2. 最初の羽ばたき
私がデスクトップの壁紙に使っている写真は、多分世界で最も有名な一枚だろう。外国の大都市。天に聳える摩天楼。ビルの間を縫うように舞う、無数の南国の蝶。メタリックな赤や青や緑や黄色が青空に映えて、鏡のようなビルの窓に映って目が眩むような煌きを見せている。十五年ほど前に撮影、あるいは録画されて、その美しさに世界中を席巻した画像だ。
もちろん、野生の蝶がこんなに沢山都市部に出現するはずはない。だから最初は映画か何かの宣伝か、アート作品として演出されたものだと誰もが考えた。綺麗だけど環境的にはどうなんでしょうねえ、なんて。アナウンサーが苦笑して映像を紹介していたのを覚えている。その時私は小学生の子供だった。
でも、無数の蝶が宣伝すべき物語も、作者だと名乗る人物も現れなかった。それに蝶たちも、鳥なんかに食べられたとしても説明がつかないほど跡形もなく消えてしまった。でも、集団幻覚と思うには、証拠の映像はあまりにも多くの人によって記録されていた。
テレビや雑誌で科学的、あるいはオカルトの方面から説明しようとする特集は当時よく見たし、摩天楼の大都会に虫取り網を構えた昆虫学者がたむろしている映像が微笑ましいものとして紹介されていたのも覚えている。
美しくも不可解な蝶の群れ――でも、それだけならばすぐに人の記憶から消えただろう。芸能人のスキャンダルに、凄惨な殺人事件。政治家の失言、失脚、選挙。報道されることは沢山ある一方で、蝶の行方も出所も、一向に解明されなかったから。
でも世界は煌く蝶の群れをすぐに、それに何度でも思い出させられた。最初の都市がある国に限らず、国境や海を越えて、暑さや寒さ、山や森や草原や砂漠の区別を問わず。世界の各地で、無数の蝶の群れが、柱のように立ち上ったのだ。
最初の時のように南国の煌びやかな種、もっと控えめな色遣いのもの、大きいのや小さいの。蛾に近いような不気味な目玉模様のもの。多種多様過ぎて蝶、としかくくることができなかった。共通するのは、虹色の霧のような鱗粉をまき散らした後は、蝶たちは跡形もなく消えてしまうこと、ただそれだけ――と、最初は見えた。
昆虫学者だけじゃなく、あらゆる分野の学者が蝶が現れ、そして消えた現場を調査した。天気、風向き、月の満ち欠け。事件の前に何か切っ掛けはなかったか、怪しい人間はいなかったか。一見関係ないように見えることまで事細かに調べ上げた。
蝶が飛び去った後には、必ず無残な死体が残されていたのだ。
死体――骨と皮ばかりの、まるで内臓や肉を内側から食い尽くされたかのような。死体を喰う新種の蝶だとか、もっとセンセーショナルに、群れをなして人を襲う変異種だとか。蝶の口吻では肉を喰らうことなどできないはずなのに、そこは無視したB級ホラー映画まがいの想像図がまたもメディアを賑わせた。
でも、真実はもっとグロテスクで衝撃的で、そして恐ろしいものだった。
それが明らかになったのは、とある国のとある病院で。不調を訴えて来院した患者。ひと通りの診察でもその理由は分からなくて、医者は何となく、程度の感覚でレントゲン撮影をしたらしい。すると不調の理由自体はあっさりと判明した。だって内臓のほとんどが失われていては調子が良いはずがない。
原因が分かったからと言って安心できるはずもなく――見たこともない症例に慌てて、医者は患者を診察室に呼び出した。がらんどうのレントゲン写真を広げて、症状を説明しようとした、その瞬間に。
その患者の口から、無数の蝶が飛び出した。
診察室を飛び交う蝶。舞い上がる鱗粉。医者も看護士も混乱して手を振り回して。叫んだ口にも、鱗粉が舞い込んでむせ込んで。――でも、当の患者だけは静かだった。レントゲンには映らなかった蝶。でも、蝶たちは彼の――男性だったらしい――体内に満ちて、どういう理屈によってか分からないけど、生命を維持する機能が限界を迎えるその瞬間まで生かし続けていたらしい。
