前奏曲「残された少女」
雷鳴が夜の闇を割く。
灯火が消えた薄暗い部屋の窓へと差し込む稲妻が二つの人影を映した。
「……おとうさん! おとうさん!」
一つの影は赤毛の髪の幼い娘。
もう一つの影に両手でしがみつき、強く揺さぶっている。
身につけたドレスの各所が破れ、その柔肌を晒しているにも関わらず彼女がそれを気に止めるようすはない。
彼女が投げ捨てた白い兎の人形は二つの影の間に静かに眠っている。
「……大丈夫だ、アルト。……私は、……お前の傍にいる」
もう一つの影は彼女よりも大きな男。
整った高貴な衣装もすすよごれ、彼女の前に横たわる。
彼の腹部から染み出すおびただしい出血が二人の足元に静かに広がっていくばかりであった。
「……しっかりして! おとうさん!」
彼女が彼を揺さぶる程に彼女の破れたドレスも熟れた赤色に染まる。
人形も血を吸って変色し赤く濁る。
「……いやだよ! ……おとうさんまで、……おかあさんのとこにいくなんて!」
泣きじゃくる彼女の頭を男は優しく撫でる。
「……いいか、アルト。 よく聞いてくれ」
優しい口調の男に娘は首を傾げ嗚咽を抑えた。
「……おとうさん?」
「……このままお前が一人でいるのはとても危険だ」
男は何かを決心したように彼女を見つめる。
「だからお前に私の力を渡そう」
「……お父さん?」
「この力、『魔王のハ片』をまだお前には扱いきれないことはわかってる、……不甲斐ない父を許してくれ」
「……いやだよ、そんなのいらないよお父さん!!」
彼女は泣きながら彼の言葉を拒む。
小さな彼女が持てる全ての力を持って。
「……アルト、わが娘よ。 最後に一つ、聞いてくれ」
男から絞り出されたかすれた声を聞いて彼女は抵抗をやめた。
それは目の前の男の決意に満ちた瞳に射抜かれたからだ。
「……この力を持たずともお前はきっとこれから多くの困難にあうだろう」
残りの命を振り絞ったその眼光が既に時間がないことを彼女に理解させた。
「……一人は辛いかもしれない、……だがお願いだ」
その言葉の一つ一つが確かに彼女の脳裏に刻まれる。
「生きていてくれ……」
それは魔法の呪文のように。
「いつかおまえを救ってくれる、何かに出会う時まで……」
それでいて呪いのように。
「それが私と……、お母さんの願いだ」
彼がその言葉を残すと二つの人影は次第に靄に包まれる。
その靄は男の中から這い出してきて、瞬く間に周囲を包み、全ての光をかきけしたのであった。
闇に沈む彼女はぐしゃぐしゃになった顔で、……ただただ涙をこらえていた。