前奏曲「死して目覚める者」
夕刻、その地を有象無象が闊歩する。
カタカタと足音が乱立し、多くの個人が一つの生き物となる。
現代日本を象徴する人民大移動、駅での帰宅ラッシュである。
その街の中で都市部に位置するこの駅には数多の人間達が集まる。
「おかーさん!これうさちゃん!」
「はいはい、危ないから振り回しちゃ駄目よ」
手にした人形を自慢気に振りかざす娘を母親が宥める。
こうした家族の姿もあればスーツ姿の社会人達、制服の学生達も列をなしている。
そんな夕暮れに染まる駅のホーム、人混みの中に一人の少年がいた。
少年は列の最前列に並び、肩を震わせる。
「……一歩、一歩進めばいいんだ」
少年はその時、迷っていた。
一歩踏み込むか、否か。
彼の名は「宮ノ森久太」、17歳。
彼に他人と違う点があるとすれば、強い疎外感を抱いていることだ。
その原因は二つ、一つは三年前になくなった彼の父親にある。
彼の父親「宮ノ森誠」はトラックドライバーだった。
家族の元を離れ、全国を駆け巡り日本の流通を支え続けていた彼だったが三年前、大きな事故を起こす。
トラックの運転中、当時自転車を運転中だった女子高生「諏訪蛍」と衝突、即死させてしまう。
これを悔いた父親は刑事裁判を前に自殺、母親は心労で倒れる。
元々家にいない父をよく思っていなかった久太はその事件を機に、父親に失望する。
二つ目、彼にとって最も不幸だったことは父が事故を起こしたことがすぐに彼の学校中に知れ渡ってしまったことだ。
どんな理由であれ、人殺しの息子である彼が学校という小さな集団の中でよく扱われることはなかった。
しかしそれがわかっていても父も母も親族と疎遠であり、母が倒れ頼るものがない彼はそこにいなければならなかった。
当時中学二年生であった彼を取り巻く環境は筆舌し難い程に荒れていた。
同い年の権力者達はただただ彼を虐げ、教師も静観の姿勢を貫いた。
人殺しの息子という共通の敵をもつことでクラスは結束し、気弱だった彼はそれに抗う術を持たなかった。
クラスでイベントがあるごとに口を揃えて皆が言う。
「おまえなんかいらない」
彼はそれでも入院する母を心配させまいと一人で生き続けた。
地元から離れた高校に進学すると以前のような扱いは減った。
だが彼が人殺しの息子であることにかわりはなく、どこからか彼の過去は知れ渡り、彼に聞こえないところで彼の話は話題になった。
そんな生活を続けるうちに彼の心は疲弊し、摩耗し、それでも一つだけ意地が残っていた。
「僕は父さんとは違う」
苦しくて仕方のない現状から逃げ出したい。
しかし彼は生きることから逃げ出した彼の父親を軽蔑するためだけにただただ闇雲に立ち竦んでいた。
だからこそ死んで楽になりたいという気持ちと父のようになりたくないという葛藤が彼の中で渦巻き、線路の前で震えていた。
「まもなく電車が参ります。 危ないですので黄色い点字ブロックまでお下がりください」
線に沿って並ぶ群衆の中で少年は誰よりも孤独で、誰よりも求めていた。
自分を必要とする誰かの声を。
彼の願いに反して、電車はホームのすぐ傍にやって来る。
瞬間、彼の横を何かが通り過ぎる。
「あ、うさちゃん!!」
先程の娘が振り回していた人形を手放してしまい線路へと投げ込んでしまう。
駆け込もうとする娘を母親が止める。
「駄目よ、電車が来るから危ないの!!」
線路に落ちた人形を取りにいくものはいない。
皆が皆、危険だとわかっているからだ。
帰宅ラッシュの人混みに紛れ、駅員も反応が遅れる。
「うさちゃんが!! うさちゃんが!!」
娘は泣き出す。
助けを求めて。
その言葉に喜々とした者が一人だけいた。
悩み苦しみ続けていた彼の動きは早かった。
「そこの少年! 止まりなさい!」
宮ノ森久太はすぐさまに線路に飛び込み、落ちた人形を拾い上げホームへと投げ返す。
投げ返した彼はその動きを止める。
電車のブレーキ音がなり響くも、止まることはない。
瞬間、少年は走馬灯をみる。
「お前なんかいらない」
言われ続けていた言葉がブレーキ音に掻き消される。
電車が迫るにつれて死んだ父の顔が思い浮かぶ。
それは父が死ぬ前日の最後の会話の瞬間だった。
死ぬ直前の父は生気のない顔で少年を睨み、口元を動かす。
「 」
彼がその言葉も思い出すまでにすべての音はブレーキ音に掻き消され、何を言われたのか思い出せなかった。
思い出そうとするよりも先に強い衝撃が彼を襲った。
【◆◆◆◆◆】
……。
……。
「……!」
……。
「……ん!」
死してなくなったはずの彼の意識に声が聞こえ続ける。
「……うさん!」
彼の知らない誰かの声が。
「お父さん!!」
その言葉に彼は瞼を開く。
目を覚まし彼が見たのは、彼の前で泣きじゃくる赤毛の女の子だった。