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05.本当の阿呆とシワひとつつかない手紙



 国主の仕事というものは、どこからともなく湧いて出てくるものだ。

 万事思い描いたとおりに進むわけもなく、対応が後手に後手に回ることもある。

 早朝から深夜まで身を粉にして務めようと、国民からしてみれば“当たり前”のこと。

 時に心が折れそうなほどの激務に、終わりは、ない。





「そんなに仕事がお好きなのなら、フィオレア様とのティータイムも執務として組み込みましょうか」


 ノックもなしに執務室に入ってきたティートは、挨拶よりも先に嫌味をぶつけてきた。

 暗に、ちゃんと休みを取らないのならまた一杯食わすぞと言っているのだろう。

 さすがに同じ手に引っかかるつもりはないが、もし彼女の身に何かあったと聞かされたら、嘘だとわかっていても僕はきっと走らずにはいられない。

 彼女の身体は油断を許せるものではない。万一があったなら、と思えばとても仕事など手がつかないだろう。


「……少し、休む」

「そうしてください」


 目を通していた書類に手早くサインをして、脇に置いた一山の上に重ねる。

 ちょうどひと区切りついたところだ。近侍に頼んでお茶でも淹れてもらおうか。

 その前にまずは、と僕は頬杖をつきながらティートに目を向ける。


「それで、なんの用だ。なぜ彼女の元にいない」

「そのフィオレア様からのお手紙ですよ」


 ひらり、とティートは見せつけるようにクリーム色の封筒を掲げてみせた。

 一国の王女であり、この国の未来の王妃から受け取った手紙にしては、扱いが雑じゃないだろうか。

 とはいえノックもしないで国王の執務室に入ってくる男に、何を言っても無駄だということはわかっている。

 そもそもクルイークは魔族ばかりの特殊な国というだけあって、身分というものに対してこだわりが薄い者が多い。

 実力主義と言えば聞こえはいいが、実情は脳筋と言ったほうが正しいかもしれない。


「どうぞ。大方、家庭を顧みない夫にしびれを切らしたんじゃないですか」

「……まだ、婚約者だ」

「周りから見れば、事実上はもう王妃と変わりませんよ」


 受け取った手紙と、自分の元護衛騎士を見比べる。

 確かに、輿入れするためにこの国へとやってきたのだから、扱いとしてはすでに王妃のようなものだろう。

 たとえまだ婚姻の儀を行っていなくとも、契りを交わしていなくとも、それどころか指一本触れていなくとも。

 唯一の触れ合いは手を払ったことくらいだろうか。それを触れたと言ってもいいのなら、だけれど。


「フィオレア様はこの国に馴染もうと努力なさってますよ。よく俺にこの国のことを質問なさいます。侍女は少々反発心を持っているようですが、まあ害はないでしょう。陛下もいい加減腹をくくったらどうですかね」


 クルイークを、僕の治める国のことを、知ろうとしてくれている。

 それだけのことが、胸に焼けつくような熱を生み出す。


「クルイークの者に邪険に扱われないかと、お二人は不安に思っているようです。もしリヨン陛下自らが軽んじた扱いをするのであれば、彼女たちの懸念は現実のものとなるでしょうね」

