
それは木をくり抜いて作られた粗末なもので現代日本で育ち、プラスチック製の風呂桶にみなれていたキュウタにはどうにも滑稽な品に見えた。
「じゃあキュウタを綺麗にしてあげるからね!」
お湯をはった水桶にキュウタは漬け込まれる。
彼の体は桶よりも大きく胴体だけお湯に浸かった状態だ。
水に浸かっているものの不思議と布の体にお湯が染み込むことはない。
少しさめた生温いお湯が彼の体を包む感触は人間だった頃とほぼ変わらないと言える。
キュウタをいれたアルトはその正面にしゃがみこみ笑顔を向ける。
ペットを飼った経験のないキュウタであったが、飼い主に洗われる犬の気持ちをその場で理解することになる。
更に言うならば今まで抱きかかえられるばかりで直視する機会がなかったがアルトのありのままの姿を正面から目撃することになる。
彼は一瞬でその姿を人形の体にあるかどうかわからない脳裏に焼き付けると共に、反射的に90度首を傾け目をそらす。
「……どうして横を向くのキュウタ?」
「……脇のほうが汚れているかなと思って」
「私がずっと抱きしめてたもんね! ならしっかり洗うねキュウタ!」
彼なりの言い訳を真に受けたアルトはは水桶に浸かるキュウタに向かって手を伸ばし彼の体をしっかりと握る。
そうすると目をつむって、静かに囁きだす。
「 Clopen Resisttice edis Rimiru 」
彼女がその言葉を口にする度に左手から黄緑色の光が文字となって現れ鈍く発光する。
言葉の詠唱と共にキュウタを掴む彼女の手の平から泡が沸き立つ。
「な、なんだこれ!?」
沸き立つ気泡は驚くキュウタを瞬間的に包み込み、すぐさま消えていく。
泡が消えた後からキュウタの体は埃一つない新品の人形のように綺麗になっていた。
「終わったよ! キュウタ!」
泡が全て消えると共に彼女の腕で鈍い光を放っていた文字も消えていた。
詠唱を終え笑いかけるアルトに対してキュウタは食い気味で問う。
「今何をしたのアルト!?」
「何って……、洗濯だよ?」
「今の呪文みたいなのは?」
「お父さんから教わったの! 生活に便利な魔導式は早く刻み込みなさいって言ってた!」
「……魔導式?」
「……キュウタは知らないの?」
「うん! 僕がこの姿になる前にそんなもの聞いたことなかった!」
彼の言葉を聞いてアルトは何故から嬉しそうになり彼を水桶から抱え上げる。
「ねぇキュウタ! 折角だからお風呂で一杯お話しよう! キュウタのこと一杯聞かせて!」
「え、ちょっとアルト! 僕はつけないんじゃなかったの! あと君はまだ洗ってないじゃん!」
「いいの! いいの!」
アルトはキュウタを抱きしめ湯船に飛び込んだ。
◆つづく◆