――私が見て来たように語れるのは、再現VTRを何度もテレビで見たからだ。私だけじゃない、世界中の人たちが、口から溢れ出る蝶の映像を見ただろう。国によって演じる役者の髪や肌の色、蝶の翅の色や大きさや形は様々だっただろうけど。国や人種や宗教を越えて、人類は等しく蝶に魅入られ、驚き、そして怯えた。
だって、診察室で間近に蝶の鱗粉を浴びた医師や看護師たちも、ほどなくして蝶を吐き出して亡くなったから。身体の不調の理由に大いに心当たりがあった彼ら彼女らが遺した証言、そこに滲んだ恐怖や狂乱は――後に出版されたけど――まさに魂を削られるような、少しずつ食い荒らされていくような痛ましく恐ろしいものだったらしい。
こうなると、世界各地で不思議な蝶の群れが見出された理由も明らかだった。世界有数の大都市、観光地でもあった場所で最初に観測された時、蝶たちはあらゆる国、あらゆる大陸から来た人々の上を舞ったのだから。煌く鱗粉は、空を見上げて指さし、カメラを構えた人たちの上に降り注いだ。その後、鱗粉を付着させ、あるいは吸い込んだまま彼らは故郷に帰り――そして、その時を迎えたのだろう。
この恐ろしい発見に、人類はもちろんパニックに陥った。私もしばらく学校に行けなかったのを覚えている。子供はもちろん、頑として外出、出勤を拒んだ成人も大勢いて社会の機能はほとんどストップしてしまったとか。日本ではそれほどでもなかったけど、発端の大都市に行ったことがある――もちろん蝶の発生の現場に居合わせていたということではない――人がリンチに遭ったり、無害なはずの普通の蝶も駆除しようとした国や地域もあったりして。まるで世界が終わるかのような混乱がしばらく続いた。
ううん、あの時生きていた人たちは、きっとそうに違いないと思っていたのだろう。宗教に頼る人も増えて、色々な宗教の指導者が色々な声明を出していた。家の中に閉じこもっていても、拡声器で神の言葉を届けようとする何とかいう何とかいう宗教の祈祷だか何だかが聞こえたくらいだった。人類の将来を悲観して、自ら死を選んだ人も多かった。
でも、世界は終わらなかった。
蝶に内臓を食い尽くされて皮膚を食い破られる――そんな死に方はショッキングだけど、冷静になってみれば蝶による死者は癌や老衰や交通事故によるそれよりもずっとずっと少なかった。悪魔、神の罰、新種の生物、エイリアンの生物兵器――蝶の正体についての説は多いわりに、本当のところは十五年経った今も何も分かっていないけど。でも、対処法はそれなりに分かってきている。
どうやら蝶は羽化――人体を蛹に見立てて蝶の発生をそう呼ぶようになった――の時に撒き散らされる鱗粉を媒介して感染するらしい。本物の蝶なら卵で殖える訳だからやっぱりあれは常識では説明できない存在ということになるけれど。とにかく、鱗粉をできるだけ浴びなければ良い。多少は触れたとしても、洗浄してしまえば良い。かつて春先に花粉を避けたように、効果があると言われる素材の服やマスクやサングラスで身体を守れば、蝶に魅入られる可能性はかなり下げることができるのが分かってきたのだ。
今では、羽化は交通事故と同じくらいの確率で起きるものとして日常に溶け込んでいる、と思う。毎朝テレビをつければ鱗粉予想をやっていて、各局が分かりやすく可愛らしい蝶のデザインを競っている。羽化が起きればすかさず電車は止まるし、警察や消防もスムーズに動いて居合わせてしまった人を隔離・保護する。
私たち一般市民だって。用心深さ、心配性の程度によって、各々気の済む範囲の対策を取って暮らしている。鱗粉を恐れる人は多いけど、結局人が生きるためには働かなければいけないんだから。
今の世界は、蝶の鱗粉が煙る中に閉じ込められているかのよう、とも思う。世界のどこかでは毎日のように羽化が起きていて、鱗粉が完全に吹き散らされることなんてないんだろう。今日の羽化は何件、なんて聞きながら、私たちはいつかそれが自分にも起きる可能性に心の片隅で気づいている。
大抵の人は、顔を顰めてその可能性を見なかったことにするんだろう。でも、私は。
煌く鱗粉、綺麗な蝶に殺されるなら、それも悪くないんじゃないかって思ってる。