「……主君を脅すつもりか?」

「いえまったく。事実を述べているだけです」


 主を主とも思わないその言い様に僕はため息を噛み殺す。

 どうせ、彼女たちの心中も直接聞いたわけではないだろう。

 ティートは人とは思えないほどに耳がいい。魔力で防がない限り、扉の前にいれば中の会話は丸聞こえだ。

 魔族相手であれば彼女たちも多少は気を配っただろうが、同じ人ということで油断したのだろう。

 腕が確かというだけでなく、表立っては言えない困りごとなどを知ることができればと彼を護衛につけたが、こうして報告を受けていると秘密を盗み見ているようで後ろめたい。


「フィオレア様、お寂しそうでしたよ」


 ティートはなおも追い打ちをかける。

 彼女がこの国へやってきて、数年ぶりに顔を合わせたとき、花のかんばせは期待と信頼で輝いていた。

 今、彼女の表情をくもらせているのは、間違いなく僕の煮えきらない態度だ。

 それをわかっていても、どうしたらいいのか答えが出ない今、彼女に手を伸ばせずにいる。

 こんなに近く、会いたいときに会える距離にいながら、人づてに彼女の様子を教えられる状況が虚しい。

 本当なら今すぐにでも彼女の元に駆けつけてしまいたいのに。


「……お前はやけに彼女の肩を持つな」

「嫉妬ですか?」

「違う!」


 ベキッ、と執務机の断末魔の声が響いた。

 視線を落とせば、手を置いていた部分にヒビが入り、陥没している。

 簡単には壊れないようにと補強の魔法をかけてあったというのに。力の加減を忘れて物を壊してしまうなんて、いつぶりだろう。

 それでいて、もう片方の手に持っていた封筒にはシワひとつついていないのだから、我ながら実にわかりやすい。


「安心してください。主君の奥方に横恋慕するような不忠者ではありませんよ」

「だから、そういう意味ではなく……。まったく、からかうな」


 無表情で言われると余計に腹が立つ。冗談ならもっと冗談らしく言ってほしいものだ。

 王宮警備の下っ端だったティートを拾い上げたのは、六年前のことだったか。あの頃から生意気な態度は変わらない。変わらないからこそ、傍に置いているのだろうけれど。

 力こそすべてのきらいのあるこの国で、ただの人間である彼が対等に渡り歩いていくのは、語り尽くせないほどの苦労があるだろう。

 ピクリとも動かない表情はそのせいかと思えば労いの言葉のひとつもかけたくなるが、彼の場合は元々の性格という可能性も否定できないから難しいところだった。


「庭でのことだって、お前わざとあそこに案内しただろう。僕がいつもそこにいると知っていて」


 数日前、僕がよく休息の時間を取る場所に、彼女は姿を表した。

 まだこの城の構造に疎い彼女は知らないだろうが、あの庭園は僕の執務室から見下ろせる場所にある。

 毎日のように見ている、白く小さく、可憐な花。

 そう、まるで……。

 彼女の指摘は、図星以外の何ものでもなかった。


「俺は陛下のお心に背くようなことはしませんよ」

「……ああそうだな、主思いの臣下を持ててうれしいよ」

「ありがたき幸せ」

「できれば嫌味も流さずにいてくれればいいんだがな」

「それは俺に求めることではないでしょう」

「ああ……そういうやつだよお前は……」


 まともに相手をするのも馬鹿らしく思えて、深いため息と共に不平不満を頭から追い出す。

 手に持ったままだった手紙をしばしじっと見つめ、それから封を開く。

 内容はほぼ予想通りだった。

 数日前に『お待ちしています』と言っていたとおり、また会いたい、話をしたい、と。

 《リヨン国王陛下へ》、と書かれた筆跡からは、女性らしい繊細さと彼女らしい芯の強さを感じる。

 《親愛なる優しいリーへ》。それが今まで交わしていた手紙の宛名だった。

 他人行儀になってしまったことを寂しく思うが、先に距離をあけたのは、僕のほうだ。


『リヨン陛下は、好きなことをすればいいとおっしゃいました。なので私は、リヨン陛下と心を通わせる努力をしたいと、この筆を執りました。

 私はあなたと夫婦となるためにクルイークにやってきました。もちろん、形ばかりのものではなく、支え合いながら共に歩んでゆける夫婦です。

 今、リヨン陛下が何をお考えなのか、悲しいことに私には察することができません。

 どうか、リヨン陛下のお心を、私に見せてはいただけませんか?』


 彼女の、僕への……いや、“リー”への揺るぎない想いが伝わってくる。

 裏切られることなどわずかにも考えていない、深い信頼。

 それはいっそ幼稚と言ってしまってもいいほどに、盲目的で。

 僕自身が積み上げてきたものとはいえ、その重さに押し潰されてしまいそうだ。


「もう、どうにもできないのか」


 手紙から視線を外すことなく、つぶやきを落とす。

 独り言のような声量でも、彼は聞き逃さない。


「無理でしょうね、国が動いてますから。ここまで来て姫を送り返そうもんなら、どんなに陛下が泥をかぶろうとしたところで傷モノ扱いですよ。我々の悪名は世界に轟いてますから」


 そうだろうな、とわかっていながら尋ねたが、やはり気落ちしてしまう。

 本来なら彼女は、人の生き血をすするバケモノに嫁ぐ必要などなかったというのに。

 どうにかできることなら、今すぐシエルへと帰してやりたかった。

 わざわざ苦労するために魔族の国の王妃になることなどない。

 僕の見ていないところで、しあわせになってくれれば、それだけでよかったのに。

 会いたいときに会える距離は、手を伸ばせば届いてしまう距離は、限りない至福でありながら拷問にも近しい。

 とはいえ、ここまで来てしまった以上、逃げてばかりではいられない。


「嫌われる覚悟を、決めるべきだろうか」


 すべてを話せば、間違いなく彼女の信頼を裏切ってしまうだろう。

 これまで秘密にしていた事情も、僕の彼女への想いも。

 きっと、彼女を傷つける。

 しあわせになってほしいと願ったのは嘘ではないのに、その僕が、彼女を泣かせてしまうかもしれない。

 すべてを知った彼女が、どんな眼で僕を見るのか。

 それが、こんなにも恐ろしい。


「……もう、“優しいリー”とは呼んでもらえないだろうな」


 思わずこぼした弱音に、ティートはこれ見よがしにため息をついて。


「陛下は本当に阿呆ですね」


 そう、冷たい冷たい視線を頂戴してしまった。

 まったく、ため息をつきたいのはこちらのほうだ。

 これから僕は、“かわいいフィア”に嫌われに行かなければいけないというのに。

 いや、本当は。



 分別のつかない子どものように、大声で泣いてしまいたいのかも、しれない。







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