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07.失って気づく大切なものと守りたいもの



 衝撃の事実を知って、早数日。

 あの日はあのあと、ティートが戻ってくるまで二人の間に会話はなく、重苦しい空気を払拭できないままリーは退室した。

 それからのリーも相変わらず忙しそうで、食事を共に取ることすらできずにいる。

 顔を合わせる機会もなく、何か知らせる必要があれば臣下に言伝される。結局、話をする前と何も変わっていない。


 そんな中で変わったことと言えば、ようやく婚姻に向けて周りがあわただしく動き出したことだ。

 元々、リーの一声でいつでも私を迎え入れることができるよう、結婚に必要な準備は秘密裏にほとんど終えていたようだった。

 衣装合わせや儀式の進行の確認、国の重鎮との顔合わせと、私にもやることができた。

 ありがたいことに、少なくとも私の目に見える範囲では好意的な人が多く、身体が弱かったせいでろくに社交経験のない私でもどうにか和やかな会談を行えた。

 毎日違う人と顔を合わせるのは慣れていなくて気疲れするけれど、新鮮で、今まで味わったことのない楽しさもある。

 人と会っている時間は、目の前の人のことだけ考えていればよくて、とても楽だった。


 そう、思ってしまうほどに。

 考えたくないことがある、というわけなのだけれど。





「何を落ち込んでいるのか知りませんが、うっとうしいことこの上ありません」


 予定のすり合わせのため、ぽっかりと空いた時間。

 リーに淹れたものと同じお茶を淹れてもらって、一息ついていた私に、ミンネはきっぱりはっきりと言ってのけた。

 落ち込んだ姿なんて見せていないはずだけれど、付き合いの長い彼女に隠せるものでもなかったんだろう。

 侍女らしからぬ、彼女らしい言葉選びに、私は苦笑してしまう。

 それがミンネなりの気遣いだとわかっていたから、彼女の前でだけは、素直になることを自分に許そうと思った。


「ねえミンネ、失恋したと言ったら、慰めてくれる?」


 恋、だなんて。するとは思っていなかった。気づいていなかった。

 彼は私にとって婚約者で、未来の夫で、それ以上でもそれ以下でもなかった。

 なのに、彼の愛が幻でしかなかったのだと知って、いきなり眼前に突きつけられた。

 本当に大切なものは失って初めて気づく、という、どこかで見た言葉どおりに。


「……お相手にもよりますね」

「そんなの、リーの他にいるわけがないじゃない」

「でしょうね」


 ミンネは額に手を当てて、深いため息をついた。

 私はどうやら彼女の頭を痛めるようなことを言ってしまったらしい。


「近く婚姻関係を結ぶ方に失恋とはいったいどういうことですか。本来ならこれから始めるところでしょう?」

「優しいリーは、本当にただ優しかっただけということよ」

「説明する気がないのはわかりました」


 そうは言われても、どこまでこの婚約の裏事情を話していいものなのかわからないのだから仕方ない。

 たった一言で要約できてしまっているとも思う。

 ただ、私を生かすためだけに、リーはずっと婚約者でいてくれた。

 私にしてみれば自業自得でしかないことなのに、彼は深く後悔をして、責任を感じている。

 それはそのまま、彼の人の好さを物語っている。


「事情は存じ上げませんが、無……リヨン陛下に寵姫がいたとかでないのであれば、悲観する理由はないのでは?」


 無血陛下、と言いかけたんだろう。そして私が睨んだからやめたんだろう。

 彼のどこが、血も涙もない冷酷な王だというのか。

 もし彼が本当に無血陛下なら、私の命は十四年も前に失われていただろうに。

 毎年、私のために自分の血を流してまで薬を作ってくれていた。忙しい王太子の身でわざわざ届けに来てくれて。王になってからは信頼の置ける臣下に預けて。

 義務、という言葉が重くのしかかる。


「他に相手がいるかどうかは関係ないの。悲観する理由しかないわ」

「姫様が何に悩まれておられるのかは知りませんが。婚約者であり、もうじき夫婦となるお立場は、他の誰よりも陛下に近しく、恋のお相手に向いているのでは?」


 パチリ、と私は目をまたたかせた。

 恋の相手に向いている?

 ミンネの口から、とても意外すぎる言葉を聞いた気がする。


「……反対しないの?」


 てっきり、リーに恋をしていたなんて話したら、ミンネには大反対されるものだと思っていた。

 無血陛下と呼ぶ彼女が、リーに好意的でないことはわかりきっている。

 婚姻は今さらどうにもならないとはいえ、文句のひとつやふたつやみっつやよっつは覚悟していたのに。


「陛下のことはまだ恐ろしゅうございますよ。特に、姫様を見るあの眼。あれは獲物を見る眼です。姫様がいつ害されやしないかと気が気ではありません」

「リーは獣ではないわ」

「人も、時には獣となります。魔族とて例外ではないでしょう」


 そういうもの、なんだろうか。

 ミンネが人と魔族を分けずに話すのはめずらしい。

 怒りなどが極まると暴力的になることをたとえているんだろうか。

 リーが獣となる様子がどうにも想像できずに、私は首をかしげるしかない。


「とはいえ、姫様は昔から人の話を聞きませんからね。今さら何を言ったところで無駄だとわかっています」

「ひどい言いようね」


 無遠慮すぎる物言いに、くすっと笑う。

 自分では自覚はないけれど、ミンネに言わせると私は頑固者らしい。

 私はただ、どんなときでも自分を見失いたくないだけだ。


「心配をかけたくないのでしたら、どうか私の手の届く範囲にいらしてくださいね。お守りいたしますから」


 ミンネは、見間違えかと思うほどあわく、笑みを浮かべる。

 魔族の国を恐れていた侍女たちの中で、ミンネだけは最初から私の輿入れについてくるつもりだった。

 針のむしろとなるだろう私の、唯一の味方であれるように。

 大の男と渡り合えるほど身体を鍛え、わずかな色や臭いで判別できるよう毒の知識をつけ、全身全霊で私を守ろうとしてくれている。

 彼女の血の滲むような努力に報いるためにも、私は立派な王妃になりたい。


「守る……か……」


 君は僕が守る、とリーも言っていた。

 私は、守られなければならないほど弱いんだろうか。

 子どもの頃から体調を崩してばかりだった私は、もちろん強くは見えないだろうけれど。

 私にだって、守りたいものは少なからず存在している。

 私を愛してくれた大事な家族。私を育んでくれた生まれ故郷。私についてきてくれたミンネ。

 それに……。


 吸血族は魔族の中でも最強の種族。リーに、私の守りが必要ないことはわかっている。

 けれど私は、彼のもろさを知っているから。

 置いていかないで、と迷い子のように寄る辺のない声を覚えている。

 リーは、リーの本質は、決して最強なんかではない。

 彼が私を守ってくれると言うなら、私もリーを守りたい。リーの心を、守らせてほしい。


 そうか、と。

 まるで天啓のように、私は思い至った。

 他の誰よりもリーに近くて、恋をするのに向いている立場。

 それは、一番彼を守るにふさわしい立場にいる、ということでもあるのだと。



 私は、そのためにここにいるのかもしれない。







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